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解決済みの質問

カニバリズム(人肉食)について

例えば、飛行機の墜落事故で、奇蹟的に生き残り、アンデス、或いはヒマラヤのような山中で、助けを待つ人たち。 或いは自分の属している部隊がほぼ全滅し、生き残った数名。

最早食料も尽きた、という場合、人の「屍」の「肉」を喰うことは尚「悪いこと」でしょうか?

個人的なことを言えば、彼らが「仲間」であれ、或いは偶然同じ飛行機に乗り合わせた見知らぬ人々であれ、「自分の肉」を喰らうことによって、少しでも彼らが生き延びることが出来るなら、わたしは自分の屍が食われることに抵抗は感じません。

わたしの好きな言葉があります。

「某(それがし)閉眼せば,賀茂川にいれて魚に与ふべし」 親鸞 

「わが体焼くな埋むな野に捨てて 痩せたる犬の腹を肥やせよ」 一休

またわたしの屍の扱いについては、火葬よりは土葬、

土葬よりは風葬

風葬よりは鳥葬

が望ましいとも思っています。

つまり人間も含めて、他の生物の食物・養分となりたい、またそのものたちの排泄物として、土に戻り、大地の肥やしになりたいと願います。

カニバリズムのどこに抵抗があるのか?

餓死した、或いは凍死した人間の、外傷のない身体に、刃物を突き立てる、という行為、その時点での「抵抗」「嫌悪感」でしょうか?では、我々が豚や牛、鶏の屠殺現場を見ることなく、その肉を食べているように、誰か別の人が「焼いてくれた」或いは「切り取ってくれた」肉であれば大丈夫か?

勿論、「ひとが人の肉を食うこと自体が畜生道である」という意見もあるでしょう。

でも人間(ヒト)だって、一個の動物ではありませんか?
人間だけが高等で、他の生き物(動物や虫)とは比較にならないという考えは何処から来るのでしょう?

勿論「俺は人の肉を食ってまで生き延びたくはない」という意見は最大限に尊重されるべきですが、同様に「死体の肉を食ってでも生きたい」という主張も正当性を持ちうるのではないでしょうか?

たとえ、数名の肉を喰らっても、数日のうちに救助が来なければいずれ死ぬ命であるとしても・・・

ご意見お聞かせください。

投稿日時 - 2016-04-30 10:16:17

QNo.9165975

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

#6です。

「佐川君からの手紙」ではなくて、通称「ひかりごけ事件」です。

戦時中北海道知床羅臼にて実際にあった遭難時の食人事件で、生き延びた船長が餓死した船員(19歳)の遺体を解体して食べました。
遺族からは「息子の肉を食って生き延びるくらいなら死んだ方が良かった」と言ったかどうかは分かりませんが、それに近い感情で船長とは死ぬまで絶対許すことなく対面もしなかったそうです。
また社会も羅臼食人事件の正確な情報が伝わらないまま「人肉食べて生き延びるくらいなら船長は死ぬべきだった」と考える人が多かったそうです。
・・・戦時中から戦後の混乱期でしたから。

船長自身も後悔の念から死刑などの重刑を望むも懲役1年。網走刑務所に収監され自殺の恐れがあるため監視付きだったそうです。
出所後自殺未遂未遂もしましたが、一命をとりとめ生き延びてしまった自分を恨んだそうです。
また社会の目よりも自責の念が強く、食べた船員が殺しに来る夢や閻魔に裁かれ地獄に落ちるなどの悪夢をよく見たそうです。
結局船長は平成元年76歳で死去されました。

船長は食人した事は覚えているが、何故食べようかと思ったかは自分でも理解できなかったそうです。

佐川の事例とは全く違うもので、船長は通常は人肉食に全く興味は無く、むしろ嫌悪感があった。
食人してしまったのも極限な飢餓状態が続いての心神耗弱であったのでしょう。

#6で答えた通りそういった極限状態での人肉食は仕方が無いですが、自分はしたくないですね。
やはり他人の目より自責の念です。
食べて助かった後で絶対自殺すると思います。

