この本当に厄介な「原発」やはり要らないのでは?
原発が稼働していなくても、日本は稼働していました。
短い期間ながら大丈夫である証明をしましたが、ではなぜすべてを廃炉にせず、また動かし始めたのでしょうか?
福島の教訓をもう忘れたということでしょうか?
いまだに福島の原発はメルトダウン等の危険を背負い込み、以前不透明な状況が続いています。
代替エネルギー、自然エネルギー、火力、水力、地熱等合わせたエネルギーでやっていこうと舵取りをしてできないことがあるのでしょうか?
法師によると、脱原発の賛成派は数多くいて、日蓮宗や浄土宗などなど各宗派層は、原発がなくても大丈夫だという意見が多いようです。
質素な生活をしているイメージもあり、エネルギーも少なくてもやっていけそうな雰囲気はあります。
自家発電なども組み合わせていけば特に問題なく日本は正常に動くと思われる意見も多いようです。
アイドルでは藤波心さんという脱原発を掲げたグループも出現し、それを筆頭に小沢代表や橋下市長、ならびに野党は原発反対を訴えています。
ただ、中身が薄いのが問題なのですが、
原発ない方向性としては、経済的には今は世界でも3位ですが、これが5位6位あるいは、10位くらいまで落ちるかもしれません。
しかし、代替エネルギーや自然エネルギーに転換するまでの間なので、これが完成すればまた順位を上げていきます。
それまでの低迷はいか仕方ないというのも理解できます。
日本古来の伝統文化を呼び覚ますということも考えると、エネルギー消費量を低減し、京都の街並みや風情を参考にし、日本全国津々浦々経済成長を下げて、安静な暮らしをするためにもちょうどよい感じになるのではないかと想像する動きも出てきています。
森林浴などはとてもよく好まれます。
そして、今は代替エネルギーのラインナップは、風力、ソーラーパネル、水力、地熱となっていますが、今後ではメタンハイドレート、オーランチオキトリウム、海力、波力を使ったエネルギーなど楽しみな代替エネルギー群がひしめいています。
そういう未来のエネルギーの可能性を抱きながら、原発を稼働するというのはまずい。
原発のまずいのは何よりも事故もさることながら、使用済み核燃料棒が増えていき、それを廃棄できない状況があるということがとてもネックです。
一方原発稼働の考えで行くと、今の時点では火力が主流になり、Co2などの心配や燃料がこちらも石油などの消費を膨大にし、環境破壊にも直結する動きも見られます。
やむをえなく原発で石油の消費量を抑え、電力消費料のバランスをとっているわけですが、ほかの水力、風力、ソーラーなど合わせてもまったく足りないということがあります。
これを受けると、やはり原発はまだ必要だとする動きもあります。
長い目で見て、原発をまだ稼働させ、未来エネルギーが確立できれば原発は御役御免ということでようやく廃炉に向かうという流れになると思います。
現実的にはこちらの方が有力となり逆転されてしまう形になります。
法師のような暮らしをしていれば、電力は少なくても大丈夫なようにお見受けでき、ロウソクの火で生活をするような形を全国で毎日送れば、未来エネルギーの創造を柱に質素な生活をしようとする考えもあります。
しかし、質素な生活でいいとするならば、未来エネルギーも必要としないとも考えられます。
しかし、この未来エネルギーは、火力に対してそれに変わるエネルギーということで、創造する側面もありますから、開発はしていくということにできます。
法師のような生活をしつつ、片方では未来エネルギーをつくるために近未来的なものが必要となるとこの差が大きく出てしまい、未来エネルギーを作るための電源は結局は火力、原子力に頼る他にはなくて、未来エネルギーをつくるための火力、原子力になってしまうのは考えてみればちょうどいい感じではあります。
しかしながら、今現時点では、法師のような生活でなくともいろいろな物価が安くなっており、現代版質素な生活は確立されつつあります。
その中でなら、未来エネルギーを創造するのは差を感じることなくできるという考えも大多数おられます。
病弱な老婆などがつけざるをえない、パルスメーターなどにかかる電源に必要なので原発はいるとの認識をもっている方もおられますが、そのくらいの電力は自家発電でカバーできるほどの微弱な電力でしょう。
なのでそういった家庭用の自家発電をつければ済む話なので、そして自家発電が万が一停止した場合でも別ルートのガスや石油での発電を少量加えれば保てる話です。
なので、こちらの話はこれで始末はつきます。
使用済み核燃料棒を宇宙へ捨てるという考えもあります。
シャトルも安全に飛ぶようになってきていますし、人工衛星もよく飛んでいます。
宇宙ごみを拾うシャトルもあるということで、これを参考にシャトルで燃料棒を運び、できれば月までもっていき、そこに埋める。
そういうことも考えられますが、やはり無謀なので、岐阜か北海道の山林に穴を掘り、そこに保管する動きも出ています。
地下深く保管しておけば大丈夫であろう!というのが大方の見方ですが岐阜でも北海道でも、核燃料棒をもっていく最中に放射能がもれたり、道中で事故を起こしたらその場で放射能は拡散されてしまい手では触れるものではないのですぐには戻せず、その場で全員が被爆する可能性もあり、それだけで一帯が住めなくなってしまいます。
投稿日時 - 2012-07-21 15:42:00
>この本当に厄介な「原発」やはり要らないのでは?
