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徳川幕府体制で近代化してたら何か変わってましたか?

徳川幕府体制で近代化してたら何か変わってましたか?

投稿日時 - 2019-07-14 14:24:02

QNo.9635312

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回答(9)

ANo.9

歴史にifはもちろん無いんですが、あえて想像するとこのテーマは興味深いですね。

私としては、仮に徳川慶喜が政権を維持したまま近代化したら、むしろ英国風のある意味で階級制度が残ったままの民主主義になったのではないかと思います。

明治維新の特徴であった「四民平等」がない社会ですね。
西欧風に、軍隊の士官は、武士階級でないと認められない、と言った感じになったかと思います。

逆に、武士の徳目が実際の歴史より色濃く残ったでしょうから、後の金権政治などと言ったものは、是正されていたかもしれません。

他にも色々考えられますが、とりあえずこんなところで。

投稿日時 - 2019-08-01 10:05:16

ANo.8

災害対策& 身分制度& 男女格差& 貿易事業還元

投稿日時 - 2019-07-17 16:41:03

ANo.7

戊辰戦争の際に将軍が敵前逃亡して大阪から江戸へ逃げ帰っただけではなく、本来大阪城を擁護すべき御三家の尾張と紀州は薩長に加担していました。
尾張と紀州が会津藩のように落城覚悟で薩長軍に対峙していれば薩長軍が江戸へ入ることはあり得ませんでした。
尾張藩や紀州藩の藩士が戦死しても彰義隊や白虎隊の若者が死ぬことはなかったしょう。
つまり明治維新というのは徳川幕府が内部から崩壊したことで達成されたものです。
明治維新というのは武家階層内での政権交代だったことからすれば薩長の下級藩士の代わりに下級幕臣と旗本階級以上の幕臣とが交代していたかと思われます。
この交代に手間取りクーデターが起きていた可能性は多分にあります。
但し、既に勝海舟などという最下層の幕臣が幕府を牛耳っていましたのでクーデターの規模は小規模なものだったと思います。
開国政策はすでに幕府が手掛けていましたので近代化は幕臣の手で行われていたかと思います。
明治政府も東京(江戸)で全国を統治するのに当たって官僚は全て明治政府に雇用された幕臣が実務を担当していました。
薩長の下級武士には政権を運用した経験がありませんでした。
現在霞が関に中央官庁が集結しているのは江戸城に近い位置にあった譜代大名の屋敷を転用した名残です。

明治政府は天皇を頂点とした中央政府をつくりましたが、皇族・公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵・士族・平民・新平民という江戸時代以上に厳密な身分制度を制定しました。
四民平等などというのは単なるスローガンでしたのでご注意下さい。
薩長に江戸幕府が勝っていても中央集権体制にしていて同じような身分社会を作っていたかと思います。
将軍というのは元々天皇の臣下でしたので頂点には天皇が就任していただろうと考えられます。

明治政府が進めた近代化の実務は幕臣がやっていましたので薩長に江戸幕府が勝っていても近代化は同じように進められていたかとおもいます。
近代化に不可欠な商人に代わる近代的な企業というものを500社前後立ち上げた渋沢栄一も元は幕臣です。
現在も渋沢栄一が立ち上げた企業が活動を続けています。

第一国立銀行ほか、東京瓦斯、東京海上火災保険(現:東京海上日動火災保険)、王子製紙(現王子製紙・日本製紙)、田園都市(現:東京急行電鉄)、秩父セメント(現太平洋セメント)、帝国ホテル、秩父鉄道、京阪電気鉄道、東京証券取引所、麒麟麦酒(現:キリンホールディングス)、サッポロビール(現:サッポロホールディングス)、東洋紡績(現:東洋紡)、大日本製糖、明治製糖、澁澤倉庫

投稿日時 - 2019-07-14 22:43:58

ANo.6

NHK がない世界

共通語が作られることはなく、日本語は京都弁か江戸弁になっていた。
薩摩や津軽の人とは、未だに言葉が通じていない。
地域により時刻が異なる。

郵便(逓信)局がない世界

全国一律のはがき、封書の料金制度がなく、地方は書店でしか全国紙の新聞や雑誌を購入することができない。
書き文字が統一されることはなく、東京と大阪、その他地域地域ではその中でしか庶民は文字が読めず、東京語か大阪語が読める人が重宝される。

再販制度がなかった世界

書籍はごくごく一部の本が読める富裕層、東京語、京都語の読める地域に限られた存在で、書店も全国には広まらず、地元に有力な名士がいない地域には本が人まることもなく、ましてや同人誌は東京のごくごく一部だけに存在するものだった。

