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解決済みの質問

新橋はなぜ鉄道の起点になったのか?

道路の起点は東京日本橋。江戸城の前だし非常に栄えていた土地で現在でも創業何百年という老舗がいくつかあるような場所だし、浮世絵にも残っている場所だしと、複数の理由から起点とされたことは納得できます。

しかし新橋の場合は、皇居から少し離れています。江戸末期や明治時代に栄えていた場所は、日本橋や宿場町の品川だと思います。そのどちらでもなく新橋。今でこそオフィス街となっていますが、それは土地が余っていたからなのではないかと思います。

船で運んできた荷物を陸揚げして…というようでもなさそうですし、皇居の前というわけでもないし、特に栄えていた場所という事でもなさそう。

だとすると新橋を日本の最初の鉄道の起点とした理由がいまいちわかりません。
なぜ新橋が起点となったのでしょうか?

これについて教えてください。
よろしくお願いします。

投稿日時 - 2016-03-17 22:16:59

QNo.9144624

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

質問者様自身が仰る「特に栄えていた場所という事でもなさそう」がすべてを物語っています。当時の鉄道の駅、しかも起点や終点というのは、ホームと改札だけがあればいいのではなく、車庫など夜間の車両保管をし、修理や整備点検をする場所、貨物の取り扱いをする場所などが必須で、広大な場所(但し今の鉄道のそういう場所ほど広大な場所でなくてもいい)を必要としました。
また、「繁華街のすぐ近くまで鉄道に乗って、少し歩いて繁華街へ行く」というのは、最初から鉄道網を利用できる現代人の感覚であり、鉄道ができた頃というのは、「乗り物というのは長距離を移動するための手段で、それを利用するまではかなりの距離を歩く」というのが普通の感覚でした。まあいえば、当時の鉄道や長距離の船などは今の感覚で言えば、飛行機みたいなものです。空港が都心と離れた場所にあって、そこから繁華街まで別の方法で移動するのが当然のように、鉄道もある程度路線網ができるまでは、都市間の移動ができればよかったのです。

で、当時として広大な場所があり、とにかくそこに着けばその都市の中心部にそれほど苦労せずに行けば、駅の機能としては充分だったのです。
もちろん、可能なら少しでも都心に近い場所に作ったでしょう。しかし、質問者様自身が仰るように、新橋から先はすでに都市が成立していて鉄道を簡単に通せるような状況ではなかったと思われます。ましてや日本で最初の鉄道、作る側も受け入れる側も、それが今後どのように発展するか見通せません。結果、沿線住民はよくわからないものを受け入れないという態度になります。この手の話は鉄道忌避伝説と言って多くは後からできた眉唾的な物とされますが、少なくとも品川宿周辺では多少の反対はあったようです。まあ、反対がなくても栄えた宿場町の中を新たに線路を敷くのは困難であったかもしれません。
そのような背景もあって、鉄道は海沿いに(一部は堤防のように埋め立てて)作られました。横浜は横浜港自体が新たに作られた港町ですので、比較的簡単に港の近くに駅が作れたでしょうが、江戸の方は仰る通りの状況です。あえて加えれば、貨物の積み替え場所として広い場所の方が好都合です。
ということで、当時としては未開の新橋に作られたというわけです。
別にこれは東京に限った話ではなく、京都でも大阪でも、また、各地の城下町などでも同様の事情でした。今でこそ都市名を名乗る主要駅の多くは繁華街もしくは繁華街並に栄えているところが多いですが、開業年次が古いほど開業当時は未開の地であり、繁華街までは歩いたり人力車などで移動するのが普通だったのです。

投稿日時 - 2016-03-18 09:21:29

補足

> この手の話は鉄道忌避伝説と言って多くは後からできた
> 眉唾的な物とされますが、少なくとも品川宿周辺では
> 多少の反対はあったようです

確かに当時の独裁政府なら住民の反対など無視して強引に計画を進めそうですものね。

今日「旧新橋停車場 鉄道歴史展示室」に行ってきました。本質問を直接解消する情報は得られなかったのですが、品川あたりは薩摩藩の屋敷があって、その薩摩藩が反対したため品川は陸上を通れず海に盛土をして通したとビデオでいっていました。「薩摩藩が反対」と言われると、あぁそうなのかと納得できました。

投稿日時 - 2016-03-18 21:56:34

お礼

>質問者様自身が仰る「特に栄えていた場所という事でもなさそう」
>がすべてを物語っています

> しかも起点や終点というのは、ホームと改札だけがあればいい
> のではなく、車庫など夜間の車両保管をし、修理や整備点検
> をする場所、貨物の取り扱いをする場所などが必須で、広大な場所
> (但し今の鉄道のそういう場所ほど広大な場所でなくてもいい)
> を必要としました

なるほど…。


> それを利用するまではかなりの距離を歩くというのが普通
> 今の感覚で言えば、飛行機みたいなものです

おお、伝わりやすいです。
参考になりました。ありがとうございました

投稿日時 - 2016-03-18 21:57:44

ANo.6

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回答(7)

ANo.7

初めてできるものへの不安を考えれば自然なことではないでしょうか?