同感です!
但し、そこには時間軸を工程表にしての実施と新エネルギーや代替エネルギーとの置換を円滑に計画的に行う事が必要だと思います。
経済やリスクマネージメント、地球温暖化ガス問題や電力需要のカバーの要素をシュミレーションして安全で着実に実行して行かねば成らないと思います。
経済効果や雇用や電力会社&原子力ムラの利権で現世利益で論議しては成らないと思います。
後世に原発事故や放射能汚染と言う多大なリスクやツケを残し先送りしては、二一世紀に生きる私たちのエゴ・無責任だと思います。
それは、エネルギーミックスや発電方法にはいろんな種類があり、それぞれに長所と短所があり、膨大な電力需要に応えるには安全性・効率・コスト・立地条件・リスクマネージメント(万一の事故への対応)等の要素を考慮して、原子力や火力、水力や地熱、太陽光や風力、メタンハイブレードやバイオマス他のウエートを計画的に需要に対応しながら目標値に収斂していく事だと思うからです。
話は異なり適切ではないかもしれませんが、インフレとデフレ、円高と円安にメリットもあればデメリットもあるように、原発推進や廃絶にも制約・生涯・デメリットやリスクが伴うと思います。
しかし、地球・環境・大気や土壌や水と言ったかけがえのない自然を天与の資源を、今を生きる私たちの都合で損得勘定で経済発展の観点だけで思考・判断することは果たして後世に伝え繋げる悔いのない選択だろうか、王道たりうるだろうか・・・。
原発廃止の方向に異論は少ないと思うが、そのスピードや代替策について合意形成を目指す時、
私は、原子力について、大きく依存したり、積極的に再稼働&新増設には反対です。
発電コストや効率が高く、温室効果ガスの発生量は少ないいかもしれませんが、過去の事故(福島・スリーマイル・チェルノウイリ)の大きさや被害の広範な地域、病状の重篤(直接の被害に加え、潜在的な障害児や健康&成長への悪影響、ガン発症へのリスク)、実際の被害の大きさに加え危険性は蓄積潜在長期化するから、核燃料の最終処分の技術的解決や処分場の未定、災害や活断層の問題、テロ等への防御に不安が主な理由です。
どんなにクリーンだ、効率が高い、地元自治体への雇用増や経済波及効果も高いと言っても、原子力は最終処分までの一貫した制御やトラブル対応技術や事故に対する安全性の面で未完成、未熟な物・技術システムであり、得れる便益に対し、万一の事故の被害や復旧のリスクが想定出来ず非常に膨大で有る点であり、経済面と効率の面に囚われ何時までも大きな依存を続けるものではないと思うのです。
勿論、人類の英知と創意工夫でリスクや懸念をミニマム化する努力や成果を信じないものではないが、人や地球に優しいエネルギー&発電方式として原子力をオンリーワンにもナンバーワンにも思えないからです。
代替エネルギー(再生可能エネルギーや新物質)、省エネ省資源&高効率機器の開発普及にて、順次(原子力・火力・水力の既存発電から)シフト・ウエート移行して、安全性と発電量の両立を図って行くのが人類の英知・真の王道だと思います。
原子力の事故対策・リスクへの積立金や安全対策への投資を考えれば、メタンハイグレードやシェルサンドや太陽光や風力に向ける財源や用地確保や掘削は必要であり、原子力の廃絶への取り組みと工程表策定は実現可能だと思うからです。
コストや発電量が経済合理性が必要条件ならば、安全性や環境(排出物と廃棄物処分)リスクマネージメントは十分条件であり、必要十分条件は最大最高に向けて、ベストミックス(エネルギーや、発電方式)を私たちは追求模索し続けるしかないと思うからです。
