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解決済みの質問

キリスト教が欧州に広がったとき他の宗教との対立は?

キリスト教は、キリストの死後イスラエルの地からヨーロッパ全土に広がって行ったということですが、ヨーロッパの元からあったその土地の宗教との対立はあったのでしょうか?

例えば、キリスト教が広がる前は、イギリスにはイギリスのその土地の宗教、フランスにはフランスのその土地の宗教があったと思うのですが、その土地の支配者や国民はどのようにしてキリスト教を受け入れたのでしょうか?

すみませんが、お教えくださいますよう、お願いいたします。

投稿日時 - 2014-07-05 11:01:51

QNo.8665614

困ってます

質問者が選んだベストアンサー

無論、大きな対立を生みました。

キリスト教が成立した頃の1世紀ごろ、地中海世界はローマ帝国が支配していたのですが、ローマは多神教を崇拝していました。
この多神教というのが、帝国に次々と併合された地域や民族の神々が取り込まれた宗教でした。その土地を支配下に組み込んで、ローマ的な都市を造り、ローマ的な自由を与え、ローマでの秩序を教え(「郷に入っては郷に従え(When in Rome, do as the Romans do)」ってやつです)、あまつさえその土地の神をローマの神々の中に加えてしまいます。
ローマの属州統治の常套手段ですね。

そんななので、当然ローマの宗教を否定する一神教はかなり差別的な扱いを受けます。
キリスト教徒迫害で有名なのは同時代のネロ帝じゃないでしょうか。
1世紀に起きた「ローマ大火」という大火災のあとでネロはローマ市の復興計画を立てるのですが、「ローマを自分の好みの街に作り替えるために自分で火を放ったんじゃないの?」という疑惑を持たれたネロは、すべてのキリスト教徒をローマ大火の犯人に仕立て上げます。
この時の罪状は「全ローマ市民に対する大罪」。というわけで世紀の大迫害が行われました。

その当時のローマの国民はおおむねキリスト教に否定的でした。それまでの帝国の伝統や、ある種の宗教的な寛容性を否定しているからです。また、皇帝は死後に神格化されて神々に名を連ねることになるので、それを否定するキリスト教は政治的にも異端視されました。
ただ、ネロ帝はキリスト教徒の処刑をショーとしていろいろと酷いことをやったので、その時ばかりはキリスト教徒でない人たちも同情的になったようです。
かのタキトゥスも「キリスト教徒には同情するけど、身から出た錆と言ってしまえばねぇ・・・」的なことを言っています。
日本でも秀吉がこの手の迫害をしたことで有名ですね。

現在聖人とされている人物の中には、迫害で命を落としたとされる人物がかなり含まれています。
そういうのを殉教というのですが、信教を守ることはキリスト教では美徳とされました。それほどに、様々な時代、様々な地域で迫害を受けたということです。

さてさて、そんな歴代皇帝の迫害に見舞われながらもキリスト教は信者を増やし、コンスタンティヌス帝が署名したミラノ勅令でキリスト教徒の信教の自由が保証され、4世紀、テオドシウス帝の時代にローマ帝国の国教になります。この時代には古代ローマ教が廃れてしまって、ガタガタになっていたローマ帝国をまとめるためには代わって台頭してきたキリスト教を国教に据えるのが得策だったようです。

非ローマ帝国領(例えばドイツ、北欧、ウェールズ、スコットランド、アイルランド)には、もちろん土着宗教がありましたが(北欧神話とかケルト神話ですね)、キリスト教が自然伝播していき、土着宗教は消滅していきました。ローマ帝国末期から中世半ばにかけてほとんどがキリスト教に改宗しました。
どうもこの辺りから「非キリスト教徒=非人類」みたいな発想があったみたい。

かくして地中海世界の大半はキリスト教になりました。後に教会は分裂して西欧はローマ・カトリック、東ローマ帝国(ギリシアやトルコ)やロシアを初めとする東欧は東方正教になります。


中世になるとさらにカトリックが東へ伝播していきます。
「異教徒だ!ぶっ殺してやる!」みたいなのが十字軍を起こす大義名分として通用してしまう時代ですので、カトリック教国は割とそういうのを利用して異教徒の土地に攻め込みました。
そういうわけで非キリスト教国も改宗を余儀なくされました。ボヘミア(現在のチェコ)やポーランド、ハンガリー、ほかにもたくさんありますが、そういう政治上の理由で改宗します。


