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歌舞伎の衣装での黒羽織の無紋の意味?

今日、歌舞伎座で’将軍江戸を去る’を観てきました。
で、染五郎の徳川慶喜が徒歩で多分、両国橋を渡る場面での衣装が、
お供の何人かを含めて5人ぐらい?黒の羽二重(?)での無紋です。
他にもお供が5人ぐらいいて、その人達は普通に5つ紋の羽織着用です。

歩いて水戸まで行ったとは思いませんが、あえて、無紋の黒羽織を着用したのかな?っていうのが疑問です。
徳川が去る必要があるなら、葵の紋をつけたものを着用して去ることに意味があるのであって、
葵=将軍なわけでもないからというのが一つ。
当時、黒の無紋の羽織というのがあったのか?
それを着用するときの意味合い?と言うのはなにか規定されるものがあったのでしょうか?

黒は今なら不祝儀を意味しますけど、当時は白だったような感覚?(切腹するとか、
切腹してもいいとかの覚悟として)からすると、
黒の無紋というのが意味することがちょっと理解できなくて。

本当に無紋の黒羽織があったのか?と。
イヤホンガイドでも聞いていれば説明があったかもしれませんが。

投稿日時 - 2017-01-04 17:58:51

QNo.9276871

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質問者が選んだベストアンサー

『徳川慶喜公伝』に、徳川慶喜が水戸に発つ際には「黒木綿の羽織に小倉の袴を著け,麻裏の草履を召さる」とあるそうです。
顔は憔悴し、髭も伸び放題だった、ともあり、「出迎えた者たちはこれを拝し、思わず声を上げて泣いた」そうなので、相当残念な格好のようです。

なお、黒羽織自体は仕立て方はあると思いますが別の資料によると当時の武士の正装のようです。

水戸には駕籠で移動したそうです(途中四泊)。

投稿日時 - 2017-01-05 18:41:17

お礼

お礼がおそくなりまして、申し訳ありません。

黒木綿の羽織というのがあったのですね。
武士階級と言えども、誰でもが羽二重・絹が着用できるだけの’金力’があるわけでもなければ、黒木綿の羽織というのがあっても確かにおかしくないです。
下級武士用とか。
外出着と、普段着の黒木綿というのもあるかもしれない。

ただ、無紋というのが、’家’にこだわる’武士’というのに、納得が行かないです。

’無紋・黒木綿’という衣装を官軍からの指定なのか?と、当然に
考えました。
罪人の衣装・風体?(履物、足袋のあるなし)というのは、ある程度指定されるから。

とりあえず、最低限の黒木綿の羽織だけは許容してやろう・・・で、江戸城退去が決められたということでしょう。

投稿日時 - 2017-01-12 16:37:29

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