火力発電反対(温室効果ガス・騒音・大気汚染・原材料の保管や物流の割高・コスト高)や無秩序なダム建設による水力発電の強化にも疑問を持ち反対です。
そして、新エネルギーや自然エネルギーや節電にも限界があり、力強さに欠ける面は残念ですが弁え理解出来ます。
矛盾するようだが、原発廃止を願うからと言って、計画停電を容認し、経済を逆行させ、世の中を暮らしをインフラを20世紀初頭レベルにシュリンクすれば良いと思ってるわけではありませんが・・・
しかし、その代替案が原子力発電所の再稼働や新増設と言うのは創意工夫で地球を守る人を守る暮らしを守る事と矛盾したり2者選択ではないと思います。
皆の英知と創意工夫と難しくともやり抜く覚悟で両立させねば成らないテーマーであり、私たちの取り組むべき事業だと思います。
原子力は、何処まで行っても、最終廃棄物の処分問題や核分裂の暴走のリスクがあり、土壌や大気や水への放射能汚染、被ばく・蓄積・摂取による身体の発達や健康への影響(甲状腺ホルモンの異常やガン罹病の誘発促進)が懸念される為です。
先楽後憂で、現在世代や社会が低コスト・高効率でメリットを享受し、後世に子孫に放射能汚染や原発事故のリスクを先送り、ツケを残すのは無責任&エゴ以外の何物でもない。
原発は未完成の技術であり、自然界に存在していなかった放射性元素の大量発生を招く為です。
現在の発電所は旧式老朽の設備・技術の進歩も道半ばだとすれば、人類の英知と創意工夫でリスクのミニマム化は進展の余地が大だと思うが・・・
しかし、同時に、後世に21世紀の遺物・負の遺産として、恐怖の産物である原子力発電所・核燃料と最終処分物を大量に貯蔵埋設して地球を穢れた危険な天体&土地にしてしまって良い&許されるのだろうか?
徒に、刹那的に、今が良ければと、借金を重ね国債を無制限の如く発行し続けて仮に安楽な暮らしが短期間は出来たとしても必ず破綻し、一端、事故が起こればテロに狙われたら、取り返しのつかない破滅的な苦難悲惨な事故や環境汚染や健康被害が蔓延するのではないでしょうか・・・
そのリスクを織り込み、対策対応の手立てを考慮・抜本的な対策[ストレステストの一層の強化やレベルアップ)、地震や津波への万全の備え、テロへの防御を実施施工すれば、原発は安価な効率的な発電システム・エネルギーミックスの中核を担うエースでは、最早あり得ないと思います。
原子力を放射能を完全にコントロールし使いこなせると思うのは、人間の奢り、技術への過信であり、恣意的な願望や自己都合の為せる領域だと思います。
個人的にも、現在の原発近隣に居住されている方には申し訳ないが、仮に原発が近傍に建設されるなら、誘致や建設反対運動に微力ながらも自分に正直・子孫への責任において、反対運動に参加し阻止したいと思ってます。
それでも、仮に現在の私の居住地に原発が建設稼働する時には、原発が廃炉移転しないなら、私が家族が友人知人が、愛し住み慣れた土地だが、そこを離れるしかないと覚悟しています。
投稿日時 - 2012-07-21 16:58:56
そうですね!
原発推進の方には、放射能が漏れるようなことがあってもプライドを持って守るということでした。
野田首相にも責任を負ってもらいましょう。
なので仕方がないのでそこは任せるとして、われわれ脱原発を素直に推進しているものたちは、回避なり次世代エネルギーやエコ、有機野菜などに力をいれて協力していきましょう!
