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 Sadly,James Prinsep died soon after returning home to England,before many of the questions that had tortured him could be answered.But,largely as a result of the work he and his network of English and Indian friends had done,new knowledge about South Asia's history came quickly.
 Most of this knowledge was about South Asia from about 800-300 BCE,a time when people were moving from outposts in the jungle nd the deserts into settled communities.As these new towns and cities grew,so did the demand for metals for tools and ornaments.Metalworkers invented new technologies that allowed them to make steel,whhch made stronger,lighter tools and weapons that didn't rust.Diamond-tipped drills made drilling beads faster and easier.Traders and merchants pushed into previously unexplored territories in search of new sources of gold,silver,copper,and iron.
 Sailors carried goods to Sri Lanka from the Indus delta on the west coast and the Yamuna and Ganga deltas to the east.For the first time,coastal communities from both the east and west coasts of the Indian subcontinent,previously separated by dense forests and jungles,could communicate and trade with each other.From Sri Lanka,the sailors continued along the coasts of Southeast Asia,Arabia,and northern Africa.
 Both traders and the goods they produced were also moving overland into Central Asia and Iran,where Cyrus the Great of Persia(558-529 BCE)was busily assembling the largest empire the world had ever known.After conquering the northwestern region of the Indus Valley and Afghanistan,Cyrus made it a satrapy,a state within his empire,governed by a satrap.The satrap's task as governor was to keep an eye on things and collect taxes,which were sent to the royal capital at Persepolis.

投稿日時 - 2012-06-13 19:11:16

QNo.7531528

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 悲しいことに、彼を苦しめた問題の多くに答えが出る前に、イングランドに帰国して間もなく、ジェームズ・プリンセプは死にました。 しかし、主に彼と彼のイギリス人とインド人の友人のネットワークが行った仕事の結果、南アジアの歴史についての新しい知識が瞬く間にもたらされました。
 こうした知識のほとんどは、人々がジャングルや砂漠の辺境の地から定住する地域社会に移り住むようになった時期である、紀元前800年-300年頃からの南アジアについてのものでした。 これらの新しい町や都市が発展するにつれて、道具や装飾のための金属の需要も高まりました。金属細工師は彼らが鋼を作ることができる新技術を発明しました、そして、鋼は、さびない、より強くて、より軽い道具や武器を作りました。 ダイヤモンドの先端の付いたドリル(錐)は、ビーズの穴開けをより速くてより簡単にしました。 交易商や商人は、金、銀、銅、鉄の新しい源を捜して、以前には未踏の地域に分け入りました。
 船乗りたちが、商品を西海岸のインダス川のデルタ地帯からスリランカや東方のヤムナ川とガンガ川のデルタ地帯へ運びました。 初めて、以前密林とジャングルによって切り離されていたインド亜大陸の東海岸と西海岸の沿岸の社会が、互いに連絡が取れ、交易することができたのです。スリランカから、船乗りは東南アジア、アラビア、北アフリカの海岸に沿って航海を続けました。交易商や彼らが生産した商品は、また、陸路で中央アジアやイランへも移って行きました、この地域では、ペルシャのサイラス大王(紀元前558-529年)が、世界がそれまでに知っていた最大の帝国を忙しく統一しようとしていました。インダス渓谷とアフガニスタンの北西部地域を征服した後、サイラスはそれを彼の帝国の中の州であるサトラピー(総督の領地)とし、この地域は、サトラップ(総督)によって支配されました。 統治者としての総督の仕事は情勢に気を配り、税を徴収することでした、そして、税はペルセポリスにある帝国の首都に送られました。

投稿日時 - 2012-06-13 23:45:48

お礼

ありがとうございます。知恵袋出来なくてこちらに来てました。

投稿日時 - 2012-06-13 23:52:32

ANo.1

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