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締切り済みの質問

《艦これ》 戦史・史実を知ると泣ける艦隊

って何か知っていますか?いたら是非教えてください!

個人的には、日本海軍特III型駆逐艦(暁型)3番艦<雷>が
敵対していた英軍漂流者400人を助けたという話を聞いて
おぉっと思いました。

投稿日時 - 2013-10-19 13:59:38

QNo.8311865

暇なときに回答ください

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回答(6)

ANo.6

レイテ沖海戦の最終局面、サマール沖での戦いで
突撃する栗田艦隊を米海軍の駆逐艦が押しとどめるべく奮戦します。
その中の一隻、駆逐艦ジョンストンも奮戦しますが最後には撃沈
海に投げ出されたジョンストンの乗員に日本の駆逐艦が接近します。

各所で米軍がそうした事例があるように、機銃で撃ち殺されるのを覚悟した乗員に向かって放たれたのは
飲料水や缶詰のような食料品でした。

呆気にとられる乗員たちを尻目に、反転命令(いわゆる栗田ターン)によりその駆逐艦はレイテ湾を後にしたとされています。

この駆逐艦は雪風ではと言われていますが、敗色濃厚…というかレイテの時点では既に負けが確定していた日本が、最後まで武人としての誇りを示したエピソードじゃないでしょうかね。

投稿日時 - 2013-12-05 14:14:56

ANo.5

私は

1943年12月14日、呂110潜が英商船を撃沈し救命ボート、筏の乗組員を銃撃。55名を殺害。
1943年3月16日、ニューギニアからラバウルへ約60名の外国人抑留者を移送中の駆逐艦秋風が洋上で全員を処刑。
1944年2月22日、伊37潜が英商船を撃沈し救命ボート、筏の乗組員を銃撃。被害者数不明。
1944年3月9日、重巡利根が英商船「ビハール号」を撃沈した際、揚収した生存者60名を甲板で処刑。
1944年3月26日、伊8潜が蘭船を撃沈し、生存者98名を艦上で処刑。
1944年3月29日、伊26が米商船を撃沈し救命ボート、筏の乗組員を銃撃。被害者数不明
1944年7月2日、伊8が米商船を撃沈した際、揚収した生存者96名を甲板に放置し急速潜行。

という話を聞いておぉっと思いました。

投稿日時 - 2013-10-24 17:50:27

ANo.4

>個人的には、日本海軍特III型駆逐艦(暁型)3番艦<雷>が
>敵対していた英軍漂流者400人を助けたという話を聞いて
>おぉっと思いました。
工藤俊作艦長時代の話ですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%A5%E8%97%A4%E4%BF%8A%E4%BD%9C_(%E6%B5%B7%E8%BB%8D%E8%BB%8D%E4%BA%BA)
(ちなみにこのとき姉妹艦である<電>も一緒に救助活動を行っていますね。)

泣けるかどうかはわかりませんが、人道的という点では木村昌福氏のエピソードはいかがでしょうか。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E6%9D%91%E6%98%8C%E7%A6%8F

この人は艦これにおいて撤退の大切さを表す箴言として時々使われる
「帰れば、また来られるからな。」という言葉を残した方です。
キスカ島撤退作戦を指揮し、成功させて、孤立していた5200名の日本軍将兵を最前線から救いだしました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%82%B9%E3%82%AB%E5%B3%B6%E6%92%A4%E9%80%80%E4%BD%9C%E6%88%A6
(ちなみに艦これの難関ステージである3-2「キス島撤退作戦」はこの作戦がモデルになっています。)

また、この後に参加する礼号作戦(ミンドロ島沖海戦)では、
敵の勢力圏下でありながら撃沈された艦の乗員を救助すべく、旗艦自らが作業に当たりました。
(このときの旗艦は朝潮型駆逐艦<霞>。重巡<足柄>・軽巡<大淀>(※13/10/21現在未実装)も作戦に参加していたが、機動力が高く勝手のわかる艦を選んだそうです。)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A4%BC%E5%8F%B7%E4%BD%9C%E6%88%A6

工藤俊作氏と同じく、戦後は自分の武勲・戦歴を家族にすら語らずにいたところも似ていますね。

投稿日時 - 2013-10-21 23:52:58

なぜだかわかりませんが、
gooの教えての
「あなたにおすすめ!」で、この質問があったので、回答しちゃいます。

軍艦は航空機に負けたのか?
これは微妙ですよね~。
太平洋戦争初期から後期の前半にかけては、確かに、軍艦は航空機に負けました。
でも、アメリカでVT信管が発明されてからは、
この形勢が逆転。
マリアナ沖海戦では、
日本の航空戦力は、アメリカの艦隊の有するVT信管とレーダーの前に壊滅的な打撃を受けています。
マリアナの《七面鳥撃ち》と呼ばれるように、航空機は艦船の攻撃でたやすく撃ち落とされた。

日本軍にとっては、VT信管を備えた艦船で構成された艦隊は、《泣きの艦隊》であった。
そして、これが《神風特攻隊》を生み、さらなる悲劇を拡大させた。
まさしく、《泣きの艦隊》であった。


この辺の事情は、以下のサイトで。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E6%8E%A5%E4%BF%A1%E7%AE%A1
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%8A%E6%B2%96%E6%B5%B7%E6%88%A6


それにしても、
なぜ、この質問が、わたしに対する「あなたにおすすめ!」の質問になったのでしょう。
ミリタリーなどに関する質問などには、一度も、回答を寄せたことがないのですが・・・。

投稿日時 - 2013-10-21 18:25:16

ANo.2

1942年のミッドェー海戦で赤城、加賀、飛龍、蒼龍という主力空母4隻を失い攻守逆転してしまうわけですが、情報戦の敗北もありますが、運の無さもあります。

機動艦隊司令の南雲中将はアメリカ艦隊が待ち伏せるとしたらミッドウェー北西と予想していました。
索敵機を飛ばすわけですが北西方向に向かう偵察機がカタパルト故障で30分遅れることになった。

その後アメリカ艦隊を発見するのですが今度は通信機故障で連絡ができず、航空母艦が
攻撃されます。

日本艦隊も善戦しなんどか撃退しまが、最後は爆装した航空機が甲板にいるところを
攻撃されあっという間に壊滅してしまいます。

運の無さに泣けちゃいます。

まぁ、もともとの戦略に問題があったので仕方ないと思いますが。
サンゴ海海戦で大破したヨークタウンを1ヶ月で修理してしまうアメリカの工業力もありましたし。
運の悪さをいえば真珠湾攻撃で真珠湾にアメリカ空母が1隻もいなかったのが始まりですが。

投稿日時 - 2013-10-21 17:45:52

ANo.1

航空戦力が主力の時代に、大艦巨砲主義を貫いた
目利きの無さを考えると、情けなくて涙が出ます。

投稿日時 - 2013-10-19 14:25:56

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