電電公社(NTT) のない世界

電話や通信は、人口が多い地域でかつ東京や大都市間を結ぶものだけになっていた。
一般家庭に普及することは、国策として、また各地方政権の施策として実施されるまでなかった。

廃仏毀釈がなかった世界

戸籍制度が作られず、寺社の信徒であることが住民票となり、東京・大阪の人口の一極集中は今ほどは起きなかった。
天皇制は存在するが、全国神道が広まることはなく、影響は限定的で、戦争への道を進むこともなかった。
婚姻・恋愛の自由が無いままだが、庶民は乱婚の制度が続き、不貞・不義の概念は武士階層にとどまったままだった。


と、こんな感じかな。

黒船があと20年遅かったら江戸で市民革命が成功していた可能性を語る人もいます。江戸幕府の幕藩体制が続いた場合の話ですね。

で、ひとつだけ明らかなことがあります。
江戸幕府は外交は不得手でしたが、内政のプロが集まっていました。このため明治政府が行った破壊的統一を行う必要がなく、この副作用である軍部の暴走を許すことのなかった反面、日本が1つにまとまるためのステップが存在せず、文化の統合にずいぶんと時間がかかるか外圧が必要になる可能性が高いです。
言い換えると、富国強兵政策で大国になることはなく、昭和の敗戦は起こらなかったはずです。

投稿日時 - 2019-07-14 22:14:14

ANo.5

それをやろうとしてできなかったから、徳川幕府は倒れたのです。

近代国家になろうとしたなら、身分制はやめて近代的官僚制度に変えなきゃいけません。でも徳川体制としてそういうことは無理です。徳川譜代の家臣の家、徳川一族、そっちのほうを優先せにゃそれは徳川幕府とはいえないのです。
幕府にとって大きな財政的負担のひとつとなっていた大奥も廃止しなけりゃなりません。でも、廃止なんてできっこありません。大奥が反対するのは明らかだからです。大奥に自分の家の女を入れて幕府に影響力を与えたいという大名家もいます。

実は明治政府の関係者には、旧幕臣が少なからずいるのです。今度の新札の顔となり、明治新政府経済の基礎を作ったともいえる渋沢栄一は元々幕臣でした。
郵便制度を作った前島密も幕臣。榎本武揚も幕臣です。
徳川幕府というのは200年以上に渡って日本を平和に統治してきたわけですから、形式が古くても官僚たちの統治能力は優れていたのです。だから多くの官僚型幕臣は役人として明治政府に仕えました。こんなことをいったら失礼だけど、薩長の田舎武士には統治のノウハウがなかったからです。
これは現代のベンチャー企業に例えると、もうベンチャーとはいえないくらいに会社の規模が大きくなったのに、社長やその周辺がベンチャーのときのノリのままで経営するとおかしくなるのと同じです。そういうときって商事会社などの大企業から引き抜かれたおじさんが会社を大企業としての体裁を整えるじゃないですか。それと同じです。

だから徳川幕府体制で近代化していたとしたら、公武合体して徳川家は下野して、明治新政府が作られていたと思います。つまり史実とあまり変わらないってことですね。ただ新政府のメンツが違うということと、あそこまでドラスティックな改革はできなかったでしょうね。
あそこまでドラスティックな改革ができなければ、日清・日露の戦争で勝つこともなかったかもしれません。明治政府は近代軍を持っていただけではなく、戦争を継続できる経済力もありましたから。そしてその経済力の源になっていたのがドラスティックな改革を基にした経済の活性化でしたからね。

もしかしたら、自民党幕府体制が続いているがゆえにドラスティックな改革ができず経済が沈みっぱなしの現代日本が「徳川幕府のままの近代化」の姿かもしれません。

投稿日時 - 2019-07-14 18:27:29

ANo.4

(1) 天皇陛下に、「土下座してあやまれ」などと主張する韓国人は出現しなかったでしょうね。

 「徳川某に向かって土下座して謝れ」という主張は出たかもしれませんが、徳川さんは武家だから、戦争で負けた時点で生き恥をさらすことを潔しとせず、全責任を負って腹を切って詫びただろう、と思いたいたいですね。

 近衛さんなど1,000年以上戦争を知らなかった、口先だけの貴族を戦争に巻き込んではいかんと思いますね。「餅は餅屋」、戦争は武家に任せておけばよかったんじゃないかと思います。ま、結果的に逆だったかもしれません。可能性はどちらにもあります。