自分の死後食べられることになっても食べた人物は元からのサイコパスでは無い限り他人の目はもちろん自身の倫理観に耐えることはできるのか?が心配です。

ドイツのある村では人肉が食肉店にて売られ、知らずに村人が食べてしまう事件があり、その後その村の住民はほとんどベジタリアンになってしまった事例があるそうです。

ほぼフィクションだと思いますが、古代中国で王に息子を殺されその肉を食べるよう強要され、その後自責の念から拒食症になってしまい・・・というようなことが史記などに書かれています。
・・・でも古代中国などでは宗教的な倫理観では人肉食べる(親が子の肉を食べる)事なんて当たり前なことですが・・・
王朝側の民族と食人を強要され次の王朝となった民族とは倫理観が異なっていたのかも知れませんけど。

ですが、現代日本では食人に対して嫌悪感をおぼえ許さない倫理観が主流だと思います。
食人を許容する倫理観でしたら食人事件はもっとあるでしょうし、報道も大げさにはしないでしょうし、小説化や映画化など喜んでやらないでしょう。

私自身正直いうと食べることはもちろん食べられるのも気持ち悪いです。
昔は死後の臓器提供と同じように考えていましたが、臓器提供と同種食はやはり違うかと・・・
現代社会で生きていて現代社会の倫理観に染まったのかもしれません。

投稿日時 - 2016-04-30 22:04:19

補足

みなさん、いろいろなご意見を聞かせていただきありがとうございました。

ベストアンサーは、エロエロさん、「ミラーニューロン」に関してのお話しなど迷いましたが、

ご自分の心情を交えつつ、興味深いお話をしてくれたmiku-chiさんに。

皆さんのご意見、ひとつひとつ参考になりました。

改めて、どうもありがとうございました。

投稿日時 - 2016-05-01 01:55:33

お礼

わたしはこの「ひかりごけ事件」というものを知りませんでした。

とても興味深いお話ですね。

>昔は死後の臓器提供と同じように考えていましたが、臓器提供と同種食はやはり違うかと・・・

わたしもやはり「献体」とどこが違うのだろうと思ってしまいます。

この質問は基本的にわたし自身が、死んだあと、焼かれて灰になるくらいなら、一休や親鸞の言葉のように、他の生き物の餌になる方がいいと考えているので、「極限の飢餓状態なら人の屍の肉を食って生きるべき」とも言いませんし。「喰わないのは偽善だ」とも思いません。「喰いたくないから餓死する方を選ぶ」それも一つの選択肢でしょう。

ただ、それが「邪悪なこと」であり「裁かれるべき」なのか?というと、やはり大きな疑問が残ります。

再度のご感想をありがとうございました。

「ひかりごけ事件」のこと、とても参考になりました。

投稿日時 - 2016-05-01 00:00:18

ANo.14

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回答(14)

ANo.13

中国では、清末の記録に人肉の保存法あります。文化大革命時に記録有ります。
昔は赤ん坊を交換して食べたそうです。
日本では、過去多くの人肉食、販売の絵が残っています。満蒙開拓団引き上げ時食べたと言う人いました。
キリスト教では人肉をパン、人血をワインに代えたとの説有ります。
中国、日本では背に腹代えられないので、食べたようです。
宗教特にキリスト教が嫌ったのが広まったのではないかと思います。
個人的には背に腹代えられない時は致し方ないと思います。
考えようによれば、移植も同じと思います。

投稿日時 - 2016-04-30 20:51:06

お礼

こんにちは。

>中国では、清末の記録に人肉の保存法あります。

中国の歴史を探れば人間に関するありとあらゆる資料が出てきそうです。

>日本では、過去多くの人肉食、販売の絵が残っています。満蒙開拓団引き上げ時食べたと言う人いました。

地獄絵などで、餓鬼が人の屍に群がっているという図があったような気がします。
満州からの引き揚げ時にはそういうこともあったかもしれませんね。

>宗教特にキリスト教が嫌ったのが広まったのではないかと思います。

やはり宗教に基づく倫理観のちがいでしょうか。

>個人的には背に腹代えられない時は致し方ないと思います。
考えようによれば、移植も同じと思います。

ええ、わたしもそんな風にも思うのです。
献体とどこが違うのだろう?と。

ご意見をありがとうございました。

投稿日時 - 2016-04-30 23:48:54

ANo.12

>ミラーニューロンという言葉は初めて知りました、いわば共感共苦の感情ですね。
>だとすれば、たとえば話は飛びますが、「いじめ」などはどのように説明されるで
>しょうか? (反論ではなく疑問です)

