みんなの「教えて(疑問・質問)」にみんなで「答える」Q&Aコミュニティ

こんにちはゲストさん。会員登録(無料)して質問・回答してみよう!

解決済みの質問

写真を好まない人の心理

西郷さんが自己の写真を好まなかったという話はよく耳にします。
まぁ殿様のお庭役という立場での説明もありますが。
自分の写真を好まない方は結構おられると思います。
それはどういう心理なのでしょうか?ご性格なんでしょうか?
会合の座でも中心人物なのに前に出ないようにしている、ある派の牧師さんもおられます。
奥まったところで落ち着くのでしょうかね。

投稿日時 - 2018-01-04 10:19:49

QNo.9414757

困ってます

質問者が選んだベストアンサー

自分の父親は家族で写真を撮ることをあまりしてこなかったので、自然に自分の写真も持たなくなりました。
1、慣れて無い。
2、過去の自分を見るという意味が分からない。何を期待しているのか?
3、今の現在の自分だけがみんなで共有されて、それだけが全員の過去の記憶に残るのは嫌。
4、楽しいのか楽しくないのかといわれると、団体行動している時の自分はそもそも楽しくない。しかし写真を撮る時だけ笑わなければならない。つまり「これウソでしょ?」「少なからず何人かはウソでしょ」って思うと撮影する意味が分からない。出来れば避けたい。
5、普通のスナップとしても「じゃあ誰に見せるのか」って思うとその使われ方、振り返り方が気になるし、はっきりしてないと嫌。なんかのネタに見られるのがほとんどだろうが、その必要性を感じない。
総合すると普通の人の写真って撮影する必要はないんじゃないの?プロがセッティングしてどこかに掲載するのがわかってるならOK。

投稿日時 - 2018-01-04 12:32:07

補足

まぁ自分とのずれの問題がるんでしょうね。
ありがとうございました。

投稿日時 - 2018-01-05 09:19:40

お礼

ありがとうございました。
確かにそういう心理もあるんでしょうね。
心理は多様ですね。

投稿日時 - 2018-01-05 09:08:24

ANo.4

このQ&Aは役に立ちましたか?

1人が「このQ&Aが役に立った」と投票しています

回答(7)

ANo.7

録音で自分の声を聴くと、別人みたいだと思いませんか。
こんな風な言い方をしているんだ、というのが不思議極まりない。
それと同じです。

自分はこういう雰囲気のこういう風貌のつもりで行動しているのだがそれと違うというのが、違和感なんです。

西郷さんは、死後あの銅像ができたときに未亡人が「これはあの人じゃない」と叫んだそうです。常にきっちり軍服を着て礼儀正しく行動した人がこんな着流しで犬連れてバカっぽく歩いたりはしなかった。

もちろんプライベートではありえたと思います。エピソードでうなぎ屋に犬をつれた貧乏くさいひげの男がきたので、ああその辺の猟師か百姓だろうと思ってくずのウナギをやったところ喜んで犬に食わせ、高い金額の金を置いて「ありがとさん」と立ち去った人物が西郷さんだったと気づき慌てたという話があるくらいですから、着流しもないことはないとは思います。犬もつれていたこともあったでしょう。

ただ、意図していないときにスナップで取られた写真を自分じゃないと思うのはあり得ます。
おそらくそれなりの立場にいてそれなりにつっぱっていたところを正式に写されたとしてもああ、これは違う、と思ったのじゃないでしょうか。自分はもっとこういう表情だったつもりなのに、という話です。

自我がそこそこある人は十分ありうるんじゃないでしょうか。
気持ちが外に開いていたらそんな自分じゃないというようなプライド意識はなくなるから竜馬とか海舟は平気で写っているのだと思いますよ。

投稿日時 - 2018-01-04 17:17:14

お礼

写真嫌いな人の心理の一側面ですね。
西郷さんの知らなかったエピソード、ありがとうございました。

投稿日時 - 2018-01-05 09:02:36

ANo.6

私は醜形恐怖症です。
写真は大嫌いです。集合写真はまだなんとか耐えます。でもどれが自分なのかわかりません。だから耐えられます。
ナルシストだとかそういうのじゃなく、本当に自分が嫌です。

