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解決済みの質問

虐待と躾の境界とは?

 千葉のDVによる実子の殺人事件が取りざたされておりますが、
 正しくはないが元々 暴力で服従させ統制を行ってきた歴史があるのではないかと
 思います。
 
 私の小学生時代(昭和50年頃)近所に暴力団組員の家族が居り、
 そこの主人は正しくその様なタイプでした。
 子どもの末っ子が私と同級生でしたが、
 彼は幼稚園でも同級生に乱暴をする ものをとるという感覚で
 善悪より 父親から喧嘩で負けると体罰を加えられ 家に入れて貰えない
 と云う様な感覚で育ちました。
 今回の千葉の事件は母親や子どもが未だSOSを求める感覚がありましたので、
 明るみになりましたが、
 この家庭は「自分は間違っていない」と妻や子も思い、同級生などに
 「鍛えてやっている」と同じ事を行っておりました。

 最近 スポーツの世界での体罰が問題になっておりますが、
 この彼の様なタイプが未だ犯罪者にならずに済んでいるのが、
 あの様な体制なのでしょうか?
 彼は小学生の時 夏休みの宿題の提出の催促に担任(女性だった)がした
 事に暴れた、
 彼の面倒をみていたのは スポーツ少年団の所謂怖い先生でした。
 この先生も 真面目な子や大人しい子は「用が無い」と思い、
 「喧嘩の強弱」で従う子の方を好んでおりました。
 だから、彼の様なタイプが人間性を発揮できるのはこの様な組織なのでしょうか?
 彼は、負けん気が強く 運動神経抜群
 だったので頭角を表しましたが、この少年団(野球)でも
 周りに喧嘩を売る、いじめまがいの事等を行い、チームでは彼を嫌いな人も居りました が、顧問は「大人しい子の方が退部してくれた方が良い」「彼の闘争心の方が
 使える」という事でした。
 中学に入っても 彼は野球部で先輩から洗礼として暴力を受け、それに耐え
 「根性のある奴」と認められたそうです。
 小学校のスポーツ少年団の顧問や中学の野球部の先輩には
 「気合いを入れる」という体罰や「白でも黒と云え」という事も受け入れ、
 はけ口にクラスや部活で大人しい子を苛めるが、顧問から「やりすぎると半殺しに
 する」という事でまだ抑えられており、犯罪者にならず済んでいるという事なので しょうか?
 この様なタイプは「暴力三昧」の日々に矛盾を感じず、未だそれで自制されているということだそうです。
 (彼は高校の時、野球部で傷害を起こし退学、成人してから母親や交際相手の暴力
 で逮捕されたそうです
  が スポーツの世界は彼の様なタイプの方が使えると思っている指導者もおり、
  彼らの言動を中心に考えると「暴力三昧」の日々に成るのでしょうか?
  その様な気質の者の思いを発揮させてやりたいという事を 島根開星の
 野々村直通氏は云っていたと思います。 
 (体罰を止める代わりに、乱暴な奴は教室に入れない という事はどうかと
  いう等問いに 野々村氏は「彼らを見捨てる事になる」といっていたと思いま  す)体罰は良くないし嫌いだが、
 それは理性がある人間にのみ当てはまる事であり、彼らは体罰がスキンシップで
 、闘争心はあるが 絶対的な強者には叶わないと服従し、犯罪まがいの事も抑制さ れ そのエネルギーをスポーツにぶつけられるという縮図なのでしょうか?
 自身もその様な感覚だった 長嶋茂雄氏や星野仙一氏等もその様な事をいっていた と思います)
 暴力まがいの事もスキンシップでそれで感情がコントロールされている人間も
 正しくはないがいる様な気がします
 このあたりの事をご回答戴ければと思います。

投稿日時 - 2019-02-06 07:56:18

QNo.9585112

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

相手の事を思って振るうのが「躾」、自分本位で振るうのが「虐待」となると考えますが、同じような言動はないような気がします。同じ振るう暴力でも虐待となれば、躾の暴力と比べてかなり悪質になると思います。

暴力は絶対に振るってはいけない、という正論はそれなりに正しいと思いますが、誰でも使える暴力ですから、個人として対抗できる術は持っていないといけない必要悪ではあると思います。平和を唱える多くの国々が自国を守るために軍事力を持っているのと同じような構図かと思っています。

そういう意味(暴力とはどういうもので、どこまでやると相手は怯むのか、怪我をするのか、死んでしまうのか、やられるのは嫌だと解る)で躾として暴力を受けることにはそれなりに意味はあるのだと思います。そういう指導をセットにして、暴力は振るってはいけない、しかし暴力でしか抑えられない相手には節度を持って対抗するためだというフォローが大切なんだと思います。