 権威は天皇に、権力は幕府に、と分かれればそもそも第二次世界大戦を日本が引き起こしたかどうか分かりませんが、仮に戦争をヤッテ負けたとしても、武家の徳川さんが腹を切って自裁すれば、戦争責任をここまで引きずらなかったのではないかという気はします。

(2) おそらく、二大政党政が実現していたのではないかと思います。

 具体的には、薩長派(西日本派)と幕府側(東日本派)とで政党を作っていたんじゃないか、と思います。

 幕府は武士でできているので、武闘派と思われがちですが、意外と柔軟で、有能な庶民が武士になるのを認めてきたりしていました。

 ところが、薩長が有能な徳川派の人材をさまざま殺してしまって、薩長優位の体制にガラリと変えてしまったから、人材が偏ってしまった観があります。

 例えば、幕府は森の緑を大切にして、むやみに木を切り倒すことを禁止していました。木曽檜などですね。「檜一本首一本」と言われた由です。

 ところが薩長の思想(富国強兵)一辺倒になって、木でもお寺の鐘でもなんでも利用して戦争に突入してしまいました。

 二大政党になって良いのか悪いのかまでの考察は避けますが、例えば自然保護派と富国強兵派などの間で政権が移動するのは、一般的には良いことだろうと思います。

 夢想に過ぎませんが、二大政党の結果、日本は第二次世界大戦を引き起こさずに済んだかもしれません。

投稿日時 - 2019-07-14 17:21:34

ANo.3

まあ、今更言っても仕方の無いことではあるが、役人の絶対的な強権の下では進歩は遅々たるものになっていた可能性が高い。
明治維新の過程で多くの優秀な人材が失われているが、その典型が小栗上野介だ。こうした偉大な人物が、どん百姓に武器を持たせただけの輩に惨殺されてしまったことは、日本という国にとっては大変な損失だ。
さらに、明治政府の首脳達の殆ど全てが足軽などの最下層の出身者だったために、つい先日までお殿様だったり御家老だった人に命令を下す立場になってしまった。
こうしたことは、武士階級の下で生まれ育った者にとっては耐えがたいものであったことは間違いが無い。そこで、このような窮状を何とかしたいと言うことから江戸時代には何の力も無かった天皇を引っ張り出してきて、天皇制を作り、ヨーロッパのまねをして皇室典範というものを作った。さらに、華族制度というものを作り、天皇に異常としか言いようのない権能を与え、全てを天皇の御名によって行う、と言うことにしたのだ。
この過程で廃仏毀釈というとんでもない悪政を行い、全国にあるお寺や仏像などを破壊するという蛮行を行った。
さらに、政府は反政府的なことを言ったり行動を行う者に対しては、不敬罪などと言い天皇に何もしてないのに天皇に対して不敬を働いたと言って逮捕し、牢獄に入れると言うことをしたし、軍部は天皇の御名というのを利用し、国民を奴隷のように扱い、昭和に入ってからだけでも日本人だけで310万人もの命が奪われている。勿論、命を奪われた者だけでは無く、たくさんの人が取り返しの付かない大けがをさせられ、日本中が焦土と化した。
勿論、日本人だけでは無く、たくさんの中国人を初めとするアジア諸国の人々が殺されている。

もし、幕府の体制のままであれば、天皇は殆どの人が知らないままだろうし、天皇の御名を利用して等と考える者もいるはずが無いし、軍部などと言うものは存在していないので、侵略戦争も起きていなかっただろうし、極めて平和的な国家のまま推移していたことだろう。
ただ、国の発展と言うことにおいては、幕藩体制下では問題が多いと思われるので、一長一短があることからどちらが良かったのかは一概には言えない。

投稿日時 - 2019-07-14 16:02:24

ANo.2

「近代化」という用語はいろいろな人がいろいろ異なった意味で使っているので、まずは「近代化」という用語がどのような状況を指すのかを明確にしましょう。
そのうえで、徳川幕府体制で、その「近代化」という状況になった時に、徳川幕府にどのような影響が生じるか、武家社会にどのような影響が生じるのかを考えてみましょう。

投稿日時 - 2019-07-14 15:31:27

ANo.1

何か”夏休み宿題なれば、投稿者様自身が、”歴史書籍全て、熟読される事です。
(1)経済管理。 (2)海外貿易基準。(3)国民への"階層組織撤廃。(4)その他。

投稿日時 - 2019-07-14 14:55:45

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