投稿日時 - 2018-01-04 13:41:52

お礼

友人は自分が嫌いではないだろうが、写真が耐えられないという心理が伝わります。その彼は醜形恐怖症ではないのですが、出るのが嫌なんでしょうね。肖像権とか言っていますが。

投稿日時 - 2018-01-05 09:05:01

ANo.5

西郷さんという知人はいないのですが、もしかして幕末の薩摩藩、西郷隆盛でしょうか(当たり前やん)
幕末に日本に初めて写真機が登場したわけですが、進歩した科学技術は魔法と見分けが付かないと言われる通り、当時は、写真を撮られると魂を抜かれるという事が言われていたようです。
西郷さんを存じ上げないので何とも言えませんが、この迷信を信じていたという可能性もなくはないと思います。

投稿日時 - 2018-01-04 12:45:51

お礼

仰せの通りの側面はあったでしょうね。
私たちも魂が抜かれるといわれていました。
ありがとうございました。

投稿日時 - 2018-01-05 09:06:16

ANo.3

こんにちは。

人間科学的観点から回答させていただきます。

主として2つの要因があると考えます。

1つ目の要因は、時間軸方向の要因です。
過去にこだわらずに、つねに未来を見ている人は、過去の記録を残そうということに無頓着であると考えられます。

2つ目の要因は、空間方向の要因です。
3次元の被写体を2次元に投影するので、姿形の具合によって、いわゆる写真写りが良い、悪いがあるので、写真写りが悪い人は写真をあまり好みません。

西郷さんは、以上の2つの要因のいずれもが当てはまるのだと推測いたします。過去にはこだわらずに、常にその先の未来を頭に思い描いていた。そして、より厳つく大きく表現される自分の写真を好まなかったのではないか。

これ以外に、思想信条で意図的に表に出ないようにしている方々も確かにいます。ご指摘の牧師さんや、社員や取引会社を立てて、自分はできるだけ後ろの隅っこで写ろうとする社長さん等です。

投稿日時 - 2018-01-04 11:28:47

お礼

ご訪問ありがとうございました。
お江戸の粋を旨とする性格だと、わざとらしさは嫌なのかもしれませんね。
友人などはそんなたぐいかも知れません。
ありがとうございました。

投稿日時 - 2018-01-05 09:16:13

ANo.2

自分に自信が無いか、自分い関心が無いかでしょうね。

昔、友人の一人に部屋の中に自分の引き伸ばした写真を置いていた奴がおりましたが、これはもう、自分大好き人間。

また、外見や性格を含めて、自信が無ければ自分の姿を残すことにさえ、抵抗があるのかもしれない。

逆に西郷さんなどに至っては、自分の身近な問題から国家の大問題まで、抱える事案は、全て自分以外のこと。

雨漏れだらけの家の屋根の修復にも、それどころではないと言って直さなかったところからも、心は常に自分自身ではなく、外にしか向いていない。

自分に関心が無いというよりも、そもそも国家の中枢にまで上り詰めた人物ではありながらも、自分のことなど、全く考えなかったのだと思いますよ。

それが、西郷さんの肖像が残っていない理由かもしれないですね。

投稿日時 - 2018-01-04 10:47:16

お礼

ありがとうございました。
つまりはそんなことなどかまってなどはいられないという気持ですか。
嫌いというわけでもなさそうですね。

投稿日時 - 2018-01-05 09:10:46

ANo.1

私も物心付いた頃から嫌いですねぇ。
自分の醜さと確実に年齢を重ねていることを再認識させられるのが嫌です(笑)

投稿日時 - 2018-01-04 10:27:14

お礼

ありがとうございました。
そういう心理もあるんでしょうかね。
自分に対すること、年齢を見せつけられること。
そうですね。

投稿日時 - 2018-01-05 09:12:09

あなたにオススメの質問