コメント欄での質問/回答になりますのでこれ限りにさせていただきますが、以下のように考えます。

他人の苦痛を見て、素直に自分の苦痛と感じるかどうかは様々です。

私は、単に転んで動画を見ただけで間違いなく苦しみを感じますが、一方で、アフリカの子供が飢餓で死にそうな場面を見てもあまり感情が動かされません。

後天的な学習によって得られた倫理観や、他人から慈しみ深いと見られたいという感情を動員しないと哀れみの感情が生まれません。

同様に、いじめで苦しむ他人の感情を入力する機構が備わっているからといって、必ずしも自分の痛みとして中止要請を自らに働きかけるかどうかは、別問題のようです。本当に共感しない場合もあるでしょうし、むしろ他人の苦痛を自分の喜びとする人もいるでしょう(これは一般に倒錯と言われます)。

ミラーニューロンは大変興味深いのですが、情報のインプットと脳の特定部位の電位変化が観察されたものであり、人間の複雑な感情の成り立ちの一部を構成していることは間違いないと直感するものの、他の要因との関係が解明されているわけではありません。

即座にミラーニューロンがあるからいじめは本来起こりえないとも言えないのではないでしょうか。(逆に、この働きによってより残酷な仕打ちをし得る可能性も大いにあります。)

今の学問レベルでは不可能にも思えますが、食人の場合は倫理観や宗教観、暴力性や精神錯乱状態との関係、いじめの場合は恐怖や無関心、サディズムとの関連性、そしてその濃度を個人別に測定しないと機械的に答えを出すことは出来ないでしょう。

その意味で、私の回答は拙速・決め付けであるともいえますが、ほとんどの人が直面したことが無いであろう状況と、ほとんどの地域でカニバリズムが禁忌とされていること、そして火葬にせよ土葬にせよ、それが公衆衛生的な見地によるものであるにせよ、死体をぞんざいに扱う文化はなさそうであるということを前提として想像力を働かせて答えさせていただきました。

投稿日時 - 2016-04-30 19:13:14

お礼

なるほど、ミラーニューロンは現時点では単なる受信装置(?)でしかないということですね。その受信した情報にどのような色付け、意味づけをするかは別の問題だと。

>ほとんどの地域でカニバリズムが禁忌とされていること、そして火葬にせよ土葬にせよ、それが公衆衛生的な見地によるものであるにせよ、死体をぞんざいに扱う文化はなさそうであるということを前提として想像力を働かせて答えさせていただきました。

再度のご回答をありがとうございました。とても参考になりました。

投稿日時 - 2016-04-30 23:42:20

ANo.11

「人間は高尚な生き物だから、人間は食べないようにしよう」ではないと思います。むしろ割と単純な「同族食いはしない」に基づいていると思います。ライオンや虎も、やむにやまれぬ事情にならない限り同族同士で食い合うことはしません。あるとしたら土ボタルのような閉鎖された特殊な空間で生きるような動物だけです。

おそらくこの地球に「他の生物を食べる生物」が誕生したときに「同族もおかまいなしに食べると絶滅してしまう」ということに気づいて(どうやって気づいたかの問題についてはさておき)、遺伝子の中に「同族は食べないようにする」とインプットしたのだと思います。そのくらいの根源的なことだと思うのですよね。

ところで興味深い話があります。ヒトとアミノ酸の構成が似ているヒト以外の動物は、ブタ、ウシ、鶏の順番になるんだそうです。人間の体はタンパク質でできていますから、その維持のためにはアミノ酸が必須です。そのアミノ酸の構成が似ていれば効率よく栄養になるので、アミノ酸の構成が似ている肉を「美味い」と感じるのは当然のことだと思います。
ここでハタと気がつくわけです。「あれ?アミノ酸の構成が似てると美味しいって、ヒトの肉はヒトとアミノ酸の構成が似ているどこから全く同じだから美味しいのでは?」って。質問者さんのおっしゃるあの佐川君も「人肉は美味かった」と公言していましたよね。だから、実はかなり美味しいのではないかと思うのですよ。「食べちゃいたいくらい可愛い」という言葉もありますしね。
しかしまた生物というのは、一度食べて美味しいと感じたものは食べたくなるという本能も持っています。人間の味を覚えた熊は危険だっていいますよね。「一度食って美味いと感じたものは食べ物にしか見えない」っていうのは、これまた生命の本能だと思うのです。
私の家には柿の木が昔からありまして、あるとき母が柿の葉の新芽を天ぷらにしてみたんですね。それを食べたら大変に美味しくてですね、すると不思議なことに、今は毎年春になって柿の木から新芽が出てくると「うまそう」としか思えないんですよ。

