美空ひばりさんのファッション
6月は命日に当たるためテレビで過去の映像がいくつか放送されました。
よく思うのですがファッションに対するこだわりはない人だったのですか。
あれだけの人ですからスタイリストはついていたと思いますが、歌ひとすじなのでファッションはおまかせでだったのでしょうか。
和服はよく見るとかなりこだわった形跡が見られ、袖口から見える裏地などはさすがと思います。しかし、絶対和服が似合う人にもかかわらず、ここぞと思うステージではほとんど洋装です。その方が好みだったのでしょうか。
ウイッグをよく使用されていましたがスタイリストの提案だったのでしょうか。
投稿日時 - 2019-06-25 00:16:17
美空ひばりさんは、演歌歌手と定義されるのを嫌がったようです。
70年代初頭までの日本では、洋楽・ポップスと邦楽・歌謡曲ぐらいのおおまかなくくりで、邦楽は洋風のものも、和風のものも全部歌謡曲でした。
ところが、フォーク・ニューミュージック系と言われる歌手が台頭してきたので、それに対抗するべく和風の歌謡曲の歌手は、演歌という概念を前面に打ち出し、着物を着て、ヨナ抜きの短調曲をこぶし・しゃくりを効かせて歌うのが演歌だというイメージをつくりました。
石川さゆりさんは、津軽海峡冬景色の大ヒット当時は、普通に洋装で歌っていました。まだ、演歌の定義そのものが確立されてなかったし、多分、ご自身の歌が演歌であるという意識もなかったと思います。でも、演歌歌手のイメージが強くなってからは、ひたすら着物です。
美空ひばりさんの場合は、江利チエミさん、雪村いづみさんと三人娘と称されていたように、ポップスやジャズなど洋楽カバーもうまいオールラウンドな歌い手さんです。
だから、演歌歌手、演歌の女王などというレッテルは貼られたくなかったのでしょう、着物で歌うのは演歌歌手という狭い定義に甘んじることになりますから。
とはいえ、美空ひばりさんのファンを始めとする聴き手たちが、こぶしやしゃくりの利いた口先のテクニックに長けた歌い方を好むことも、美空ひばりさんはよくご存知で、その期待に応えるような歌い方をされていました。
たぶん、そこには御本人にしか分からない葛藤があったと思います。洋装で歌う美空ひばりさんの映像に、今の我々が違和感を感じてしまうのは、その辺りが原因でしょう。
投稿日時 - 2019-06-25 13:33:14
ありがとうございました。歌のジャンルも広く英語の歌も都々逸も大変な実力ですね。その点では持って生まれた顔と才能のどちらかにアンマッチが生じたと言えますね。
ついでに申し上げれば、時代劇では断然男役が似合うのですが残念ながら背が低くておしかったです。
投稿日時 - 2019-06-25 17:28:33
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回答(4)
こんにちは
ある程度は事務所の方と相談されていると思います。
でも、なんといってもお母さんのマネージメントは
凄かったらしいので
影響力はあったかもしれません。
衣装デザインで有名なのは
森英恵さんに依頼したことです。
https://www.bs-asahi.co.jp/ijinden/lineup/prg_079/
http://cineyoso.movie.coocan.jp/ishoudezainnohiobito.htm
投稿日時 - 2019-06-25 12:14:39
ありがとうございました。初めて知る情報です。
投稿日時 - 2019-06-25 17:21:53
彼女が活躍した時代は、日本人の服装から生活、価値観に至るまで和装から洋装に変わっていく時代でしたからね。
21世紀頃になるまで、戦後はずーっと一貫して「欧米が優れている。オシャレ。カッコいい。日本的なものはダサい。時代遅れ」って考えだったんですよ。だからあまり和装ばかりだと「ダサい演歌歌手」というイメージになってしまうというのもあったと思いますよ。
また晩年は立っているのもやっとというほど体調に悩まされていたので、洋服のほうが着ていて楽だというのはあったと思います。明治生まれの祖母も晩年近くなるとよく「和服のほうが着慣れているけれど、洋服のほうが着てて楽」っていってましたからね。
投稿日時 - 2019-06-25 11:42:40
ありがとうございました。時代背景のよりますね。
顔やメイクが洋装に合いにくいしウイッグで済ませるのもなにか違うのではと思います。
投稿日時 - 2019-06-25 17:20:38