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解決済みの質問

原発事故が起きるのは仕方がない

と思いませんか?
自動車を作れば自動車事故が起きるのは仕方がない、と同じようにです。

いやそんなことはない、という意見は、
1. 原発を全廃すれば良い。
2. 原発は完全に制御できる。
の2つに分かれるでしょう。

1の場合には、
a. すでに覚えてしまった快適性・利便性を放棄することはおそらくできない。
b. 効率的代替エネルギーの開発が進んでいない。
c. (核兵器バランスの点で)世界中が足並みを揃える必要があるため、国家間の調整が難しい。
という点が最大のネックになるでしょう。

2の場合は、ほぼ妄想に近いものと言えるでしょう。
そこで、タイトルのように、
3.原発事故が起きるのは仕方がない
と考えることが今、最も必要とされているのではないか、と私は思います。

現状では、安心・安全という建前のもとに原発が稼動しています。
東電も嘘つきですが、それを受け入れている国民の欺瞞性のほうこそ問題にされるべきではないでしょうか。
「震度7を超える地震が起きた場合には安全は保障できません。
高さ10m以上の津波が来た場合には何が起こるか未知数です。
しかし、この範囲内であれば最善を尽くすので原発の建設を認めてください」
電力会社はこのように言明すべきですし、なにより、国民(つまり享受者)側から、このように言明させるのが本来の姿でしょう。
これは大雑把な一例ですが、このように最大限のリスクを当初からきっちりと受け止めようとする姿勢が必要で、最終的には、
「わかりました。震度〇以上の地震や高さ△m以上の津波の場合には諦めます。しかし、確率は低いようですし都市部への電力供給のためにも建設を認めましょう。むろん補助金は十分にいただけるのでしょうね」
という国民の納得があって初めて原発建設が可能になる。
これはむしろ当然のことだと思います。
今回の事故は、こういった経緯を経ずに、また原発の危険性を十分に検討せず、あいまいに妥協してしまったために起きた事故と言えるのではないでしょうか。
みなさんはどう思われますか?
  

投稿日時 - 2011-04-13 18:42:02

QNo.6665896

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

片や、原発施設立地地域住民たちは、さりとて決して、犠牲的精神などから、損な役割を引き受けたわけではありますまい。すでに、「この範囲内で」という、あくまで一応の想定があって、そのもとに、「安全神話」による裏打ちを信じ、低いリスクと引き換えの高い供与を得られるつもりで受け入れてきたであろうと思います。
同じ原発立地域内でも、こまかく見ていけば、行政サービスに差が生じているとかいう、現地の人の声もありました。

原発立地域外の国民としては、、実際、自分ちの近所なら猛反対するとして、しかし、かなり離れた立地で、自分に直接の不利益はないとなれば、そこまで しない。傍観する。なんと言っても、現地住民が受け入れるというのなら。せいぜい、そんなところだったのでは。

>なぜ、原発の危険性にも拘らず、こうした大企業に頼った利便性に国民は執着するのだろうか、という点

このたび東京都知事選で4選となった石原氏は、私は、基本的に疑問を感じる人物ではありますが、例の「天罰」発言での「我欲」に関する意見は、頷ける面もあるかと受け止めています。

>電力消費減衰のため、たとえば最低温度20度のエアコンが発売されたとしても、最低温度12度の外国製品を買うのではないでしょうか。

これも、そう単純なことではないということを、自身の日常生活のなかで実感しています。
単に数値だけで「20度」と言っても、体感的に全然違うことが多いということに気づいています。
そういうレベルのこととは別に、
火力などのエネルギー供給によって引き起こされる環境汚染、それを避けるためという側面もが原発には負わされていますから、その点でも頭の痛いところです。

>リスクなしに恩恵だけ受けようという人間

それにしても、大企業の提供する恩恵を受けたいのは一般大衆の本音、しかし、その一般大衆あっての企業であり、その企業人も また、個々には大衆の一人なのですよね。

>>慎ましくてもいいから、安全に、平和に

これも、一筋縄の話でないようです。現に、避難勧告に猛反発して、高度被爆の危険をも辞さず、現地で、これまでどおりの日常生活(地方農民としての慎ましい生活?)を続けることを宣言している人々もいるようですね。

>「あるいは生きることすら諦めなければならない」という緊迫した事態が想定されることを強く認識するためには、「仕方がない」が最も強力で有効な思考の形態

それは どうでしょうか。
私は、むしろ、楽観性の力のほうが大きいのではと思います。しかし、この問題は、なかなか難しい根本問題です。
楽観性というものは、ほとんど宗教的と呼ぶべきほどの無根拠なものですが、それなくしては、のうのうと生きてこれなかったであろうほどのことだと思います。
「欺瞞」というよりは、「信じる」のであると思います。
いつだって、自分は見逃され、災厄は他人のもとへ。なのでしょう。ですから、「傍観」側になるのですかね。

>>・オーナーや幹部はプラントの近くに住居をかまえなくてはならない。(リスク管理の向上の為)
>:これは私なんかもよく考えます。

こういった御意見、時々見かけるのですが、まあ、大責任ある立場の者が、他人事感覚であるということへの皮肉なのかという程度に受けとっていますけれど、
人生が人並以上の結構であった者ほど、他人事感覚でいられることを強化されてしまうのでしょうか。
「しゃあない」のうちに、おのれを入れているか?ということです。
あくまで、他者なら「しゃあない」が許せるのか?ということです。
でも、原発の問題ともなると、それでは済まないレベルなのですからね。

そういえば、先日、どなたかの御質問で、私も回答の一端として、『灰とダイヤモンド』で知られるアンジェイ・ワイダ監督が、日本人の、まさに その楽観性のことを称えていた記事があったのを紹介したのでした。


それにしても、今回の原発事故を めぐって、個人的に大変驚いてしまったことの一つが、
専門領域内に立場を持つ人ならびに、いわゆる「専門家」と称される人たちの見解のバラつきやアヤフヤさです。正直、こんな人々に任せていたわけか、と、今更ながら思いました。
もはや、「震度〇以上の地震や高さ△m以上の津波の場合には」という明確な基準を設けてさえ、実のところ信用していいのだろうかとすら思いました。
「人事を尽くして」原発を受け入れる、ならびに、一定の想定以上が起きた事態に臨んでは諦めることと、対して、思い切って原発自体を諦めることの、どちらが、コストのことも含めて、現実的なのか。。。

投稿日時 - 2011-04-16 15:12:17

お礼

引き続きご回答ありがとうございます。

>すでに、「この範囲内で」という、あくまで一応の想定があって、そのもとに、「安全神話」による裏打ちを信じ、低いリスクと引き換えの高い供与を得られるつもりで受け入れてきたであろうと思います。

おっしゃるとおりでしょうね。
「低いリスク」と思わせられている、あるいは思いたがる、この構図を崩す必要があると思います。

>原発立地域外の国民としては、、実際、自分ちの近所なら猛反対するとして、しかし、かなり離れた立地で、自分に直接の不利益はないとなれば、そこまで しない。傍観する。なんと言っても、現地住民が受け入れるというのなら。せいぜい、そんなところだったのでは。

そうでしょうね。ご存知と思いますが、
NIMBY(ニンビー)とは、Not In My Back Yard(自分の裏庭にはあって欲しくない)の略で、施設の必要性は認識するが自らの居住地域には建設して欲しくないとする住民たちや、その態度を指す言葉である。(ウィキ)
という記事もあります。
事故の可能性を共有し、事故が起きた際の補償も共有する、という具体的な宣言が必要になると思うのです。
災害復興税などどかっと徴収すべきじゃないでしょうか。
こういったケースも含めた「仕方がない」ですね。

>火力などのエネルギー供給によって引き起こされる環境汚染、それを避けるためという側面もが原発には負わされていますから、その点でも頭の痛いところです。

あまりに原子力に頼り過ぎていて、他の代替エネルギーに対する開発努力や資金がおざなりになっている部分もあるんじゃないでしょうかね。

>>>慎ましくてもいいから、安全に、平和に

これも、一筋縄の話でないようです。現に、避難勧告に猛反発して、高度被爆の危険をも辞さず、現地で、これまでどおりの日常生活(地方農民としての慎ましい生活?)を続けることを宣言している人々もいるようですね。

おそらくnoname002 さんもそうだと思うのですが、わたしもこの蝉雪さんと全く同じ感覚なのです。
ただ、経済=命という側面もあるでしょうし、おっしゃるように難しい問題ではあります。

>楽観性というものは、ほとんど宗教的と呼ぶべきほどの無根拠なものですが、それなくしては、のうのうと生きてこれなかったであろうほどのことだと思います。
「欺瞞」というよりは、「信じる」のであると思います。
いつだって、自分は見逃され、災厄は他人のもとへ。なのでしょう。ですから、「傍観」側になるのですかね。

なるほど、そういうことも言えますか。
真実と向き合うのが面倒というか怖いというところかな、と思っていましたが。
そのことも含めて、他律的な面が払拭しきれないというところはあるのかもしれません。

>人生が人並以上の結構であった者ほど、他人事感覚でいられることを強化されてしまうのでしょうか。

今、サンデルが司会するテレビを見ていたのですが、コミュニティの矮小化というか、非グローバル性というところが関係しているのかもしれませんね。
先に挙げたNIMBY(ニンビー)の概念の延長線上にあるような気がします。

>いわゆる「専門家」と称される人たちの見解のバラつきやアヤフヤさです。正直、こんな人々に任せていたわけか、と、今更ながら思いました。

いや、全く辟易します。

>「人事を尽くして」原発を受け入れる、ならびに、一定の想定以上が起きた事態に臨んでは諦めることと、対して、思い切って原発自体を諦めることの、どちらが、コストのことも含めて、現実的なのか。。。

短期的には前者しかないでしょうね。
ただ、新規建設は中止です。
そして現有原発稼動の際の「一定の想定」基準を厳しく設定し続け、長期的には後者の実現を目指す、といった感じでしょうか。
  

投稿日時 - 2011-04-16 23:42:40

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回答(51)

ANo.51

 回答No.61だけでは 人を食ったようなものになってしまうとかえりみまして。

 ★★(No.57お礼欄) ~~~
 今回の質問趣旨は、
 『今後、同じ事故を繰り返さないために、あるいは、被害を可能な限り小さくするためにはどのような心構えなり対応なりが必要になるか。また、そのために有効な思考・方策はどういったものか』
 ということになると思います。
 ~~~~~~~~~~~~~
 ☆ つまりは 今回いま現在と今から みなが心のわだかまりを割りきって水に流して こころよく協力してことに当たるということができないのであれば 今後の対策としてもせいぜい堤防が高くなり格納容器が頑丈なものになるくらいであろうというさびしい見方になってしまうと思ったものですから いまの気持ちや心のあり方のみを問いました。

 反則技だったかも分かりません。
 ひとえにご海容のほどを。

投稿日時 - 2011-04-24 20:39:44

補足

bragelonne さんのこの欄をお借りして改めてみなさんにお礼申し上げます。

締めるに当たって、みなさんのご回答を再度読み直してみました。
拙い質問であったかもしれませんが、真摯なご見解をお寄せいただき誠にありがとうございました。
貴重なお時間を割いていただきましたこと心より御礼申し上げます。
それぞれ独自の視点からの内容で大変参考になりました。

ベストアンサーには、
『私は、むしろ、楽観性の力のほうが大きいのではと思います。しかし、この問題は、なかなか難しい根本問題です。
楽観性というものは、ほとんど宗教的と呼ぶべきほどの無根拠なものですが、それなくしては、のうのうと生きてこれなかったであろうほどのことだと思います。
「欺瞞」というよりは、「信じる」のであると思います。』
という、質問趣旨に沿った新しい視点をお示しいただいた#25さんを 選ばせていただきましたが、みなさんに対する感謝の念も同じほどの重さです。

  

投稿日時 - 2011-04-25 00:06:50

お礼

引き続きありがとうございます。

>今回いま現在と今から みなが心のわだかまりを割りきって水に流して こころよく協力してことに当たるということができないのであれば 今後の対策としてもせいぜい堤防が高くなり格納容器が頑丈なものになるくらいであろうというさびしい見方になってしまうと思ったものですから

そうですね。
とげとげしい非難なり、不満だけでは建設的な展開はたしかに望めないと思います。
ただ、「>心のわだかまり」とは何に由来するものなのか。
その存在理由をはっきりと認識する必要があるように思います。

わだかまりの内容は、他への恨みつらみだけではないはずです。
ですから、仮にその部分だけを水に流して、つまり、相手に対して寛容になったとしても「自己欺瞞という根」は残るでしょう。
それがある以上、根本的な解決にはおそらく至りません。
それを明るみに出して認識するためには、「起きたら仕方がない」と、【あくまで事故前に】名無しさんの言葉を拝借すれば「腹を括る」しかないように思うわけです。
現状ですでにそういう認識があるかもしれませんが、「仕方ない」の程度が甘すぎる、ということが大きな問題になるでしょう。
  

投稿日時 - 2011-04-24 23:42:50

ANo.50

 いやぁ はこぶるさん――ご返答をありがとうございます―― もうわたしは兜を脱ぎます。

 過去の欺瞞をすべて飲み込み自分の不甲斐無さを陰で泣き怒りつつ顔には見せず ただいまの復旧・復興にみなともに手をたずさえて尽力しましょう。とのみです。
 わたしの単細胞ぶりは はこぶるさんは ご存じでしょう。

 もう一点。地震で家が潰され津波で流されたくらいは どうってことないと じつはわたしは思っています。原発だけです 問題は。

 と不謹慎ついでに――えっ? おまえ だいじょうぶか?―― 胸の内を明かします。
 もしこの事故処理を乗りこえ復興全般をうまく達成したときには みんな 今よりは賢くなっていると思いますから あらためて原発問題についてよい知恵が出されその話し合いも民主的にできるようになると踏んではいます。

 ですから 住民の一人ふたり三人が あぁおれは原発問題ではばかだった いやちっとは知っていた それなのにこの大災害をこうむり今の今までまだなお大欺瞞をつづけて来ていた あぁ情けない ようしかくなる上は しっかりするぞと声を挙げて欲しいと思います。

 たぶん くだらんと言って切り捨てつつ まぁそんな場面のあらまほしきかもと思ってくだされば ありがたいという投稿でした。ありがとうございました。

投稿日時 - 2011-04-24 20:28:27

お礼

ご回答ありがとうございます。

>過去の欺瞞をすべて飲み込み自分の不甲斐無さを陰で泣き怒りつつ顔には見せず ただいまの復旧・復興にみなともに手をたずさえて尽力しましょう。とのみです。

はい、よくわかりました。

> わたしの単細胞ぶりは はこぶるさんは ご存じでしょう。

ご謙遜でしょう。^^;
みんな困りますよ。

>原発だけです 問題は。

根本問題ですよね。

> もしこの事故処理を乗りこえ復興全般をうまく達成したときには みんな 今よりは賢くなっていると思いますから あらためて原発問題についてよい知恵が出されその話し合いも民主的にできるようになると踏んではいます。

わたしは、あまり楽観視していません。
まだ経済云々の勢力は強そうです。
ただ、経済とひとくち言っても命綱であることはありますから、ないがしろにするわけにもいかず、兼ね合いが難しいのでしょうね。

> ですから 住民の一人ふたり三人が あぁおれは原発問題ではばかだった いやちっとは知っていた それなのにこの大災害をこうむり今の今までまだなお大欺瞞をつづけて来ていた あぁ情けない ようしかくなる上は しっかりするぞと声を挙げて欲しいと思います。

わたしの考え方と全く附合します・・・。
だから、というわけではありませんが、くだらん、ということにはなりませんよ。^^
今回の応質が、どのように考えればしっかりと欺瞞を越えられるのか、という一助になればいいのですが。
  

投稿日時 - 2011-04-24 23:24:48

ANo.49

>お上や権威というものに本当に弱いんですよね、日本人は。
>こと原発に限らずそうだと思うのですが、この従順なる精神というものはどこから来るのでしょう。
>鎖国時代が長すぎて、その間に天皇を頂点とする身分制度があまりに定着しすぎた残滓なのでしょうかね。
>美徳とばかり言って喜んでいられない側面が露呈しているような気がします。

このことは、hakobuluさんにとっても、特に大きな問題意識なのですよね。
日本人には伝統的に、学問や教養というものを重要視してきた国民共有レベルの価値観があると思います。外国から流入した知識や文物などを高く評価し、積極的に とり入れてきたことにも窺えることです。その基本に加えて、
「天皇制」という制度。これは、以前から私も、日本人の国民性を理解するうえで、非常に重要性を孕んでいると思っています。つまりは、「安保」と通底する問題を潜めているのだなと思っています。

また、自分たちの「身代わり」(人柱など)となったものを、(実は皮相的なものなのかもしれないですが)ある種の、いわゆる「聖性」を与えて敬い崇める風習がありますね。このへんは、ちょっとキリスト教を連想させますが。。。
ということは、反面で、徹底的な弱者(その 半面 は強者)を好む性向にも繋がっているのかもしれません。徹底的な、というところがミソですかね。
これって日本人に特有のものか どうなのか分かりませんけれど。

>『福島第一原発の耐震性を考慮する際、東京電力が地震を起こすことがないと認定していた断層が東日本大震災後に起きた地震で活動したことがわかった。経済産業省原子力安全・保安院や原子力安全委員会も東電の見解を追認していた。』
>まず、東電に認定させるということ自体が根本的な誤りでしょう。

ええ、そうなんですが、東電認定というのを、学者や専門家に置き換えても、結局 同じことになり得るのではないかと。

>目先の欲
>曖昧でいいや、という一種の人生に対する投げやりな部分

この「曖昧でいいや」というところに、私は、一種の「信仰」的楽観性を見るのですけれどね。

>自身との折合いがついていない、というのが実は本当のところで、しかも一般的なことなのかもしれない、という。(それが哲学カテに質問した意味でもあると思っています)

「折り合い」と おっしゃいますと、やはり、「納得」のことでしょうか。

>>そうなると、必然として、消極的な選択にならざるを得ないでしょう。つまり、「原発なら、つくらない」。

>では消極的すぎる気がします。
結局、何か経済性やら利便性やらで不満が再燃した際に元の木阿弥に戻ってしまうようね、そんな気もするわけです。

そうですね。。。
「原発なら、つくらない」と選択したことの一面では、その時点においては消極的と言えるんですが、しかし、これを転換点として、別様の方向へ向けての積極的選択とすることも可能だと思います。それこそが、これからの課題だとも思います。

>難しいのは特権階級を倒した者が時期特権階級に居座ってしまったりすることもよくあるということ

一揆と同じく昔からある、「下剋上」というやつですね。
絶対に、「居座ってしまったり」こうはならない、というわけに いかないのでしょうかね。。。

エジプトでしたか、政変後、学校の給食に出されるミルクに、イチゴ味やらチョコ味やらも加えろとかいう要求のデモも起きたとか(苦笑)

参考URLのブログも御覧になってみてください。私の好きなブロガーさんの お一人ですが、hakobuluさんも共感を感じられるかもしれません。
『われらの罪深きまどろみ』

参考URL:http://09moonrose.iza.ne.jp/blog/entry/2240568/

投稿日時 - 2011-04-24 10:27:07

お礼

引き続きお礼申し上げます。

>「天皇制」という制度。
>つまりは、「安保」と通底する問題を潜めているのだなと思っています。

頼る、寄りかかるという要素から見るとそうなのかもしれませんね。

>自分たちの「身代わり」(人柱など)となったものを、(実は皮相的なものなのかもしれないですが)ある種の、いわゆる「聖性」を与えて敬い崇める風習がありますね。このへんは、ちょっとキリスト教を連想させますが。。。

この場合の聖性とは一種の懺悔なのでしょうね。
過剰な高みに相手を持ち上げることで、申し訳なさなり罪悪感なりを払拭しようとする無意識でしょう。

>ということは、反面で、徹底的な弱者(その 半面 は強者)を好む性向にも繋がっているのかもしれません。徹底的な、というところがミソですかね。

弱者を好むのは多様な意味でですが、相対的な生き方でしょうね。
強者に対する場合は基本的には防衛機制の一種と捉えています。

>東電認定というのを、学者や専門家に置き換えても、結局 同じことになり得るのではないかと。

その可能性は否定しません。

>この「曖昧でいいや」というところに、私は、一種の「信仰」的楽観性を見るのですけれどね。

#25でもおっしゃっていたことですね。
この点はかなり興味深く受け止めています。

>「折り合い」と おっしゃいますと、やはり、「納得」のことでしょうか。

ほとんど同じ意味で使いました。

>エジプトでしたか、政変後、学校の給食に出されるミルクに、イチゴ味やらチョコ味やらも加えろとかいう要求のデモも起きたとか(苦笑)

そうなんですか。
メイドにミルクを与えてはいけない。ビスケットは無いのかと言うようになる。
という諺?がアメリカだったかにあるようですが、必要性の高いのはどちらでしょうか。^^

>『われらの罪深きまどろみ』

拝見して共感しました。
ブログのタイトルが面白いですね。^^
長い間お付き合いいただきありがとうございました。

  

投稿日時 - 2011-04-24 22:47:12

ANo.48

それにしても、川崎でのゴミ騒ぎ、あれも、私に言わせれば、やはり身も蓋もない自分可愛さが如実に出てたなあとも思います。
私なんかは、同じ国内、国民どうしなんだから、こういう場合、敢えて、こちらも引き受けるというのもアリかなと思ってたくらいなんですが、やはり、ふつうの賢い人は、いよいよ自分自身の身に降りかかりそうになったら初めて騒ぐんですよね。

しかし、先日、紹介いたしました福島ご在住のブロガーさんは、「原発を引き受けてやった」福島に世話になったはずではないかという主張を お持ちのようです。

『大馬鹿達の「原発反対デモ」』
http://kohichi.iza.ne.jp/blog/entry/2235319/
『原発内でなきゃ被曝しねえョ』
http://kohichi.iza.ne.jp/blog/entry/2222680/
『放射能?美味けりゃ良いの!』
http://kohichi.iza.ne.jp/blog/entry/2219322/
上記のエントリーと、
こちらのかたの、このエントリーは、ある意味、対照的です。
『中部大学 武田邦彦氏の警告』
~農作物が売れなくなって農家の方は大変でしょうが、魂のある農家の方なら自分の作ったもので消費者が健康を害することを望むでしょうか?~
http://flamenco-luna.iza.ne.jp/blog/entry/2253088/

本当に難しいです。

>いじめ問題同様、教育者は子供を守る者、ということすら(事実ではなくて)神話になっている側面が浮き彫りになっています。

この問題については、他のブロガーさんが、お子さんのことで、学校内外を めぐっての お悩みが深刻らしく、これまで何度か意見を遣り取りしてきました。
まあ、一事が万事の社会情況なんですよね。

>記事の内容も重要ですが、わたしとしてはむしろ、「外部への影響はない」だけで記事を終わらせているこの新聞社の姿勢のほうが怖いと感じましたね。

そうなんですけれどね。
報道機関と、権力側との癒着ということは さて置いても、結局、報道記者個人にしても、専門家筋に、こうですよ、と言われたら、それ以上ツッコムだけの知識もないでしょうし。体よく利用されてしまいやすい大きな原因の一つではあるでしょう。

「フェア」なるものとは、余計な自己利欲を掻く者とは、根本から相容れないと思います。
そうして、「大欲は無欲に似たり」となりかねないわけです。。。

「京大の科学者6人衆」を挙げられました。
学者・専門家と言いましても、ご承知のように、スタンスの違いがあるわけですが、困ったことには、本当のことを言う人ほど、いわゆる「干される」という立場に追いやられてしまうらしい、それは つまり、権限行使の場から遠ざけられてしまう、という現実情況ですよね。ここを どうにかしないことには、と思うのですが。。。
報酬などを、庶民並みにグンと低くしておきますかね(笑

すでに御存じかもですが、最近も、こういう話題が あがりました。

『福島第1原発「ババ引くのは作業員」嘆く下請け社員』
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110421-00000008-mai-soci

『英誌「雨ニモマケズは東北の美徳だが」』
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/europe/503670/

投稿日時 - 2011-04-24 10:07:23

お礼

ご回答ありがとうございます。

>川崎でのゴミ騒ぎ
>こういう場合、敢えて、こちらも引き受けるというのもアリかなと思ってたくらいなんですが、やはり、ふつうの賢い人は、いよいよ自分自身の身に降りかかりそうになったら初めて騒ぐんですよね。

こちらも欺瞞の一種でしょうね。
放射線の基準と数値の公開があまりにもないがしろにされている結果のような気もします。
これが欺瞞を増幅させる結果につながっている。

>先日、紹介いたしました福島ご在住のブロガーさんは、「原発を引き受けてやった」福島に世話になったはずではないかという主張を お持ちのようです。

たとえば、
⇒こんな時に集会抗議するってのは「風評被害を煽る」って話。

ですね。
わたしは「東大教授はかけ算ができない」という警告のほうが論理的という気がします。
いずれにせよ、これも「放射線の基準と数値の公開」の重要性に無頓着な政府の無策がもたらしている混乱のひとつと言えるでしょう。

>専門家筋に、こうですよ、と言われたら、それ以上ツッコムだけの知識もないでしょうし。

こういう記者を使うこと自体がマスコミの使命放棄ではないか、とわたしは思いますよ。^^

>、困ったことには、本当のことを言う人ほど、いわゆる「干される」という立場に追いやられてしまうらしい、

どうもその傾向は顕著なようで。
「>本当のこと」が何かにとっては都合の悪いことなのでしょう。
何を求めてどこへ行こうというのか、ビジョンがあるものやらないものやら・・・
>報酬などを、庶民並みにグンと低くしておきますかね(笑

子飼いの御用学者なり文化人?なりの報酬も公開性にすると意図がわかりやすくなるかもですね。


⇒厚生労働省は通常規則に基づき「100ミリシーベルトを超えると5年間は放射線業務に就けない」とする一方、作業員の被ばく線量を一括管理する文部科学省所管の財団法人は「通常規則とは全く別扱いとする」と違う見解を示し、手帳への記載法も決まっていない

⇒英誌エコノミストの最新号は、東日本大震災で東北地方の被災者は東京電力や政府の無策で過大な我慢を強いられていると分析、岩手県出身の詩人、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を引いて「我慢強いのは東北人の美徳だが、我慢のしすぎは良くない」と不満の声を上げるよう呼びかけている。

という記述が印象に残りました。
  

投稿日時 - 2011-04-24 21:06:12

ANo.47

ただの挨拶のことにまで お気遣いいただいて(笑
私自身も、もともとは欠かさなかった挨拶を、ある考えから、ここでは、あえて省くようにしていたのですが、もとのようにするときは、それなりの判断あってのことなのです。

>ブログプロフィールの白雪姫さんは、とてもかわいいですね。

あら、見られてしまいましたか;ーー最近、画像を とり替えたんです。
トシがいもないことで、照れますが、もともと自分の本名などに ちなんでのネーミングでもあるんですけれど、これにも何かと煩くケチを つけてくる手合いもいるもので、まるごと違うものに変えてしまおうかとも思いましたが、「noname」などと、このうえなく無味乾燥の そっけないハンドルでも、やっぱり嗤う者は いるんだからと、もう放ってあるのですよ(笑

さて、今回の連続投稿で打ち止めといたしましょうか;^^A

>1.『銭がらみの「避難勧告基準」』
  ⇒最終的に「想定外と言えば何でも許されると思う狂った感覚」に疑問を覚えます。

>「想定しなかったという責任」はない、という認識がおかしいでしょう

この、ご尤もな御意見にさえも、真っ向から反対の見方をする人もいるのですが、
問題は、「想定」の基準に上限を設けないことには、どうしようもないという現実ですね。

>「銭をもらったから仕方ない」と該当地域の【住民自身】が言えるほど、補償金を思い切りふんだくっておくような姿勢

これも、簡単な話ではないようだと。
どうしたって、今さっき述べた「想定の基準」に左右され、引きずられることじゃないですか?
「半端でない額」って、どのくらいでしょうか。
原発立地域住民のなかには、家が一軒建つほどの金銭を手に入れた人もいるそうですが、これを「ハンパない大金」と呼ぶべきかは分かりませんけれど、そのためといって、ひとたび「現実の最悪事態」となれば、どこまで受け入れられるか。。。

>政府は、事故が起こった後の補償金額も試算して準備する。
>そのために増税せざるを得なくなるほどの補償金を要求すべきです。

そこまで行くなら、いっそ、最初から諦めるでしょうか。
今現在、復興予算絡みで消費税アップのことが再論議を呼んでいますけれど。

原発を めぐる問題にも、過去からの地域格差のことが潜在的に影響しているのでしょうね。

>「譲れないもの」とは、生命体としての基本的な安全確保だとか、人としての矜持といったような意味で使ったのですが、つまり、それを譲ってしまった自身への怒りでもあると
>無意識的にはですが。

ならば、無意識的にせよ無自覚であるにせよ、いまになって怒っているとすれば、事前には譲ったつもりなどなかった、ということになりませんか?
他の回答者さまにも おっしゃっている、

>彼のあの怒りは、半分は自身に対してのものだという私には確信に近い推測が湧きます。

一般住民と全く同じ心理ということもないと思いますので、どうなんでしょうか。一応、地域では「エリート」側、「権力側」に属する知事の その「怒り」のパフォーマンスは、それこそ、地域住民に向けた、「保身」込みか?とも思ったんですが。。。


プルサーマル計画大詰め 佐藤栄佐久前福島知事に聞く【国民関与の仕組みを 再処理工場操業が前提】
福島県の東京電力福島第1原発(大熊町、双葉町)と宮城県の東北電力女川原発(女川町、石巻市)でのプルサーマル計画をめぐる議論が、両県で大詰めを迎えている。福島県は1998年、全国で初めてプルサーマルの受け入れを表明し、2002年に撤回した。当時の知事で、国の原子力政策に地方から警鐘を鳴らし続けた佐藤栄佐久氏に、原子力と地域とのかかわりなどを郡山市の自宅で聞いた。~
http://lailai-hanyu.at.webry.info/201103/article_3.html

しかし、先ごろの選挙では、こういう結果でした。
『原発県の現職知事「安全対策」強調し再選』
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/localpolicy/501827/

『風力発電で原発40基分の発電可能 環境省試算』
(新しいURLに移動していましたので、【参照URL枠】に貼り変えておきます。)
だいたい、この試算にしても、いつから やり始めたのか?と一読して私は思いました。
いままでは、「原発が第一」という前提で、やはり手抜きしてたんですかね?

>なめられない、なめさせないようにどう心構えるか、という方策について少しだけでも考えるべき機会の到来なのかもしれません。

これは間違いなく そうでしょうね。
「平和ボケ」と呼ばれる日本人は、長いこと「麻薬入り飴玉」でも しゃぶらされていたんでしょうか(苦笑)

参考URL:http://www.asahi.com/eco/TKY201104210510.html

投稿日時 - 2011-04-24 09:03:09

お礼

ご回答ありがとうございます。

>問題は、「想定」の基準に上限を設けないことには、どうしようもないという現実ですね。

おっしゃるとおりです。
その意味でいずれ全廃するべきです。
今は負の遺産というべきか、負の成果というべきかこの後始末を最小限の被害でなんとか将来的にも食い止めることを考えるしかないようです。

>「半端でない額」って、どのくらいでしょうか。

原発には経済効果がない、と全ての国民が認識するほどにです。
ただ、これはやけのやんぱちで言う無理押しではありません。
実際、それだけのものが懸かるはずなのです。(と思います)
人間の命の重さに差を付けるべきではないのだとすれば、です。
この点に目をつぶっているのでしょう、現状では。

>原発立地域住民のなかには、家が一軒建つほどの金銭を手に入れた人もいるそうですが、これを「ハンパない大金」と呼ぶべきかは分かりませんけれど、そのためといって、ひとたび「現実の最悪事態」となれば、どこまで受け入れられるか。。。

おとなしすぎます。^^;
たとえば、防波堤の高さのみならず厚さも数倍にさせる。(不必要に高いと却って危険ですが)
また、災害発生時における高額補償金を【あらかじめ】提示、約束させ、国民にも明示する。
避難する必要がある場合の避難先としての国有地を【あらかじめ】確保させる。
また、今やっと課題になりましたが、災害時避難検討区域を30KM圏内などと言わずに、もっと広げ、その範囲の住民に対しても同様の補償を準備する。
まだまだ、いくらでもあるはずです。
それに、外国などに対する補償・賠償なんかも考える必要があるんじゃないですかね。
決してクリーンでないこと明らかになったと思いますが、経済的ではないことが明確になれば誰も使おうとは考えなくなるでしょう。
そう思わなくても【済む】人の良さが事故を当然の結果として生んでいるわけです。

>そこまで行くなら、いっそ、最初から諦めるでしょうか。
今現在、復興予算絡みで消費税アップのことが再論議を呼んでいますけれど。

個人的にはそう願いますが、別にそのための方便というわけではありません。
事後にこうした復興予算を考えるという、それが甘さであり欺瞞であるだろうと思うだけです。

>ならば、無意識的にせよ無自覚であるにせよ、いまになって怒っているとすれば、事前には譲ったつもりなどなかった、ということになりませんか?

建前的にはそうだったのでしょう。ただ、
「譲っちゃいかん線だよな・・・でも、ま、いっか・・・こんなにくれるんなら・・・まして専門家先生が安全と言っているんだから・・」といった感じはあったように思うのです。
その予測が外れて怒り嘆く、という線は(少なくとも賛成派には)あるのでは。
しかし、これが当てはまらない方も大勢おられるでしょうね。
あくまで欺瞞の構造としてはこういう感じかな、とうことです。

>一応、地域では「エリート」側、「権力側」に属する知事の その「怒り」のパフォーマンスは、それこそ、地域住民に向けた、「保身」込みか?とも思ったんですが。。。

なるほど。
欺瞞というよりあざとさですか。
その可能性もあるでしょうね。
合わせ技一本ということにしておきますか。^^;

>『風力発電で原発40基分の発電可能 環境省試算』
(新しいURLに移動していましたので、【参照URL枠】に貼り変えておきます。)

助かります。^^

>だいたい、この試算にしても、いつから やり始めたのか?と一読して私は思いました。
いままでは、「原発が第一」という前提で、やはり手抜きしてたんですかね?

そうなんでしょうね。
色々教えていただいたように巨大な利権が幾重にも絡んでいるのでしょう。
フランスの食い込みが深くならないうちに脱却したいところです。

>「平和ボケ」と呼ばれる日本人は、長いこと「麻薬入り飴玉」でも しゃぶらされていたんでしょうか(苦笑)

まあ、自戒を込めつつですが、そういう傾向はあるんじゃないですかね・・・。
  

投稿日時 - 2011-04-24 22:09:21

ANo.46

 No.56です。

 ていねいなご返答をもらって ますます恐縮ですが それではとわたしに思いが起こるのならば お応えしておくのがよいかなと思いました。

 ふたつありました。

 ★ ~~~~~
  >あとは われわれの町や村に原発を受け容れたのであるから 事故が起これば〔あとは〕処理作業が最後までうまく行くように応援していますので どうか胸を張ってお仕事に従事していただきたい 
 :
 と被災者が言えるためには、タイトルにもしたのですが、「原発事故が起こっても仕方がない」と言えるだけの納得を【事前に】している必要があると思うのです。
 ~~~~~~~
 ☆ これを・そこのところを 事後承認に代えて避難民の方々は 澄まして そしてどうどうと言って欲しいように思いました。