可愛いあの子が向こうを向いて寝息をたてているときに、そのキュートなヒップが「うまそう」に見えたら困るので、そういう「遺伝子のストッパー」は必要だと思います。
ちなみにあの佐川君も、日本に帰国して街で白人女性の尻を見ると「うまそう」といつも思っていることを隠しもしませんでしたね。

投稿日時 - 2016-04-30 17:37:02

お礼

こんにちは、エロエロさん。

今回も実に興味深いご意見ですね。

アミノ酸の構成が似ているのが、豚や牛。なるほど。

そういう点では正に似ているどころか「同じ」なのは人間ですね。

>あるとき母が柿の葉の新芽を天ぷらにしてみたんですね。それを食べたら大変に美味しくてですね、すると不思議なことに、今は毎年春になって柿の木から新芽が出てくると「うまそう」としか思えないんですよ。

おいしそうですね。

>可愛いあの子が向こうを向いて寝息をたてているときに、そのキュートなヒップが「うまそう」に見えたら困るので、そういう「遺伝子のストッパー」は必要だと思います。

そうですね。このストッパーはやはり遺伝子レベルのものなのか?それとも後付けの倫理観なのかが分かりづらいところです。

とても参考になりました。

いつもご意見をありがとうございます。

投稿日時 - 2016-04-30 23:36:44

ANo.10

そもそも そんな状況に なる形に ならない・・

飛行機が発着するって事は 飛行機が墜落した時点で 既に捜索は始まってる・・

なので何日間も経つ事は無い・・

いい加減 こんな下らない質問なんか辞めれば?

投稿日時 - 2016-04-30 15:13:18

補足

ところで、質問者の名前が、noname というのを屡々見かけますがこれはなんでしょうか? No Name ? (名無し)?ん???

投稿日時 - 2016-04-30 15:24:34

お礼

こんにちはnoname#218049さん。

みなさん、真面目に考えて答えてくれています。

別に「飛行機事故」に限定した設定の質問ではありませんよ。

投稿日時 - 2016-04-30 15:21:57

悪いも何も無いでしょう。
それしか生き延びる選択肢がないなら…。
生きたいという思いは本能ですから、飢餓状態にでもなれば理性で抑えることは出来ないでしょう。
まあ、それが罪となっても生き延びなければ罰を受けることは出来ないのです…。

飢餓の状態でそんな理性を保てる人は少ないでしょう。
後は人間として行った事に対してどう責任を取るかって問題です。
世間的な見方もあるでしょうし…。
でも生き延びるってのは本能であってそれしか選択肢が無いなら仕方ないでしょう。
誰も責めることはできないと思います。

投稿日時 - 2016-04-30 14:27:13

お礼

こんにちは。

>悪いも何も無いでしょう。
それしか生き延びる選択肢がないなら…。
生きたいという思いは本能ですから、飢餓状態にでもなれば理性で抑えることは出来ないでしょう。

>飢餓の状態でそんな理性を保てる人は少ないでしょう。

確かに極限的飢餓状態にいる人にとっては生き延びるという本能があるように思えます。

>誰も責めることはできないと思います。

そうですね。それを「裁きうる」というのは、安全地帯にいる人、或いは想像力を働かせない人・・・つまり「わたしが、彼、彼女であったかもしれない」という考えが存在しな場合ですね。

ご意見をありがとうございました。

投稿日時 - 2016-04-30 14:44:57

いくら仲間だったと言えど、仲間の肉まで食べようと言う気になりませんん

それならば「死なば諸共」と言いうように、、一緒になって逝きます

投稿日時 - 2016-04-30 14:14:35

お礼

こんにちはmichiyoさん。

>それならば「死なば諸共」と言いうように、、一緒になって逝きます

なるほど、これも一つの哲学だと思います。

一票いれました。

いつもご意見ををありがとうございます。

投稿日時 - 2016-04-30 14:25:33

ANo.7

たしか、同種の肉を食うと
「狂犬病」になりやすいはずです。(たぶん)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%8B%E3%83%90%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0
少し読ませてもらいました。
たぶん、他人の肉を言うなんてよほどの極限状態です!
出来れば避けたいですが、なのような状態ならするのかなあ。