それでも理解できない(しない)奴はいて、そういう輩はその筋に進んだりしてしまうのでしょう。

暴力がないことは理想です。理想の中で教えられる立場の人間が全てを理解し、社会性を体現できれば、それが理想なのでしょう。しかし、理想通りに全てを理解できない(しない)人間もいます。その人に対してどうフォローするのか。粘り強く言葉で理解してもらうのは理想で、やっぱり理解できない場合もあるし、そんな時間もない場合もある。そこで暴力が発生する事は仕方ない面があると思います。ただし、相手に何を理解して欲しいのか、その意味を理解してもらいたい一心だというフォローが大切で必要なんだと思います。

スポーツ界も未成年に対しての指導は社会性も育む側面を持っての指導でありますから、体罰という暴力が必要だったのでしょうが、現在の(特にトップクラスの)スポーツ界においてはそのスポーツにおける技術・精神を教えるだけが、指導となっているのですから、暴力は一切いらない世界になっている、していかなければならないということなんだと思います。

投稿日時 - 2019-02-12 16:50:25

お礼

ご回答ありがとうございます

相手の事を思って振るうのが「躾」、自分本位で振るうのが「虐待」となると考えますが
同じ振るう暴力でも虐待となれば、躾の暴力と比べてかなり悪質になると思います。

やはり暴力(体罰)も悪質さは虐待という事だと思います。

暴力は絶対に振るってはいけない、という正論はそれなりに正しいと思いますが、誰でも使える暴力ですから、個人として対抗できる術は持っていないといけない必要悪ではあると思います。平和を唱える多くの国々が自国を守るために軍事力を持っているのと同じような構図かと思っています

そういう意味で防衛や荒療治の手段としては完全悪にするのはどうかと思いますし、この意見には賛同できます。
そういう意味(暴力とはどういうもので、どこまでやると相手は怯むのか、怪我をするのか、死んでしまうのか、やられるのは嫌だと解る)で躾として暴力を受けることにはそれなりに意味はあるのだと思います。そういう指導をセットにして、暴力は振るってはいけない、しかし暴力でしか抑えられない相手には節度を持って対抗するためだというフォローが大切なんだと思います。

そうだと思います 唯暴力による統制をすると抑えが聞かず、暴力を行使しなくてもよい相手や自らのエゴを従わせる為に、手っ取り早いので行使する人が出て来ます 昔の日本の軍隊等がその例です

スポーツ界においてはそのスポーツにおける技術・精神を教えるだけが、指導となっているのですから、暴力は一切いらない世界になっている、していかなければならないということなんだと思います。

体罰は必要な時もありますがやはり苦渋の選択という考えを持っておかないといけないと思いますし、必要ないならやる必要はない それを手っ取り早い統制に使う人がいるので問題になるのだと思います。

投稿日時 - 2019-03-26 16:04:04

ANo.7

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回答(7)

ANo.6

この暴力優先のスポーツ界が変わったのは、王貞治氏がホームラン世界記録
を更新したときからでしょう。
王さんは、喧嘩が嫌いで長嶋茂雄氏とはその点で一線を画していました。
確かに、プロ野球の選手たちは若い頃は野球で飯を食うか、それとも暴力団
に入るかの選択をするくらい喧嘩が強かったそうです。
しかし、王さんがそれを覆してしまいました。それから野茂英雄氏がアメリカ
に渡ってメジャーリーグで成功した時も同様でした。
野球と喧嘩は同じ方向を向いていない。という理論が台頭してきたのです。
それから、スポーツ界は変わってきて、福原愛ちゃんや千葉すずちゃん
などアイドル系と言われるスポーツ選手が生まれたのです。
マラソンでは、過酷と言われる競技ですが、女子選手はアイドル系が多い
ですね。男子も格好良くイケメンが多くなってきました。
いつまでも、喧嘩が強い=スポーツも強い、という構図は成り立たない
時代になっている。と思った方が良いです。
質問者の意見は少し古いですね。

投稿日時 - 2019-02-12 08:55:19

お礼

ご回答ありがとうございます

王貞治氏がホームラン世界記録
を更新したときからでしょう。
王さんがそれを覆してしまいました。それから野茂英雄氏がアメリカ
に渡ってメジャーリーグで成功した時も同様でした
喧嘩が強い=スポーツも強い、という構図は成り立たない
時代になっている。と思った方が良いです。