 ★ ~~~~
  >福島県知事は 菅さんや清水さんに対して 踏ん反り返り過ぎ。ではないでしょうか。
 :
 彼のあの怒りは、半分は自身に対してのものだという私には確信に近い推測が湧きます。
なぜ危険性をもっと精査しなかったのか。うんぬん。
 ~~~~~~~
 ☆ これを・そこのところを やはり澄ました顔で そしてどうどうと腰を低くして相手が気持ちよくしかるべき仕事に精進することができるように ふるまって欲しい。こう思いました。

 
 せっかくのここまでの熱心で精魂を傾けて来られたやり取りに水を差すような物言いのような投稿で 恐縮の到りながら・・・。(でも 心つもりは大きくひとつであると思いつつ)。

投稿日時 - 2011-04-24 00:33:33

お礼

ご回答ありがとうございます。

bragelonneさんのご回答は一見すると、今回の事故後に関する、つまり現況に対するご感想を述べておられるような文面ではありますが、そうではないと解釈してコメントさせていただきます。
それはそれで大事なことですが、質問の意図とは離れてしまいますので。
端的に言うと、この事故処理をどのように、あるいはどういう心構えで行なうべきか、ということは当実門ではあくまで二義的な事柄です。
今回の質問趣旨は、
『今後、同じ事故を繰り返さないために、あるいは、被害を可能な限り小さくするためにはどのような心構えなり対応なりが必要になるか。また、そのために有効な思考・方策はどういったものか』
ということになると思います。

同じことを繰り返すようで恐縮ですが、
事故後に「>澄まして そしてどうどうと」言うためには、
事故前にすでに「原発事故が起こっても仕方がない」と言えるだけの納得をしている必要があると思うのです。
この点が曖昧なまま受け入れていることを欺瞞とわたしは判断せざるを得ませんし、実際そうでしょう。

たとえば、過去の最大津波が9メートルという場合。
「では10mの堤防を作りましょう」で納得してしまうわけです、現状では。
仮に12m、15mが来たら、どのような被害が実際に降りかかるのか、ということについて検証しようとしない。
緻密に検証すれば、20mの堤防でなければ「仕方がない」とは言えなくなるはずです。
実際にあった例では、過去最大津波の倍の高さの堤防を強引に(避難を受けながらも)実現した自治体の長がいたようです。
そして、実際、そのために難を免れた。
今は、〇億円の補助金も入るわけだし、10mで安全と専門家が言っているのだから妥協しとこう。
といったような感覚じゃないでしょうか。
あくまで一例なのですが、上のようなケースの場合、10mの堤防で妥協したのでは仮に事故が起きた場合、
「>澄まして そしてどうどうと」仕方がない、とは言えないように思われます。
ここに欺瞞が隠されていることに自ら気づいてないのだと思います。
そして、この欺瞞に気づかない限り、また同じことが繰り返されることは明白でしょう。

とは言っても、実は無意識ではそのことを感じてはいるはずです。
事故に直面して、気づかされた(=無意識領域に閉じ込められていた欺瞞が浮上してきた)ということは言えます。
つまり、この欺瞞の隠蔽という、もしかすると無意識の作業かもしれないものを意識化することによって、(むろん、事故が起こる前、つまり通常稼動の段階で)欺瞞を乗り越えるということが必要になると思うわけです。
このことによって、想定される、というより想定すべき被害というものを正面から受け止め対策を講じる方向に踏み出せるはずだ。
このように思います。

> ☆ これ(=「原発事故が起こっても仕方がない」)を・そこのところを 事後承認に代えて避難民の方々は 澄まして そしてどうどうと言って欲しいように思いました。

とのことですが、これは、確かに「美しい姿」のように見受けられます。
言ってみれば「矜持を保ってほしい」ということですよね。
そう言って「≫欲しい」という点では全く同感です。
>水を差すような物言い

とは全く思いません。
自らの欺瞞に気づかないまま美しい矜持(と勘違いするもの)を保ったとしても、再び同じことが繰り返されるでしょうし、このことを否定なさるわけではないでしょうから。
そうならないためにはどのような心構えで望むのが妥当であろうか・・・。
といったようなことを考えてみたい、教えていただきたい、という質問趣旨でした。
  
>☆ これを・そこのところを やはり澄ました顔で そしてどうどうと腰を低くして相手が気持ちよくしかるべき仕事に精進することができるように ふるまって欲しい。こう思いました。

福島県知事のことに関しても同様ですが、「>ふるまって欲しい」というご感想を述べられたにすぎないでしょうか?
であればわたしも全く同感です。
ただ、なぜそうできないのか、という点を検証することが【今後の適切な対処法】を探る上で必要ではないか、と考えるわけです。
それとも、原発問題を有効に検討するための何らかの意図がおありになるのでしょうか。
あるようでしたらお示しいただき参考にさせていただければと切に望みます。

単に
>仕事に精進することができるように 

というだけの意味ではないと思いますので。
    

投稿日時 - 2011-04-24 19:47:46

ANo.45

 はこぶるさん こんばんは。

 おおむね賛成ですし この原発ということで特にこれと言って考えたり調べたりして来ていませんので 読者として参加していました。ただし あまり熱心だったとも残念ながら 言えません。(いま この種の話をなぜか――なぜか です――したくないという気持ちがあるかも分かりません)。

 ふと思ったことを投稿したいと言うそれは けっきょく被災者と東京電力また政府・自治体が同じ姿勢ですすみ行くことが大事なのではないか。これです。
 被災者の方々は どうどうとして 事故処理にあたる人びとに われわれもつらいし あなたがたもきびいし作業である どうか気をつけて作業をして欲しい きちんとしっかりと安全を取り戻して欲しい 当面の生活のための保障は欲しい あとは われわれの町や村に原発を受け容れたのであるから 事故が起これば〔あとは〕処理作業が最後までうまく行くように応援していますので どうか胸を張ってお仕事に従事していただきたいとでも言ってやって欲しい。 

 福島県知事は 菅さんや清水さんに対して 踏ん反り返り過ぎ。ではないでしょうか。

 質問ヨゴシであったかも。ゆるされたし。

投稿日時 - 2011-04-23 21:59:48

お礼

こんばんは。

何かとお忙しい中、お立ち寄りいただきありがとうございます。^^;

> この原発ということで特にこれと言って考えたり調べたりして来ていませんので 

いや、それはわたしも同じですよ。
全くの勢いのみ!という危うい感覚でして、みなさんに助けていただいているところです。

>けっきょく被災者と東京電力また政府・自治体が同じ姿勢ですすみ行くことが大事なのではないか。

そうできればどれほど良いでしょうね。
ただ、それぞれがどういったスタンスで今回の事故を受け止めているのか、ということを推測してみると、どうも「>同じ姿勢」になるためには、それぞれの生き様に対する相当の軌道修正が必要になるような気もしてきませんか。

>あとは われわれの町や村に原発を受け容れたのであるから 事故が起これば〔あとは〕処理作業が最後までうまく行くように応援していますので どうか胸を張ってお仕事に従事していただきたい 

と被災者が言えるためには、タイトルにもしたのですが、「原発事故が起こっても仕方がない」と言えるだけの納得を【事前に】している必要があると思うのです。
現在の日本では、この点がなおざりにされている(いた)ように思います。
「>われわれの町や村に原発を受け容れたのであるから」と「>どうどうと」言えるだけの覚悟がないままに原発を受け入れているわけです。たぶん。

原発受け入れを自らに納得させる根拠となっていたのは、おそらく政府や東電がなしたであろう口先だけの「安全保障」なのだと思います。
それと、何より、事故が起きてみればあまりにみみっちい額であることを改めて実感しているに違いない補償金でもあったことでしょう。

原発の危険性は薄々は(反対派はもちろん明確にですが)わかっていたはずなのです。
ただ、わたしとしては、やはり何らかの利権絡みでなければ原発を地元に引き受けようなどと思うわけがない、と考えています。
そして、最終決定者は知事であったと思うのですが、結果的に一般庶民ひとりひとりが直接選挙で選出した長なわけです。
つまり、該当地域の住民は、金で原発を受け入れた、というのが本質に違いはないはずです。
こういった点にはいっさい触れずに、政府・東電のみを悪者扱いするの不条理ではないかと考えます。
政府・東電は悪くないと言うのではありません。
そのように仕向けたという、ある意味での教唆犯と言っていいとわたしは思っています。
このように、今回の事故の本質は相互的な欺瞞性が露呈したものと言えます。
欺瞞とは隠すことですが、隠し切れないものが必然的に噴出しただけです。

政府・東電の欺瞞性を改善することは無理です。
彼らは一般庶民が変わらなければ、また欺瞞のベールで保身を図るに決まっているからです。
なぜなら、一般庶民がそれで良いと肯がっているものを、わざわざ否定してまで進むべき正しい道へと導いてくれるような超自我的役目を彼らは負っていないからです。
ブラジュさんに言うには陳腐な言葉ですが、あくまでこの庶民あってのこの政府この企業ということでしょう。
いずれにせよ、一般人の心構えが変わらなければ根本は変えられない、と思うわけです。
その方法論について問うたわけですが、
>おおむね賛成ですし

とご賛同いただき心強い限りです。
各論としてはまだ多様な問題があるでしょうが、とりあえずということで。

>福島県知事は 菅さんや清水さんに対して 踏ん反り返り過ぎ。ではないでしょうか。

彼のあの怒りは、半分は自身に対してのものだという私には確信に近い推測が湧きます。
なぜ危険性をもっと精査しなかったのか。
今から思えばわずかばかりの補償金に目がくらんで、県民の安全と、自らの矜持を犠牲にしてしまった、その自らの愚かさに、おそらく腹を立てていると私は考えます。

危険性の精査をするためには、安全基準ではなく、むしろ危険基準、つまり、安全基準が崩れた場合を想定する必要があるのであって、そのためには、
「ここまでやったのだから安全」ではダメで、
「ここまでやってだめなら仕方がない」と宣言することで、その仕方のない結果として一体どのような被害が想定されるのか、ということを詳細に至るまでそれこそ堂々と広く明示しておく必要があると思うわけです。
具体的で詳細な被害想定が明確に示されることで対策はかなり万全の方向に傾くのではないでしょうか。
長期的には全廃をむろん目指すべきと思います。
      

投稿日時 - 2011-04-24 00:06:11

ANo.44

こんにちは。いつも拙文に忍耐強くお付き合い下さり有難うございました。
締切間近とのこと、いただいたお礼に対する若干の補足をご容赦下さい。

>ワインセラー
>ただ、先立つものが・・・。^^
>やはり税金を払っている先に対して、その使い道を有意義にせよ、と伝えていくしか貧乏人に道はないかもです。

はい、私がシェルターをワインセラーと称したのは、ご推察の通り、過去の冷戦の産物であり現況に必ずしも即していないという意味合いを込めたからです。
やはり荒唐無稽過ぎました。私自身も書いていてちょっとキツかったです。あほですね。^^

ただ、軽はずみにふざけて書いたつもりではないということだけはどうか信じて下さい。
安全保障の観点から原発の危険性を語っているつもりでしたから。

3.11の日付から私は9.11の日付をふと思い浮かべました。
たしかテロリストがハイジャックして東部辺りの原発に向かっていて、乗客等の英雄的行為で未然に墜落を防げたと聞き及んでおります(間違っていたらごめんなさい)。
最悪、当時の大統領は緊急避難的に旅客機の迎撃命令を円滑に出したはずです。

一方の我が国の場合、たとえば北からのミサイル迎撃や旅客機テロの場合、マニュアル想定通りに?迅速にトップダウンで危機管理を対処克服できるのかどうか。

どうなのでしょう、
このたびの事故処理を通じても、どうにも危ぶまれる気がするのは私だけでしょうか。
ですので、この国においては、「想定しうる」津波地震対策のみならず、より広汎に「原発の危険性」について語られてもいいのになあと思うのですよ。

ついでながら、声をあげることが第一歩というのであれば、先の川崎市の瓦礫の件でさえも、先んじて不透明さや疑問を問うという点では決して愚かではないのでしょうね。

>しかし、舵を逆に切るときは大目に操舵輪を回さざるを得ないような気もします。

はい、津波地震大国であること、先に申し上げた国のトップの危機管理の心許なさという点からも、やはり今まで通りの原発推進策というわけにはいかないだろうと私も思っております。
最初に会津の叔母を想定して再生復興をと申し上げた点につき、このような意味合いとは違うということを是非ともご理解いただけますでしょうか。

このたびの事故を通じ、質問者様が仰る通り、バイオマスをはじめとして今後原子力に偏らないあるいは頼らないエネルギー政策が切実に期待されています。
その実、戦後の日本において、アメリカに比較的介入されず従属せずに独自路線を歩んできた唯一の戦略がこのエネルギー安全保障政策(油田開発と原子力)でしたよね。
殊に後者の原子力技術(六ヶ所村の処理施設も含め)は国連でも一目置かれていましたし、陸続きの国とは異なり他国からの電力を購入するわけにもまいりません。

自船を優先させて右旋回する面舵いっぱい、といきたいところですよね。
くれぐれも、他国に対する資源依存度を高める=相手の船を優先させる左旋回の取舵いっぱいにならぬようにと心より願わずにはいられません。

最後まで質問者様のご期待に沿えずに申し訳ありませんでした。
ただ、私にとってはとても多くの気付きがありました。特に、

>原発であれ何であれ、危険性のあるものを共有する際には、万が一の核爆発の時にとばっちりをこうむる鳥や草にもあらかじめリスクを詳細に伝えることがフェア

>そういった発想が無いと、人間自体の本当の安全も結局はないがしろにされてしまうことになるのでしょうね。
>つながってないと何故思うのか。

以上がとてもとても心に残りました。
みなさまどうも有難うございました。

追伸:北海道の風評被害が一刻も早く収まりますように。
そして観光産業が復興することを心より願います。
ここ1か月以上、農産物の出荷産地にどうしても目がいってしまいます。
そんなこんなで、いつにもまして、北海道産に憧れが募り食意地が張っているのです。^^

投稿日時 - 2011-04-23 16:17:29

お礼

こんばんは。
ご回答ありがとうございます。

>やはり荒唐無稽過ぎました。

いえ、そんなことはありません。
フランスの香りがしましたよ。^^;
ワインセラー(日本なら生貯蔵酒セラーでもいいですよね)的な感覚で原発をサラッと受け流すのもまた粋なものなのでしょうが、何しろ目に見えないので、そして、過去の実績・検証事実から、やはり危険対象として扱わざるを得ませんよね。

>ただ、軽はずみにふざけて書いたつもりではないということだけはどうか信じて下さい。
安全保障の観点から原発の危険性を語っているつもりでしたから。

了解いたしました。

>3.11の日付から私は9.11の日付をふと思い浮かべました。

これはわたしも感じていたことです。
偶然にすぎないのですが、一致しているという事実は事実ですし、その点に着目してしまうのは致し方ないようです。
何らかの因果関係に結び付けようとするようになるとまた問題ですが・・・。

>たしかテロリストがハイジャックして東部辺りの原発に向かっていて、乗客等の英雄的行為で未然に墜落を防げたと聞き及んでおります(間違っていたらごめんなさい)。

そのようなことをテレビで言っていたようにわたしも記憶しています。

>最悪、当時の大統領は緊急避難的に旅客機の迎撃命令を円滑に出したはずです。

そうかもしれません。
当カテの他の質問にもそれに関連するような質問が出ていますが、多数を救うために少数を犠牲にすることに関する妥当性の問題ですね。
是非を問う場にはできませんが、実際問題として選択を迫られる立場というのは、どういう心境になるものでしょう。

>一方の我が国の場合、たとえば北からのミサイル迎撃や旅客機テロの場合、マニュアル想定通りに?迅速にトップダウンで危機管理を対処克服できるのかどうか。

良くも悪くも他国の傘頼みですしね。
迎撃機能の効果は殆んど期待できないというのが通説のようです。

>このたびの事故処理を通じても、どうにも危ぶまれる気がするのは私だけでしょうか。
ですので、この国においては、「想定しうる」津波地震対策のみならず、より広汎に「原発の危険性」について語られてもいいのになあと思うのですよ。

なかなか鋭い突込みをされますね。
見直しました。^^;
「想定し得る」の「得る」は可能性なわけですが、みなでこの可能性を低く見せよう、あるいは思おう、としているわけで、それがまさに欺瞞性なのでしょう。

>ついでながら、声をあげることが第一歩というのであれば、先の川崎市の瓦礫の件でさえも、先んじて不透明さや疑問を問うという点では決して愚かではないのでしょうね。

これまた鋭い。
同感です。
「>先んじて不透明さや疑問を問う」ために、後だしでも声を挙げる必要はあると思います。
ただ、後で言って何らかの対応をしてもらい、それで「よかった・・・」と考えるようでは、先の回答者の方ではありませんが愚民と呼ばれても致しかたない、ということになるのでしょう。

>最初に会津の叔母を想定して再生復興をと申し上げた点につき、このような意味合いとは違うということを是非ともご理解いただけますでしょうか。

はい。
mashumaro3さんの真意は、よ~くわかるようになりました。
わたしの誤解を解くべく、ご説明を重ねていただき感謝しております。

>その実、戦後の日本において、アメリカに比較的介入されず従属せずに独自路線を歩んできた唯一の戦略がこのエネルギー安全保障政策(油田開発と原子力)でしたよね。
。殊に後者の原子力技術(六ヶ所村の処理施設も含め)は国連でも一目置かれていましたし

そのような背景もあったのですか。
全然疎くて・・・。^^;

>自船を優先させて右旋回する面舵いっぱい、といきたいところですよね。
くれぐれも、他国に対する資源依存度を高める=相手の船を優先させる左旋回の取舵いっぱいにならぬようにと心より願わずにはいられません。

はい。
それがベストだとわたしも思います。

>そして観光産業が復興することを心より願います。

原発に対して根本的な対応が為されるまでは難しいでしょうね。
泊原発でも先日訓練が行なわれました。
津波で通常電源が使用不能になったという想定で、あらたに導入した移動式電源車を使用した訓練です。
消防士みたいな人たちが普通の格好でホースをつないだり、一生懸命放水をしたりしていました。
「放射線が流出したら?」というインタビュアーの問いに、北電幹部は、
「それは、これから考えるところです」
と答えていましたよ。?????^^;
何の訓練だったのかな・・・?????
お後がよろしいようで・・・、いやよくないだろっつうの!
ですよね・・・。^^;  

投稿日時 - 2011-04-23 23:00:35

ANo.43

「力なき正義は無能であり、正義なき力は圧制である」
力なき正義は反抗を受け、正義なき力は弾劾を受ける。 それゆえ、正義と力を結合せねばならない。

>正義には正義を守る力が付随している必要がある

正義は有効でなければならない。。。
どうやったら有効化できるだろうか。

自分を選んだ者を信用しないなら、返ってくるのは、やはり「不信」。

科学者を含めた専門家層、指導者層、権力者側に居る者たち、その海千山千がワンサカいる連中相手に、どう、「首根っこをシッカリと押さえておく」か。

まあ、昔から「一揆」というものはあったわけです。

>ネット情報から一国が覆る、いや一国どころではないですよね。

と おっしゃいましたが、
先般、チュニジアからエジプトにかけての政権転覆を、ネットを利用した大衆全体の動きによって実現させたことがヒントになるのかもしれません。あるいは、「ウィキリークス」も、その切っ掛けになる可能性は持っています。その前に、クリアしなければならないことがあるでしょうけれど。。。
(こういったことは、逆に、ネットの力の悪用による影響の甚大さにも要注意であるという、背中合わせの問題を潜めているわけです。ましてや、権力側が、あるいは、権力志向の者が、ノンビリと見逃しているはずがありません。)

地の低い所に少しずつガスが溜まるように、遅かれ早かれ、やがて何らかの かたちを とって、爆発するときが訪れる。そのときになって、特権階級は、力弱き ただのマイノリティと化す。
真偽は存じませんが、アラブ王族たちが、民衆に媚びるような金銭ばら撒きを やり始めたという話も見かけました。


私は、もう だいぶ前から、2、3の理由で、新聞、テレビも見なくなっているのですが、
田原総一郎氏と言えば、尖閣での騒ぎのときのビデオ映像漏洩事件を指して、「知る権利」というコトバでもって称えているらしいことを知り、少し調べてみましたら、wikipediaに、こういう記事がありました。

~著書『私たちの愛』によると、以下のような過激なドキュメンタリーを撮影していた。
~全共闘くずれのヒッピーたちが、全員全裸で結婚式をやることになった。余興として花嫁が列席者全員とセックスをする。スタッフも全裸で撮影していたが、花嫁がスタッフともセックスしたいと言い出したため、田原はみずから彼女とセックスし、そのシーンを撮影させた。この「日本の花嫁」は、ゴールデンタイムで放映された。
当時の東京12チャンネルには「金曜スペシャル」のような過激な番組がゴールデンタイムに放送されていた。~

私は、こうした番組のようなものは、スケベ男が喜ぶだけだろうと思うのみですが(笑)例のビデオ映像漏洩をして「知る権利」を満たしたという彼の見解には賛成できませんでした。

田原さんで思い出しましたが、先回の遣り取りでも出ましたマスコミの問題。
hakobuluさんは、テレビ業界にも、電力会社の おエライ連が雁首並べて食い込んでいるらしいのを御存じでしたか?テレビも電力を大量消費する分野でしたね。


それにしても、尖閣を めぐる騒ぎのときも、結果としてアメリカは、うまいことやったとも言えますね。今回も、抜け目はありませんでした(苦笑)
フランスやアメリカに縁を持つ人たちは、原発に関しても援護射撃こそすれ、事故については口ごもりたくなるのかもしれませんが。。。

もしも、今回の事故が なかったら、わが国は、フランスよりも多くの原発施設を抱えることになったようですね。

先の投稿に示したURLを御覧いただいたら分かりやすいかと思ったのは、
国家のことと、一般国民のレベルとで乖離が生じがちなのは、国家レベルともなりますと、経済の問題、要するに「商売」が絡んでくるからというのも大きいとうことです。
もちろん、経済を疎かにしては運営していけないという現実面は重いですし、経済はダイレクトに国力と繋がります。
が、他国の「商売」に体よく利用されないことと併せ、自分の「商売」の やりかたをも、根本から見直さなければならない時期に来ているかと。それには、自己利益だけの狭い視野では、すぐに限界が来るでしょうね。そのことも、放射能汚染が端的に示していると思います。

投稿日時 - 2011-04-22 15:26:03

お礼

引き続きご回答ありがとうございます。

>まあ、昔から「一揆」というものはあったわけです。

今はさしづめアラブ一揆でしょうか。

>こういったことは、逆に、ネットの力の悪用による影響の甚大さにも要注意であるという、背中合わせの問題を潜めているわけです。ましてや、権力側が、あるいは、権力志向の者が、ノンビリと見逃しているはずがありません。

そうなのでしょうね。

>地の低い所に少しずつガスが溜まるように、遅かれ早かれ、やがて何らかの かたちを とって、爆発するときが訪れる。そのときになって、特権階級は、力弱き ただのマイノリティと化す。

難しいのは特権階級を倒した者が時期特権階級に居座ってしまったりすることもよくあるということでしょうね。
評判の悪い独裁者連中も、往時は革命の英雄だったわけですしね。
チュニジアでは、いま、政権が変わったのに生活が楽にならないといってデモが頻発しているそうです。(テレビのちら見情報ですが)

>(「日本の花嫁」)私は、こうした番組のようなものは、スケベ男が喜ぶだけだろうと思うのみですが(笑)

ノーコメント。^^;

>例のビデオ映像漏洩をして「知る権利」を満たしたという彼の見解には賛成できませんでした。

そうでしたか。
わたしはどちらかというと好意的に受け止めています。

>テレビ業界にも、電力会社の おエライ連が雁首並べて食い込んでいるらしいのを御存じでしたか?テレビも電力を大量消費する分野でしたね。

知りはしませんでしたが、さもありなんという感想です。

>もしも、今回の事故が なかったら、わが国は、フランスよりも多くの原発施設を抱えることになったようですね。

そういう可能性があったわけですか。