>つまり人間も含めて、他の生物の食物・養分となりたい、またそのものたちの排泄物として、土に戻り、大地の肥やしになりたいと願います。
それは違うと思います
それは質問者のエゴです
食べられる家畜でも殺処分される犬や猫でも
とにかく「生きたい!」と願うはずです

自分は面白い言葉があると思ってますが
「人の命は地球より重い」
自分は違うと思います
神様から見れば人も動物も同じなのです
でもだからと言って人も食べられる存在でいいのかは
比喩しすぎですよ。

否定はしませんがあまり肯定する気にはなません
質問者はもっと命が危険にさらされている
人や動物を事を考えるべきではないでしょうか?

投稿日時 - 2016-04-30 11:58:28

お礼

こんにちは。

>>つまり人間も含めて、他の生物の食物・養分となりたい、またそのものたちの排泄物として、土に戻り、大地の肥やしになりたいと願います。

>それは違うと思います
それは質問者のエゴです
食べられる家畜でも殺処分される犬や猫でも
とにかく「生きたい!」と願うはずです

わたしはわたしが死んだ後に、火葬にされるくらいなら犬やあるいは餓えた動物(人間含め)の食い物になりたいと云っているのです。

他の動物が「同じように思っている」とは云っていません。

人間も虫も、動物も、いのちの重さには変わりはないだろうと云っています。

ご意見をありがとうございました。

投稿日時 - 2016-04-30 13:51:09

ANo.6

極限状態ならば仕方が無いと思います。
そんな状態で「悪」とか倫理観がどうこうなんて言っていられない状況なんだろうし。

ただ、食べられるために殺されるというのはまっぴら御免です。

ちなみに日本国内でも食人事件があり、餓死した部下の遺体を食べ遺体損壊罪で懲役1年でしたが、出所後も「食人鬼」と後ろ指さされ、彼自身も罪の意識に苛まられ、しかもその事件をヒントに取材なしで書かれた小説(事実とは異なり殺して食人)がベストセラーになり、映画にもなって、ますます偏見され・・・普通の殺人よりも奇異な目で見られ、まともに生活ができなくなったそうです。

理性が残っている間は食べたくないですね。

ちなみに死んだら食われようが捨てられようが知ったこっちやないので。
どうぞ食べてくださいとか思わないけど、意識無いからね。
でも遺族や社会は絶対許さないでしょうけど。

投稿日時 - 2016-04-30 11:24:11

お礼

こんにちは。

>ただ、食べられるために殺されるというのはまっぴら御免です。

勿論「自分が生きるために、他を殺す」ということは許されざることでしょう。
つまりそれは「逆もあり得る」ということですから。

仰っているのは「佐川君からの手紙」のことでしょうか?

>でも遺族や社会は絶対許さないでしょうけど。

ああ、遺族や社会のことまでは考えませんでした。

でもじゃあ、遺族や、まして「社会」は、「人の(屍の)肉を食って生き延びるくらいなら死ねばよかったのだ」と言えるのでしょうか?

ご意見をありがとうございました。

投稿日時 - 2016-04-30 13:58:20

ANo.5

セックスは、快楽であるがゆえにインモラルだとして
抑えねばなりません。
カンニバリズムも、簡単に手に入る食物であるがゆえに、
社会生命として有害になる可能性があるので、タブーに
する必要があるのです。

カンニバリズムが第二次大戦前まで残っていた、ソロモン
諸島やサモアに住んだ事がありますが、太平洋の孤島は、
大型動物が少なく、動物性タンパクが不足するので、強い
必要があってタブーが解除されたのだと思います。
近代になって、豚が導入されてから、食人の習慣は徐々に
すたれたと言ってました。

ちなみに、「タブーではない」といっても、まだ歯止めが
かかっており、島ごとに言葉が違うほど社会性の乏しい
(性格的に荒々しい)メラネシアンのソロモン諸島では、
他の島の敵と戦った時に殺した相手の勇者を食べて力を
もらうというものだったというし、社会性の強いポリネシ
アンのサモアでは、他の島の酋長がやって来た時に、歓迎
の宴において自分たちの赤ん坊を料理して出したという
ものだったそうです。

