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締切り済みの質問

慢性的な自殺願望との向き合い方について。

30代女性です。

数年前,2度衝動的な自殺未遂をしてしまってから,
両親の支えがあり一時的に回復したものの,自殺願望は完全には消えず,むしろ時が経つほど当たり前のように抱えつつあり,今では慢性的なものになってきています。

といっても,毎日四六時中考えているという訳ではないのですが,
楽しい時でもしんどい時でも,ふと,自然に「死」を考えるという感じです。
例えば,ビルを見上げると,「あぁあそこからなら死ねるな」とか,
木を見ると「ここに首を吊ってもすぐ見つかるな」とか,
薬品を手にすると「この量なら死ねる」とか,当然のように考えてしまいます。
以前は,心底悩んで苦しくて,そういう考えが湧いていたと思うのですが,今では特に真剣に考えずとも当たり前のように頭にあるという状態になってしまっています。

両親の愛情や周囲の人たちの好意はとても暖かく嬉しいものなのですが,そういった考えが消えることはありません。やはり,自分が命を絶ったら迷惑をかける,悲しませてしまうとは感じるので,一瞬自殺に対する思考がストップすることもありますが,消えることはありません。

要は,生きがいがないということなのでしょう。
所謂,何のために生きるのかといったことがないから。そして,死に対する考えをすぐ側に引き連れすぎて,それを探すことをやめているのだとも思います。

自殺の方法も,
感情が動くこともなく,色々調べて淡々と知識を得ています。
今では,私はこの自殺願望と付き合って生きていくしかないんだと,
この考えと一体化 (?)してしまっているような状態です。

ただ,やはり生きていると色々ありますので,
何かが引き金で,考えが加速して実行に移ることがあるのです。
少し前には,計画を立てて普通に実行しようするところまで行きました。
数年前の衝動的なものでなく,淡々と準備を重ね,
実行日を決め,失敗した時のリスクとその対処,見つかった後のことなどを考え,想定していました。実際は決行はできず,そうこうしている数日間ほぼ飲まず食わずだったので,
身体が飢餓状態に近く,心配して下さった職場の方に病院に運ばれるという顛末でした。

ただ,何度助けていただいても,
やはり心と身体は「生」ではなく,「死」の方向へ向きたがるようです。
心配してくださる方々への申し訳無さはありますが,抑えられません。
精神科にお世話になっても,一時的に心を解放するだけで考えが変わることはなく,
むしろ自分は病気なんだと感じることで精神的に負の影響が大きく,生活にも支障が出るので,今は通っていません。

こういった感情,経験をお持ちの方いらっしゃいますでしょうか。

生きたくても生きられない人がいて,
何を言ってるんだ。
生きたかったのに理不尽に命を奪われた人だっているのに。

叱咤,罵倒は当然だと思います。

だったら今すぐ死ねば良い。
という蔑みも当然だと思っています。

ただ,同じ感情を持った方がいらっしゃれば,
お話を聞かせて頂きたく書き込ませて頂きました。

投稿日時 - 2017-02-08 20:07:43

QNo.9291508

困ってます

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回答(4)

ANo.4

40代前半、男性です。
私はうつ病を繰り返し再発させ10余年。自殺未遂2回。病院は昨年に初めて行き、現在通院9ヶ月ほど。
10余年の間に仕事をしている時期もあれば、うつ病が再発し引きこもっていた時期もあります。その繰り返しでした。

私は一人として友達がおらず、家族との関係もあまり良くなく、一人暮らし。うつ病初回発症からの10余年間は自分一人で、ただひたすらに耐え、悩み、苦しんできました。
うつ病のどん底から幾らか回復し「もう一度だけ頑張ってみよう」と思い社会復帰。しかし、またうつ病発症。そんなことの繰り返しにももううんざりしていました。

自殺は失敗したけれど、人間、こんなことですら失敗から学び次に活かそうとする。
私は2回目の自殺が未遂に終わった後、ひょんなことから通院を始めましたが、それでも「次回、自殺を考えた時に確実に死ねるように」などと準備を整えようと何度か考えました。

「ふと死に方を思いつく」というのも一時期はありましたが、私の場合はそれは一時的なものでした。
車道を横断しようと待っている時に「このまま飛び出せば死ねるのでは?」と思ったり、部屋でコンセントを差し込む時に「このまま感電すれば死ねるのでは?」など。
けれど、車に轢かれたからといって上手く死ねるとは限らないし、感電しても死ぬには至らないケースも多い。そして、それらの失敗をした場合は、障害を持った状態で暮らすことになる可能性もある。下手したら、その障害のために、もうその後は死ぬことすら自分では出来なくなるかも知れない。
だから、それらの方法では結局やりませんでしたし、恐らく今後もやらないでしょう。
「確実に死ねるという保証もなしに、死ねなくなるリスクを背負いたくない」というのが、その理由です。