「異教徒だ!ぶっ殺してやる!」で有名なのは東方植民のドイツ騎士団。「剣による改宗」というやつ。
ドイツ以東のキリスト教徒でない人々を改宗させるためにドイツ騎士団がドイツの東へ赴きました。実際にやったことは事実上の虐殺で、その土地によそからキリスト教徒が移り住むことによるその土地の「改宗」でした。
十字軍遠征やレコンキスタの最中にも似たようなことは多く起こりました。


そんな「異教徒だ!ぶっ殺してやる!」が常識のカトリック世界にも宗教に寛容な国もなくはないわけで。
前述のポーランド王国、後のポーランド・リトアニア共和国はカトリック教国でありながら宗教に寛容でした。
カトリック教徒がいれば正教もおり、キリスト教徒ですらない人たちも普通におり、さらにはヨーロッパ中から追い出されたキリスト教徒に忌み嫌われるユダヤ人を受け入れたり、イスラム教徒がいたり、宗教革命が起きるとプロテスタントを受け入れたり・・・
そんなのが共存する自由な国が例外的に存在したのですが、長い歴史の中で彼らの多くもカトリックへ改宗しました。

中世や近世の博識な人の中には「異教徒だ!ぶっ殺してやる!」に疑問を抱く人もいまして。
現在のドイツにあった神聖ローマ帝国にフリードリヒ2世という皇帝がいまして、ローマ・カトリックの教皇と対立して、破門されて、挙句にイスラム教徒からエルサレムを奪還しなさい、と言われて渋々遠征に向かいます。第六回十字軍、いわゆる「破門十字軍」というやつ。
フリードリヒは、ところがイスラム教徒の総大将と文通を始めます。文通を続けるうちにお互いに「別に戦う必要はないんじゃない?」という結論に達し、エルサレムは一時的に宿敵同士だったキリスト教徒とイスラム教徒が一緒に巡礼することが許される中立都市になりました。当時としては前代未聞のありえない解決法でした。
このためフリードリヒは「世界の驚異」だとか「玉座の上の最初の近代人」とか言われます。
中にはこういう、盲信にとらわれない聡明な人物もいました。全員が全員「異教徒だ!ぶっ殺してやる!」という野蛮人ではなかったということ。


キリスト教の伝播によってなくなってしまった宗教の神様でも、今でも人気のあるものってかなりありますよね。別に宗教として崇拝されているわけではないけれども。
ブリギットやゲルマニアのような女神、よく漫画やゲームのモチーフになってるギリシア神話や北欧神話。
存外、地域ごとにキリスト教以前の名残のようなものが民間伝承レベルで残っています。戦争が起きると自国を擬人化した女神のイラストが売れる、なんてことも100年前ならよくありました。
多かれ少なかれ、キリスト教の伝播は土着宗教や文化との対立を起こしましたが、その地域の文化的・民族的アイデンティティを完全に失わせたわけではなく、キリスト教文化と土着の文化が融合することによって、その地域の文化が形成されています。

投稿日時 - 2014-07-05 23:38:34

お礼

ご回答、ありがとうございます。

ローマはその土地の神をローマの神々の中に加えていったのですね。
それがローマの統治の常套手段なのですね。

ネロのローマの大火は聞いたことがありますが、キリスト教徒がその大火の犯人に仕立て上げられたのですね。

非ローマ帝国領には土着の宗教があったのですね。でも中世までには、ほとんどがキリスト教に改宗してしまったのですね。

ドイツ騎士団の「剣による改宗」って、なんか怖いです。十字軍というのは本当は残虐だったのでしょうか。
だけど、フリードリッヒ2世のように狂信的でない人もいたのですね。

キリスト教の伝播は土着の宗教や文化との対立を起こしたけれど、その地域の文化的・民族的アイデンティティを完全に失わせたわけではなくてキリスト教と土着の文化が融合して、その地域の文化が形成されていったのですね。

いろいろお教えいただき助かりました。
心から感謝いたします。

投稿日時 - 2014-07-09 11:43:30

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回答(4)

なぜキリスト教が受け入れられたのか、という点で絶対に見逃せないのが、
「パンとワイン」です。

キリスト教においてパンはキリストの肉体であり、ワインはキリストの血でありました。
これは単に教義の問題でなく、
キリスト教が最も重視したことは、「食糧と飲料を貧しい人に分け与える」と言うことだからです。

キリスト教の宣教師は神の教えを伝える存在というだけでなく、
パンの作り方と、ワインの作り方を教える教師だったのです。
ご存知かもしれませんが、ヨーロッパの水は基本的にそのままでは飲めません。
ですので、ワインが「安全な飲み物」でした。

人間は思想だけでは生きていけません。
その土地の宗教がどんなに素晴らしいものであったとしても、
今日の食糧、明日の飲み水に不足しては生きていけないのです。

キリスト教はこのパンとワインの伝導によって勢力を増やしました。
いくら政治家や王がキリスト教を嫌っても、食べ物の作り方を教えてくれる人の方が民衆には大切なのです。

