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阪急阪神東宝グループの創業者の小林一三は阪急電鉄、

阪急阪神東宝グループの創業者の小林一三は阪急電鉄、都市開発、宝塚歌劇団、阪急百貨店、東宝を関西の宝塚を中心に作ったが産まれも育ちも山梨県でした。

なぜ山梨県の小林一三は関西の宝塚で鉄道事業をやってたのですか?

どういう経緯で山梨から関西の宝塚に出て来たのですか?

投稿日時 - 2019-05-22 19:03:37

QNo.9619046

困ってます

質問者が選んだベストアンサー

祖先が宝塚出身

投稿日時 - 2019-05-22 19:44:49

お礼

ありがとう

投稿日時 - 2019-05-22 22:48:18

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回答(2)

ANo.2

元々文学青年で文学を志し、慶応大学を卒業後、新聞や芝居関係の就職を希望したようですが、そういった業界とは縁がなく、三井銀行に就職するようになりました。が、希望して入った職場でないからか、他の理由があったのか、文学や芝居に興じながら仕事はそこそこにやっていたようです。
銀行というものは昔も今も転勤がつきもので、小林も大阪へ転勤となりました。そのときの上司(岩下清周)に気に入られ、小林も才覚を示すようになったようです。で、いろいろな事情があって、岩下が銀行を退職し、今でいう証券会社を始めるに当たり、小林も誘われ、銀行を退職しました。岩下は大阪で商売を始めるので、大阪へ行くことになりました。
ところが、経済恐慌の影響があり、その証券会社は頓挫、責任を感じた岩下は営を任されていた箕面有馬電気軌道へ小林を招きました。この会社は、元々今の福知山線などを経営していた阪鶴鉄道が国に買収されたため、その付帯権利などを利用して宝塚・有馬を目指す電車として経営するものでした。
その後は、知られたとおりの大活躍です。日本初のPRパンフと呼ばれる宣伝や、宝塚歌劇などは、文学青年だったからこそ実を結んだともいえます。
小橋一三についてはいくらでも情報が入手できると思いますが、例えば以下のようなものを紹介します。
http://www.hankyu-bunka.or.jp/about/itsuo/
阪急文化財団について小林一三について

http://www.hankyu.co.jp/cont/ichizo/column1.html#001
阪急電鉄の創業者「小林一三」

https://jpreki.com/kobayashiichizou/
幕末維新風雲伝 小林一三

https://www.nhk.or.jp/dsp/keisei/ichizo/
経世済民の男 小林一三

投稿日時 - 2019-05-22 23:11:39

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