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江戸落語の昭和後期の四天王について

江戸落語の昭和後期の四天王について
(春風亭柳朝 立川談志 三遊亭圓楽 古今亭志ん朝(晩年柳朝が病気に成り
 橘家圓蔵が加わった))

この四人の中では単純に上手さとあくの強さの無さで嫌味の無い芸であり、
一門会や独演会の集客では志ん朝師がトップだったのでしょうか?

柳朝師は江戸前の粋さはあり口調も見事であるが、時に手を抜いたり 投げやりな処が難点
圓楽師も力のある落語家と評価された反面、根多に粗さが見られ、そこが昭和の名人と言われた六代目三遊亭圓生の筆頭弟子でありながら、圓生師は自らの後継者を
志ん朝師と云われたとされております。
談志師はアイディアや現代との接点を考え、落語を現代にどう伝えていくかと
いう事には優れていたが、あの個性と芸風で好き嫌いが分かれたとされております。

やはり、志ん朝師が真打に成り人気が出て、それに同世代の者がそれぞれに違う芸風で四天王と云われる様に成ったのでしょうか?

別に他の3(4)人の芸風も批判する訳ではなく、それぞれに私は良いと思います、
が志ん朝師を中心として四天王と云われる様に成ったのでしょうか? 

この辺りの事をご回答戴きたいと思います。

投稿日時 - 2019-06-21 07:32:04

QNo.9627729

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回答(2)

ANo.2

その落語四天王というのはおそらく後世の落語ファンというより落語オタクといったほうがいいような人たちが選んだものだと思います。
その当時をよく知らないけれど、柳朝師匠がそんなに観客動員数を持っていたとは思えないんですよね。あの頃でいえば、テレビによく出演していた橘家圓蔵師匠や三笑亭夢之助師匠のほうが(巷で顔を良く知られていたので)観客動員数はあったと思います。
そもそも落語マニアは「噺家としての腕とお茶の間の人気」は分けて考えたがるし、お茶の間に人気の噺家を軽視する傾向があります。ま、それはウチの親父なのですけれど・笑。噺家が洋服を着てレポーターの仕事をすると「芸が荒れる」といって嫌がります。でも私からすると「噺家は客を楽しませてナンボ。落語しかできない噺家はそれだけしか仕事がない」と思うのですけどね。

単純な客の動員数では、その四人の中では談志師匠ではなかったでしょうかね。よくテレビに出ていましたから。ただね、談志師匠も先代の圓楽師匠も色々と上手くいかなかったのは「噺家としては優れていても、経営者としての才能はなかったから」です。そこは別の才能なんですよ。それに、昭和の頃の芸能(演芸)の世界はどんぶり勘定でしたからね。それは今でも変わらないですが、より一層どんぶり勘定の世界です。
談志師匠は柳家小ゑんの頃が噺家としてのピークで、立川談志は成功したテレビタレントだった、というのは我が父親の評です。私は小ゑん時代を知らないのでね。談志師匠の噺は何度か見たことがありますが、残念なことに全部「ハズレ」でした。出来不出来の差が大きすぎるんですよ。
単なる個人の好みなら、昭和末期に噺家として名人芸だったのは古今亭志ん朝師匠、柳家小三治師匠ではなかったかと思っています。私は噺家としては先代の圓楽師匠より歌丸師匠のほうが上手かったと思います。

投稿日時 - 2019-06-21 11:37:08

ANo.1

志ん朝でしょう、他の三方なら円楽、談志、柳朝・・・甲乙つけがたいが

投稿日時 - 2019-06-21 08:02:02

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