蒸気機関車が市街地を走ることを想像すれば、今でも反対運動が起きることは容易に想像できます。

まして当時の人たちにとっては得体の知れない代物。近年のマイナンバーもそうですが、初めてのものには様々な噂が飛び交うようになります。しかも、事実かどうかわからないままに広まっていきます。

そんなものをすでに栄えている街になんか作れませんよね? あまり栄えておらず、駅や車庫などの設備を作る土地も取れる新橋は最適ですよね。

投稿日時 - 2016-03-18 18:09:06

お礼

ありがとうございました

投稿日時 - 2016-03-18 21:40:41

ANo.5

明治時代に、日本の最初のイギリス技術で開通した鉄道の出発が新橋だからでしょう。

投稿日時 - 2016-03-17 23:28:31

お礼

それはさすがに知っています…。
質問のポイントは「なぜ新橋が選ばれたか」でした。
ありがとうございました

投稿日時 - 2016-03-18 21:40:14

ANo.4

そもそも論ですが、現代の感覚とは当然違います。
栄えていた場所に作る必要もないし、鉄道利用の旅客なんているわけもないですし・・・
きっと貨物輸送に重点を置く敷設計画だったのでしょうし。
場所にしても、現代の新橋駅ではなく、汐留になります。
現在の再開発エリアに旧駅のモニュメントが残っています。
当時からすれば、浜御殿(現在の浜離宮)はもう海の中でしょうし、築地は埋め立て途上。
東京のはずれの土地でしょうね。

そもそも、当時の記録などによく出ていますが、鉄道敷設の反対が大きかったとのこと。
何やら怪しいものなので、当然反対しますわね。
しかも、江戸の芝一帯~品川宿あたりは町屋がひしめいている人口密集地。明治になっても、まだそのままだったのでしょう。とてもとても、再開発なんて出来たものではなかったものと思います。
(当時の政府の財政状況はかなり厳しかったといわれています)

そこで、海を埋め立てて、海の上に高架のように鉄路をひいたといわれています。
当時は、東海道線の東側あたりは、もう海だったわけですしね。
当然、東京の中心となる日本橋や銀座まで鉄路をひける余裕なんかありません。
土地の余裕のある、海側の埋め立て地であった汐留に駅を作ろうというのは、無理のない計画だったと思います。

時代が違うので、考え方も違いますよ。

投稿日時 - 2016-03-17 23:00:49

補足

今日「旧新橋停車場 鉄道歴史展示室」に行ってきました。本質問を直接解消する情報は得られなかったのですが、品川あたりは薩摩藩の屋敷があって、その薩摩藩が反対したため品川は陸上を通れず海に盛土をして通したとビデオでいっていました。

>当時の政府の財政状況はかなり厳しかった

この話もビデオにあって、資金はイギリスから借りたといっていました。

投稿日時 - 2016-03-18 21:34:29

お礼

> 現代の感覚とは当然違います。
> 栄えていた場所に作る必要もない
> 貨物輸送に重点を置く敷設計画
> 日本橋や銀座まで鉄路をひける余裕なんかありません

な、なるほど!

私は今の新橋駅を基準に考えていたのですが、貨物ターミナルとしての利用なのか、起点だから車両をたくさん置けるようにしたのかどちらなのかよくわかりませんでしたが、そのどちらかもしくは両方の理由で今の新橋よりもずっと広い面積が必要だったみたいです。

とにかく、「土地が余っていたから新橋になった」というのがポイントのようですね。
勉強になりました。ありがとうございました

投稿日時 - 2016-03-18 21:38:48

ANo.3

単に場所の問題でしょう。
当時は横浜が最大の港でここから東京まで人や物資を運ぼうと考えた。
横浜から品川当たりまではそれほど人も住んでいなかったから、海岸沿いに鉄道を通せた。
ところが品川より北は江戸時代から海岸まで屋敷が建ち並んでいた。
しかたなく、品川から今の浜離宮当たりまでは、海の中に盛り土をしてそこに鉄道を通した。
ところが浜離宮から先がもうだめ。
銀座や日本橋はすでに商店街になっていて鉄道を通す場所なんか無い。
それで今の新橋で打ち止めになった。この当時は新橋駅の横は海だった。

今でこそ、山手線はぐるりとつながっているけれど、新橋と上野がつながったのはなんと明治24年、新橋駅が開業して19年後のことだった。それくらいこの間に鉄道を通すのは大変なことだった。いまでも東北線と東海道線の直通運転ができないのは、とにかく線路を作る場所がないから。

江戸時代の地図を見るとこれがよく分かりますよ。

投稿日時 - 2016-03-17 22:55:04

お礼

ありがとうございました

投稿日時 - 2016-05-28 15:05:34

ANo.2

明治初期の鉄道開業時には、その利便性を当然知らない住民より蒸気機関車が通ると火災が起こるとか、鶏が卵を産まなくなるとか反対運動が起き、現在の東海道線はほぼ海岸線に沿って敷設されたそうです。そうなると、船で運んできたものを積み換えるのに適した位置だったと推測されますね。その後、海岸線は埋め立てられ現在のように内陸を走っております。

投稿日時 - 2016-03-17 22:50:24

お礼

反対は多かったみたいですね
ありがとうございました

投稿日時 - 2016-03-18 21:22:14

ANo.1

そのとおり。蒸気機関車みたいに、火の粉を煙突から飛ばしながら走るものは、だだっ広い田畑や藪ばかりのところを通さないと、町の人にも農村の人にも怒られたのです。

投稿日時 - 2016-03-17 22:45:11

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