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締切り済みの質問

東日本大震災被災しなかった人達の今後の教訓教えて

東日本大震災が起きた時、あなたはどこに居ましたか?

今回の震災で、多くの経験をされたと思います。
被災されてない方の教訓を、差支えなければ教えて下さい。

自分は、福島に住んでいましたが、
震災当時は関東に居ました。
交通はマヒして、歩いてレンタカー屋さんを探して福島に戻りました。
途中で、ご親切な方に載せてもらいながらやっとレンタカー屋を見つけて
翌日に福島に帰れました。

この震災で、大変な経験をされた方が学んだ教訓を後世に残す為にも聞いておきたいです。

投稿日時 - 2012-04-16 11:58:10

QNo.7423974

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回答(5)

私は、東海地域に、住んでいます、東北地震が、起きたときは、振動3~4の揺れが、ありました、 阪神大震災は、5強の揺れが、ありました、 神戸に、復興のとき、建設作業員として行った人からの、涙ながらの、被災の話しは、今でも思い浮かびます、 東北の方々が、このメールを、見ていたら、焦らず、頑張ってください、 家を建てるだけでも、どれだけ月日が、かかるか、復興が、終了して以前のようになるまで、年月が、かかるか、神戸も、十年以上かかりましたよね、くじけずに頑張ってください、 一歩づつ進むしかない、途中で、人生終わって逝く方が、あったりしても、仕方ない事だと、それも人生なんて思うしかない、 つたない回答意見ですが、投稿します。

投稿日時 - 2013-06-04 12:33:54

ANo.4

震災当時、神奈川県藤沢市で訪問看護していました。
いくつか、医療あるいは業務上の問題が生じたので、書きます。


停電による医療機器の問題
 在宅でも酸素濃縮機や人工呼吸器など、様々な医療機器が使われています。これらは当然、停電すれば止まります。しかし、人工呼吸器が止まれば? その患者は死にます。
 実際に、人工呼吸器の方がいらっしゃいましたが、その方の呼吸器はバッテリーが当時ありませんでした。寄寓にも直前に肺炎を起こされ、地震発生わずか30分前に救急車で入院して頂き、難を免れましたが、それは奇跡の部類です。
 バッテリーがあったとしても、計画停電時間が万一延びたり、不測の停電が重なれば、生命の危険が生じます。
 もちろん病院でも同様です。大病院は自家発電装置を持っているところが多いですが、燃料はせいぜい一日分、少ないところでは数時間分しか無いところも多々あったと聞きます。さらに、震災後の交通、燃料供給麻痺で発電不能になった例もあったようです。
 被災地でなくても、計画停電やパニックにより、患者の生命が危険に晒されていました。


在宅酸素供給の問題
 自宅等(病院以外)で酸素を吸入している患者は、全国で約15万人居ます。が、震災後の計画停電と交通パニックにより、その供給に甚大な支障が生じました。人工呼吸器に比べれば生命の危険は直接的ではないものの、生命を危険に晒すことに変わりはありません。
 自宅等で酸素吸入する場合、通常は空気中の酸素を電動で濃縮する濃縮機を利用します。当然停電すれば止まるので酸素供給ができなくなります。そのような場合や外出のために、携帯酸素ボンベをセットで使用しますが、小型であり数時間しか使用できません。
 今回の計画停電では、一回の停電で通常2,3本常備しているボンベを使い切ってしまう状況でしたが、パニックによる交通マヒにより業者の配送も不能になりました。
 仕方なく主治医にかなり無理に依頼し、病院に緊急避難入院して頂きました。病院は液体酸素を大きなタンクで持っているので、在宅よりは安全が担保できるからですが、その液体酸素の供給も、パニックが長引けば不能になったでしょう。
 愚かなパニックにより、地震・津波被害が無い地域で、人災、二次的に生命を危険に晒された人が多数居たということは、真摯に考えるべきです。


