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18-2日本語訳

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 In about 269 BCE,Ashoka's father,King Bindusara,died.Ashoka was barely 30,but he had already proven himself a brilliant warrior.Ashoka's mother had not been his father's chief wife,so he had to compete with his half brothers for the throne.But by 265 BCE Ashoka had defeated all his rivals and was the unquestioned king of the dntire northern subcontinent.
 He may have been king,but many of his people did not wish to be his subjects.They had lived in independent city-states for centuries and,and although a centralized state had its good points,like making the roads better and safer and increasing trade,they did not want to obey a king.Ashoka made royal visits to these regions to persuade his people to stay in the kingdom his father and grandfather had established.When persuasion didn't work,he sent his army.
 Ashoka's grandfather,Chandragupta,ham united most of the northern subcontinent.His empire stretched“from the lord of the mountains[Himalayas],cooled by showers of the spray nf the divine steam[Ganga]playing about among its rocks.to the shores of the southern ocean marked by the brilliance of gems flashing with various colors.”Arhoka's father,Bindusara,had continued his father's tradition,earning himself the nickname“Slayer of Enemies.”But neither Chandragupta nor Bindusara had dared attack the territory of Kalinga in eastern India.
 Kalinga was a particularly rich and powerful state.Its riches came from its trade with Southeast Asia.Merchants from Kalinga could be found as far away as Borneo,Bali,and Java.Although it had no king,Kalinga protected its riches with a huge and well-organized army,including an army of especially mighty war elephants.

投稿日時 - 2012-06-18 14:02:16

QNo.7540583

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質問者が選んだベストアンサー

 紀元前269年頃、アショカの父、ビンドゥサラ王が、死にました。 アショカは30歳になるかならない頃だったのですが、彼はすでに彼自身が素晴らしい武人であるということを証明していました。 アショカの母は彼の父の正室ではなかったので、彼は腹違いの兄弟たちと王座を争わなければなりませんでした。 しかし、紀元前265年までには、アショカは彼のすべてのライバルを破って、北亜大陸全域のまぎれもない王となりました。
 彼は王であったかもしれませんが、彼の臣民の多くは彼の家来になることを望みませんでした。 彼らは何世紀もの間、独立した都市国家で暮らしていました、それで、中央集権国家には、道をより良くより安全にして、交易を増やすと言った、長所がありましたが、彼らは王に従いたいと思いませんでした。 彼の父や祖父が樹立した王国にとどまるよう、彼の臣民を説得するために、アショカはこれらの地方への行幸を行いました。 説得が上手くいかない時は、彼は軍を送りました。
 アショカの祖父、チャンドラグプタは、北部亜大陸の大部分を統一しました。 彼の帝国は「大いなる山々[ヒマラヤ山脈]から、聖なる流れ[ガンガ川]のしぶきを浴びて冷やされ、その岩々の間で戯れ、様々な色に輝く宝石のきらめきによって印される南海の岸まで」拡大しました。アショカの父、ビンドゥサラは、彼の父の伝統を続けました、そして、彼自身「敵の殺害者」と言うあだ名をつけられました。しかし、チャンドラグプタもビンドゥサラも、東部インドのカリンガと言う地域を攻撃する勇気がありませんでした。 カリンガは、特に裕福で強力な国でした。 その富は、東南アジアとの交易からもたらされました。 カリンガの商人は、遥かボルネオ、バリ、ジャワでも見つけることが出来ました。 カリンガには王がいませんでしたが、カリンガは特に強力な戦闘用の象の軍を含む巨大でよく整えられた軍でその富を守っていました。

投稿日時 - 2012-06-18 17:14:15

お礼

ありがとうございます

投稿日時 - 2012-06-18 18:05:05

ANo.2

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