しかし、私はその後、自殺を考えることは減っていきました。まぁ、そうはいっても、前回の自殺未遂から高が9ヶ月。今後どうなるかはわかりませんけどね。

私は現在リハビリを兼ねて職業訓練を受けています。
まだ通い始めて1週間ですが、今は死にたいとか死に方とかそんなものも一切考えていませんし、かといって、生きる目的とか理由とか、そんなことも全く考えていません。
そんな時間的余裕がないからです。
今はとにかく学科の勉強の内容が難しすぎて、それの復習に追われています。1日が24時間じゃ足りないぐらいになっています。
それはそれで幾らかのストレスで、それが故に睡眠障害がまた出てきてはいるのですが、しかし、抑うつ状態にはまだなっていません。(まぁ、まだ職業訓練を受け始めてから1週間程度なので、どうこう言える状況でもないのですが。)

私は治療のために通院を始めた際、医者から図書館に通うよう勧められ、職業訓練を受ける前日まではなるべく図書館に通っていました。
最初の数カ月は睡眠不足(睡眠障害が強く、睡眠薬を飲んでも2時間ぐらいしか眠れなかった)で、ろくに本を読めず、なんとか小説でも読むように努めていましたが、その後、うつ病に関する本や自分自身が持っている精神障害に関する本を読みました。

それら、精神科医やカウンセラーなどが書いた書籍をこの治療期間中20冊ほど読みました。私にとって、こういう機会はもう無いかも知れないという思いがあったのです。次回、自殺を試みた時は本当に自殺を成功させるかも知れない。だから、立ち直れる機会は今回限りかも知れない、という思いです。
そして、それらの本を読んで行き当たったのが、「生き方」と「考え方」ということでした。

考え方が生き方を左右する。
考え方の根っこ(専門用語では「中核信念」)を探っていくと、私の場合(多くの人がそうであるように)、それは幼少期の家庭環境にありました。

私は母親に殺されかけたことがあります。母は私を殺すのに失敗した後も、繰り返し、私に自殺するように求めました。母曰く、「私(母)、警察に捕まりたくないから、あんた自分で死んで。」
母の目の前で首を釣って死にぬように言われ、やったことはありますが、上手くは行きませんでした。

私の家は祖父母の代から信仰があり、信仰上自殺は許されないので、当時、これ以外で自殺のような事はしていません。
成人を過ぎても私が自殺をなかなか踏み切れない理由の1つは「信仰に反する」からです(もう1つの理由は「自殺によって他人や家族に迷惑を掛けてはいけない。」というものです)。しかし、結局30代に入ってから、自らの意思で2回自殺を試みます。
我が家の信仰は「天理教」というもので、「神は親のような心を持っている」という教えです(故に天理教では神を「親神様」と呼ぶ)。しかし、残念ながらその親が私に繰り返し死を求めてくる。「ならば、神も同じ思いなのか・・・。神は自ら私を殺さず、私の自殺を望むのか。母がそうであるように。」と。

母が私を殺そうとしたり、私に死ぬように命じる理由を母はこう言いました。「私、あんまり子どもが好きじゃないからなぁ。ただそれだけや。」
多くの人間が「虫が好きじゃない」というただそれだけの理由で虫を殺すように、母は「子どもがあまり好きじゃない」というただそれだけの理由で私に死を求める。事実、母が私に死を求めるとき、母の顔には強い憎悪や嫌悪の感は見えず、正に虫を殺すのと同じような感覚で、私に死を求めていた。
「私の命はその程度のものだったのか。」・「私はその程度のことでこのまま死ななければならないのか?」、それが理由を聞いた当時(10歳頃)の私の気持ちでした。
私の中核信念はおそらく「私の命は軽い」・「私は不要な存在」・「私に価値はない」といったものだろうと思います。

私は小学生時代、何度も神に祈りました。「神様、どうか僕を殺して下さい。僕がお母さんにできる一番の親孝行は僕が死ぬことです。僕は(信仰上)自分では死ねません。神様が僕を殺して下さい。」

けれど、その願いは叶いませんでした。そのまま私は歳を重ねて行きました。

年齢を重ねると共に、将来のことを考えようとすることはあります。しかし、必ず「死んでいるべき人間が将来のことなど考えてはいけない。将来など望んではいけない。私は本来、今この時点までに死んでおくべき存在。将来など本来あってはならないのだから。」という考えが湧き上がってきて、すぐさま思考を中断してしまう。それより先を幾ら考えようとしても、この義務的で否定的な考えが即座に出てきて思考できません。

うつ病に関する本等を幾つか読んだのは前述の通りですが、中核信念を変えていくことは難しい、というのは多くの本に記載されていました。(だからといって、変えられないというわけではなさそうですが。)
私も「自分の中核信念を変えていけるか?」・「変えていけるように取り組んでいくべきか?」という点についてはまだ判断しかねています。