現在の野球選手はじめアスリートと呼ばれる人達も競技に勝つ厳しさ=喧嘩が強いというイメージは覆されてきたと思います。
青山学院大学陸上部の監督の方法などは正に的を得ていると思います。

が、喧嘩好きで スポーツで成績上げれば無茶振りが通る
又それについていけない人を根性がないという形の元アスリートや
自身がそうだから他人にそれを強要し、出来ないと認めない(勝敗は別に
精神的なもので)という人がいるので問題になったのだと思います。

投稿日時 - 2019-03-26 16:11:29

ANo.5

《スポーツは、イジメである》と野村さんは云ってますね。

虐待と躾の分岐点というより、
「躾」に就いて解ってない親御さんが
少なくないのでは、ないでしょうか。

「躾」に就いて知りたければ、
曽野綾子さんの『絶望からの出発』を
読んだり、
William Shakespeare の「躾」に関する
言葉を知ってみることを
お勧めしたいです。

CiaoCiao.

投稿日時 - 2019-02-07 01:44:10

お礼

ご回答ありがとうございます

「躾」に就いて解ってない親御さんが
少なくないのでは、ないでしょうか。

「躾」に就いて知りたければ、
曽野綾子さんの『絶望からの出発』を
読んだり、
William Shakespeare の「躾」に関する
言葉を知ってみることを
お勧めしたいです。

早速読んでみたいと思います
私も「躾」とは何かを理解し得ていないと思いました

投稿日時 - 2019-03-26 15:54:38

ANo.4

“叱る”が躾、“怒る”が虐待。

投稿日時 - 2019-02-06 12:12:13

お礼

ご回答ありがとうございます
その通り
が怒る方に行くこともあるので気を付けないとと思う事がありますが、
これが出来ない人が多いのだと思います

投稿日時 - 2019-03-26 15:51:34

ANo.3

相手の回復力の限界を越しているかどうかなのでは。時々問題になるスポーツの練習などでも同じです。

投稿日時 - 2019-02-06 11:17:59

お礼

ご回答ありがとうございます

相手の回復力の限界を越しているかどうかなのでは

やはり、行き過ぎた行為はその部分は成功を収めても 心に傷が残ったりします
そうすれば、そこまでしなくてもよいと思う人と、その為には心の方は仕方がない 付いていけないのが弱い 根性がないという人がおり
その様な人の「これぐらいなら」「ついていけないから弱い」という思いが
問題に発展しており その事を見直すべきだと思います

投稿日時 - 2019-03-26 15:49:51

ANo.2

>虐待と躾の境界とは?

本文の思い出話は読みづらくて意味がよく分からなかったのでこっちのほうに回答しますが。
ベタなことになりますが「そこに愛があるかどうか」でしょうね。

虐待は、やっている人間のストレス解消もしくはサディスティックな快楽を求めてのことですね。

投稿日時 - 2019-02-06 10:45:18

お礼

ご回答ありがとうございます
「そこに愛があるかどうか」
それは大切な事ですが、愛が時に憎しみに代わり、虐待というケースもある様です
「相手の為を思っているのに受け入れてくれない」それが憎しみに代わる事もありうるので、行き過ぎた愛は「渇愛」といい自己満足に陥っているので
相手の事をまず考えるべきだと思います。

投稿日時 - 2019-03-26 15:46:05

ANo.1

タイトルのみの問題なら、
難しく考える必要はないと
思いますよ。

躾は相手に対する愛情があり、
理性がある程度保たれた状態で
相手の事を考えての行動をとりますが、
DVは自分の欲求を満たせれば
相手はどうなっても良いのです。

1番厄介なのは、相手への愛情からくる
欲求からDVをしてしまうケースです。

特に子供は親の愛情に敏感なので
酷い行為をされても離れられない
という困った状況につながる事があります。

投稿日時 - 2019-02-06 09:17:52

お礼

ご回答ありがとうございます

躾は相手に対する愛情があり、
理性がある程度保たれた状態で
相手の事を考えての行動をとりますが、
DVは自分の欲求を満たせれば
相手はどうなっても良いのです

その通りだと思います。

1番厄介なのは、相手への愛情からくる
欲求からDVをしてしまうケースです。

特に子供は親の愛情に敏感なので
酷い行為をされても離れられない

これは相手の為を思ってという解釈にもなりますが、
周りや受け手の方が虐待と捉えると問題ですが、
本人も「自分がされたので」と自己を正当化する為に用いるのは厄介だと思いますし、そこで相手も色んな人がいると修正できれば良いですが、そのできない人が多いのだと思います。

投稿日時 - 2019-03-26 15:42:41

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