サルコジさんが必死になるのも無理はありませんね。
アレバでしたっけ、の上得意客になる予定だったのでしょうから。

>自分の「商売」の やりかたをも、根本から見直さなければならない時期に来ているかと。それには、自己利益だけの狭い視野では、すぐに限界が来るでしょうね。そのことも、放射能汚染が端的に示していると思います。

おっしゃるとおりと思います。
そういった視点もたしかに必要ですね。

ブログプロフィールの白雪姫さんは、とてもかわいいですね。
      

投稿日時 - 2011-04-22 21:21:08

ANo.42

>他のスレで大御所と衝突したのが原因と思いますが、速攻で退会された#8さん

「大御所」というのは、これまた、私は存じませんが、No.8さまが「蝉雪」さんということは分かりました。

>水野解説委員

という人の経緯に似た話は、他のブロガーさんも 述べておられましたけれど、こういうこと、多いんでしょうね。昔は、「完全抹殺」アタリマエだったんだろうと思います。権力側つごうによる隠蔽のためと、メディアの類が限られていたこともあって。

>軽はずみというのは本音を言う正直さでもあるし腹でなに考えてるかわからないより案外マシかもしれませんよ。腹は立ってもですね。

はあ、まあ、たしかに、いま大問題になっているのは、本音を言う正直さではなく、腹で何を考えているか分からないことのほうですよね(笑)

認めるタイミングというのは、実に深刻ですね。その点は、原子力安全委の斑目氏についても言えることです。

>>「現在の原子炉は極めて安全に設計されており、核分裂を用いた原子炉そのものは決して危険ではありません。(こう信じていましたが、福島の現状を見ると、この記載は消さざるを得ないと思いますので、削除します 2011/4/15)。

>科学者である前に人間である、ということなんでしょう。潔いですね。
>さて、一般人はこれをどう評価するのか。
>このへんに案外(原発に限らず、種種の事象に関する)本当の原因、理由が潜んでいそうです。

地位ある科学者は、事後になって潔く認めても、(hakobuluさんが実際そうであるように)その潔さを称えこそすれ、べつに失業するでなし、これからも変わらず「先生」と呼ばれ続ける結構な生活なのではないでしょうか。いざとなれば、アメリカでもフランスでも国外脱出も できるでしょう。
「指導者層」「エリート層」が恐れるのは、その地位から得ているものを失うことでしょうから、それらを失う危険は避けようとするでしょう。しかし、そのためにこそ、よりいっそうの保身工作を図ることになるでしょう。
それと、どうしようもない「科学者根性」。ここが、権力側の思惑と結び付きやすい。

ひるがえって、実生活が惨状に陥った一般住民側は、生活そのものが大きく損傷を受け、それを「自業自得」と責められこそすれ、以後も、特に、あとの世代を中心に、長期間にわたり影響を受け続けるわけなので、おのずと切実度や深刻度が異なっているのですから、その意味でも、一般国民のほうが、高い視野で厳しい視線を持たなければならない、これは確かに言えますね。

ところで、仮に「震度●以上であった場合には諦め」云々といって、きのうの報道でも、こういうものがありましたが、
たとえば、「この断層は活動しない」と、専門家筋に断言されて、一般人が、どう見抜いたらいいのでしょうね。
『「活動しない」認定の断層、地震で動く 福島・いわき』(参考URLを御覧ください。)


放射能汚染地域での母乳奨励の安全性についても、専門家組織である「日本産科婦人科学会」や「日本母乳の会」の小児科医たちは、自分たちの見解や言動に、どこまで責任を持てるのでしょうか。

「脳死」の判定なども そうですよね。専門外の一般人には、もしも「脳死」状態ではなかったとしても、見分けることが できない。
どんなに警戒して かかっても、専門家に任せざるを得ない限界は多々あります。

>いわゆる奴隷根性ですね。
>社会という歯車に組み込まれている以上、誰しもが大なり小なり持っているものかもしれませんが、譲れない線を譲ってしまっては・・・、

いや、「譲った」つもりはサラサラないのだろうと思うんです。そのつもりが少しでもあったなら、あれほど嘆いたり憤らないと思います。
「エリート層」には特に強化されていると思しき、「人生が人並以上の結構であった者ほど、他人事感覚でいられる」、この性向と共に、一般国民の側にも、根本に、自分だけは、という楽観性の、ある種の「信仰」があったからかと。
しかし、先にも「根本問題」であると申しましたとおり、これを払拭しきるのは難しい問題です。
ならば、徹底的に、最悪の事態を見据え、その最悪の事態を、結局は受け入れることなど できやしないのだということの 本音 に気づくしかないのではないでしょうか。

そうなると、必然として、消極的な選択にならざるを得ないでしょう。
つまり、「原発なら、つくらない」。
そして、そのことの もたらす結果も受け入れなくてはなりませんね。

hakobuluさんの おっしゃる、「仕方がない」というのを言い換えるとするなら、やはり、いずれにせよ「腹を括る」ということですよね。

参考URL:http://www.asahi.com/national/update/0421/TKY201104210206.html

投稿日時 - 2011-04-22 15:15:08

補足

失礼しました。
お礼欄の訂正です。

×アメリカのどこかの州知事が原発の稼動を無期限延長し、訴訟沙汰になっているようですし、

〇アメリカのどこかの州知事が原発の【稼動再開時期】を無期限延長し、訴訟沙汰になっているようですし、

投稿日時 - 2011-04-23 00:12:52

お礼

ご回答ありがとうございます。

>「指導者層」「エリート層」が恐れるのは、その地位から得ているものを失うことでしょうから、それらを失う危険は避けようとするでしょう。しかし、そのためにこそ、よりいっそうの保身工作を図ることになるでしょう。

「(何に限らず)持てる者」の典型的なパターンと言えるかもしれませんね。
しかし、#52で紹介していただいた京大の科学者6人衆でしたっけ、ああいう硬骨漢の生き方というのは、さぞや清々しいものでしょうね。
後ろめたさの一厘もない人生なのでしょう。

>おのずと切実度や深刻度が異なっているのですから、その意味でも、一般国民のほうが、高い視野で厳しい視線を持たなければならない

お上や権威というものに本当に弱いんですよね、日本人は。
こと原発に限らずそうだと思うのですが、この従順なる精神というものはどこから来るのでしょう。
鎖国時代が長すぎて、その間に天皇を頂点とする身分制度があまりに定着しすぎた残滓なのでしょうかね。
美徳とばかり言って喜んでいられない側面が露呈しているような気がします。

>たとえば、「この断層は活動しない」と、専門家筋に断言されて、一般人が、どう見抜いたらいいのでしょうね。

『福島第一原発の耐震性を考慮する際、東京電力が地震を起こすことがないと認定していた断層が東日本大震災後に起きた地震で活動したことがわかった。経済産業省原子力安全・保安院や原子力安全委員会も東電の見解を追認していた。』
この記事ですね。
まず、東電に認定させるということ自体が根本的な誤りでしょう。
この狭い日本ですから、素人が考えたって地震の絶対起きない場所などあるわけがないわけですし、その最悪を考えることを当然という風潮が必要になると思います。

>いや、「譲った」つもりはサラサラないのだろうと思うんです。そのつもりが少しでもあったなら、あれほど嘆いたり憤らないと思います。

そうなんでしょうかね・・・。
「譲れないもの」とは、生命体としての基本的な安全確保だとか、人としての矜持といったような意味で使ったのですが、つまり、それを譲ってしまった自身への怒りでもあると思うのです、無意識的にはですが。

>「エリート層」には特に強化されていると思しき、「人生が人並以上の結構であった者ほど、他人事感覚でいられる」、この性向と共に、一般国民の側にも、根本に、自分だけは、という楽観性の、ある種の「信仰」があったからかと。

なるほど。
両者の(質こそ違え)甘さのぶつかり合い、といったところでしょうか。

>その最悪の事態を、結局は受け入れることなど できやしないのだということの 本音 に気づくしかないのではないでしょうか。

本当はそう言いたいのですが、しかし、それが本音がどうかはわからないと思うのです。
つまり、目先の欲という言葉がよく使われるわけですが、あと、曖昧性ですね。曖昧でいいや、という一種の人生に対する投げやりな部分というのは人間持っていると思います。
自身との折合いがついていない、というのが実は本当のところで、しかも一般的なことなのかもしれない、という。(それが哲学カテに質問した意味でもあると思っています)
その意味で、
>そうなると、必然として、消極的な選択にならざるを得ないでしょう。
つまり、「原発なら、つくらない」。

では消極的すぎる気がします。
結局、何か経済性やら利便性やらで不満が再燃した際に元の木阿弥に戻ってしまうようね、そんな気もするわけです。
逆に、とことん・・・、
>やはり、いずれにせよ「腹を括る」ということですよね。

先に言われてしまいました。^^


#52の末尾にあげていただいたURL 見逃していました。
「19カ所、58基の原発があり、電力の8割近くを原子力でまかなう」フランスの大統領がすっ飛んできたのはご愛嬌ですが、フランス人は馬鹿じゃありませんから、遠からず脱原発に向かうと思います。
いくら、
⇒自国の原発輸出ビジネスへの悪影響を最小限に抑える狙いとともに、フランスの国内世論を動揺させまいという思惑

があっても難しいのではないでしょうか。
チェルノブイリにフクシマではね・・・。
しかし、原発依存率80%では、サルコジさんも身動き取れないかも。
フランス人の良識が試されている。
アメリカのどこかの州知事が原発の稼動を無期限延長し、訴訟沙汰になっているようですし、
イタリアでは、
「イタリア政府、原発再開を断念 国民投票前に反対強く」
http://news.kanaloco.jp/kyodo/article/2011041901001138/
という事態に立ち至っており、どうも、事故を起こしたのはどこの国なのか?という感さえ漂う昨今です。
  

投稿日時 - 2011-04-22 21:01:46

ANo.41

締め切りを延ばされるということで、少し余裕を いただきました。

さて、まだ御覧いただきたいURLがあります。

~「にらみつけてやった。先見性がない首相だから原発を止められないのよ。福島県民をなめるな」~
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/disaster/503583/

>補助金で身売りした段階でもう負けているわけです。

このブロガーさんは、福島ご在住だそうです。
あの事故以来、大変な憤りと お嘆きようです。
『銭がらみの「避難勧告基準」』
http://kohichi.iza.ne.jp/blog/entry/2248503/
そして、同ブログ内の以下のエントリーも、続けて御覧になってみてください。左端にも見出しがあります。
『福島県民の何が悪いんだ?』

こちらのブロガーさんのエントリーからは、
『「トモダチ」なら』
http://flamenco-luna.iza.ne.jp/blog/entry/2246452/
同ブログ内の以下のエントリーも、続けて御覧になってみてください。
『いとも容易く行われる基準値の引き上げ』
『電力会社と知識人そしてこちらも』


すでに御存じかもしれませんが、今朝のニュースでは、こういうものがありました。なんだか、あっけないようなことですが。。。
『風力発電で原発40基分の発電可能 環境省試算』
http://www.asahi.com/national/update/0421/TKY201104210510.html

参考URL枠に挙げましたものも御高覧いただきたく。

参考URL:http://globe.asahi.com/feature/110417/01_1.html

投稿日時 - 2011-04-22 15:03:48

補足


>すでに御存じかもしれませんが、今朝のニュースでは、こういうものがありました。なんだか、あっけないようなことですが。。。
『風力発電で原発40基分の発電可能 環境省試算』
http://www.asahi.com/national/update/0421/TKY201

非常に頼もしい記事です。\(^^)/
⇒稼働率を24%と仮定。それでも出力100万キロワットで稼働率85%と仮定した場合の原発約7~40基分に相当する。

というのですからすごいじゃないですか。
稼働率24%で、ですよ!
この記事を読んで、わたしとしてはとても嬉しいです。^^

⇒ ただし東北など電力需要を上回る発電量が期待できる地域がある一方で、電力会社間の送電能力には現状では限界がある。試算どおりに導入するのは短期的には難しいとみられている。

中長期を目指してやればいいじゃん、ね?
全く、なんの問題もない!
高周波や雪の問題があるようですが、原発で命を縮めるよりはマシでしょう。
国はど~んと予算をつけるべき!
いつどのような問題が発生するかもしれないので、その他にも太陽光やバイオマスなど、自然利用のエネルギー開発には思い切った資金を投入すべきでしょうね。

投稿日時 - 2011-04-22 17:23:32

お礼

noname002さん、こんにちは。
(私は通常、この挨拶を省略するのですが挨拶された場合には返すようにしています。前回はいただいたのに返すのを忘れたのでお詫びの意味も込めて・・・)


ご紹介の各ブログ拝見しました。
印象深いコメントと内容を抜粋しつつ感想を。

1.『銭がらみの「避難勧告基準」』
⇒最終的に「想定外と言えば何でも許されると思う狂った感覚」に疑問を覚えます。

全く同感ですね。
「想定しなかったという責任」はない、という認識がおかしいでしょう。
しようと思えばいくらでもできたのですからね。

⇒それは「ケチ臭い銭の払い方の責任転嫁」による、狂った感覚があるからです。

そのとおりです。

⇒だから「銭をもらったから仕方ないだろう」と言わないで下さい。

たしかにそうですが、この点には少し補足が必要と個人的には考えます。
つまり、
「銭をもらったから仕方ない」と該当地域の【住民自身】が言えるほど、補償金を思い切りふんだくっておくような姿勢が必要だと思うわけです。
今だって命と引き換えなわけですから、本来は半端な額ではだめなのです。
また、「該当地域」も広範囲に設定すべきです。
そして、政府は、事故が起こった後の補償金額も試算して準備する。
そのために増税せざるを得なくなるほどの補償金を要求すべきです。

2.
a.『「トモダチ」なら』
⇒ 米軍さま
 この度は、我が国の国難に絶大なるご支援を頂き、有難うございました。
常日頃より「おもいやり予算」を差し上げている身ゆえ、いざという時には、手弁当で駆け付けて下さるのだと、思い込んでおりましたが「トモダチ作戦」の費用は半分以上、我が国が持たせて頂けるとのこと、そのご配慮に感嘆している次第です。

大爆笑!^^;
このブロガーさん、いいセンスしてますね。
noname002さんといい勝負になるのでは?^^

b.『いとも容易く行われる基準値の引き上げ』
⇒ 原発事故が起こった時に、政府が先ずやること、それは“データの隠蔽”、次が“基準値の引き上げ”だと。

(このことに限ったわけではありませんが)国民を騙そうとしているわけですし、なめているのでしょうね。
なめられない、なめさせないようにどう心構えるか、という方策について少しだけでも考えるべき機会の到来なのかもしれません。
中部大学教授のこちらの記述なども、ぜひ読んでいただきたいですね。
http://takedanet.com/2011/04/52_a7e0.html
『事故が起こる前まで文科省は「被曝は外部と内部を合計すること」と指導していましたが、事故が起こってからは「外部だけ」

を発表しています.

「子供目線」では、「原発事故を小さく見せる」とか「パニックを避ける」などは関係なく、「自分がどのぐらい被曝するか」だけです。』

という記述もありましたが、いじめ問題同様、教育者は子供を守る者、ということすら(事実ではなくて)神話になっている側面が浮き彫りになっています。
こうした保身官僚の言いなりになっているわけですしね・・。

c.『電力会社と知識人そしてこちらも』
⇒ 朝日ニュースターのニュース解説「目」4月6日
http://www.youtube.com/watch?v=Jt06Y55qxlg

青木理氏という方は骨太のジャーナリストのようですね。
京大で原子力の専門家として研究を続けながら原子力の危険性を一貫して主張し続けている学者の話が印象に残りました。
「自らの不利益を省みず自らの信念を通す」
これが真の知識人だろうと青木氏は言っていますね。
それに対しての御用学者に追随知識人。
東電との間で巨額の利権が絡んでいることを明らかにしてくれました。
推測はしていましたが、テレビ画面などで見る彼らの目が泳いでいたり、妙に威丈高だったりする理由がよくわかります。

⇒ 核燃料サイクル 再処理工場で600リットル水漏れ

日本原燃は12日、六ケ所村の使用済み核燃料再処理工場で、使用済み核燃料を貯蔵するプールから約600リットルの水があふれ出たと発表した。地震で水が波打ったのが原因。プールは必要な水位を確保している。外部への影響はない。

という記事も拝見しました。
記事の内容も重要ですが、わたしとしてはむしろ、「外部への影響はない」だけで記事を終わらせているこの新聞社の姿勢のほうが怖いと感じましたね。
影響が無いはずはないのですから。
哲学的視点が今、求められていると改めて感じます。

補足欄へ続きます。
 

投稿日時 - 2011-04-22 17:21:35

ANo.40

こんにちは。
今回の事故で、原発に関して無関心というより、無知のまま
利用していた部分が多かったことが、分かったことは確かだ
と思います。(自分を含めて)

例えば長崎広島の比ではない放射性物質が自然界に流れ出て
しまう危険性などは、一般にはあまり知られていないし、
恥ずかしながら私も知りませんでした。

今の状況から速やかに脱出する為に、次に危なそうなところから
新しく燃料の投入はせずに、なるべく燃えカスを小さくしてから、
火を切って、解体廃棄して、一つずつ火力に変えていきながら、
代替エネルギー開発や次世代原発の安全性を追求していく研究が
進められていくのかもしれません。

代替エネルギーとしてバイオマスは個人的に興味があります。
効率や量というより、自然浄化という副産物の価値を生み出す
経済性がありそうな気がします。例えば東京湾が沖縄の海に
なったり、隅田川が四万十川になれば、街の市場価値が別の
意味で上がります。景観という市場価値は、これからは注目
されていくのではと思っているのですが。

投稿日時 - 2011-04-22 13:21:56

お礼

こんにちは。

>例えば長崎広島の比ではない放射性物質が自然界に流れ出て
しまう危険性などは、一般にはあまり知られていないし

そうですね。
官僚なんかは頭の良い人が揃っているはずなんですが、どうせ一般人に説明してもわからない、と思っているのでしょう。
言ってみればとっちゃん坊やみたいなものですから仕方ありませんが、そこを政治家がわかるように説明させなければいけませんよね。
情報公開の徹底が今以上に重要になってくるように思います。

>新しく燃料の投入はせずに、なるべく燃えカスを小さくしてから、
火を切って、解体廃棄して、一つずつ火力に変えていきながら、
代替エネルギー開発や次世代原発の安全性を追求していく研究が
進められていくのかもしれません。

そうしていくべきでしょうね。
豪首相なんかは、そのへんを見越して来日したのかもしれませんが、日本だけでなく世界的に見ても必要になる措置でしょう。

>代替エネルギーとしてバイオマスは個人的に興味があります。
効率や量というより、自然浄化という副産物の価値を生み出す
経済性がありそうな気がします

そうでしたか。
わたしも同意します。
太陽光にも期待していますが、同様に自然サイクルの活用というのが最も自然なはずですよね。
証明はできないのですが、哲学的にも物理学的にも妥当なエネルギー循環になるという気がします。
  

投稿日時 - 2011-04-22 14:37:46

ANo.39

ニートのつづきです。
郵貯に数百円、ポケットには母からもらった四万円があります。本当は関西か鳥取かきっこさんみたいに日本最西端を目指しましたが初日の夜に力尽きてしまい、近くの避難所へかけこみました。
避難所には父世代の人々が大勢いて、私は無視と疲労かんもくに逃げ込み、社会人に対する否みがあるのでやましく、見知らぬ土地で就職説明会があるのですが、参加するかどうか迷います。相談相手いません。参加しない方に○をつけました。

動画共有サイトに関する記述は禁物なのか、源八おじさんがスルーされ、その動画しか原発問題への解答として機能しないのでしたが

私はひとりふらふら二輪車で県境を越え、原発と核兵器と国境なるものの終焉と、ロスチャ型奴隷制なるものの収束と、雇用型マネー社会なるものの終了を夢見て、風の谷と福島の盆地とあらゆる平野に風ぐるまを建てれば風光明媚です。セシウムひまわり咲き誇る腐界を王蟲の群とポニョが駆け、ナウシカが脱衣してゆきます。

「生きようにおける強要」
親どもから子へ伝える「生きようにおける強要」の中にも確かに望ましいものはあることはあり、肉体のしくみをはじめ、日常生活のこつとしてのジャーナルの内容、身近な教養は言葉でも態度でも、生の伝わし方を伝えていくことは、見よう見まねでも体ごとそれは伝わればそれはそれこそそれはそれはそれでよく、エロスだし、社会に隠されているものが多かったり、環境に変化が大きかったりする時には、より疑り深い大胆な手探りがエロスです。

戦闘状態でないはずならトップダウンな言葉の送り方はそぐわず、命令に準じる意味で「言うことをきく」は支配的で一方的な声という、父への愚痴。父と私は敵対し、マネー社会の絶え間ない戦闘状態にあって即戦力にならない私は控え室に籠もり、常に対人恐怖と過度な甘えと敵対心を伴い、農村でもホームレスでも人付き合いがあるから無理です、ネットでも

こういう文を自分で自分にまたメールするのでした。人や人からの言葉は強すぎる刺激なのでした。自分で自分におだいじにといってお風呂の時間まで眠ります

相手してくれてありがとうございました。何もしたくないのにどうしたら良いかなどと訊いてすみませんでした。

投稿日時 - 2011-04-20 13:16:51

お礼

引き続きお礼を申し上げます。

>ポケットには母からもらった四万円があります。

優しいお母さんですね・・・。
お母さんのためだけにでも帰ってあげることはできないですか。

>本当は関西か鳥取かきっこさんみたいに日本最西端を目指しましたが

そうだったんですか。
思い切りましたね。

>見知らぬ土地で就職説明会があるのですが、参加するかどうか迷います。相談相手いません。参加しない方に○をつけました。

利用できるものはどんどん利用しちゃえばいいんですけどね。
これもゆり動かしになっちゃうでしょうか。^^
短期のバイトみたいな斡旋もあるような気がしますけどどうなんでしょうね。

>源八おじさんがスルーされ

最初は単に猫がしゃべる面白動画かな、と思ってしまったんです。
すみません。^^;

>私はひとりふらふら二輪車で県境を越え、原発と核兵器と国境なるものの終焉と、ロスチャ型奴隷制なるものの収束と、雇用型マネー社会なるものの終了を夢見て、風の谷と福島の盆地とあらゆる平野に風ぐるまを建てれば風光明媚です。セシウムひまわり咲き誇る腐界を王蟲の群とポニョが駆け、ナウシカが脱衣してゆきます。

新・風の谷のプロットですね。
なかなかいいじゃないですか、表現ともに。
これでシナリオ書いて宮崎さんに売り込む。
しかし、自転車で県境越えとは、腕だけではなく足腰のほうもなかなか鍛えていますね。
立派ですよ。

>生の伝わし方を伝えていくことは、見よう見まねでも体ごとそれは伝わればそれはそれこそそれはそれはそれでよく、エロスだし、社会に隠されているものが多かったり、環境に変化が大きかったりする時には、より疑り深い大胆な手探りがエロスです。

才人の表現はわかりましぇ~ん。^^;
凡人には
>セシウムひまわり咲き誇る腐界を王蟲の群とポニョが駆け、ナウシカが脱衣してゆきます。

のほうがエロスでした。

>父と私は敵対し、マネー社会の絶え間ない戦闘状態にあって即戦力にならない私は控え室に籠もり、常に対人恐怖と過度な甘えと敵対心を伴い、農村でもホームレスでも人付き合いがあるから無理です、ネットでも

「田舎暮らしに殺されない法」という丸山健二の本があります。
「山谷崖っぷち日記」という開高健賞を受賞したホームレス作家大山史郎の本があります。
どちらにも共通して書かれていることで、
「なるべく挨拶を交わさないように、なるべく親しくならないように」というのがコツだという記述があったと思います。
なんのコツかというと、その地でうまくやっていくコツだそうです。
