社会に対して言われる公平とは何を指すのですか?
教えて下さい。
最終的にはその人が何を見て言ってるか次第なのでしょうけれど
「社会が公平ではない」 的な漠然な話しから唐突に
別の話へと理屈を付けて話を展開する人を見かけます。
そもそも
社会に対して言われる公平とは何を指すのでしょうか?
自分が5の時間働き、5の成果を出し、5の報酬を得た。
他者が5の時間働き、2の成果を出し、5の報酬を得た。
不公平だと口ずさむ。
自分が5の時間働き、5の成果を出し、5の報酬を得た。
他者が5の時間働き、8の成果を出し、5の報酬を得た。
何も言わない。
自分が5の時間働き、5の成果を出し、5の報酬を得た。
他者が5の時間働き、20の成果を出し、20の報酬を得た。
何だかんだ理屈を付けて公平に分配すべきだと語り始めた。
いったい何が公平なのか。
誰にとって公平なのか。
経済の需要と供給から、成果に対する報酬はそれぞれ違う。
それでも「公平」の言葉がやけに叫ばれる。
公平とは何なのでしょうか。
自分以外の人に対し言われる公平とは何なのでしょうか?
投稿日時 - 2013-07-28 17:35:48
能力があるひとは、成果に応じた報酬が公平だと考えます。
能力がないひとは、労働時間に応じた報酬が公平だと
考えます。
つまり、公平に客観的な基準などはなく、自分に有利なモノを
公平といい、不利なモノを不公平と主張しているだけ
なのです。
問題はその先にあります。
どういう配分にしたら、社会が上手く運営されるか
ということです。
能力一辺倒だと、格差が大きくなり、社会が不安定となって
結局、能力がある人も損することになります。
時間だけでは、やる気が失われて、社会主義のように
皆、平等に貧乏になります。
従って、その間に線を引かねばなりません。
おおざっぱに言えば。
能力に傾いているのが米国であり、時間に傾いているのが
日本と言えるでしょう。
投稿日時 - 2013-07-28 18:24:30
>自分に有利なモノを
>公平といい、不利なモノを不公平と主張しているだけ
双方の立場でお互いがそんな感じですよね。
公平とは、甘く耳障りは良い言葉ですが、
結局自分の都合を必死に正当化してるだけだったり、
耳を貸す気にならないエゴを並べる人も多く感じます。
そういう人は家庭でも浮いて空回りしがちな様ですが。
自分より報酬が多い人から搾取しろと叫ぶ声。
真面目に働く意味を見失う人の増加が齎す社会と経済の混乱。
時間に対する評価しかされなくなれば成果はおざなりにされ
成果を出そうとする人は煙たがられ、
成果の質も量も低下し続け貧しくなり続けいつか限界が来る。
成果に対する評価しかされなくなれば格差が大きくなり、
子や家族の未来や苦しみ、医療や生死などの格差は苦痛になり
手段を選ばなくなれば治安が乱れ経済は混乱する。
バランスが大事なのですね。
そうした現実から取られるバランスに対して
浅い理解から幻想を抱き
自分の良い様に解釈すれば
公平が というお話が広がりもする。
社会全体としての問題はそれとはまた少し違う。
そんな感じなのでしょうか。
公平かどうかという事に注視しても
現実味の無い極限定的な範囲を語る事しか出来ないのでしょうね。
今回の私の疑問としては解決した事になります。
ご回答ありがとうございました。
あまり公平というものを見るのはよしておくとします。
投稿日時 - 2013-07-28 19:33:54
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回答(6)
公平とは
働く機会がある
評価される機会がある
機会に公平はありますが、結果に公平はありません。
5の成果、20の成果と言うがそれは比較できる物ですか?
5を期待された人が5の成果を出せば満点
20を期待された人が20の成果を出せば満点
結果の平等を求めると全ての人が極貧になる
みんなが食べるものがない、着る服がない、住む家がない・・・これが平等です
食べ物があると、同じ量を食べさせても「腹一杯にならない」と言う人が出る
同じ食べ物を与えても「それは嫌いだ」と言う人がでる
満足させられないと言う意味で不平等です
投稿日時 - 2013-07-28 18:03:24
見方によっては機会にありつけるか否か
その手前から公平は乏しい様な気もしますが、
成果の評価は人によるんですよね。
期待されるものも人材としての需要供給などで
かなりバラつく。
結果として楽そうに見える仕事に不公平感が募る。
社会が公平を求め過ぎた結果、
権力が富みを生み、公平からは離れる事もあったり。
知識不足で何やら上手く理解できておりませんが。
ご回答ありがとうございました。
投稿日時 - 2013-07-28 19:12:23
>公平とは何なのでしょうか。
まずは機会における公平性
それと分配のルールにおける公平性でしょう。
質問における成果を正当かつ公平に
評価できるのであれば、
それに対する分配のルールが
正当であれば、文句のつけようがないはずです。
例えば、営業職におけるインセンティブなんかがそうですね。
1件契約を取ればいくら。
宅配便などでも一件配ればいくらと、
最初から明確になってます。
投稿日時 - 2013-07-28 18:03:01
ご回答ありがとうございます。
成果に対する評価が変動的だと
人が仕事に集中し人材として成長し難いのでしょうか。
評価する立場とされる立場とで見解の違いがあると
余計な衝突など手間が増えてもしまう訳で。
何か不公平という言葉が生まれる必然の一面を
感じさせられました。
>機会における公平性
先天的にも、
生まれた境遇の経済的にも、周囲の価値観の影響的にも
公平とは離れて行く結果になるのは自然なんですよね。
でもそれは大きな不公平感を残す。
ご回答ありがとうございました。
公平にも色々あるのですね。
投稿日時 - 2013-07-28 19:04:51
時間と成果と報酬の関係でいえば,報酬が何に対して支払われているのかによるでしょう。
時間に対して支払われる約束なら,前2者は公平ですし,最後の例は公平に分配すべきでしょう。
しかし成果に対して報酬が支払われる約束なら,公平なのは最後の例だけです。
公平なのは約束どおりに報酬が支払われることです。
投稿日時 - 2013-07-28 18:01:04
なるほどですね。
しかし人は慣れてくると、
自分がよく知らない仕事や立場に対しては
現実味の薄い隣の芝は青い的な言葉を発しますし
公平ではないと語っていた人のその言葉が生まれた
理由はちょっと見え難いですね・・。
ご回答ありがとうございました。
投稿日時 - 2013-07-28 18:21:06