津波に対する無知と交通マヒ
 藤沢でも震災直後、津波注意報が出ましたが、全く想定していない事態のため、皆車で移動し幹線道路がマヒしました。私の訪問看護ステーションでも職員が訪問中であり、電話も不通で連絡も取れず、ただ無事に帰るのを待つことしかできませんでした。
 実際には津波は来ませんでしたが、低地に住宅が密集している地域で、万一津波が襲来したら大惨事になっていたでしょう。
 津波に関わらず、災害時の避難では車を使用しないのが大原則ですが、それすら周知徹底されていない、防災意識の低さが露呈しました。


災害弱者と「津波てんでんこ」
 医療者の常識として、地震等の際は患者の安否確認と医療機器類の動作確認をします。訪問看護でも同様で、当日翌日は一旦予定を全てキャンセルし、安否確認しました。一人安否確認できない方があり、翌日遅くに外出先で被災し帰れなくなっていたが無事と分かりました。
 さて、病院や介護施設であれば、職員が避難を助けますが、多数の自分で動けない人を救うことは、現実には物理的に不可能です。在宅であれば、それぞれのお宅に駆けつけて救難など、さらに不可能です。
 今回の震災でも、その不可能に立ち向かい、助かる命を落とした将来ある人たちが多数居ます。残念ですが、自分の身は自分(と家族どうし)で護るしかない。それが私の出した結論であり、そもそもレスキューの基本「自分の安全が確保できる限り救難せよ」ということです。
 医療者、ケア者、あるいは警察、消防の方が多数落命されましたが、助けなければ、という責任感だけでなく、助けなければ後で非難されるかも、という罪悪感が避難のチャンスを逃させた面も否定できないと想います。端的に言えば「自分が死んでも人を助けようとして共倒れになるより、見捨ててでも逃げろ」ということを社会として肯定しなければ、今後も、将来ある人が多数死ぬ悲劇は繰り返されるだろうと危惧します。

投稿日時 - 2012-05-05 11:06:44

お礼

ご回答有難うございます。
考えさせられるお言葉です。
新たな目線からの声有難うございます。

投稿日時 - 2012-05-06 20:10:27

ANo.3

私は静岡の、富士市に住んでいます
私の実家は伊豆の下田なのですが、
20代のころ、消防団に入って居たのですが、
その頃、伊豆半島沖地震、伊豆大島近海地震、など体験しましたが
伊豆近海地震の時には消防団に入って居ました
地震発生と象時に、広報活動と、被害状況の確認に入ったのですが
当時は今のように携帯がなく
情報が入って来ませんでした
被災者は当然消防団員などに情報を得ようとするのですが、私たちも情報が有りませんでした
あの時に津波が発生していたら、どうなって居たことか、
今のように防災無線も発達していませんでしたしワンセグなど有りません
又伊豆半島地震の時には、南伊豆の、中木と言うところがやられたのですが、ほとんどの死者が山崩れによるものでした
中木の直下が震源だったために津波は起きませんでしたが、いわば山津波ですね
当時高校生でぬ×に居たのですが、公衆電話1つしかなく、情報も先生頼りでした
とにかく情報が欲しいですね
今回の震災でももっと情報がどんどん入っていたら、津波で亡くなられた人ももっと減って居たでしょう残念です
私は今回の地震では体調不良のために家で寝ていたら、夢でパチンコをしていて、地震でいりぐちふきんでざわざわしているのをみてたいへんだな~≪のんき≫と思っていたら何か違う、これ本物の地震だと気が付き起きてテレビを付けたら、大津波警報≪嘘だろ~≫
私の住んでいるところは海抜15メーター、最近の発表で浜岡原発付近で21mの津波
幸いに隣に大きなアパートが有り何とかそこに逃げれば大丈夫そうですが
仕事場は9m位、今東海地震が発生したら近くの中学校の屋上か、山か悩んでいます
時間があるなら山ですが、個人で逃げるなら山に逃げますが、仕事場だと、全員で逃げますので、山に間に合うか悩んでいます