本を読む中で知ったことは、「世の中に適応し、むしろ積極的・活動的な人生を送っている人の中には、実は寂しい幼少期を送っている人も少なくない」ということです。
それは、私同様、信念に「私は無価値だ」という思いがある人達です。
そういう人達の一部は、だからこそ、それを実感しないようにひたすらに自分を磨き、人生を充実させようと努力している、ということらしいのです。(本人はそのような中核信念に気付いていなくても。)
そういう生き方は、いずれ何かをきっかけに糸が切れる(「今までやってきたことは全て無駄だった。生きることは無意味だ」と思う)ということもあり得るそうですが、そうならない限りは充実した人生を送っていけるのだとか。

それはそれで危うい生き方という気もしますが、しかし、だからといって何もしない生き方よりは遥かに可能性を持っているようにも思います。
私は現在、そのように表面上を補って生きていくほうが良いのか、それとも、中核信念を変えていけるように、そちらへ力や時間を掛けていくべきなのか、その辺りの判断を出せずにいる状況です。
「回答」とは言えず、試行錯誤の途中経過を記載しているに過ぎませんが、私の場合は今、このような感じです。

投稿日時 - 2017-02-11 14:01:53

ANo.3

通院されておりますか?
まずはしっかり病院に行きましょう。

何人か自殺者を見ていますが、「生きていられない」という人はあまりいませんでした。
「死ななきゃ」とか「死ねる」とかそういう感じの人が多いです。
もう欲求というか願望ですよね。理由なき死の欲望。生きていたくないんじゃないんです。
逃げているわけでもないんですよね、目的・目標が死であるという感じ。

そういう人は大体、家族や親族に自殺者がいます。あなたはどうでしょうか?

繰り返しますがここでの助言で回復できるものではありませんので、しっかり病院に行きましょう。
現時点で何も治っておりません。

投稿日時 - 2017-02-09 12:29:13

sarara620さん こんにちは

私は、親しい人を突然なくしました。 最初に亡くなったのは父で事故死でした。父はとても素晴らしい人でしたが大きな問題も抱えている人でした。私は、若いうちからなんとなく結婚をあきらめていましたし、兄弟もなんとなく世間的に暮らしにくい感じでした。その父がある日突然事故で無くなりました。そして、私たち家族が抱えていた問題は一挙に片付いてしまったのです。

若いうちに「死ねば一発解決できる現実」を見てしまいました。そのため、面倒なこと辛いことに出会う度に「死ねば一発解決」の思いが強くなるのでした。一時はあなたと同じように、「ビルを見れば飛び降り、寝ていれば何か落ちてくればいいのに」と思う日々でした。実際に大量の睡眠薬を飲んだこともあります。

それから、50年たった今でも、少し嫌なことがあると「死ねば終わり」の思いが付きまといます。

そして最近もまた親しい人を突然なくしました。その人の親や兄弟は悲しんで悲しんで涙も出ない状態でした。その人も問題を抱えていて、亡くなることで問題はすべて無くなりました。

私は今でも面倒になると死にたくなります。ほんの些細なことで死にたくなってしまうのです。でも、周りの人の迷惑や悲しみを考えると、なんと傲慢なことかと自己嫌悪になります。それに、なんといってもそんな勇気もありません。
すごく日常的に死にたいとおもうので、やはり心はしんどいのです。なんとか解放されたいのです。

最近気づいたことですが、「自殺願望というものはとても執拗な自己暗示ではないか?」ということです。ある日、死ぬことに魅力を感じてしまったら、毎日毎日死にたい死にたいと執拗に自己暗示をかけているのではないかと思うようになったのです。自己暗示の力はとても強固です。マイナスの自己暗示に縛られるとなかなか逃れることができません。

そういうことを考えるようになってから「死にたい」思いが頭をもたげてくると、「生きたい」といいかえるようにしています。1人の時には声に出して言います。あほらしいようなことですが、自殺願望のベテランとしては有効な方法だと思っています。

一日中なので若干面倒ですが、慣れてしまえば問題ありません。最近は少なくなりましたよ。

投稿日時 - 2017-02-08 23:02:20

お礼

親身な回答ありがとうございます。
同じような考えをお持ちの方がいて,不謹慎とは思いながら安心してしまいました。
自己暗示をかけ続けているというのは,本当にその通りだと感じます。そして,死にたい,ではなく,生きたい,に言い換えるようにすること,私もやってみたいと思います。自己暗示の内容を少しずつ変えていくことで,自分を少しでもコントロール出来れば...と,思います。

投稿日時 - 2017-02-11 14:16:15

ANo.1

全く同じ感情で生きている39歳 女です。

漠然とゴール(死)は自分で決めるものだと思っています。

なぜなのか自分でも理解出来ない。
生き急いでいるのか、死に急いでいるのか。

投稿日時 - 2017-02-08 20:50:39

お礼

ありがとうございます。
同じような方の話を伺えて良かったです。
本当に自分勝手と分かっていながら,私も,同じように感じてしまっているように思います。

投稿日時 - 2017-02-11 13:51:55

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