(ちなみに鳥葬のブータンにも住んでましたが、平坦な土
地が少なくお墓がないという事情がありました。基本、遺体
は腐敗するので、深く埋めるか焼くかしないと不衛生です。
チベットのように乾燥した荒涼たる高原ならいいですが)

投稿日時 - 2016-04-30 11:22:05

お礼

こんにちは。psytexさん。

生きている人間を「極限敵飢餓状態にない人間」が「殺して」喰うということは、当然「タブー」視されるでしょう。(最大限に文化的相対性を受け容れつつ、ですが)

ここでは、極限的な飢餓状態にある生者が、死者の肉を喰うことで生き延びることについての、価値判断についての問いかけです。


>(ちなみに鳥葬のブータンにも住んでましたが、平坦な土
地が少なくお墓がないという事情がありました。基本、遺体
は腐敗するので、深く埋めるか焼くかしないと不衛生です。
チベットのように乾燥した荒涼たる高原ならいいですが)

へえ、そういうことは初めて聞きました。じゃあ埋めてもらって、植物の肥やしになりたいですね。

いつもありがとうございます。

投稿日時 - 2016-04-30 14:13:32

極限の状況なら仕方ないんじゃないですか?

同じ殺人でも平時なら「殺人犯」として刑罰を受けるのに、戦時下だと「英雄」として表彰されたり。

その時々によっていくらでも変わりますよ。

投稿日時 - 2016-04-30 11:18:05

お礼

こんにちは。

>その時々によっていくらでも変わりますよ。

つまり「モラル」は常に相対的で、絶対ではないということですね。

ご意見をありがとうございました。

投稿日時 - 2016-04-30 14:05:00

仏教の教えでは人は死ねば生ごみになりますが、一方で人間には他の動物にはないミラーニューロンによる感情があります。

ミラーニューロンは霊長類でしか確認されていませんが、他の個体の行動を見るだけで観察している個体の脳内で同様の興奮状態を示す神経細胞です。他人が痛がっているのを見ると自分も痛みを感じたような気分になる作用です。

これは死体であってもまだ死んで間もないとか、原型をとどめている場合には顕著に起こるのではないかと思います。(ハンバーグは平気で食べるが牛の屠殺は気分が悪くなるのと同様)

ですので、飢餓状態で狂っているとか、論理的な説明で自分を納得させるとか、仏教のような何らかの思想観念によってこの興奮を抑えないと、平気で食べることはできないと思われます。

投稿日時 - 2016-04-30 10:48:14

お礼

こんにちは。

>ミラーニューロンは霊長類でしか確認されていませんが、他の個体の行動を見るだけで観察している個体の脳内で同様の興奮状態を示す神経細胞です。他人が痛がっているのを見ると自分も痛みを感じたような気分になる作用です。

ミラーニューロンという言葉は初めて知りました、いわば共感共苦の感情ですね。だとすれば、たとえば話は飛びますが、「いじめ」などはどのように説明されるでしょうか? (反論ではなく疑問です)

>ですので、飢餓状態で狂っているとか、論理的な説明で自分を納得させるとか、仏教のような何らかの思想観念によってこの興奮を抑えないと、平気で食べることはできないと思われます。

とても興味深いご意見です。一票入れました。

どうもありがとうございました。

投稿日時 - 2016-04-30 14:19:01

ANo.2

私も概ね同意ですが、
人の肉を食べて生き残った人は、周りから敬遠されるのもまた、仕方ないと思う。
人間は感情の生き物であり、理屈じゃない部分が多いですからね。

投稿日時 - 2016-04-30 10:45:46

お礼

こんにちは。

>人の肉を食べて生き残った人は、周りから敬遠されるのもまた、仕方ないと思う。
人間は感情の生き物であり、理屈じゃない部分が多いですからね。

では、そのような「忌避」の感覚は、どこから(どのような倫理観から)生じているとお考えですか?

ご意見をありがとうございました。

投稿日時 - 2016-04-30 14:03:02

ANo.1

『わたしは自分の屍が食われることに抵抗は感じません。』

私もそう思っても、私の屍を食べてくれる人がいないのです。

投稿日時 - 2016-04-30 10:18:10

お礼

こんにちは。

>私もそう思っても、私の屍を食べてくれる人がいないのです。

極限状態に置かれれば、伝染性の病がない限り「こいつは食べない」という判断はなされないように思いますが。

ご意見をありがとうございました。

投稿日時 - 2016-04-30 14:00:49

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