キリスト教の伝導地域を見ると、古代文明が栄えた土地にはあまり浸透していないことがわかります。
これはつまり、古代文明が発生した地域は水と食糧が豊富だからです。
宣教師がパンとワインの作り方を携えてきても、必要とされなかったわけですね。
ですからこのような豊かな土地では、キリスト教を一部分では受け入れても絶大な支持は得られていないわけです。
日本もそうですね。

もともとキリスト教の前身のユダヤ教は、砂漠を放浪する民から生まれました。
ゆえに、食料と水の大切さを身をもって知っていたわけですね。
そして彼ら同様に、飢えと渇きの問題を抱える地域の住民に暖かく迎え入れられました。

ちなみにイスラム教はより砂漠に特化した宗教ですので、中東以外にはあまり広まっていません。
イスラム教の教義である「酒は飲むな」「豚は食べるな」は、
「砂漠で酒を飲むと脱水症状が起こるからだめ」「砂漠では薪が貴重だからちゃんと焼かないと食べられない豚肉はダメ」ということです。

映画なんかで「村の神父さん」が敬われているのは、パンの作り方や農業全般についての知識を教えてくれた人だからなのです。
衣食足りて礼節を知る、と言いますが、まさにキリスト教は食を重視した宗教であったわけです。

人間は食事なしに生きていけません。
 ・昔から信じられているけど、水も食料も与えてくれない神様
 ・新しく入ってきたけど、飲み水と食べ物を与えてくれる神様
この条件ならば、キリスト教に改宗したいと思う人が増えるのは当然なのですね。

投稿日時 - 2014-07-08 13:08:30

お礼

ご回答、ありがとうございます。

キリスト教では、パンはキリストの肉体、ワインはキリストの血なのですね。

宣教師はキリストの教えを伝えるだけでなく、パンとワインの作り方を教える教師だったのですね。

古代文明の栄た地、エジプトとかメソポタミアとかはイスラム教であってキリスト教では、確かにないです。
イスラム教は砂漠の思想なのでしょうか。酒を飲むな、豚肉を食べるなというのは、脱水症状がおこるからだめ、薪が貴重だからだめという理由があったのですね。

新しく入ってきたけど飲み水と食べ物を与えてくれる神様であるキリスト教に、人々が改宗して行ったのですね。

いろいろお教えいただき助かりました。
心から感謝いたします。

投稿日時 - 2014-07-09 14:26:44

ANo.2

煉獄と言う言葉をご存知でしょうか?

これはゲルマン民族やケルト人をキリスト教に改宗させるために作られた言葉です。

宣教師が、苦労して現地人の信頼を得てキリスト教に回数させることができた場合でも、
彼らの次のような質問に苦労しました。

「私たちは洗礼を受ければ天国へ行けて幸福になれる。しかし我々の先祖は天国へ行けるのだろうか?」

「洗礼を受けなければ、天国へ行けません!地獄で苦しんでいるでしょう」と答えると、
「先祖が自国で苦しんでいるのに、自分だけが天国へ行くことはできない。私は天国であろうと地獄であろうと先祖代々のところへ行く」と言って宣教師は追放されました。

このような報告が多数、ローマに寄せられ、
今までの布教方法で活動を続ければ、親は地獄で苦しんでも自分だけ助かりたい親不幸な奴しか洗礼を受けなくなると危惧したローマ方法は、

煉獄と言う世界観を作ったのです。

子孫が改宗したら、煉獄にいる先祖も天国へ行けるという
地獄が刑務所なら、煉獄は執行猶予判決のような考え方です。

その他 ハロウィーンは、古代ケルト人(ドルイド教)のサウィン祭という宗教行事が起源とされ、本来はキリスト教とは全く関係の無い行事でした。日本のお盆と同じように、先祖の霊が戻ってきたり、妖怪や霊が悪戯をする大晦日の日でした。
この日だけは、悪霊を人形等に乗り移らせて追い出すことができるため、仮装行列をしたりしていました。

異教のお祭りを、キリスト教会が取り入れ、ハロウィーンの日、その翌日・11月1日 の万聖節(キリスト教の全聖人の記念日)、更にその翌日・11月2日の万霊節(亡くなった全てのキリスト教徒の記念日で死者の日とも云います)の3日間 は、天国の聖者や煉獄の霊や死者を悼む日とされて、様々な行事が行われるようになりました。