どちらも人付き合いが苦手な反面、気が弱いので、つい「中途半端に溶け込もうとする」のだそうです。
それが良くない、と言っています。
初めから知らない者同士という関係のほうが、多少、礼儀知らずな奴だとか、暗いとか言われても、一旦こじれたときの凄惨な人間関係は半端じゃないストレスになるのであり、そのためには相手の領域に近づかず、また近づかせないようにするのが得策だそうです。
で、この場合、私が思うには、ありふれた表現で恐縮ですが、自信を持てばいいのだと思うのです、そのことに。

これは、前回も書いたと思うのですが、
「なぜ他者と同じ世界を生きようとするのか」
ということにも通じると今改めて気づいたところです。
価値観の相違があっても生きていけますが、価値観は同じでなくてはならない、と思うからこその悩みというものもあるような気がするわけです。
その意味で、仁科さんが前回書いていらしたように、ニート結構、というスタンスに自信を持っていいと思うのです。
自信がないからこういう考えになっているのだから無茶言うなという声も聞こえてきそうですが、それは単に信じられるかどうか、ということでもあるかもしれません。

>相手してくれてありがとうございました。何もしたくないのにどうしたら良いかなどと訊いてすみませんでした。

いえ、こちらこそ、ユニークな発想と文体を体験させていただき楽しかったです。
風邪を引かないようにお気をつけください。
  

投稿日時 - 2011-04-20 21:11:39

ANo.38

ニートです。すみませんアドバイスありがとうございました。混乱して反応できず眠たくなって避難所で冴えない生活を送っています。心を病んでいる人として扱ってもらい、ひとり寝ています。
今後の見通しを幾つか書いてもらえてありがたいものの、ゆりうごかし型の助言は不満で、なぜなら私はやっぱり動きたくなく、なんとなく体育館でバスケしたいですが、なかなかお風呂に入れないここでは頭や体が汚くて何もする気が起きず、できない理由や何もしなくてよい言い訳が欲しく、私はいつまでも葛藤という膠着状態にはまりこみ無為に浸ることがどうしようもなく好きで、不本意ながら。

YouTubeにあるのは源八じいさんではなく源八おじさんとタマで、時給自足は自給自足の誤りで試行錯誤を共有する仲間も自分もはなく、1セット百回は腕立て伏せでした。
よく自分の言葉へ反応を待ちきれず滅入り込むのでしたが、自分から人への呼応も少なく、かんもくの多い自分がやましく、挨拶もままならない声も心も小さく弱く、知恵のも幼く社会を論じられず自分語りしかできず、この格好悪い格好つけの仁科です、朝食も昼食も抜きました頭痛がします

破壊
動画やネットからのみ社会をしり眺め、壊れたら困るようなものは作らないか、壊れるほどまで使わないのがよく、赤の他人なんか壊れても死んでもなんてことない社会、東北なんかはマネー側からすれば底辺エリアで、そんな所の民は低線量放射線被曝の実験体で、あのへんの人どのくらい壊れるのかなのデータを世界中に知らせてくれるネズミに等しく。
なかなか壊れないものは自然のリズムにとって厄介者の邪魔者で、あえて壊れにくい問題の山を生み出し余計な仕事を恒久的に作ることで、雇用だのシゴトだのという、たんなるマネー奴隷制とマネー経済を延命させようとする企ても、古くは悪しきロスチャ家の家族愛なのだという動画もありました。

暴力性と脆弱性
先日まで原発から60キロの所で無力に暮らしていましたが、地元の放射線量が減ればまた帰りたいのですが、父がこれ以上の私のニートを許しません。外がプルトニウムなのに父は換気するんです。そして籠もっていた私は怒鳴られました。すこし嬉しかったのでしたが、やはり言葉が通じないのですこしふて寝してから県外へ逃げました。原発も父も怖いです。
自宅でビクビク引きこもりニートをしていると、自分の無知や無能が恐ろしく腹立たしく、生きようのない自分に対しても不満と暴力性が湧き、それを封じる込めるために脱力し、均衡と怠惰を保つため脆弱な状態に陥りますますの無為と無能に浸り、なので格納容器や圧力容器や沸騰や爆発には共感し、私は長らく父の支配下で母の所有物でした。

ほとほと疲れて夢いっぱいの空、企業も社会も国家群も壊れてくれると思い、頭の中では期待通り壁が破られ中が暴かれれば、先々の安否もわかりやすく安らかだと思い、やがてひろく流れる風はフリージャーナリズム万人の開かれた日記に記される生活を読みあう星になると思います。それまでもその後も自然と時が美しく賑わしく楽しく怒って錯綜して壊してくれればいいと思います。

原発であれ何であれ、危険性のあるものを共有する際には、万が一の核爆発の時にとばっちりをこうむる鳥や草にもあらかじめリスクを詳細に伝えることがフェアな夜9時は消防の時間です。どちら様もお休み前には火の元の点検をお願いいたします。はこぶるさんおやすみなさい。私は家庭に問題がありました。自分のつぶやきを発見して以来、父との関わりようが見いだせず言葉が通じないので、コミュニケーションの試行の度に思い知らされる意志の不疎通は悲しいことなのでした。父のジャーナルを学べなかった私はどういう生きようも引き受けられそうもないのでした。無能です。記述します

投稿日時 - 2011-04-20 12:34:57

補足

お礼欄からの続きです。

>原発であれ何であれ、危険性のあるものを共有する際には、万が一の核爆発の時にとばっちりをこうむる鳥や草にもあらかじめリスクを詳細に伝えることがフェア

そういった発想が無いと、人間自体の本当の安全も結局はないがしろにされてしまうことになるのでしょうね。
つながってないと何故思うのか。

>父との関わりようが見いだせず言葉が通じないので、コミュニケーションの試行の度に思い知らされる意志の不疎通は悲しいことなのでした。父のジャーナルを学べなかった私はどういう生きようも引き受けられそうもないのでした。

仁科さんがそこまで思うということを、事実としてお父さんには受けとめてほしいですよね。
ただ、心の動きは見えないし、わが子に対して世の親はどうしても期待する分、精神論に原因を求めようとする傾向があるようです。
ひとりひとりみな違う人間なので、困惑の度合いだってひとりひとりみな違うのが当たり前。
それを一律に精神論で片付けようとするのはやはり無理が生じるでしょう。
そこで、精神論では片付かないということをよく理解してもらう必要があります。
心療内科などには出向いたことがおありでしょうか。
昨今はかなりオープンな雰囲気になっているやに、ネットや新聞などでもよく見かけますよね。
一度お出かけになって、そこの先生に診断書を書いてもらったらどうでしょうか。
出来ればご両親と一緒に出かけられるのが理想的とお話を伺っていると感じるのですが、それにしてもまず診断書があるほうが、出かけやすいように思います。
まら、少なくとも理解の一助になる可能性もあるかと考えます。
専門家ではありませんので、いい加減なことをひょっとしたら申し上げているのかもしれませんが、独学で興味を持っている分野ではあります。
気がお向きになったらお試しになってみてください。
ちょっとしたきっかけで好転することもよくあるやに聞いています。
  

投稿日時 - 2011-04-20 20:22:22

お礼

ご回答ありがとうございます。

>混乱して反応できず眠たくなって避難所で冴えない生活を送っています。

大変だよね、避難所生活なんて。
人が大勢集まっているのがうっとうしいだろうな・・・。
疲れて当然だよ。

>ゆりうごかし型の助言は不満で

いや、そうかもしれないな・・・。とは思ったんですが。
ちょっと寄り添い方が足りない気はしていたんです。
ごめんね。

>何もする気が起きず、できない理由や何もしなくてよい言い訳が欲しく、私はいつまでも葛藤という膠着状態にはまりこみ無為に浸ることがどうしようもなく好きで、

正直でいいですね。
そしてよく自己分析できていらっしゃる。
立派ですよ。
そういう時期があるものだし、そのこと自体をそう苦にしないほうがいいと思います。
ニートの何か悪い、無為のどこがいけない、と言ったって、誰も正解は出せないはずです。

>YouTubeにあるのは源八じいさんではなく源八おじさんとタマで、

今、見てみたら非常に面白い!!!!!^^
拙ブログにもアップさせてもらいましたよ。
本文は以下のとおりで、各タイトルにリンクを張りました。
-----------------------------------------

仁科君に教えてもらった動画。
なかなか面白いし、私のような面倒くさがり屋にもかなりわかりやすい。

源八おじさんとタマ001
原発なくても電気は大丈夫!

源八おじさんとタマ002
原発は発電量の2倍の熱で海を加熱している!

源八おじさんとタマ003
高レベル放射性廃棄物は100万年監視を要する!

源八おじさんとタマ004
浜岡原子力発電所は活断層の上に立っている!

源八おじさんとタマ005
電力会社は津波の脅威を甘くみている!

-----------------------------------------
「源八おじさん」で検索すればすぐ見れるのでみなさんにもぜひ見ていただきたいですね。
各編が1分半ほどだし気楽に見れるのがいいです。
いいものを紹介してくれてありがとうございます。

>自分から人への呼応も少なく、かんもくの多い自分がやましく、挨拶もままならない声も心も小さく弱く、知恵のも幼く社会を論じられず自分語りしかできず、この格好悪い格好つけの仁科です、

う~む・・・(-_-;)。
むしろ青春真っ盛りという印象。
格好悪い格好つけ、というのも、わざと穴を開けたジーパンを履いているようなもので。
でもゆり動かし的言動はやめておきます。^^;

>朝食も昼食も抜きました頭痛がします

あちゃ~。
お腹空かないの?
食料が無い、ということはまさか無いと思うけど。
食べないと抜く気にもなれないだろうしね。

>壊れたら困るようなものは作らないか、壊れるほどまで使わないのがよく、

全くです。
一度作ってしまうと限度いっぱいまで使わないと気がすまないようにできているのでしょう。
だから、やはり作らない!というタマの言が正しそうですね。

>あえて壊れにくい問題の山を生み出し余計な仕事を恒久的に作ることで、雇用だのシゴトだのという、たんなるマネー奴隷制とマネー経済を延命させようとする企ても、古くは悪しきロスチャ家の家族愛なのだという動画もありました。

ロスチャイルド家というと、主に石油がらみの大富豪でしたっけ。
そっか、身内だけで利益を還流させるような仕組みがあるわけですか。
愛の発揮には違いないのだから何が悪い、ぐらいの感覚になっているかもですね。
考えてみればマネーつったって、ただの紙と金属・・・。

>そして籠もっていた私は怒鳴られました。すこし嬉しかったのでしたが、やはり言葉が通じないのですこしふて寝してから県外へ逃げました。原発も父も怖いです。

お父さんは普段はあまり怒らないのかな?
でも、原発事故のようなことがあると、自分やその遺伝子を引きついている命の危うさなんかが無意識に気になるのかもしれません。
いずれにせよ、怖くない父親というのは単に無責任なだけだということだけは確かです。
むろん、その怖さに従順なだけでもだめだけど、家を出たことで十分に自己主張のある段階は達成したと思うな・・・。
あとは大事と小事を考えて妥協の時期になっているような気もしますけどね。

>私は長らく父の支配下で母の所有物でした。

このように言えるのはすごいと思います。
そう思っていても言えない人は多いですし、言った時点で一歩を踏み出していることは確かですから。

>均衡と怠惰を保つため脆弱な状態に陥りますますの無為と無能に浸り、なので格納容器や圧力容器や沸騰や爆発には共感し、

文学的才能があると感じるのは、こういった視点と表現ですね。^^
補足欄へ

投稿日時 - 2011-04-20 17:56:53

ANo.37

お礼をありがとうございます。

仰るとおり、一般国民は十分な安全対策が採られているのだろうと、根拠のない安心をしていたように思います。現在の技術力をもってすれば、原子力発電所での致命的な危険を回避できるという神話のようなものがあったのでしょう。安全神話ですね。

事故が起こった時点で、裏切られたように感じるのはそのせいでしょう。しかし、起こってしまったものはもう取り返しがつきません。事故が起きても後手に廻らず、最悪の結果を防ぐよう、手を講じるしかありません。

今回の原子力発電所の事故を無駄にしないためにも、専門家は事故の分析をし、今後の危機管理に備える。

国民や企業は専門家の”事故の起きる可能性はゼロに近い”という決まり文句を鵜呑みにせずに、代替エネルギーの開発に邁進する。それと共に節電の方法も生活に取り入れてゆく。

政府はソーラーパネルや、節電に有効な電化製品の購入には消費税減税を実施する。

日本はエネルギー資源を自国に持たないうえに、世界でも他に例を見ない地震国ですから、他国の模範になるような二重・三重の安全装置を備えることが必要なのが身に沁みてわかりました。ロボット開発の今後の課題も出来ました。散水ロボットとか、ISSの故障を直すためのロボットアームの原発仕様とか、いろいろ考えられます。フランスやアメリカにも輸出可能です。

繰り返しになりますが、原子力発電だけに頼らない多角的なヴィジョンを持った電力開発のきっかけにもなるかもしれません。日本の技術力をもってすれば、需要と供給のバランスをとってゆくことは可能だと思います。

仰るとおり、”専門家”の”希望的観測”にやすやすと騙されることなく、理性に導かれ、最悪に備えて最善を尽くす国民性そのものが必要とされていると思います。

今回の回答も的はずれかもしれませんし、他の方の回答とダブるかも知れませんが、一応の努力はいたしました。

投稿日時 - 2011-04-20 12:29:19

お礼

再度のご回答ありがとうございます。

>一般国民は十分な安全対策が採られているのだろうと、根拠のない安心をしていたように思います。現在の技術力をもってすれば、原子力発電所での致命的な危険を回避できるという神話のようなものがあったのでしょう。安全神話ですね。

そう思います。
何より、お上の言うことには従順であるという体質が他民族より人?一倍強いような気がしますね。
ある面では美徳として発揮される性質なのでしょうが、その裏面にも留意できるだけの進化が必要な時期にきているのかもしれません。

>事故が起こった時点で、裏切られたように感じるのはそのせいでしょう。

はい、わたしもそう思います。

>しかし、起こってしまったものはもう取り返しがつきません。

全くそのとおりです。
あとで悔やまなくていいように【事前に】悔やんでおく、という意味合いも「原発事故が起きたら仕方が無い」という考え方には込められています。

>国民や企業は専門家の”事故の起きる可能性はゼロに近い”という決まり文句を鵜呑みにせずに、

これができるようになると相当変わってくるのでしょうね。

>節電に有効な電化製品の購入には消費税減税を実施する。

同感です。
節電についてなんですが、たとえば〇度以上や△度以下にならないエアコンとかあってもいいんじゃないでしょかね。
むろん、おっしゃるように優遇して。
ちょっとずれますが、時速が150kmとか出る車を作ること自体が犯罪じゃないかと私なんかは思いますよ。

>世界でも他に例を見ない地震国ですから、他国の模範になるような二重・三重の安全装置を備えることが必要なのが身に沁みてわかりました

そうですね。
今回問題になった電源ですが、東電は3重の対策を講じていたわけですが、それが次々とやられてしまいましたね。
では4重にと考えてはだめなのであって、7重ぐらいにすべく検討してほしいものです。
いずれ原発は無くなるはずですが、それまでの間。

>散水ロボットとか、ISSの故障を直すためのロボットアームの原発仕様とか、いろいろ考えられます。フランスやアメリカにも輸出可能です。

ロボットなんかももう少し進化していて、大いに役立つような期待を持っていたのですが、現状はそうでもないようですね。

>原子力発電だけに頼らない多角的なヴィジョンを持った電力開発のきっかけにもなるかもしれません。

はい。
強力に推し進められるようなうねりが求められているのでしょう。

>”専門家”の”希望的観測”にやすやすと騙されることなく、理性に導かれ、最悪に備えて最善を尽くす国民性そのものが必要とされていると思います。

きれいな表現で適確にまとめていただきました。
ありがとうございます。
  

投稿日時 - 2011-04-20 15:30:33

ANo.36

こんにちは。

>サポートさんに質問趣旨を説明した結果、カテ復帰を了承していただきました。
>ご迷惑をおかけした部分もあるかと思い、まずはご報告まで。
>石棺とすべき質疑部分は削られてしまいましたが、色々管理側の事情もあるでしょうからまあ良しとしましょう。

ほほほ、了解。
迷惑なんぞはありゃしませんので、お気づかいなく。

>以前、削除された回答を復活していただいたこともあり、全く論理の通じないサポート体制でもないようですね。

そうでなければ、今後、こういうサイトは続いていけませんよ。こういう所の運営は、もっと しっかりしなくちゃいけません。
まあ、私としては、正直、半分強くらい、見放しておりますがね(笑)

さて、
私の回答No.24における遣り取りで、こういう くだりがありましたね。

>>私は、ここ最近になって、世界レベルで最も原発に依存しているというフランスの動向にも関心を持っています。

>わたしも8割近くを依存していることを初めて知りました。
>サルコジさんがすっ飛んできたのも、さもありなんと笑っちゃいましたが。


私は今回の原発事故を切っ掛けに、フランスとアメリカ、この、2大大国の「欺瞞」にも気づいてきております。
そう、世界は「欺瞞」に満ち満ちております。

核シェルターや、それに準ずる類のものなんかは、世界の大金持ちの人たちやエリートの殆ど全員、とっくに用意してあるんじゃないでしょうか。

商売っ気の盛んな者の世界規模レベルの「欺瞞」に比べれば、庶民、地方農民の「欺瞞」なんて、かわいいものかもしれません。その かわいいレベルの「欺瞞」を かなぐり捨てて、どうやって世界規模の「欺瞞」のネットワークに挑んでいくかという話にならざるを得ないのではないでしょうか。
それくらい、この問題は、キレイ事を述べていて済む話ではないようです。
お子さんのおられる人は特に、しっかりと直視しておくべきですね。

>この場合の欲には生活欲、つまり、生活維持=生命維持が絡んでくる場合もあるのでしょう。

hakobuluさんですから、心理学方面で よく題材にされる「マズローの5段階」なんとやらいうのを御存じだろうと思います。
いわゆる「エリート」層の連中は、生活欲だとか生命欲だのの基本レベルなんぞ、軽~く超えているのではないですか。そんなレベルのことは、とっくの昔にシッカリと保証されているのですから。ですから、それ以上のことに大欲を掻くのでしょう。庶民にしても、その おあとを追っているわけでしょう。それで、キモチ良くなっている。
私の先の回答でも、より結構な人生を送ってこれた人は、他人事で済ませるという感覚が強化されているのではないか、ということを述べました。
となれば、「マズローの5段階」なんとやらというものの最低ランクのレベルに立ち返らせる必要がある、と言えそうですね。そうして思い知らせてやらなくっちゃならない。どんなエリートであろうが、おのれも、一個のヒトに過ぎないのだということを。

ここまで、ほんの走り書きです。目的は、
個人のかたのブログより拝借したものを、参考URLに挙げております。
これに、お目通しなさっておいていただきたいのです。(さして長くはないです)
もう一つは、これです。↓
『官が定めた安全基準の落とし穴』
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/opinion/503347/

ご面倒でなければ、別の参考URLにも、御覧いただきたいものがあります。
今夜にでも、引き続き投稿させていただいて よろしいでしょうか。

参考URL:http://d.hatena.ne.jp/eurospace/20110403

投稿日時 - 2011-04-20 11:46:47

補足

>今夜にでも、引き続き投稿させていただいて よろしいでしょうか。

よろしくお願いします。

4月24日の日曜日までは締め切らないでおきますので、ご都合のよろしい時で結構ですよ。

他の方へもご連絡がてらですが、4月25日になってから締め切ります。
 

投稿日時 - 2011-04-20 13:20:32

お礼

ご回答ありがとうございます。

>核シェルターや、それに準ずる類のものなんかは、世界の大金持ちの人たちやエリートの殆ど全員、とっくに用意してあるんじゃないでしょうか。

わたしもそう思います。

>庶民、地方農民の「欺瞞」なんて、かわいいものかもしれません。その かわいいレベルの「欺瞞」を かなぐり捨てて、どうやって世界規模の「欺瞞」のネットワークに挑んでいくかという話にならざるを得ないのではないでしょうか。

そうですね。
ただ、
>世界規模の「欺瞞」のネットワーク

自体も、やはり、庶民というものは「自分自身に対する欺瞞という問題に関しては非常に疎かにするものだ」という前提が基盤になっているんじゃないでしょうか。
つまり、見くびられているわけで、こういうところにもやはり奴隷根性の一端が現れていると言えましょう。
つまり、アリストテレスじゃありませんが、奴隷になるべくして生まれてきた人間はたしかにいる、という暗黙の了解がある、あるいは次第に形成されていくのだと思います。

>(エリートは)それ以上のことに大欲を掻くのでしょう。庶民にしても、その おあとを追っているわけでしょう。それで、キモチ良くなっている。

たしかに。
庶民の経済的欲求を利用して自らの大欲を実現しようとする、という構図でしょうね。
命より金が大事だと言ったんだから今更文句言うな、という程度の感覚だろうと思いますよ。
東電の社長なんかの顔にはっきり書いてますよ。
ですから、補助金で身売りした段階でもう負けているわけです。
どうせ負けるならケチらずに、どんと最初からふんだくっておく必要があります。
「これ以上のことが起きたら仕方ない」と言えるほどにです。
こういう点にまで遠慮するという妙なところが日本人(だけかどうかはさておき)にはあるようです。

>そうして思い知らせてやらなくっちゃならない。どんなエリートであろうが、おのれも、一個のヒトに過ぎないのだということを。

そうですね。
ただ、どうなんでしょうか。
その方法論でしょうね、問題は。
糾弾するのはあくまで応急処置であって、喉元すぎればになっていくことでしょう。
やはり自己変革しかないような気がしますよ。

>ここまで、ほんの走り書きです

あ、そうでしたか。^^;
参考URL見ておきます。
では。
  

投稿日時 - 2011-04-20 15:00:19

ANo.35

こんにちは。たくさんのご教示、私はとても嬉しかったです。
おまけの付け足しどうかご容赦を。
あとね、例の早とちりも…ごめんなさい。^^

大江に対する質問者様のコメントにとても共感致しました。ありがとうございます。
(このように、質問者様のようなお方に見識を伺うのが私は好きです。
自分にはない十人十色の見識や発想が楽しみで(あと国語力向上も)サイトにお邪魔しているのです。)

そのくだりに「我が国は核エネルギーを持ってはいけない」とありました。
で、同様に核武装せず永世中立を貫く小国スイスが何を先んじて整備したかといえば、人口をカバーする核シェルターの徹底だったのはご承知の通りです。

原発問題も結局は仰るところの《自分の身を守る=自衛の難しさ》に対する自己認識と欺瞞に集約されます。
これに倣えば、ご提案の「人工衛星などによる世界規模の原発監視衛星」「再稼働の際の事前の入念な検討」に加え、交付金が下りる自治体なら非常用シェルターの設置(普段はワインセラー?)、物資の備蓄に取り組んでも過分ではないと私は考えます。
仮に原発新設するなら半径数十キロ、超至近距離なら自宅に設置をするくらいの気概と覚悟が必要では。

何事も覆い包み隠す文化と政府官僚系の性質を鑑み、かつ、先んじてリスク克服する上で後手になりがちなこの国で身を守るには自ずと限界がありましょう。
原発設置側への注文とは別の自衛策としてです。

それに大国に隣接する我が国の掲げる平和憲法に照らし、またその隣国の原発の存在も勘案しても、豪奢な箱モノを造るよりかはマシかと思いますし。
まあ、ただ、実現する自治体があるとは思えません。

で、先の投稿でふれたスイス人が小学校の非常勤の先生で、私も授業に誘われ手伝ったことがあります。
はるばる山を越えて通うので午前と午後の二部制だというその山間の学校ですら、いえ学校だからこそなのでしょう、ちゃんとシェルターがあるとのことでした。
(むろん州ごとで法整備もまちまちのようです。)

それにしても、仰る「ガツンと大きな楔を国民に~」というのは、はたして日本だけの問題なのでしょうか。
事件後にして各国の近隣原発に対する稼働停止の機運がクローズアップされ、依然旧ソ連からの独立国における原発事情をふまえても、案外「自らに対する欺瞞」「安全性と経済性」の問題は一筋縄ではいかないのかもしれません。