投稿日時 - 2012-04-16 22:49:31

お礼

体験からのお話有難うございます。
正確な情報はやはり重要ですね。

投稿日時 - 2012-04-18 03:30:27

ANo.2

震災の一週間前、東北での現場を終えて自宅(静岡県熱海市)に戻っていました。

震災直後はPCの前で、ツイッターやってました。大きな横揺れを感じた途端、ツイッターのTLが騒がしくなり、間もなく津波警報が…御蔵島からの「警報6m洒落にならん!」というツイートが印象に残っています。

その後、外に出ていた妻と連絡を取るため、なるべく短いメールを送りましたが、僕から妻への携帯へのメールは殆ど届かなかず、妻から僕へのPCメールだけが届きました。

地震から数時間が経過し、ようやく妻の携帯が繋がり、迎えに行くので熱海から来宮駅に徒歩(20分ほど)で移動するように指示しました。熱海駅周辺は普段から混雑が激しいので、何か(火災とか)あった時にクルマでは逃げようがないからです。また、来宮駅は伊豆スカイラインからの直接の降り口でもあり、山側から救援に向かうには格好の場所だっからです。

段取り後、救援に向かいます。我が家の最寄り駅は、伊東線の「網代」駅で、当然、電車の復旧は見通しが立っていませんでした。また網代駅~伊豆多賀駅の間、わずか数キロですが海岸沿い以外に迂回路がないので津波の心配があります。そこで迷わず伊豆スカイライン(山伏峠)へ上がりました。南熱海地区から、伊豆スカイライン経由で来宮駅まで30分以上かかりますが、無事に妻を迎えに行くことが出来ました。まとめますと…

1)災害時は、携帯電話の音声通信はもちろん、メールも届きにくい
2)PCメールと、インターネット回線は普通に使えていたので、ふだんから、スマホや携帯でもインターネットメールを使うようにしておく
3)伊豆半島の場合、伊豆スカイラインが津波災害時の抜け道として有用なことが多い
4)伊豆の場合、混雑の激しい駅周辺(例:三島、沼津、熱海、伊東など)を外す
5)巨大震災時、海岸道路(ほとんど国道)は通行止めになる

この辺りになるかと思います。

ちなみに、伊豆では物資不足はほとんど起こりませんでした。これは、2011年3月11日が金曜日に当っていたためだと推定できます。伊豆は観光地であり別荘地も多く、週末は一時的に人口が増加します。そのため、スーパーなどは週末に向けて在庫を充実させる傾向があり、図らずも震災直後は、謂わば別荘族向けの物資が地元の役に立ったと思われます。
また、地震・津波被害も皆無で「地震も津波被害もなく、物資もガソリンも豊富、ないのは仕事だけ(これは今も変わりませんが;)」という状況でした。

投稿日時 - 2012-04-16 19:17:18

お礼

ありがとうございます。
通信手段・避難経路なども重要なんですね。
地域によって全然違うのですね。
参考になります。

投稿日時 - 2012-04-16 20:15:03

ANo.1

 京都です。ただ、知人などが福島におりますのですごく心配でしたよ。

 阪神淡路で感じたのですが、被災地以外でも物資が不足するという事を経験しておりまして、私の想像を遙かに超える不足状態にはびっくりでした。あまりにも広範囲すぎる。

 発生当初から、非常識なことが起きたから常識を無視して、非常識に動こう。と考えました。自粛とかもしないで、経済を動かし続ける事、その利益を被災地に使う事を願っておりましたが、それは叶わず、未だに動きが停滞している。 起きたことから目を背けるな。しっかり見て考えて、まずは行動。問題やら苦情は後回しで良いと。 これもずっと思って居るし、言っている事です。

投稿日時 - 2012-04-16 16:30:45

お礼

ありがとうございます。
被災地に送る為なのか・・・関東でも関西でも物資が急激に無くなりましたね。
お声有難うございます。

投稿日時 - 2012-04-16 16:47:45

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