本来、多神教で輪廻転生、祖先崇拝を尊ぶ日本人に近い文化を持つケルト人も、キリスト教のもつ柔軟なマーケティング戦略に載せられ、気がついた頃には改宗させられていたと考えられます。

投稿日時 - 2014-07-05 14:23:46

お礼

ご回答、ありがとうございます。

煉獄という言葉、知りませんでした。

ネットで調べたら、「キリスト教、カトリック教会の教義で、天国には行けないが、地獄に墜ちるほどでもなかった死者が清めを受ける場所のことである」と書いてありました。
地獄が刑務所なら、執行猶予判決のようなものなのですね。そして、子孫が改宗したら先祖は天国いけるという教えなのですね。
ハロウィンは、もともとはケルト人のキリスト教とは全く関係ない行事だったことを、初めて知りました。
ハロウィンは日本のお盆と同じように先祖の霊が戻ってくる日だったのですね。
ケルト人は多神教で輪廻転生、祖先崇拝を尊ぶ日本人に近い文化を持っていたのですね。なんかとてもケルト人のことを知りたくなってきました。
いろいろ知らないことを、お教えいただき助かりました。
心から感謝いたします。

投稿日時 - 2014-07-07 20:49:33

 キリスト教最大の壁はローマ帝国です。キリスト教はイエスによりローマ支配下のユダヤから生まれたわけですが、まず故国でのユダヤ教との対立があり、それを乗り越えてローマ帝国内で布教を続けました。

 ローマ帝国には古代ギリシアの影響を強く受けた多神教の国教があったわけですが、当然、それとの対立が生まれます。何度も禁教、迫害を受けつつも勢いは衰えず、対立抗争時代のコンスタンティヌス帝が十字架と「汝、勝て」という言葉を幻視し、従来のローマ国教の勝利の女神を奉じる敵軍を破るということがあり、ついにキリスト教が国教となるに至りました。

 こうなると、ローマ帝国の版図内にキリスト教は急速かつ強固に広まります。イギリスにも古くからの宗教はあり、ケルト人がドルイド教を奉じていたことは確かですが、キリスト教で政教一致したローマに征服されると、改宗するような強制が起こりましたし、さらにドルイド教の神木を切り倒すなどしたため、次第にキリスト教に改宗が進みました。

 当時のローマは文化的、文明的に周囲を圧して先進的であったため、周囲の後進地域は征服されてしまうとローマ風に変わるのは自然な流れでした。軍事的な征服といったことがなくても、異なる文化圏、文明圏が接触すると、進んでいるほうに同化されることは、よくあります。

 キリスト教が急速にヨーロッパ全域に(さらには一時的ながら北アフリカにも)広まったのは、そこにローマ帝国の広大な版図があったから、ローマの文化・文明が進んでいたから、さらにその国教とされたからということがあったのです。

 西ローマ帝国の滅亡後も、侵入してきた異民族は、西ローマの故地にある先進文化・文明に同化されていきます。その頃になると、政教一致の恩恵を受けていたキリスト教会は高度な政治的手腕を持っており(そういう面で高度な教育を受け、経験を積んだ人が多数いた)、新たな王も文化、文明、政治に優れたキリスト教に服さざるを得なかった、あるいは、服したほうが何かと都合がよかったのです。

P.S.

 それでも、一部の習俗は残ります。例えばクリスマスはキリスト教の祭典の日(イエス降誕の日)だとされていますが、実は当時のヨーロッパに古くからあった冬至の日の祝い、つまり他宗の祝日であったものをキリスト教のものとして意味づけたものです。他宗とはいえ、なじんでいる習慣を無暗に排することはなかったわけですね。そうしたバランス感覚もなかなか興味深いものがあります。

投稿日時 - 2014-07-05 12:27:39

お礼

ご回答、ありがとうございます。

キリスト教の最大の大きな壁はローマ帝国だったのですね。

ローマ帝国には国教があって、その国教は古代ギリシャの影響を受けた多神教だったのですね。
それでキリスト教は何度も禁教や迫害を受けたのですが、ローマ帝国の国教がキリスト教になったのですね。

キリスト教で政教一致したローマ帝国に征服されると次第にキリスト教への改宗が進んでいったのですね。
軍事的な征服ということがなくても、異なる文化圏・文明圏が接触すると、進んでいる方に同化されることはよくあることなのですね。その当時のローマが周囲よりもはるかに文化的・文明的に先進的だったのですね。

キリスト教会が政治的な手腕を持っていたのですね。

クリスマスが当時のヨーロッパに古くからあった冬至の日の祝いということを初めて知りました。
イエスの降誕の日と思っていました。

いろいろお教えいただきまして助かりました。
心から感謝いたします。

投稿日時 - 2014-07-07 20:34:01

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