代替エネルギーとサイトのご教示ありがとうございました。
はい、これを機に国の後押しで先端開発が期待されるところですね。

ん? それほどまでに私に異論をお求めになりたかったのですか。
う~ん。いつみてもへなちょこの文章しか書かないっていうのに、
そうっか、きっとやっぱり平素の印象がすこぶる悪いのでしょうね、きっと。

そうですね。「慎ましさと経済性」という兼ね合いはいかがでしょうか。
計画停電で過度な街のネオンの不要さに気づき、日常いかに都市部に住む私たちが電力消費しているかに自省させれらた一方、ある程度のメリハリの利いた華やぎもまた良いものですし、何よりもまた、戦力放棄を掲げ大国に隣接する我が国の場合、国威や発言力としての経済力も決して侮れない面があると思うのです。

北海道ですか。またカシオペア寝台に揺られてのんびり訪ねたいなあ。
何を食べても美味しくって、
だから帰るのが嫌になっちゃうのはスイスと一緒かそれに勝るでしょう!^^

多くのものをご教示下さり、質問者様をはじめほかの方々にも感謝を申し上げて私のほうからは以上です。ありがとうございました。

投稿日時 - 2011-04-19 18:45:09

補足

mashumaro3さん、すみません。
みなさんにお知らせしたいことがあるので、この欄、ちょっとお借りします。

特に必要性が生じない限り、当質問を掲載させていただいてから一週間後にあたる4月21日夜に締め切る予定です。
ご連絡まで。
よろしくお願いいたします。
    

投稿日時 - 2011-04-19 22:57:02

お礼

こんばんは。
ご回答ありがとうございます。

>たくさんのご教示、私はとても嬉しかったです。

いえ、こちらこそです。
率直なご見解を伺うことができて大変良かったと思っています。

>核武装せず永世中立を貫く小国スイスが何を先んじて整備したかといえば、人口をカバーする核シェルターの徹底だった

格の傘がないゆえとはいえ、日本とは思考回路が全く異なりますね。

>原発問題も結局は仰るところの《自分の身を守る=自衛の難しさ》に対する自己認識と欺瞞に集約されます。

なぜ、これを最初におっしゃてくださらないのでしょうか。^^;
全く同感ですよ。

>交付金が下りる自治体なら非常用シェルターの設置(普段はワインセラー?)、物資の備蓄に取り組んでも過分ではないと私は考えます。
仮に原発新設するなら半径数十キロ、超至近距離なら自宅に設置をするくらいの気概と覚悟が必要では。

そうですね。
他国ではよくあるらしいですが、核シェルターを兼ねた地下街という構想もできそうですね。
いや、部分的には案外そうなっているかもしれませんね。
ワインセラーという発想は、いかにもmashumaro3 さんらしいと感じました。
いえ、酒飲みという意味ではありませんよ。^^
ヨーロッパになじんでいらっしゃるという意味でです。

>何事も覆い包み隠す文化と政府官僚系の性質を鑑み、かつ、先んじてリスク克服する上で後手になりがちなこの国で身を守るには自ずと限界がありましょう。
原発設置側への注文とは別の自衛策としてです。

そうですね。
ただ、先立つものが・・・。^^
やはり税金を払っている先に対して、その使い道を有意義にせよ、と伝えていくしか貧乏人に道はないかもです。

>はるばる山を越えて通うので午前と午後の二部制だというその山間の学校ですら、いえ学校だからこそなのでしょう、ちゃんとシェルターがあるとのことでした。

メルヘンと科学の匂いが同居した映画の一場面のような光景ですね。
これはこれでかなり魅力的です。

>それにしても、仰る「ガツンと大きな楔を国民に~」というのは、はたして日本だけの問題なのでしょうか。
事件後にして各国の近隣原発に対する稼働停止の機運がクローズアップされ、依然旧ソ連からの独立国における原発事情をふまえても、案外「自らに対する欺瞞」「安全性と経済性」の問題は一筋縄ではいかないのかもしれません。

いや、たしかにおっしゃるとおりです。
欺瞞云々は意識の改革ですので時間がかかることでしょう。
それと平行して、現実的に対処していかなければならない問題はたくさんありますよね。
わたしの盲点とも言えると思うのですが、ご指摘いただきありがとうございます。

>そうっか、きっとやっぱり平素の印象がすこぶる悪いのでしょうね、きっと。

あらら、なぜこうなってしまんでしょうか。^^
mashumaro3 さんの印象は、
優しい、かわいい、賢い、ちょっとだけ おっちょこちょい・・・です。^^;
「悪い印象」はゼロです。

>「慎ましさと経済性」という兼ね合いはいかがでしょうか。
計画停電で過度な街のネオンの不要さに気づき、日常いかに都市部に住む私たちが電力消費しているかに自省させれらた一方、ある程度のメリハリの利いた華やぎもまた良いものですし、何よりもまた、戦力放棄を掲げ大国に隣接する我が国の場合、国威や発言力としての経済力も決して侮れない面があると思うのです。

おっしゃることはよくわかります。
そして必要なことだとわたしも思います。
ただ、必要なこと以外にもどんどん電力を使っているような感も否めません。
むろん、この点に関しては同じご感想をお持ちだろうと思うのですが、まさにおっしゃるところの「兼ね合い」というのが妥当な落ち着き先になるのかもしれませんね。
しかし、舵を逆に切るときは大目に操舵輪を回さざるを得ないような気もします。

>北海道ですか。またカシオペア寝台に揺られてのんびり訪ねたいなあ。
何を食べても美味しくって、
だから帰るのが嫌になっちゃうのはスイスと一緒かそれに勝るでしょう!^^

あちらこちら旅行されているんですね。
わたしは出不精でしてさっぱりです。
海外からの予約キャンセルが非常に多くて大打撃を受けており、有名ホテルが2館、長期休館に追い込まれているようです。
    

投稿日時 - 2011-04-19 22:50:17

ANo.34

先日の回答でも申し上げた、
>>いわゆる「専門家」と称される人たちの見解のバラつきやアヤフヤさです。正直、こんな人々に任せていたわけか、と、今更ながら思いました。

>いや、全く辟易します。

このあたりかなあと思っているんです。
科学者根性とでも言うんでしょうか、普通に言う「騙す」というのは、すでに、良くないことになると分かっているからこそ騙しに かかるものですが、科学者というのは、分かってないものを実験して確かめたがりますよね、病的なくらい?

その結果が どう出るかということは、実は二の次という、ある種の子どもっぽさがあるような。
原爆実験でも そんなとこだったんじゃないでしょうか。やりたくてムズムズ、という(笑)そこへ、政治家だの権力者連の利害思惑と合致した、とか。
ハッキリ、根は無責任な傾向の人種なのだと言ってしまったほうがいいかも(もちろん、全員そうだとまで言うつもりはないですが 笑)

なので、彼ら自身、ろくに分かってやしないものを、逸る気持ち抑えがたく、突き進んでしまった面もあったのではなかろうかと。


私は、これまでにも、「信なき時代」ということを言ってきました。
なるほど、自衛第一のためには、疑うことも必要でしょう。やみくもな信じかたは、自他に対して無責任になることもあろうし、詰まるところ、「自己つごうのよい押し付け」と同じことになってしまったら、それが「犠牲者」を生んでしまうこともあり得るだろう。
しかし、それだけでは済まないのではないかとも思っています。
相手の信に対して、お互い応えようとする誠実も また必要なことだと。

常に疑わざるを得ず、信じることが できないというのは、苛まれることに等しいものだろうと思います。
疑念のみであるとき、偽計は、より いっそう深く巧妙に隠されようとするでしょう。
このことは、お互いさまであろうが、片方のみの一人相撲だろうが、同じことだと思います。人は、自分で自分に、心からの嘘を つきさえするのですから。

おっしゃるところの「欺瞞」なるものを、一般国民の側こそが捨て去り、思い切るためには、各分野ごとに精通した者や専門家連中を相手に、彼らの側の欺瞞をも的確に見抜くことに とりかからねばならなくなるわけですね。それが じゅうぶん可能であるということは、つまり、どういうことなのかと。

一般人と指導者層と、ある意味、「大逆転」を起こさざるを得ないわけです。価値観や、いろんな面で。

ある年齢以上の人たちにとっては、とにかく元通りに復旧が一番好ましいのかもしれませんが、先行世代は、次世代に、原発を めぐるツケを負わせてしまう かたちとなり、このためにも、安全性の高い代替エネルギーを準備することと、全てのエネルギー供給施設においてヒューマン エラーを防ぎきるシステム構築が急がれます。
「東北エコ シティ」といった提案も出ているようですが、このたびの被災範囲が非常に大きく、徹底的であったこと、しかも、それは、今後なお継続、やがて全国規模に拡大していくかもしれない恐れを踏まえて、どうクリアしていくかという視点のもと、この際、東北に限ったものではなく、列島全体を視野に入れるくらいのグランド デザイン構想立ちあげが必要となり、それに連れた価値観の成熟も望まれざるを得ない次元に入ったのではと思います。
東北をモデル地区に、という以上に、日本全体が、画期的深みのあるモデル ケースとして、新たな将来性で、世界にアピールしていけたらといいなと思っています。

>ただ、新規建設は中止です。
>現有原発稼動の際の「一定の想定」基準を厳しく設定し続け、長期的には後者の実現を目指す、といった感じでしょうか。

どなたか、原発の小型化のことを指摘しておられましたね。わりに良いことずくめのようなんですが、これだってリスクないわけがないだろうと、さすがに、以前とは違って、私も疑り深くなったものです(笑
参考URL欄に挙げたサイトや、また他のサイトでも見かけたところでは、最終的には、「核融合」設備を目指しているのだそうです。これは、現行の「核分裂」方式とは違うもので、ぜったいと言えるほどの安全性なんだそうですが(笑)その意味で、いずれにしても、いまの原発は、あくまで過渡期に過ぎないものだと。

以下のサイトを一読し、やはり、科学も「信仰」なのか、という思いが再び浮かんでしまいました。

「東京大学航空工学科(電気推進)、同、原子力工学科(核融合発電)、工学博士」と明記されています。

「現在の原子炉は極めて安全に設計されており、核分裂を用いた原子炉そのものは決して危険ではありません。(こう信じていましたが、福島の現状を見ると、この記載は消さざるを得ないと思いますので、削除します 2011/4/15)。

参考URL:http://www.asahi-net.or.jp/~rt6k-okn/fusion.htm

投稿日時 - 2011-04-19 11:32:12

お礼

引き続きのご回答に対してお礼申し上げます。

>科学者というのは、分かってないものを実験して確かめたがりますよね、病的なくらい?

その結果が どう出るかということは、実は二の次という、ある種の子どもっぽさがあるような。

いや、これが核心の大きなひとつの要素でしょうね。
戦時中の日本軍による病原菌の人体実験なんかもそうでしょ。
単に化学兵器としての利用という以上に「子供っぽい好奇心」の為せる業ではなかったかと思います。
わたしは原爆投下に関しても実は同じ要素があるものと確信しています。

いや驚きました。こう書いてきてあなたの、
>原爆実験でも そんなとこだったんじゃないでしょうか。やりたくてムズムズ、という(笑)そこへ、政治家だの権力者連の利害思惑と合致した、とか。

という文列に目を移動したのです。
あなたに媚びているわけではありませんよ。
わたしは嘘は決してつかない人間です。
むろん、意図的にはです。

>相手の信に対して、お互い応えようとする誠実も また必要なことだと。

そうですね。

>疑念のみであるとき、偽計は、より いっそう深く巧妙に隠されようとするでしょう。
このことは、お互いさまであろうが、片方のみの一人相撲だろうが、同じことだと思います。人は、自分で自分に、心からの嘘を つきさえするのですから。

はい。全くそのとおりですね。
平気で自分にであっても嘘をつく。(というか嘘をついているいう自覚が無い、と表現すべきかもしれません)
ところが、嘘をついた(ついている)という事実だけは、仮に、というかおそらく間違いなく、心のどこかに記憶され、無意識として生き続けるわけです。
それが人間を我知らず苛む結果になるのだということなのでしょう。
また、苛むという心理作用自体が無意識下で行なわれることも多いわけでして、その結果、我知らず悩む、という現象につながるのだと思われます。

>おっしゃるところの「欺瞞」なるものを、一般国民の側こそが捨て去り、思い切るためには、各分野ごとに精通した者や専門家連中を相手に、彼らの側の欺瞞をも的確に見抜くことに とりかからねばならなくなるわけですね。

安易かもしれませんが、わたしとしては全体像を相手にすることはおそらく無理だろうという気がします。
それゆえの専門家でしょうからね。
首根っこだけをしっかりと押さえておくと良いのではないか、と漠然と考えています。

>一般人と指導者層と、ある意味、「大逆転」を起こさざるを得ないわけです。価値観や、いろんな面で。

そうですね。
わたしは怠惰ですので、そこまで精力的には考えません。
ただ、指導者の思考が「大逆転」を予感せざるを得ないほどにわたしたちが自立した一般人となることは、人というものの有り方そのものとしても、重要なことかもしれませんね。

>安全性の高い代替エネルギーを準備することと、全てのエネルギー供給施設においてヒューマン エラーを防ぎきるシステム構築が急がれます。

言いたいことを一言でまとめられちゃいましたね。^^

>この際、東北に限ったものではなく、列島全体を視野に入れるくらいのグランド デザイン構想立ちあげが必要となり、それに連れた価値観の成熟も望まれざるを得ない次元に入ったのではと思います。

同感です。
特に後半が重要でしょう。

>参考URL欄に挙げたサイトや、また他のサイトでも見かけたところでは、最終的には、「核融合」設備を目指しているのだそうです

核融合と核分裂とは違うのですね。
興味深いです。
URL 拝見しましたが、太陽光バネルやバイオマスなどと共に、開発資金をどかっと注ぎ込む価値がありそうに見えますよね。
お互い素人目なわけですが・・・。
しかし、玄人目に頼ってばかりいると現状のような有様になってしまうのでそう捨てたもんでもないかもしれません。

>「現在の原子炉は極めて安全に設計されており、核分裂を用いた原子炉そのものは決して危険ではありません。(こう信じていましたが、福島の現状を見ると、この記載は消さざるを得ないと思いますので、削除します 2011/4/15)。

科学者である前に人間である、ということなんでしょう。
潔いですね。
さて、一般人はこれをどう評価するのか。
このへんに案外(原発に限らず、種種の事象に関する)本当の原因、理由が潜んでいそうです。
  

投稿日時 - 2011-04-19 22:12:59

ANo.33

下記は、災害度合いを想定しておくうえでの「過去データ」ということに関するところですが、
最近、お話していた或るブロガーさんは、「想定」のためと称して、古文書まで持ち出し参照するなどはナンセンスである、という御意見なのです。
しかし、彼の言う「古文書」とは、たかだか明治時代の記録のことを指しているんです。
以下の各新聞記事で とりあげられているのは、被災地で明暗を分けたという二様の堤防の話です。

『明治の教訓、15m堤防・水門が村守る…岩手』
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110403-OYT1T00599.htm?from=y10

『<東日本大震災>津波間一髪、防潮堤を過信 岩手の一家』 毎日新聞 4月16日(土)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110416-00000014-mai-soci
 3メートルなら大丈夫--。過去に何度も津波を経験してきた岩手県沿岸部は各地で高い防潮堤を整備するなど対策を進めてきた。地震発生直後に気象庁がこの地域に出した大津波警報は高さ3メートル。「高台に避難しなくても安全だ」と考えた、という証言が相次いでいる。

◇「数字たいしたことないと…」
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今回の原発事故のことで、やはり、デモも起きたらしいですが、それに対する見方も、原発に反対派は愚か極まると言う意見あり、福島方面の住民にとっては、放射線絡みの風評を強調するに等しい、という憤りあり、原発停止で、自分たちの世代はガマンばかり強いられてしまうのか、といった不満あり、ほんとうに、立場によって違いが大きく、様々です。

>「営利第一、利便第一」を通用させてしまうのが、「危険性に対する認識の甘さ」
>なぜ、原発の危険性にも拘らず、こうした大企業に頼った利便性に国民は執着するのだろうか

やはり、一番大きいのは、経済に対する貪欲なのだと思います。これの前においては、さしもの「危険性に対する認識」すら甘くさせてしまっているのではないかと。「欲で眼が曇る」とか言いますものね。
しかしながら、
特に、その本音を隠して、口を拭っているのは、実のところ、一般の国民大衆というよりは、「エリート」層とされている、つまり、「持てる」立場の人々であろうと思っています。彼らが失いたくないものは、さぞかし巨大なのでしょう。

>原発を建設・稼動する側が、このように(声を大にして)公言することを義務付ける
>『>「持てる有利」な側の者』に対しては罰則規定で制御するしかないでしょうね、当面は。

そういえば、都知事の石原氏が、去年あたりに、幼児・児童ポルノ漫画を規制措置実施の対象とする旨、明言したときも、猛烈な抗議の声が ありました。
「罰則」や「規制」の類に、安易に頼っていいのか?といった。。。それこそ、「人類の進歩」といった観点を踏まえての意見もあったのでしょうが。。。

大量の「犠牲者」を出した、という重い事実の積み重ね、そのことが、「縛り」を かけていくのか。もう最初から罰則や法的規制を用意して縛るか。あるいは、「犠牲者」が大量であろうと、どこ吹く風、かもしれません。

そうした点を考えたとき、一般人レベルに比べ、各段に高度な専門教育を受ける機会に めぐまれた者、知性や教養の研鑽一途に励んでこれたはずの者、それによって一般人をリードする立場に就いているはずの、いわゆる「エリート」たちが、そんなことで どうするか、とも思うのですけれどね。罰則で縛ってやらなければならないのか?という。。。それこそ、「奴隷根性」とも言えるわけで。

>彼らは妄想者となりやすい体質を備えていますが、その妄想を裏付けているのは その妄想に媚びる一般人であって、あるいは、媚びざるを得ない社会システムでもあるでしょう。

一種、「魚心あれば水心」というやつでしょうか(苦笑)
やはり、一方の側の欲があって、もう一方の欲が かぶさってくると。
欲の ありかたについても考えるべきときに来たようです。

まあ、「科学」、「科学」と言いますけれど、その本質には、ある意味で「信仰」と近いものが含まれているようにも見受けますし、科学者の欲望というのも、そうとうに独特なものがありますよね(笑)

個人的には、そういう場を存じませんが、実際、アカデミックな場においては、「宗教」的なまでのヒエラルキーが確立されているとか。こういうこと、気象庁なんかにも昔からある問題だと聞いております。もちろん、弊害があるそうです。

投稿日時 - 2011-04-19 10:48:06

お礼

ご回答ありがとうございます。

サポートさんに質問趣旨を説明した結果、カテ復帰を了承していただきました。
ご迷惑をおかけした部分もあるかと思い、まずはご報告まで。
以前、削除された回答を復活していただいたこともあり、全く論理の通じないサポート体制でもないようですね。
知恵袋なんかの安易な姿勢に比べると優れていると思います。
石棺とすべき質疑部分は削られてしまいましたが、色々管理側の事情もあるでしょうからまあ良しとしましょう。

>『明治の教訓、15m堤防・水門が村守る…岩手』
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110403-

の中にある
『既に一部が完成し60年にチリ地震津波を防ぎ、「万里の長城」と呼ばれた同県宮古市田老(たろう)地区の防潮堤(高さ10メートル)を大きく上回る計画は当初、批判を浴びた。』
という記述が印象に残りました。
こういう自治体の長が本物なんでしょうね。
一度10mの堤防を作ってしまったら、そろそろ15mに作り替えようかとはいかないですからね。
批判した人間には、「10m以上のが来たら【仕方がない】。わたしが責任も持つ」と末代までの証文を書かせると良かったと思います。おそらく書けなかったでしょう。
やけくそなら別ですが。

>やはり、一番大きいのは、経済に対する貪欲なのだと思います。これの前においては、さしもの「危険性に対する認識」すら甘くさせてしまっているのではないかと。「欲で眼が曇る」とか言いますものね。

それはあるでしょうね・・・。
ただ、この場合の欲には生活欲、つまり、生活維持=生命維持が絡んでくる場合もあるのでしょう。
今も、漁民が津波の被害を懸念しつつも、仕事のためには海岸に家を建てる必要がある、と主張していますね。
この場合でも、高台にすぐに避難できるような設備や場所を整える必要があるように思います。
金が懸かるというのがネックになるでしょうが、その際に、「じゃあ、津波でまた命を失う人が出ても仕方ない、と明言してみろ」と言えば良いのであって、それが出来なければ、高台に家を作った上で漁のしやすい環境を高額を懸けて整えるべき、という話になるように思うわけです。

>特に、その本音を隠して、口を拭っているのは、実のところ、一般の国民大衆というよりは、「エリート」層とされている、つまり、「持てる」立場の人々であろうと思っています。彼らが失いたくないものは、さぞかし巨大なのでしょう。

この傾向は確かにあるでしょうね。
つまり、彼らにとって命の重さは決して同じではないのです。
ただ、わたしとしては、そういったことを許している人間の体質というものもあると思うのですよ。
いわゆる奴隷根性ですね。
社会という歯車に組み込まれている以上、誰しもが大なり小なり持っているものかもしれませんが、譲れない線を譲ってしまっては・・・、ということでしょう。

>「罰則」や「規制」の類に、安易に頼っていいのか?といった。。。それこそ、「人類の進歩」といった観点を踏まえての意見もあったのでしょうが。。。

なるほど、それは言えるでしょうね。
ただ、市民の意志の結果として罰則が制定されるのと、トップダウン的な罰則では大差があるように思われます。

>いわゆる「エリート」たちが、そんなことで どうするか、とも思うのですけれどね。罰則で縛ってやらなければならないのか?という。。。

彼らもあくまで本能が基盤となっている人間であるという証拠なんじゃないですかね。
出没するアラシにも言えることですが、人間には自由と同時に自由を侵すことに対する罰則が必須と思われます。
以前どこかで口走ったことがあるのですが、パスカルが「力なき正義は弾劾される」と言っています。
正義には正義を守る力が付随している必要がある、という意味に解釈しています。
(正義とは何かということはまた別問題となりますが)

>一種、「魚心あれば水心」というやつでしょうか(苦笑)

まあ、そうです。
わたしを含めた誰しもが、他人事として述べるわけにはいかない問題ですけどね。

>欲の ありかたについても考えるべきときに来たようです。

さらなる課題として大いに有効そうですね。

>アカデミックな場においては、「宗教」的なまでのヒエラルキーが確立されているとか。こういうこと、気象庁なんかにも昔からある問題だと聞いております。

組織の巨大さに比例するのかもですね。
 

投稿日時 - 2011-04-19 21:20:49

ANo.32

長いので他の人の答えとそのレスを読んでませんが。ちょっと考え方が違います。
原発事故が起きるのは仕方がない 。、、、そのあとに何かがつくのです。車でいえば、自動車を作れば自動車事故が起きるのは仕方がない、「だから乗車しているひとをより安全にしよう」です。そして安全はいまやメジャーな売り文句で、消費者も安全を好んで買う人も多いのです。

原発を廃止しろ!とはいいませんが、現実的かつ建設的には、原発は完璧ではない、「だから事故が起こったとき、より安全にしよう」です。

東電をこき下ろすのは簡単ですが、これから、原発を現実的にどのように扱っていくのを考えるのが必要です。
https://aspara.asahi.com/blog/science/entry/RE4R2RW7tC

>2009年6月、経済産業省で開かれた、古い原発の耐震性を再検討する専門家会合。産業技術総合研究所活断層・地震研究センターの岡村行信センター長は、 過去に大きな津波があり、再び来る可能性があることを指摘。「(東電の想定が)そこに全く触れられていないのは納得できない」と、何度も厳しい口調で繰り 返した。

投稿日時 - 2011-04-19 10:39:23