投稿日時 - 2012-07-21 18:38:30
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回答(7)
まず、質素な生活が可能だとしても、それらをすべての人々が
望んでいるわけではない、ということがあります。今、我々は
食べるものにも着る物にも住むところにも比較的困らない
生活を送っています。それらはひとえに核を初めとする先進
技術発展により物質的に豊かな生活が送れるようになった
ためです。これらをすぐに捨てて自給自足のような昔ながらの
生活に戻ろう!と主張したとしてもなかなか賛同してくれる方は
少ないのが現状ではないでしょうか?
今の生活を維持するとなればエネルギー問題は避けては通れません。
今、核をすべてなくしてしまおうとすればあっという間に電力が枯渇
するのは昨今の情勢を見ていても明らかです。また、無理矢理に
火力発電などで補おうとすれば深刻な財政的、環境的問題が
発生するのもこれまた自明の理です。
さらに言える事は、今回はたまたま原発については不幸な結果に
なりましたが、先進技術というのは概ねその様な傾向がある、という
ことです。例えば便利な自動車ですが常に交通事故と隣り合わせ
です。だからといってこれに乗らなければいい、厄介な自動車など
排除してしまえばいい、などというような議論は包丁が危ないから
使わないほうがいい、というような議論と似たような印象を受けざるを
えません。重用なのは失敗をいかに次の運営に有効利用していくか、
ということのように思われます。
代替エネルギーに切り替えて行けばいいではないか、という議論に
ついてはその通りだと思います。しかしこれらは100年、200年かけて
達成していくことであり、すぐに原発をなくせるというわけでもありません。
我々が考えるべきことは今回のことをいかに次の失敗を防ぐために
生かせるか、ということとそれらといかにうまく折り合っていくか、という
ことであるように思います。
投稿日時 - 2012-07-22 07:17:06
Thank you!!
投稿日時 - 2012-08-11 19:12:37
40年くらい前になりますけど、東海村の原発の近くに住んでいました。
本能的に危険を感じ、原発周辺の松林沿いの道路は通らないようにしてました。
1999年に起きたJCO臨界事故のときは、東海村から遠く離れた大阪に移り住んでいましたけど、自分の直感は正しかったと思ったものです。
すぐに脱原発は無理でしょうけど、無くさないといけないものでしょう。
私が住む市は水力発電で、ほぼ市内の電力需要を満たせています。
市の水道水はすべて井戸から汲みあげた地下水です。
山があり、森があり、豊かな水が流れ、みずみずしい農作物、豊かな漁場に恵まれています。
別に私の住むところが特別でなく、日本中いたるところに同じような環境の田舎があるでしょう。
原発を必要としたのは、都会の頭のいい人たちですから、後始末も都会の頭のいい人たちに考えてもらいましょう。
ただ、廃棄物を田舎に押付けようとするのでしたら、死に物狂いで反対します。
投稿日時 - 2012-07-21 17:26:16
そうですね!
原発推進の方には、放射能が漏れるようなことがあってもプライドを持って守るということでした。
なので仕方がないのでそこは任せるとして、われわれ脱原発を素直に推進しているものたちは、回避なり次世代エネルギーやエコ、有機野菜などに力をいれて協力していきましょう!
投稿日時 - 2012-07-21 18:35:15
>原発が稼働していなくても、日本は稼働していました。
飛行機が無くても日本は稼働します。
光ファイバー無くても日本は稼働します。
TV放送が無くても日本は稼働します。
ドクターヘリが無くても日本は稼働します。
X線撮影がなくても日本は稼働します。
問題は、これらの文明の利器が人々の生活の質を向上できるかどうかです。
原発反対の人は、貧しい人、弱者の事をあまり考えない人が多いですね。
原子力発電設備への投資が無駄になり、化石燃料の輸入が2倍に増えれば、電力料金はあがります。
質問者さんは2倍ぐらい払ってやろうじゃないか、とお考えかもしれませんが、生活保護者もおれば、母子家庭もおり、海外留学生、苦学生もいれば、年金生活者から、無年金のお年寄りも電気代を払わなくてはいけないのですよ。
これら経済弱者の事を考えれば、飛行機やTV放送やX線撮影がなくなろうとも、原子力発電は維持するべきじゃないでしょうか。
投稿日時 - 2012-07-21 16:38:57
クリーンエネルギーがあれば大丈夫です。
貧しい人も全部救います。
日本は助け合いという慈悲の世界ですから。
原発推進であれば、使用済み核燃料棒などの処理などは責任をもってお願いしますね。
投稿日時 - 2012-07-21 18:41:41