お礼

ご回答ありがとうございます。

>自動車を作れば自動車事故が起きるのは仕方がない、「だから乗車しているひとをより安全にしよう」です。そして安全はいまやメジャーな売り文句で、消費者も安全を好んで買う人も多いのです。

おっしゃるとおりなんですが、そういった思考ではまだ生ぬるいのではないだろうか、というのが今回の質問の趣旨です。

自動車を作れば自動車事故が起きる。
時速60kmで運転者席側に衝突すれば死亡の確率は60%。
腹部に損傷を受けた場合、以下のような障害が生じる可能性がある。
頭部の場合は、~~~。
腰の場合は、~~~。
また、人間には不注意がつきものなので暴走車両による事故が年間〇%予測される。
・・・
・・・などなどきめ細かく自動車の危険性を事前に検証することが必要ではないでしょうか。
で、車の販売者は、購入者に対して、
「このような危険性を伴なった乗り物です。この車は運転席側の死亡確率を55%まで減衰させた構造になっています。」
と明言することを義務付けます。
つまり、最悪の場合の危険性について周知徹底させる義務を負わせるわけです。

それに対して購入者側は、
「つまり、時速60kmで衝突された(した)場合の死亡確率が55%で、歩けなくなる確率は〇%、全身麻痺になる確率は〇%。こういうことですね。わかりました。その場合は仕方ありません。諦めます」
こういった覚書を交わして初めて車の使用を認めるようにする。
この場合、死亡確率の基準を各社が競うことになるでしょう。
危険性についての認識が相当高くならざるを得ないからです。
今のようにスピードやらデザインやらで競っているのは、危険性に対しての認識を欺瞞的に無視しようとする心理が使用者側にあり、それをまた販売者側も利用しているわけでしょう。
このようにして、たとえばスピードがそれほど出る構造自体が間違いではないか、などについて真剣に検討されるようになるでしょう。

結果としてより安全性に留意した車が求められるようになる、というわけです。
原発も同じで、その危険性に対する認知があまりに低すぎるのではないでしょうかね。

>原発を廃止しろ!とはいいませんが、現実的かつ建設的には、原発は完璧ではない、「だから事故が起こったとき、より安全にしよう」です。

わたしは長期的には廃止すべきだと思うのですが、それは様々なご見解があって良いと思います。
いずれにせよ、『>原発は完璧ではない、「だから事故が起こったとき、より安全にしよう」』といった発想が必要ですよね。
現在は安全神話に踊らされている部分も多いので、「事故が起こったとき」の怖さを、どうしたら真剣に考えることができるだろうか、ということが重要になってきますね。
  

投稿日時 - 2011-04-19 15:14:43

ANo.31

お返事、拝読いたしました。
長文連続回答で、かえって お手数おかけしているでしょうに、申し訳ない、今回も同じくなのです(笑)

>>原子力安全委員長である班目氏の「割り切らなければ原発は設計できないが、割り切り方が正しくなかった」

>なかなか正直でいいことを言うんですね。
>作る前にこういうことを大々的に知らしめると、もっと良かったはずです。
>次回からでも、遅すぎることはない!と思いますよ。
>安全保安院よりはマシなのかな。

そう お感じになりましたか(笑)
「正直」と言いましょうか(笑)実は斑目氏は、他のことでも、軽率ゆえの失言になりかねない発言があったようなのですけども。
保安院よりは どうなのだか、先日など、その安全委は保安院に責任擦りつけ的発言を かましてましたが(笑)ここでも「押し付け」合戦ですね。

>原典である論語に忠実に「よらしむべし しらしむべからず」

そうでした!これは私の単純な間違いです。失礼しました。
まあ しかし、為政者側にとって、こんにちでも確かに有効かと思わせるだけのものがありますね。
大昔、文字というものを、特権階級が独占し、民衆には学ばせなかったということにも通じます。近頃、大いに問題視されている「情報の隠蔽」に繋がるものですね。

>NIMBY(ニンビー)とは、Not In My Back Yard(自分の裏庭にはあって欲しくない)の略で、施設の必要性は認識するが自らの居住地域には建設して欲しくないとする住民たちや、その態度を指す言葉

この御指摘で思い出したのが、ある地方の一般住宅地における、犯罪者更生施設の建設で、地域住民からの根強い反発があったという。。。原発施設とは比べものにならないレベルの話ですが。。。

(※すみません、「蝉雪さん」とは、たぶん、他の回答者さまだろうかと思いますが、どのかたか分かりませんでした。)


>>「人事を尽くせている」か どうか、専門領域を、一般人がチェックする。それって、現実的なレベルの話にできるのか

>この点に関してはマスコミの力に期待しています。
>他律的

それがですね…一言で「マスコミ」と言いましても、いろんな媒体があるわけですが、総じて言ってしまえば、マスコミ代表たる報道新聞と言えども、各社のカラーを持ち、「商売」としての側面も大いに持っていますので、なかなか、簡単でないことと思います。
「御用学者」などというコトバが ありますが、マスコミだって同様なことで、たとえば、「御用記者」と呼びたくなるような存在もあるというのが実態らしいです。政府筋(官僚)から、予算として堂々と計上された「お手当て」(接待費)を もらってやっているという仕組みも築かれているとか。
記者クラブの問題としては、
先日、あるブロガーさんが紹介しておられたyoutubeの動画を見たのですが、これは、政府筋の何かの重大発表会場にて記者会見の開始前、さる大手の通信社所属記者(つまり、この業界での「エリート」側ですね)が、フリーランスのジャーナリストたちを、会場から締め出しに かかっているという場面の記録でした。
私は聴障者ですので、そのときの会話自体は、残念ながら殆ど聞きとれませんでしたが、ま、なかなか お上品ぶったと言うか、どこか気取った風貌のエリート然とした大手通信社記者が、それこそ、一匹狼の風情ただようフリーランス記者の食い下がりを、表面だけは もの分かり良さげに頷きながらも、結局、体よく追っ払う図、といった感じでした。
組織的なものの排他性と腐敗は免れないという摂理でもあるのだろうかと思います。

一昨日あたりも、私は自分が参加しているサイトの報道記事を執筆した記者に向けて、原発事故関連のことで、少し辛口にモノ申しましたが、私みたいな、何事につけても疎い者ですら、うまいことキレイごとに、イイほうへまわり、一般読者を まるめ込もうとしているのか、と感じさせるような記事も、それなりの心構えで見ていると、けっこう多いのです。
いわゆる「木鐸」とも称されますけれど、それこそ「欺瞞」を潜めた新聞記事が、少なからず あるということだと思います。戦前の朝日新聞の話なんかは有名らしいですが、こういう方面でも警戒は必要なんですね。

これからの「マスコミ」界を、インターネットが席巻するかのように持て囃される時代を迎えておりますけれど、あの「ウィキリークス」の内部事情を みても、やはり、旧来勢力の持っている力は根本的に大きいです。
ネットの主役であるはずの一般大衆にしても、相変わらず「愚民」としての側面をも保持している現実なわけですし。

投稿日時 - 2011-04-19 10:23:01

お礼

ご回答ありがとうございます。

>長文連続回答で、かえって お手数おかけしているでしょうに、申し訳ない、今回も同じくなのです(笑)

いえいえ。^^
こちらこそ拙い質問にもかかわらず真摯にご回答いただき恐縮しております。

>「正直」と言いましょうか(笑)実は斑目氏は、他のことでも、軽率ゆえの失言になりかねない発言があったようなのですけども。

実はあまり見る機会が無かったですが、ああいったひょうひょうとした人柄は嫌いじゃありません。
この場合、感覚的な好き嫌いを言ってちゃだめなんでしょうが。
軽はずみというのは本音を言う正直さでもあるし腹でなに考えてるかわからないより案外マシかもしれませんよ。腹は立ってもですね。

>近頃、大いに問題視されている「情報の隠蔽」に繋がるものですね。

そうですね。
この重要性を開示させる側が本当に重視しなければならないと思います。
重視する心理状態にする(なる)にはどうすべきか、とういことでもあるんですよね。

>地域住民からの根強い反発があったという。。。原発施設とは比べものにならないレベルの話ですが。。。

ありましたね、そういう話。
というか、今でもどこかでありそうな話かもですね。

>(※すみません、「蝉雪さん」とは、たぶん、他の回答者さまだろうかと思いますが、どのかたか分かりませんでした。)

他のスレで大御所と衝突したのが原因と思いますが、速攻で退会された#8さんです。^^
ああいう素直な方にはまた来て欲しいで寸ね。

>一言で「マスコミ」と言いましても、いろんな媒体があるわけですが、総じて言ってしまえば、マスコミ代表たる報道新聞と言えども、各社のカラーを持ち、「商売」としての側面も大いに持っていますので、なかなか、簡単でないことと思います。
>記者クラブの問題としては、
>政府筋(官僚)から、予算として堂々と計上された「お手当て」(接待費)を もらってやっているという仕組みも築かれているとか。
>組織的なものの排他性と腐敗は免れないという摂理でもあるのだろうかと思います。

たしかにそういった側面(主面というべきか)はあるでしょうね。
ただ、ウィキリークスという団体が存在可能になるような昨今、マスコミの体質も変わらざるを得ないような期待もしています。
今の NHK もなかなか骨太になってきましたよ。
ほんの部分的でしょうが。
水野解説委員というのがよく原発で登場していたのですが、なかなかはっきり物を言う人でした。
危険性を否定しないんですね。
公然とその根拠を述べる。
以前のNHK であれば完全抹殺というほどの勢いでしたよ。
で、しばらくしてチェックが入ったらしくて、出演頻度がガクンと落ちた。
というか殆んど出なくなった。
後日の記者連中の談話番組でも、最初に概要を述べた後、その場から退出しました。
しかし、結局、他の解説がつまらないのでたぶん苦情が殺到したせいだと思うのですが、前ほどではないにしろ出演頻度がまた戻ったように思います。
このへんに時代を感じます。
最近は前ほどニュースを見ないのでどうなっているかわかりませんが。

個人的には田原総一郎に期待しています。
以前は筑紫哲也にも期待していたのですが、お亡くなりになりましたしね。
あまりそういうことはしないのですが、弔意メールも送信しました。

>これからの「マスコミ」界を、インターネットが席巻するかのように持て囃される時代を迎えておりますけれど、あの「ウィキリークス」の内部事情を みても、やはり、旧来勢力の持っている力は根本的に大きいです。

あ、やはりウィキリークスが出てきましたね。^^
たしかに旧来勢力の力はまだまだ強いでしょうね。
ただ、ネット情報から一国が覆る、いや一国どころではないですよね。
そういう時代に変節しつつあるのは確かなようです。

>ネットの主役であるはずの一般大衆にしても、相変わらず「愚民」としての側面をも保持している現実なわけですし。

まあ、そうなんですが。
清濁併せ呑みつつ、海のようになにかを生み出していくんじゃないでしょうかね、いずれ。

めしを作る時間ですので、他欄へのお礼はまた後ほど。
  

投稿日時 - 2011-04-19 17:00:55

ANo.30

今までたくさんの方が意見を述べているのに、あえて空気を読まずに回答します。的外れでしたらごめんなさい。

文明の高度に発達した日本ですから、もうそろそろ、社会的に高度な細分化が起きてもいいと思います。つまり、志のある人が、あれこれ試してみてもいいということです。

今回の原子力発電所の事故をきっかけにして、市民運動が生まれる可能性はありましょうか。
社会主義あるいは全体主義の国ではないので、国に頼らずに、若い人たちのグループで、スポンサーを捜して、自分達が正しいと思ったことを試してみたらどうでしょう。

例えば、環境問題に非常に真剣に取り組んでいるワシントン州やオレゴン州では、コミュニティハウスを建設しています。

そこではトイレも普通の三分の一しか水を使わない機種を選び、電力を節約する機種の電気製品を使い、家の建て方も、節電を意識して、二重窓や断熱材で補強してあります。コミュニティの真ん中には共通の庭があって、その片隅には自給自足できるような菜園があり、雨水をためて、水遣りができるようになっています。夜の食事は食堂でまとめて用意して、余り物がでないようにし、でてしまったら、菜園の肥料に出来る仕組みができています。夜の食事を一緒にするので、そこでコミュニティの問題を解決してゆく話し合いも出来ます。

こうしてみると、昔の日本の長屋生活のようですね。こうした生活では、孤独死も無くなるでしょう。

これで、環境問題が根本的に解決できるのかどうか、アメリカ全土で採用する日が来るかどうか、きわめて疑問ですが、問題を提起するだけでなく、解決の糸口を模索する姿勢は素晴らしいと思います。

建築家志望の学生さんなどで、大学の構内を借りて、建設会社をスポンサーにして、こんなことが出来れば理想的だと思います。職人気質が世界に誇れる日本人ですから、方向さえ決まれば、たくさんのアイデアが出ると思います。

今回の事故を踏み台にして、未来を作ってゆかれる若い方がいらっしゃることを祈っております。

投稿日時 - 2011-04-19 02:36:19

お礼

ご回答ありがとうございます。

有意義なご提案や事例など大変参考になります。特に、
>そこではトイレも普通の三分の一しか水を使わない機種を選び、電力を節約する機種の電気製品を使い、家の建て方も、節電を意識して、二重窓や断熱材で補強してあります。コミュニティの真ん中には共通の庭があって、その片隅には自給自足できるような菜園があり、雨水をためて、水遣りができるようになっています。夜の食事は食堂でまとめて用意して、余り物がでないようにし、でてしまったら、菜園の肥料に出来る仕組みができています。

という件は興味深く拝見いたしました。

ところで、今回の質問の趣旨は、
1.原発事故が起きるのは仕方がない
と考えることが今、最も必要とされているのではないか
2.東電も嘘つきですが、それを受け入れている国民の欺瞞性のほうこそ問題にされるべきではないでしょうか。
ということなのですが、この点についてはどう思われるでしょうか。
よろしければご見解を。
ここで言う欺瞞性とは、事故の起きる前(=原発稼動時、あるいは建設時)
『その危険性を薄々知っていながら、あるいは感じていながら、それを他者の判断に委ねることによって、「自ら決定する、選択する」という自立した人間としての当然の姿勢から逃れようとしている』
といったような意味です。
   

投稿日時 - 2011-04-19 14:40:36

ANo.29

仁科です。

ようつべに「源八じいさんとタマ」というのがあり、見てビックリしたんですが、なんとネコが喋るんです。でも、ドラえもんもネコですけれど喋りますし、放射線に強ければ原発で作業できますし、アトムがもしいたら、原発を何かの袋に入れ太陽まで届けてくれたらいいのに、もう21世紀なのに。

本当は、夢って、大人になったら何になりたいのかとか、未来の世界は、どうなるのかどうしたいのかとかって、本当はそこには、何もないはずというか、ビジョンなんていらないはずで、人の子は、大人になったら人の大人に、なればそれでいいはずなんであって、本当は、何かになるだとか、そんな狭い存在じゃなかったろうに、
ひとりひとりを何かの中へいちいち放り込み、そうされない者からは人工的な命綱を、体外に据えられるマネーというチップをとりあげるという不自由な仕組みの、
おおげさな社会という場所も、暮らしも、本当は、もっと地味な、本当は、個々の体質に合わせて各々が微調整すればいいくらいの暮らしで、その程度ぶんの多様性が、あるならあるでよくて、全体的な社会や文明の、変化していくというイメージや、ビジョンなんかは、ないほうがよい、無駄な変化の幅であって、本当の、シンプルな、自然なにんげんの、みる夢と、おくる生活を、ゆりうごかし破壊し、変えて変えて変えすぎるばかりの、ひどく余分なことだろうと思う。

何になりたいかという問いは、大人が子どもに投げかける問いとしては異常な問いで、蝶々はいもむしにそうした問いを投げかけない。人の子は成長すれば人の成体になるのであって、けむしは蝶になるのであって、聞くまでもない問いで。人がいない、分業化されている社会におまえも生きるのだよという、生きようにおける前提の強要が、あらかじめ子どもへの問いに隠されている。

先立つものと言い触らされマネーがいちいち忍び込んできて、服を洗うことは服を洗うことなのに、マネーの必要性が忍び込んで汚れた服を洗いたいのに、わざわざいつの間にか洗濯機や電気が要請されてくる。イメージだのビジョンだのによってマネーや電気や機械がある場合とない場合との比較が、幸せと不幸とのコントラスト、資産持ちと貧乏との差を伴いながら脳内に植え付けられ、洗脳済みの頭から脅しや言葉や金で一方的に、多い側が少ない側へ命じては動かす、そういう世界にされている。これに代替案がなく。文明をなじる梅原たけし。マネー社会を嫌うへんみよう。らの暗いつぶやき。対案がなくアナキストは場末のサイトで文字を溜めるだけ溜めて腐り。

ここから反原発とか脱原発とかをするにしても。反マネーや脱マネーを希求するにしても。日々カネが要るとも確かに詮なく思いながら求人情報を眺めながらも、それでも脱マネーしないとならないと思うと

まずニートは正しい。このマネー社会においてニートは正しい。

で、どうしよう。わたしはどうしよう。

はこぶるさんは、面倒くさいことも、ゴミ拾いなんかも率先してやり、それは私もやりたかったのでしたが、わりとやるかんじの人なので、相談にのってくれそう。

実家が腐界に呑み込まれたのでホームレスで、自主避難なのでマネーも支給されず、そんなのはいいのですがもともとマネーに腐敗している家庭や社会に寄生する人生に嫌気がさして、心療内科とかに行っても働きなさいと言われます。

はこぶるさん相手してください。ひとときだけ。
私は脱ヒキして原発ホームレスになり、今後の夢は脱マネー脱ヒエラルキーの集団的時給自足の社会を達成することなのですが、どう目論めばよいのでしょう。脱マネー脱ヒエラルキーのところだけ私的には達成できているものの、関わりたい社会と今の社会とがあまりに異なりすぎて社会参加できず社会性なんか欲しくなく、まっさらな森の状態をまず夢見て森や水の恵みをあらかじめ希望して仲間もなく。
「眠る男」という静かなニート映画に森の乞食みたいな青年が出てきましたが、その実現したい社会のイメージというか、ビジョン(はあ)としては、もののけ姫に描かれるあのカクカクした木霊たちの暮らしをちょっと賢くしたような世界です。さるではなく、ゆりうごかすメッセージとは別の言葉で結ばれている群れがすてきだと思い。眠い。
そういう夢へ向けて歩み出すさいの半歩目は何だと思いますか。とりあえず森を見つけることですか。樹海で自殺しようとする人たちと語らい、仲間になり、暮らしの方法を世界中から盗み、共有して生きて死ぬことですか。どう思いますか。

ちなみにお昼ごはんは食べてません。筋トレしてます。1セット百回ですが体が軽いので平気ですし、避難所なのでわりと自動的に禁オナ中ですが昨日すこし抜きました。
よろしくお願いします。

投稿日時 - 2011-04-18 13:37:41

補足

>文明をなじる梅原たけし。マネー社会を嫌うへんみよう。らの暗いつぶやき。対案がなくアナキストは場末のサイトで文字を溜めるだけ溜めて腐り。

辺見庸は確か中国通。作品を文芸雑誌で2,3読んだことが昔あるような無いような。
アナキストは場末が似合いますね。嫌いじゃありません。
ただ、アナキストという言葉の意味に絡め取られている、あるいは陶酔しているだけ、のような印象も否めません。
かなり相対的な思想ということになるのではないでしょうか。
ただ、一時は憧れたこともありました。

>ここから反原発とか脱原発とかをするにしても。反マネーや脱マネーを希求するにしても。日々カネが要るとも確かに詮なく思いながら求人情報を眺めながらも、それでも脱マネーしないとならないと思うと

一遍に全部はできません。
まず何をすべきか、だけ考えればいいんじゃないでしょうか。
で、動物ですから食わなきゃならない。
人を騙しても、親の言いなりになっても、体を売っても、ゴミ箱を漁っても、食わなきゃならない。
それが人間でしょう。
難しいこともない反面、特別なこともありません。

ただ、厄介なことに超自我という余分なものが人間の本能にはくっついているので、色々感じたり考えたりしてしまい、そこに葛藤が生じる。
ですから、難しいこともない、と言ったのは嘘で、本当は難しいのです。
しかし、それもまた嘘で、つまり、本当に肝心なことは難しくない、ということは確かです。
目の前の飯以外にも、百年先の飯を想像することが人間にはできてしまう、ということなのでしょう。

マネーが必要とされるのであれば、あくまで脱マネーのためでなければならないし、しかし、脱マネーのためにはまずマネーが必要になる、ということでしょう。
マネーを原発に置き換えてみれば、現在は過渡期と言えるのかもしれません。
脱原発派としては。
>まずニートは正しい。このマネー社会においてニートは正しい。

ある意味ではそうですね。
否定はしませんよ。
本人が納得できれば完璧なのですが。

>面倒くさいことも、ゴミ拾いなんかも率先してやり、それは私もやりたかったのでしたが、わりとやるかんじの人なので、相談にのってくれそう。

面倒なことは嫌いです。

>自主避難なのでマネーも支給されず、

福島の30K圏内でしたか?
100万出るんじゃなかったっけ。
単身は75万・・・。

>そんなのはいいのですがもともとマネーに腐敗している家庭や社会に寄生する人生に嫌気がさして、心療内科とかに行っても働きなさいと言われます。

う~む・・・(-_-;)。
働きたくないのに働けって言われてもね・・・。
それは拷問です。
いいんじゃないかな働かなくても。
マネーに腐敗してても寄生できる家庭があるというのは幸運ですよ。
その恩恵に心ゆくまで浸っていてよろしい!
わたしが許可します。

>今後の夢は脱マネー脱ヒエラルキーの集団的時給自足の社会を達成することなのですが、どう目論めばよいのでしょう。

わたしは案外簡単じゃないかな、と思います。
【第一の方法】
まず、仁科さんは貯金通帳をお持ちでしょうか
無ければすぐに作ってください。
郵貯が理想的です。
上でも述べましたが、脱マネーのためにはまずマネーが必要になる、ということは間違いありません。
ただ、なんのために貯めるのか、という目標が無ければ続きませんし始める気にもなりません。
そこで、図書館かネットで、田舎の物件を探してみてください。
思いきり僻地だと、100万~300万ぐらいで土地と建物が手に入ると思います。
そのために、なりふり構わず働いてください。
永遠に働くわけではありません。
あとは自給自足です。
畑仕事は爺さんばあさんでも可能です。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1416631339
ともかくどんな方法でも良いから(むろん犯罪以外で)金を貯めること。
大事の前の小事と割り切ることです。
一時期だけ貯金通帳を恋人にしてください。
実は、100万ぐらい貯まった段階で他の方法を思いつく可能性も大いにあるような気がします。

【第二の方法】
作家デビューするために、あちこちの新人賞に次々応募する。
その素質はお持ちでしょう。
以上で不満ならさらに投稿してください。
  
>筋トレしてます。1セット百回ですが体が軽いので平気です

偉い!

>避難所なのでわりと自動的に禁オナ中ですが昨日すこし抜きました。

う~む・・・(-_-;)。
若いって素晴しい・・・。
後頭部がすっきりするよね。
http://www.youtube.com/watch?v=eatb3UacHTs
   

投稿日時 - 2011-04-18 23:18:10

お礼

ご回答ありがとうございます。

>でも、ドラえもんもネコですけれど喋りますし、放射線に強ければ原発で作業できますし、アトムがもしいたら、原発を何かの袋に入れ太陽まで届けてくれたらいいのに、もう21世紀なのに。

なんか、そのうち実際に起こりそうな話ですね。是非は別にして。
ほんとは禁止されているのに不法投棄とかで、東電の偉いさんがアシモ君に逮捕される図が放映され、その側でモヒカン頭のアトムがイエ~イとか言っている。

>大人になったら人の大人に、なればそれでいいはずなんであって、本当は、何かになるだとか、そんな狭い存在じゃなかったろうに、

なるほどね。
案外忘れていそうな真理かも。
そうさせているのは何なのでしょうか。

>ひとりひとりを何かの中へいちいち放り込み、そうされない者からは人工的な命綱を、体外に据えられるマネーというチップをとりあげるという不自由な仕組みの、

そういった傾向がいつからか強くなってきたのは確かなようですね。

>本当は、個々の体質に合わせて各々が微調整すればいいくらいの暮らしで、その程度ぶんの多様性が、あるならあるでよくて、全体的な社会や文明の、変化していくというイメージや、ビジョンなんかは、ないほうがよい、

それは、そうなんですが、動物であれば自然な微調整が可能になっているのだと思います。
腹がいっぱいなのに獲物を襲うことはしませんしね。
しかし、人間は蓄えようとする。
良くも悪くも本能の壊れた生物という人間としての宿命が
>その程度ぶんの多様性

の基準に何らかの変化をもたらしているのでしょう。

>本当の、シンプルな、自然なにんげんの、みる夢と、おくる生活を、ゆりうごかし破壊し、変えて変えて変えすぎるばかりの、ひどく余分なことだろうと思う。

同感です。
ただ、人間という種が誕生したのは、動物という種が持つ「シンプル」からの何らかの意味での脱却が意図されていた可能性もあるような気がします。

>何になりたいかという問いは、大人が子どもに投げかける問いとしては異常な問いで、蝶々はいもむしにそうした問いを投げかけない。人の子は成長すれば人の成体になるのであって、けむしは蝶になるのであって、聞くまでもない問いで。人がいない、分業化されている社会におまえも生きるのだよという、生きようにおける前提の強要が、あらかじめ子どもへの問いに隠されている。

なるほど。
(大人にしては)かなり新鮮な発想だと思うけど、ただ、その考えには二つの関門がありそうな気がします。
ひとつは、「>分業化されている社会」であるか否かに拘らず、
「>生きようにおける前提の強要」らしきものは子供自体が必要としているのではないか、ということ。
強要ではなく「強要らしきもの」ね。
むろん、医者になれとか工場をついで社長になれとか、そういう強要ではなく、たとえば弱いものいじめしたら尻を叩かれるとか、そういう意味での「生きようにおける強要」がないと子供はおそらく不安定な人生を送ることになるという気がします。

ふたつめは、その必要とされている「生きようにおける強要」と言う場合の、「生きる」ということ自体の意味は常に変化しているのかもしれない、ということ。
つまり、時代に流されるままに親は子に強要するわけで、その意図は単純に愛だったりするのかもしれません。
ここで、「親の想定する生きる意味=子に対する愛」と、その子が「独立した人間としての生きる意味」を模索しようとする気概を持ち得るか否か、といったあたりが、自分の人生なのか、他者に乗っかった人生なのか、を生きる境目になるような気がします。
おっさんにしては、やや青臭い考えですが。

>そういう世界にされている。これに代替案がなく。幸せと不幸とのコントラスト、資産持ちと貧乏との差を伴いながら脳内に植え付けられ、洗脳済みの頭から脅しや言葉や金で一方的に、多い側が少ない側へ命じては動かす、そういう世界にされている
されてはいるのでしょが、代替案がないとも言えないかも、ですね。
やや乱暴ですが、なぜ他者と同じ世界を生きようとするのか、とか。

補足欄に続きます
  

投稿日時 - 2011-04-18 22:09:19

ANo.28

>被害がコミュニティ内では治まらない性質の対象である、
>という点がネックになるかもしれません

確かに、どっかんで、はいそれまでよ、なんだと思いますが
小型化していくほど、いろんなリスクが低くなる気がする
んですが、どうなんでしょうか。

投稿日時 - 2011-04-18 13:20:22

お礼

ご回答ありがとうございます。

>小型化していくほど、いろんなリスクが低くなる気がする
んですが、どうなんでしょうか。

ある意味では言えそうですね。
ただわたしとしては将来的には日常的電力や核としての原発には食指が動かないので、#19でおっしゃていたところの、
>分散化といったのは、日本の少し閉鎖的なコミュニティの特徴が
セキュリティ性に生かすことができれば、コミュニティで運用す
ることも可能なのかなとふと思ったのですが。

という面だけについて考えていました。

リスクは低くなりそうですが、本当に広範な地域における地震の場合は、却って対処に苦慮することになる可能性もあるかもですね。
    

投稿日時 - 2011-04-18 21:10:38

ANo.27

質問者様へ。

えっと、私は国語力が恐ろしく拙くて語彙に乏しく、
それなのに「欺瞞」という言葉に噛みつきカメとなり。
あと「奴隷根性」とかも、どこかでお見かけしたような。

でも、わかってしまったのですよ。本当に。
あなたの用いる言葉のキツさほどにその本意は、
限りなくヒューマニズムにあふれているのだということを。
たぶん、きっとそう。

だから。
mashumaro3は「優しい方なんですね」「かわいい方ですね」も
ひっくり返せばいいんですよね^^な~んだ~。ははは。

──お願いがございます。
拙文はあまりに悲惨な内容なので、
お礼の代わりにコメントとさらなるご自身の反原発ヴィジョンを賜りたく。
大江健三郎のインタヴュー要旨をご覧になられましたか。
(どたなかの翻訳要旨で中身を確認できず暫定で申し訳ないのですが)

スレ汚しの最後の最後の頼みです。
そしてご教示まことに有難うございました!
http://blog.livedoor.jp/sabatasamezo/archives/51833013.html

投稿日時 - 2011-04-18 01:11:12

補足

訂正です。

×つまり、私の考えに対して真っ向から疑念を呈することを敢えて控えていらっしゃるために、ご自分のお考えを明確に表現しておられるように感じたのです。

〇つまり、私の考えに対して真っ向から疑念を呈することを敢えて控えていらっしゃるために、ご自分のお考えを明確に表現することを犠牲にしておられるように感じたのです。
また、実際そうであったということはよくわかります。
  

投稿日時 - 2011-04-18 15:25:05

お礼

ご回答ありがとうございます。

>「優しい方なんですね」「かわいい方ですね」も
ひっくり返せばいいんですよね^^な~んだ~。ははは。

いえ違います。
どちらも本心ですよ。
つまり、私の考えに対して真っ向から疑念を呈することを敢えて控えていらっしゃるために、ご自分のお考えを明確に表現しておられるように感じたのです。
これは、他者に対する優しさの現われではないだろうか、と推測した、ということです。
この美徳は美徳として、論点は明確にしていただいたほうが良かろうと思い、色々と質問させていただいたわけです。
mashumaro3さんの優しさはおそらく育ちの良さによるものだろうか、という印象も受けます。
いずれにせよ、優しい方だと感じたのは本心です。

取り急ぎ・・・。
残余は#35欄でお礼申し上げます。
  

投稿日時 - 2011-04-18 14:14:21

ANo.26

追記です。
こちらをお尋ねしてから質問者様のご質問にお答え致します。

No.34のお礼を拝見して仰天しました。

>mashumaro3さんのような方に是非
>お優しい方なんでしょうね

いったいどのようなおつもりで私を形容なさっていらっしゃったのでしょうか。

「臆病」「他者への畏れ」「鬱屈」「精神の均衡」
そして
「気持ちの優しい人」。


さあ、はっきりお尋ねしましょうかね。

投稿日時 - 2011-04-17 23:47:03

補足

#37でお示しいただいたサイト拝見いたしました。
やや感傷的な印象を受けましたが、こうした側面から原発を考えることも必要ではないかと共感いたします。
大江さんの作品は読んだことがありませんが、人となりには好感を持っています。

>日本人は原爆投下を体験したのだから、産業効率の観点から核エネルギーを考えてはいけない

という発言もありましたね。
現在は核の傘に守られているわけですが、原発を全廃しようとすれば、
質問文本文にも記していますが、
1-c. (核兵器バランスの点で)世界中が足並みを揃える必要があるため、国家間の調整が難しい。
という問題が浮上するでしょう。

仮に原発の安全性についての世界的合意が為されたとしても、この核兵器の世界同時廃絶という問題が最後のネックになると思います。
中長期的には人工衛星などによる世界規模の原発監視衛星などが必須条件になるでしょう。
遠い遠い将来でしょうが、そのための第一歩はいつから始めても遅すぎることはないでしょうし、まして早すぎるということもないでしょう。

投稿日時 - 2011-04-18 16:28:36

お礼

ご回答ありがとうございます。

いやあ、mashumaro3 さんはかわいいお方ですね。^^
思わず笑ってしまいましたよ。

#34(#33)の方が言及なさっている
「>現実の社会では周囲に迷惑かけんようにな。」は、
#32での私の発言内容です。

また、なぜわたしがこのような発言をしたのか、ということは、
#32さんの一連の投稿内容をよくご覧いただければおわかりになると思います。

#35のご回答に対するお返事は、明日にでも改めてさせていただきたいと思います。
おやすみなさい。
  

投稿日時 - 2011-04-18 00:16:03

ANo.25

こんばんは。 
このたびは拙文が元で質問者様のみならずAXIS様にまでお煩わせしてしまい、本当に申し訳なく思っております。

質問者様の懐深さに甘えて雑感程度に経緯を再度記します。
ご不快の折はどうぞ忌憚なくお願いします。
長くなり、質問者様の関心事ではないと拝察しますが、どうかご理解願います。
また、拙文に別の意味などもございません。

>是非持っていただきたい発想なのです。

はい、もちろん有難く学ばせて頂きます。
私は質問者様のご趣旨に大いに賛同します。
最初に「はい、仰る通りですね。」とふれておけば。
現状のように質問者様は不愉快にお思いにならなかったのでしょうか。

互いの論点が全く異なるのです。
質問者様は今後の日本における原発のヴィジョン1点に、そして私は安全安心信仰と「欺瞞性」一点に。

不思議にお思いでしょう。
直接縁も無い被災者や私達国民の事故前の安全安心信仰と欺瞞性云々の方が、発生すれば恐らく致命的であろう浜岡の現状将来よりも心砕くなどと。
福島も予断を許さず緊張感が続いているせいかもしれません。

でもだからといって、原発の進捗状況と今後につき疎かにするつもりなど毛頭無いのです。
それに今の趨勢は反原発でしょう?
従来の推進路線の勢いを阻止でき代替エネルギー開発に弾みがつけばいいなあとも願っているのです。

来月主人について渡欧します。
どうせスイス人の友達に原発話をふられるから、かの地の原発事情も聞くつもりです。
二十数年前に滞在した山間の家にすら、ご多聞にもれず核シェルターの扉がありました。

地震が皆無ではない、エネルギー資源に乏しいという点では共通点があるにはあるのです。
当時排他性が窺え女性が家に残ることを是とする辺りが日本の田舎と似ていなくもないのです。
きっとおそらく質問者様がご教示の民意のありようとかの地のそれは近しいのかもしれません。
そう、ずっと考えていたのです。

さて、話を戻します。
このたびの事故の私の憤りの対象は何といっても東電政府官僚筋でした。
ですから質問者様の「国民の欺瞞性のほうこそ問題にされるべき」に拘ったのです。
事故前後でどれだけ住民そして私達国民の安心安全信仰に変化が見られたのでしょう。

>国民の精神的風土こそが今回の災害の本質
>求めなくてもなんとかやり過ごせるような気持ちになっているし、させている。

これ、どうでしょうね。
女川原発には避難する地元の人々までいたのですから。
危険だと思うなら逃げないと思います。
地元で見慣れてしまうのかもしれません。

質問者様ならお逃げになりますか。
あるいは原発のお近くにお住まいなのでしょうか。

そして私はどうしたら質問者様を理解できるのだろうと散々考えた末に、質問者様が反原発のスタンスで事故以前から危険性を熟知なさっている、だから住民国民もまた等しく事故以前から十分に原発の危険性を熟知していたとの前提で「欺瞞性のほうこそ問題にされるべき」と仰っているのかしら考えたので、次の投稿で「質問者様は反原発のお立場ですか」とお尋ねしたのです。

一方、私共首都圏では最近まで計画停電を強いられ電力の有難味を実際に痛感しております。
即時全廃/即時停止は大震災の復興に実際いかなる負担をかけるのでしょうか。
また、スイスの友人の話も大切だ、たしか隣国フランスに対する原発停止を先日要求したばかりだから趨勢を確かめねば云々と「かならずしも反原発の立場ではない」と申し上げたのです。

現状有効な代替エネルギーがございますか。
見込めるのなら、反原発派の質問者様に提示していただきたい。
叶うことなら私だってそれを望み願います。

でも、「ましゅまろの本意はほかにあるだろう、これこれこのように~」とあなたはしきりと仰っているので、「違う」と申し上げているのに私は困惑しているのです。
(ただし、拙文の不明瞭さゆえに質問者様を悩ませていることも解しています。申し訳ないです。)

以上、質問者様が「欺瞞性」と仰る理由につき鈍い私は解する時間がかかりましたが、
その間、あまりの私の至らなさにつき、AXIS様が「欺瞞」という言葉に着目なさったのでしょう。
大元は私なのです。

さらにnoname002様のご回答を拝見し、私の申し上げたかったことの数倍も上手に質問者様にお伝えになっていたので、もうそれで私は十分です。

この事故で私たちは多くを学び得られたかと思います。
もうまさに、皆が危険性を嫌というほど実感し自省したと思います。
事故後は大いに欺瞞性と申してもよろしいのではないでしょうか。
でも、事故前を語るに他に言葉が相応しいに違いないと思ったのです。

以上長々とお読みくださり有難うございました。
次に質問者様からのお尋ねにお答えします。

投稿日時 - 2011-04-17 23:33:13

補足

お礼欄からの続きです。

>この事故で私たちは多くを学び得られたかと思います。
もうまさに、皆が危険性を嫌というほど実感し自省したと思います。

ある程度はそう言えるでしょうね。
しかし、ほぼ間違いなく「喉元過ぎれば」ですよ。
この段階においても、安全性 VS 経済性、どの程度の割合で重要性の比重が設定されているでしょうか・・・。
ガツンと大きな楔を国民それぞれの心に打ち込むべき時でしょう。
「コツンと小さな楔」にならないように、どうすれば良いか、と思った次第です。

>事故後は大いに欺瞞性と申してもよろしいのではないでしょうか。
でも、事故前を語るに他に言葉が相応しいに違いないと思ったのです。

欺瞞は、ご承知のように欺く・騙すという意味ですが、わたしが問題にしたかったのは、「自らの姿勢に対する欺瞞」です。
現在は端的に言うと、
事故前には、
「もしかして危険かもしれないが、政府や専門化が大丈夫と言っているのだから大丈夫だろう」
と考えるだけで自らを納得させ、
事故後には、
「話が違うじゃないか」
と怒る。
こういう構図です。

そうではなく、
事故前に、
「政府や専門家が大丈夫と言っているが大丈夫だろうか。津波10Mで大丈夫と言っているが、もし12Mの津波が来たら具体的にどのような被害が発生するのか。避難する時間や場所は具体的にどうなるだろうか。動けない老人などはどうするのか。舟や家の再建はどのように補償されるのか。この地域では何人が亡くなることになるのか。」
他にもきめ細かく問題点について検討すべきではないだろうか、ということなんです。
結果として情報公開が今以上に促進されることにもなるはずです。

そして、
「なるほど。では12Mの津波がきたら仕方ないですね。諦めます」
という宣言を【事前に】行なっておくべきではないか、と思うわけです。
この場合、
「12Mで諦めますなどという宣言はできない」
という心理になりやすいでしょう。
すると、
「では、18M、25Mまでの堤防であれば仕方ないと言いましょう」
という段階に移行できます。(数値や堤防はあくまでひとつの例です)

>現状有効な代替エネルギーがございますか。
見込めるのなら、反原発派の質問者様に提示していただきたい。
叶うことなら私だってそれを望み願います。

そうですよね。
ただ、すぐには無理でしょうね。
それだからこそ、なんらかの方法で危機感を高めていく必要が【今以上に】必要ではないだろうか、という趣旨で質問させていただいたわけです。

代替エネルギーに関しては、個人的には太陽光パネルとバイオマスに期待しています。
実現性や効率性の点でどうなのか、という問題もありそうですが、知識は皆無に近いので声高に論じる立場にはありません。
ただ、こういった代替エネルギーの研究に対する資金量を増やすなどの対策が必要ではないかと思います。
それも原子力に対する危険性をどの程度認知できるのか、という点に掛かってくるでしょう。
現状では、新神奈川県知事の太陽光を積極的に取り入れるという政策に注目しているところです。
国は本腰を入れてバックアップして欲しい、というのが私の感想です。

なんども丁寧にお返事をいただきありがとうございました。
また、一貫して真摯な姿勢でご対応いただき感謝いたします。
http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1103230015/
      

投稿日時 - 2011-04-18 16:10:32

お礼

ご回答ありがとうございます。

>最初に「はい、仰る通りですね。」とふれておけば。
現状のように質問者様は不愉快にお思いにならなかったのでしょうか。

いえ違います。
同意を求めたわけではなく、むしろ逆のお考えが提示されますことによって論議が深まることを期待いたしておりました。
また、不愉快になったわけではありません。
ただ、論点を明確にしたかっただけです。
不愉快になったと感じさせてしまったのは一重に私の未熟さゆえと改めてお詫び申し上げます。

>互いの論点が全く異なるのです。
質問者様は今後の日本における原発のヴィジョン1点に、そして私は安全安心信仰と「欺瞞性」一点に。

わたしの質問の仕方が悪かったのだろうとお詫びしますが、このご見解は違います。
『今後の日本における原発のヴィジョンを良いものにするためには、自らの「欺瞞性」と対峙する必要があるのではないか』
というのが私の趣旨です。

>従来の推進路線の勢いを阻止でき代替エネルギー開発に弾みがつけばいいなあとも願っているのです。

一部の狂い無く同感ですね。
そのためにはどうしたら効果的だろうか、ということになりましょうか。

>来月主人について渡欧します。

いやあ、羨ましいですねえ。^^
スイス、きれいな所なんでしょうね。
http://www.bing.com/images/search?q=%e3%82%b9%e3%82%a4%e3%82%b9+%e8%a6%b3%e5%85%89&qpvt=%e3%82%b9%e3%82%a4%e3%82%b9+%e8%a6%b3%e5%85%89&FORM=IGRE#x0y0
あと思い浮かぶのは永世中立国ということぐらいですかね。
ふと思うのは何語を話すのだろうか、ということだったりします。

>どうせスイス人の友達に原発話をふられるから、かの地の原発事情も聞くつもりです。
二十数年前に滞在した山間の家にすら、ご多聞にもれず核シェルターの扉がありました。
地震が皆無ではない、エネルギー資源に乏しいという点では共通点があるにはあるのです。

いずれも興味深いお話です。
いずれ機会が生じて、体験内容をご開陳いただけることを楽しみに致しております。

>このたびの事故の私の憤りの対象は何といっても東電政府官僚筋でした。
ですから質問者様の「国民の欺瞞性のほうこそ問題にされるべき」に拘ったのです。

はい、よくわかりました。

>質問者様ならお逃げになりますか。
あるいは原発のお近くにお住まいなのでしょうか。

女川原発に避難された方もおられましたね。
津波という当面の被害を逃れられるということがあったのかもしれないですね。
なにより頑丈そうですしね。
わたしは北海道ですが泊原発があります。
今回の事故を受けて、色々と改善策が講じられ始めているようですが、やはり「こうすれば大丈夫」という思考法から抜け出せないようです。
「その想定を超えたらどうなるのか」という、言ってみれば「具体的な怖さ」をデータとして示すという方向性はまだまだ弱いように感じています。

>、質問者様が反原発のスタンスで事故以前から危険性を熟知なさっている、

いえ、そんなことはありません。(自慢することじゃありませんが^^;)

>だから住民国民もまた等しく事故以前から十分に原発の危険性を熟知していたとの前提で「欺瞞性のほうこそ問題にされるべき」と仰っているのかしら考えたので、次の投稿で「質問者様は反原発のお立場ですか」とお尋ねしたのです。

なるほど。
たいへんよくわかりました。
少し補足させていただきますと
『原発の危険性を熟知していたとの前提で「欺瞞性のほうこそ問題にされるべき」』ではなく、
『原発の危険性を熟知しなければならないのに、敢えて熟知しようとしていないとの前提で「欺瞞性のほうこそ問題にされるべき」』
のようにお考えいただければと思います。

>一方、私共首都圏では最近まで計画停電を強いられ電力の有難味を実際に痛感しております。
即時全廃/即時停止は大震災の復興に実際いかなる負担をかけるのでしょうか。
>「かならずしも反原発の立場ではない」と申し上げたのです。

はい、これもよくわかりました。

>でも、「ましゅまろの本意はほかにあるだろう、これこれこのように~」とあなたはしきりと仰っているので、「違う」と申し上げているのに私は困惑しているのです。

申し訳なく思っております。
私の不徳の致すところという反省(といっても急には改善できないでしょうが)と共に、言葉のみによる会話の難しさを痛感しております。
今、国会中継をやっていますが、ああやって対面であってもなかなか難しいのですしね。

補足欄へと続きます。
  

投稿日時 - 2011-04-18 15:22:11

ANo.24

どうも、あらゆる方面で、「他者に押しつけ」ということの直視が問い直されてきているようにも感じています。
憲法のこと。皇室の存在。。。
戦争に関する問題にも、これまで、マスコミによる弊害ということが大きく指摘されてきていますね。
結局、何事につけ、専門家や、最高責任者に匹敵する、あるいは、それ以上の知識と判断力や見解を、一般国民の、それも大多数が持ち得なければならないということになりますか。
つまり、専門家やら学者やら、その道の「権威」やら、政治を あずかる者たちを信用しない。
「意識改革」と おっしゃいますけれど。。。
「人事を尽くせている」か どうか、専門領域を、一般人がチェックする。それって、現実的なレベルの話にできるのか分かりませんが…。

専門域の人に匹敵するほどの知識がなければ、その分を信じるしかなく、騙されまいためには、一般の人々と言えども、専門領域の知識や高度の理解度が必要になってくる。
しかし、それは、「持てる有利」な側の者に、欺瞞や騙すことを禁じることの不可能さよりも、ずっと合理的かつ現実的なことなのでしょうか。

私が敬愛する三木 清氏の遺した ことばに、社会とは、期待で成り立っているものだという。
ならば、その「期待」が裏切られたとき、人々は どうするだろうか。何が起きるであろうか。

大衆が覚えてしまった快適性・利便性を放棄することは、すべての原発の完璧管理という「妄想」に比べれば、比べものにならないくらい可能の余地はあるのか ないのか。


他に、最近の情報としては、こういったところがあります。↓
『非常用電源の確保、全原発で対策完了 余震受け実施』
http://www.asahi.com/politics/update/0414/TKY201104140184.html
『汚染水を「冷却」転用へ、近く新施設 着工』
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20110414-00000050-jnn-soci
『冷却注水に予備ポンプ設置=余震対策でバックアップ―福島第1原発・東電』
http://www.asahi.com/national/jiji/JJT201104150010.html

参照URLは、毎日新聞社説です。
過去に私の述べてきた考えと概ね近いものです。

参考URL:http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20110415k0000m070174000c.html?inb=ra

投稿日時 - 2011-04-16 15:24:17

お礼

引き続き。

>「人事を尽くせている」か どうか、専門領域を、一般人がチェックする。それって、現実的なレベルの話にできるのか分かりませんが…。

そうですね。
この点に関してはマスコミの力に期待しています。
ジャーナリストも骨のあるのがもう少し増えてくるような淡い期待もあります。
他律的ですかね。^^;
月並みですが世論のうねりというのは、宝くじは買ってみないと当たらないという理屈に近いような気もします。

>しかし、それは、「持てる有利」な側の者に、欺瞞や騙すことを禁じることの不可能さよりも、ずっと合理的かつ現実的なことなのでしょうか。

『>「持てる有利」な側の者』に対しては罰則規定で制御するしかないでしょうね、当面は。
当面というのは、もう少し人類が進歩するまでは、という意味ですが。
彼らは妄想者となりやすい体質を備えていますが、その妄想を裏付けているのはその妄想に媚びる一般人であって、あるいは、媚びざるを得ない社会システムでもあるでしょう。
むしろ、普通の一般人が自らの欺瞞性に気づくことによって、彼らの欺瞞が何の意味も為さないという状況が自然と醸成されるという形が望ましいのではないか、と私は考えています。

毎日新聞社説には大変共感を覚えますね。
    

投稿日時 - 2011-04-17 00:13:58

ANo.22

申し訳ないですが、長文にて分割投稿となりそうです。お返事は一ヵ所にまとめてくださって結構です。

まずは、自動車にせよ飛行機にせよ、それらが大事故を起こしても、ある程度、局所的で済むけれども、放射線の問題は、及ぼす範囲が比べものにならないほど広範囲であるということですね。

原子力安全委員長である班目氏の
「割り切らなければ原発は設計できないが、割り切り方が正しくなかった」との発言がありました。

私は、ここ最近になって、世界レベルで最も原発に依存しているというフランスの動向にも関心を持っています。

さて、どこぞの県では、役所の施設と原発施設が、ご近所なのだそうで。
わざわざ、大地震と大津波の多いことが知られている地域のみならず、活断層の上に原発施設を つくってしまってあるとか。
保安院が経産省の外局であるとか。

>作ることを否定しない政府を選挙で結果的に選んでしまったのは私たちでしょう。
>元々わたしは反対だった、という方も当然おられるでしょうが、その場合は、原発不要の政権をなぜ誕生させられないのか、という問題

この「私たち」に、私自身は入れないでもらいたいと、ひとりごちたいところですが、それは ともかく、これぞ、という人材が見当たらない、そもそも、これまでに育成してきていないのかは さて置いて、ここでも、「力としての数量」の問題は明らかです。最も政治的な問題ですね。

>川崎のニュースも見ましたが、これも同様ですね。
>誤報だったとはいえ、現時点での市民を愚民とは思わないのです。彼らがそのような行動を取るのも、事前の心構えをさせてもらえなかったからでしょう。

いわゆる「説明責任」の問題ということになりますか。その川崎での騒ぎは さて置き、

>一般人に理解できるように説明するのが政府・電力会社の責任

「しらしむべし よらしむべからず」というコトバがあるそうですね。
質問者さまも問いを発しておられるように、いまほど、「談合体質」とか「隠蔽体質」というものが糾弾されている時代は、かつてなかったのではと思えるほどです。
この問題は、すでに、尖閣諸島を めぐる事件などでも紛糾していたのが思い起こされますが、今回の原発事故をも大なる切っ掛けにして、経済から外交から教育から、あらゆる方面での共通点を剥き出しにしたのではないでしょうか。

>「震度〇以上の地震や高さ△m以上の津波の場合には皆さん諦めましょう。しかし、確率は低いようですし都市部への電力供給のためにも建設を認めましょう。補助金を十分にもらえばいいじゃないですか」
>といって選挙民を納得させる必要があります。

現状、すでに一応は そうであったはずと思うのですけれど。。。しかし、いかに「スーパー」級の堤防にしたところで、縦横何十メートル堤防だったから助かった、といっても、その高さを越えてしまったら、たちまち無意味ですよね。
それどころか、いまや、「震度〇以上の地震や高さ△m以上の津波の場合には」という設定基準を設けることにすら、疑念が湧き起こっているのではないでしょうか。
いわく「想定」と申して、どれだけの過去データなどを考慮していたのかにも、怪しい点があったようです。
千年に一度という、ほとんど「架空の可能性」に過ぎないリスクだった頃と、それが現実のことになってしまった今とでは、恐怖心の強さも緊迫感も警戒心も断然、異なることになりました。受け取るメリットなど完全に消し飛んでしまうほどの苦難を背負ってしまったわけで。

>端的に言うと、「不利なことを細部に亘って国民全員に対して明確にする」というセオリーを確立

これは、営利第一、利便第一であるかぎり、基本的に相容れないと思います。
(中国への、いまだに莫大なODAの問題などにも、底には、大企業や経済人らの思惑が絡んでいるようですね。)
原発施設受け入れ地域住民のエゴの問題も多かれ少なかれあるでしょう。
(こういった問題には、たとえば、沖縄の米軍基地問題とも共通した点が窺えるように思っています。)

原発を めぐっても、専門領域に身を置く人たちと、それ以外の一般の人々とでは、前者は、知っていることによって、欺瞞性においてさえ圧倒的に有利な立場です。
いわく「安全神話」なるものを つくりあげ、差し出してみせたのが、どちらの側かは明らかなことでしょう。

投稿日時 - 2011-04-16 15:03:06

お礼

ご回答ありがとうございます。

>まずは、自動車にせよ飛行機にせよ、それらが大事故を起こしても、ある程度、局所的で済むけれども、放射線の問題は、及ぼす範囲が比べものにならないほど広範囲であるということですね。

「最悪のことが起きたら仕方がない」という発想がない(封印している)ために「何が最悪なのか」に対する対策が曖昧なままに推移し、結果として大事故につながる、という構造は同じです。
原発にしても車にしてもまた列車にしても、そのもの自体よりもそれによって恩恵を受ける人間の側の心構えが本質的な問題だろうと思います。

>原子力安全委員長である班目氏の
「割り切らなければ原発は設計できないが、割り切り方が正しくなかった」との発言がありました。

そうなんですか。
なかなか正直でいいことを言うんですね。
作る前にこういうことを大々的に知らしめると、もっと良かったはずです。
次回からでも、遅すぎることはない!と思いますよ。
安全保安院よりはマシなのかな。

>私は、ここ最近になって、世界レベルで最も原発に依存しているというフランスの動向にも関心を持っています。

わたしも8割近くを依存していることを初めて知りました。
サルコジさんがすっ飛んできたのも、さもありなんと笑っちゃいましたが。

>この「私たち」に、私自身は入れないでもらいたいと、ひとりごちたいところですが、

了解しました。^^;
わたしも本当は入りたくないのですが、あくまで結果ということで。

>それは ともかく、これぞ、という人材が見当たらない、そもそも、これまでに育成してきていないのかは さて置いて、ここでも、「力としての数量」の問題は明らかです。最も政治的な問題ですね。

よくも悪くもですね。

>(川崎の騒ぎについては)いわゆる「説明責任」の問題ということになりますか。

はい。
その説明を元にしてどこまでの心構えができたか、ということが最も重要なのですが、材料が乏しいままそこを突くのはちょっと、というわけです。

>「しらしむべし よらしむべからず」というコトバがあるそうですね。
>今回の原発事故をも大なる切っ掛けにして、経済から外交から教育から、あらゆる方面での共通点を剥き出しにしたのではないでしょうか。

言えそうですね。
この点に関しては塞翁が馬と捉えています。
現状は、原典である論語に忠実に「よらしむべし しらしむべからず」ですが、これが成立する土台には「よらしむべし しらしむべからず」をむしろ望む(無意識的な)奴隷根性が国民にはあるのではないか、と思います。

>しかし、いかに「スーパー」級の堤防にしたところで、縦横何十メートル堤防だったから助かった、といっても、その高さを越えてしまったら、たちまち無意味ですよね。

現状では、「今までの最大の津波は10mだから15mもあれば安全」という説明で納得してしまう傾向があったのではないでしょうか。
たしかに15m以上であれば危険なのは自明のことなのですが、表現の仕方の問題でしょうね。
「15mもあれば安全」ではダメだと思うわけです。
なぜ「15m以上なら危険」と言わないのか、ということです。
これを反対派が言っても殆んど意味はありません。
原発を建設・稼動する側が、このように(声を大にして)公言することを義務付けると、かなり違ってくるような気がします。
それが無いために「世界一の防波堤です」てな表現にころっと騙される(安心してしまう)のではないでしょうか。

>>端的に言うと、「不利なことを細部に亘って国民全員に対して明確にする」というセオリーを確立

これは、営利第一、利便第一であるかぎり、基本的に相容れないと思います。

「営利第一、利便第一」を通用させてしまうのが、「危険性に対する認識の甘さ」であり、それは危険性を身に引き寄せて想像できないからなのでしょう。
想像せざるを得ないためには「仕方がない」が最も効果的と考えたわけです。

>いわく「安全神話」なるものを つくりあげ、差し出してみせたのが、どちらの側かは明らかなことでしょう。

それを丸呑みしちゃうんですから、ほんと従順なものだという気がします。
  

投稿日時 - 2011-04-16 17:26:05

ANo.21

>役立っても自分だけはリスクを負いたくないという風潮がない
>でしょうか。

人間に役立てる為の技術といっても、それには勿論リスク回避技術
というソフト面の技術も含まれるはずだと思います。

しかし、これは日本人の特徴だと思いますが、あらゆる物質には
もって生まれた物質の特徴がありその特徴を最大限に生かすこと
にかたよってしまうところがあるようです。

つまり鉄職人は鉄を愛しすぎてしまい、石職人は石を愛しすぎて
しまう。

例えば30メートル上に炉をおけば、冷却水をポンプアップする
エネルギーが余計にいる、そうなったら折角の原子力システム
ちゃんの全体の高効率エネルギー性がアピールできないっていう
具合に。

ただ、ものを愛したり充分にものの特徴を理解するがゆえに
人間の道具にいかせるという面もまたわすれてはならない側面
で、日本人の得意とするところでもあるとも思います。

逆にやみくもなオープンシステムにして、物の本質を考えずに
ただ人間のサービスに特化していくと、切ってくっつけて貼り
付けたようなものになり、まったく無駄な資源や無駄なサービス
がごてごてと膨らむばかりになってしまいます。

分散化コミュニティで、街の暮らしやデザインも考慮に入れた
ミニマム運用というのが方向じゃないのかなと思っているの
ですが違うのかなあ。

投稿日時 - 2011-04-16 11:48:43

お礼

ご回答ありがとうございます。

>しかし、これは日本人の特徴だと思いますが、あらゆる物質には
もって生まれた物質の特徴がありその特徴を最大限に生かすこと
にかたよってしまうところがあるようです。

同感です。
当質問文の
1-a. すでに覚えてしまった快適性・利便性を放棄することはおそらくできない。
に含めたつもりでしたが、大事な要素として明確にしていただいたと思います。
端的に言うと好奇心には勝てないということでしょうね。
原発全廃が全世界的合意を必要とする所以のひとつでもありましょう。

>例えば30メートル上に炉をおけば、冷却水をポンプアップする
エネルギーが余計にいる、そうなったら折角の原子力システム
ちゃんの全体の高効率エネルギー性がアピールできないっていう
具合に。

う~む・・・(-_-;)
ここまでいっちゃってますかね。^^;
いや、そうなんでしょうね。
こういった連中に対するチェックの甘さというか、「頭の良い人・偉い人」に対するいかにも奴隷的な従順さがそれを促進していそうです。
因みに「頭が良い」というのは「賢い」という意味ではありません。
一種の「とっちゃん坊や」といった感じということで。

>ただ、ものを愛したり充分にものの特徴を理解するがゆえに
人間の道具にいかせるという面もまたわすれてはならない側面
で、日本人の得意とするところでもあるとも思います。

よくわかります。
いずれにしても、放射線なり放射能を制御可能にする方策も同時進行させなければなりませんね。
人体実験しようというのでなければ。
あるいは人体実験を容認しようとするのでなければ。

>分散化コミュニティで、街の暮らしやデザインも考慮に入れた
ミニマム運用というのが方向じゃないのかなと思っているの
ですが違うのかなあ。

「>少し閉鎖的なコミュニティの特徴(#19)」をセキュリティに生かすとしても、被害がコミュニティ内では治まらない性質の対象である、という点がネックになるかもしれません。
しかし、基本的発想としては面白いですね。
少なくとも欺瞞性の入り込む余地は多少なりとも減少するでしょうから。
    

投稿日時 - 2011-04-16 16:04:53

ANo.20

No.17です。重ねてのお礼を有難うございました。
いただいた補足について申し上げます。

「【少なくとも】「>原発の最新事情と先々の他原発の危険性」に関する注力を促進する方向には向いていない、ということだけは確かでしょう。」と仰るのは全くの誤解です。

私は小学生の子どもを抱える首都圏在住の身です。
福島原発の距離や風向き、降雨とは無縁ではありません。
なので【どうしても原発の最新事情と先々の他原発の危険性や是非に注視しがちになりがち】です。
原発の処理の進捗状況や、大気中の汚染数値、残留放射性物質の報道云々…。
福島よりも断然浜岡に近いため、HPを覗いたりもします。

──と、このように気が付けば、我が身と家族のことばかりを想ってしまう自分がいます。
やはり不安ですし、何よりも子供たちを思うとたまらなく切なくなります。

春休みに子どもと幾ばくかの義援金を用意したくらいでしょうか、なかなか【今現在災いを被っている福島県民や近隣県住民のことを思い】支援するまでには至ることができません。
しかしながら、叔母のことも頭の片隅にあり、気がかりなのです。

それこそ「起こったから仕方がない」では済まされないのだと思います。
極力チェルノブイリのようなゾーンがこれ以上拡がらないようにと心より願っています。

海外からすれば日本なんて小さい国ですし、知日派でもないかぎりは福島も他都市も同じだと認識しているはずです。
でも肝心な国内において、福島の地名やブランドが不要で不当なスケープゴートにならぬよう、相当に難しいこととは存じますが、可能な限りの広範なデータや情報開示を逐一開示し、十分な安全性確保のもと【可能な限りの再生と復興】を願ってやみません──
──と私は記したつもりでした。

そして 再び、質問者様がなぜだか拘っていらっしゃる拙文につき記させていただきます。
「(私は)どうしても原発の最新事情と先々の他原発の危険性や是非に注視しがちになりがちですが、今現在災いを被っている福島県民や近隣県住民のことを思い、可能な限りの再生と復興をもまた願ってやみません。」

上述により、質問者様の以下のお考え
>しかし、本質としては『この時期、過剰に「原発の最新事情と先々の他原発の危険性」を云々するのはいかがなものか』という意図であるはずです。

が我が意とおよそ異なるものとご理解いただきたいと願います。
そうですね、大きな余震が予知される現状、東日本にある原発などは新たな津波地震対策が完了するまでは停止させるのが筋なのだと思っておりますけれども。

>>福島第一と第二の違い、さらには女川が避難所にまでなっているという点にも着目しておりますし、
>まさか、第二と女川が無事だったのだから、第一の事故だけに注目すべきではない、とおっしゃっているわけではありませんよね。

よく解らないのですが、「福島第一の事故を想定外の例外中の事故とみなして、第二と女川が無事だったから従来通り推進していっても構わない」と私が申しているとでも思っていらっしゃるのですか?
だとしたら全くの誤解です。

それとも、各々の原発の現状の差異を検証することは何かまずいと仰るのでしょうか。

>不透明であるならあるでその旨を公表すべきではないだろうか、というのがわたしの考えです。

まったく同感です。

>>他律性で他人頼みな側面が個々のムラ意識に由来するもので、自己抑制し逸脱し難い行動姿勢は村八分的ないじめを自ずと避け等しくみなされる利をもふまえて行動する傾向があるのではないか

>「>高度な専門性」というだけの理由で原発にはそれが適用できないとするご見解が納得いきません。
>それこそ、賛成という意志が最初にありきの結果論的ご見解ではないでしょうか。

この箇所(他律的で…あるのではないか)は、高度な専門性や原発に結び付けて記したつもりは全くないのです。
つまらない蛇足でしたね、すみません。

書けば書くほどに、我が意とはおよそ異なる齟齬の弁明に終始してしまって、大変残念に思います。
質問者様のお使いになる「欺瞞性」という言葉が今の被災者や私達国民に対して相応しいのかどうか、そして私にはどうにも違和感を感じてならなかったゆえの投稿と捉えていただきたく、未熟者ゆえなにとぞご容赦下さいますよう。
また、「必ずしも反原発の立場ではない」というのは、なかなかに表現をするのが難しいなあと思いました。

スレ汚しをしてしまい大変失礼致しました。

投稿日時 - 2011-04-15 23:46:42

補足

(お礼欄からの続きです)
4.
>それこそ「起こったから仕方がない」では済まされないのだと思います。

たぶん誤解なさっていると思うのですが、わたしも全く同意見ですよ。
わたしは、今回の事故に関して「起こったから仕方がない」などとは一言も言っていません。
(事後に)「仕方がない」と言えるだけの心構えを(事前に)自らに課すべきではないでしょうか。
ということです。

「仕方がない」は諦めの意味です。
確かに事後に言えば責任放棄です。違和感が生じるのは当然だと思います。
しかし、「これ以上の災害が降りかかったら諦めるしかないな」と言えるだけの対処を事前にしておくという発想を持つことが、(責任放棄ではなく)諦めを容認できるはずです。
「あるいは生きることすら諦めなければならない」という緊迫した事態が想定されることを強く認識するためには、「仕方がない」が最も強力で有効な思考の形態ではないかと考えた次第です。
このような発想によって、より安全性に配慮した稼動が求められることになるのではないか、ということです。

端的に言うと、
(事後に)「仕方がない」と言えるだけの心構えを(事前に)自らに課すべきではないでしょうか。
ということです。
とはいえ、いずれにせよ事後に「仕方がない」ということには違和感が生じるのが自然です。
その自然な心理を利用したい、という意図があるわけです。
事後に「(【万全を期したのだから】)仕方がない」という言葉を発した際に、その違和感が限りなく小さくて済むように、事前の対策に今以上に万全を期すことができるはずです。
現在は「万全の期し方」が非常に曖昧です。建前だけです。
「万全を期したのだから」とは言えないからこそ違和感が大きいのです。
今後、原発が稼動する際には、(あくまで、たとえばですが)「震度8以上の地震が起きたら事故や放射能で死んでも仕方がない」といったような文言を国民の意志として高く掲げるべきではないでしょうか。
このことによって最大の防災策が必然的に要求されるようになるのではないかと考えるわけです。
mashumaro3 さんのような方にこそ是非持っていただきたい発想なのです。
       

投稿日時 - 2011-04-16 14:58:17

お礼

ご回答ありがとうございます。

せっかくのご回答をいただきながら不愉快な思いをさせてしまいお詫び申し上げます。
他意は全くございませんのでどうかご理解いたきたいと思います。
会話が噛みあわないままでは失礼かとも思いあえて補足質問のような形になってしまいました。
詰問調に感じられたとすれば、表現の未熟さゆえとご寛恕のほどお願い申し上げるとともに、今後ともよろしくお願い申し上げます。

さて、スマートな方であれば、このような文言のみでしめるのでしょうが、わたしのような凡人には、まだどうしてもひっかかりが残ります。
あえて述べさせていただきますので、お気が向きましたらご返事いただけると幸甚に存じます。
お返事がなくとも特に恨みには思いませんので軽いお気持ちでいらしてください。

1.
>しかし、本質としては『この時期、過剰に「原発の最新事情と先々の他原発の危険性」を云々するのはいかがなものか』という意図であるはずです。

が我が意とおよそ異なるものとご理解いただきたいと願います。
そうですね、大きな余震が予知される現状、東日本にある原発などは新たな津波地震対策が完了するまでは停止させるのが筋なのだと思っておりますけれども。

「およそ異なる」というのは、「全く異なる」という意味ですが、そうは思えません。
なぜかというと、そのようにおっしゃっていながら、直後に、
「~停止させるのが筋なのだと思っておりますけれども。」とおっしゃっておられます。
この発言は、
「停止させるのが筋(建前)ではあるが、私の考え(本心は)〇〇です」
という意味です。
わたしとしては、
「~停止させるのが筋なのだと思っておりますけれども、そうもいかないでしょう(それは難しいでしょう)。」
という意味のことをおっしゃっているのだと思われるのですが、どうでしょうか。
違うとおっしゃるのであれば、
「~停止させるのが筋なのだと思っておりますけれども〇〇」の、〇〇の部分でどのようなことを言いたかったのかを明示していただけないでしょうか。

2.
>>福島第一と第二の違い、さらには女川が避難所にまでなっているという点にも着目しておりますし、
>まさか、第二と女川が無事だったのだから、第一の事故だけに注目すべきではない、とおっしゃっているわけではありませんよね。

よく解らないのですが、「福島第一の事故を想定外の例外中の事故とみなして、第二と女川が無事だったから従来通り推進していっても構わない」と私が申しているとでも思っていらっしゃるのですか?
だとしたら全くの誤解です。

それとも、各々の原発の現状の差異を検証することは何かまずいと仰るのでしょうか。

誤解でないとすれば、どういった意図でこうおっしゃったのでしょうか?
「>各々の原発の現状の差異を検証する」ということは、取りも直さず、
「第一の事故だけに注目すべきではない」という意味に他ならないのではありませんか?
これは単に国語的なことですよ。
そして、それは、いみじくもご自身でおっしゃっておられるように、
「福島第一の事故を想定外の例外中の事故とみなして、第二と女川が無事だったから従来通り推進していっても構わない」
という意図がなければ出てこない発言ではないでしょうか。
どういった意図(目的)で「原発の現状の差異を検証」しようとなさったのか、教えていただけるとありがたいです。

3.
>質問者様のお使いになる「欺瞞性」という言葉が今の被災者や私達国民に対して相応しいのかどうか、そして私にはどうにも違和感を感じてならなかったゆえの投稿と捉えていただきたく

それは言うまでもないことです。
賛同意見を求めているわけではありません。
mashumaro3 さんはたぶんお優しい方なのだと思います。
それゆえに明確に論拠を示して反論しては私がかわいそうだとお考えになったのでしょう。
しかし、少なくとも論点は明確にしないと会話自体が成立しません。
(補足蘭へと続きます) 
 

投稿日時 - 2011-04-16 14:32:54

ANo.19

>どういったメリットがあるのでしょうか。
>と記しましたが、自由化に関してです。

人間に対するサービスの向上と、技術者層が厚くなっていく
と思います。

しかし、やみくもなオープン化が進む方向だとは思いません。

人間はモノを道具してきたわけですが、モノにはモノ自体に
特徴があります。鉄は鉄、木は木の特徴があるわけです。
その特徴に寄り添って特徴をいかすことにいままで偏りすぎ
ていたという反省もあるかもしれませんが、
そのことと、社会の中でどのようにして人間に役立てるのかの
両面は一対として考えなければならないことだと思います。

分散化といったのは、日本の少し閉鎖的なコミュニティの特徴が
セキュリティ性に生かすことができれば、コミュニティで運用す
ることも可能なのかなとふと思ったのですが。

投稿日時 - 2011-04-15 17:29:07

お礼

補足質問にご回答いただきありがとうございました。
  
>その特徴に寄り添って特徴をいかすことにいままで偏りすぎ
ていたという反省もあるかもしれませんが、
そのことと、社会の中でどのようにして人間に役立てるのかの
両面は一対として考えなければならないことだと思います。

役立っても自分だけはリスクを負いたくないという風潮がないでしょうか。
風潮というか人間というものの精神性の話になると思いますが。
いずれにしても抽象や曖昧からは脱却する必要があるのでしょうね。

分散化に関しても意図されているところがわかりました。
わたしは、危険性なり一時あった場合の対応のし易さという意味かと勘違いしていました。
     

投稿日時 - 2011-04-15 20:46:38

ANo.18

>明日、再び起きてもおかしくないわけです。

 そう。そう。

 そして、浜岡原発を直ちに止めていない現実が人間の拙さの証明ということになるね。

 当たり前に予想できていることを想定しないだらしなさこそが恐怖。


 いったい、何が尊いものかが問われている。

 何を得るために何を代償にするのかしらん。

 いったい、生け贄になるのは誰か、そして、いつなのか・・

投稿日時 - 2011-04-15 15:35:39

お礼

ご回答ありがとうございます。

自発的に命を守るということが案外難しいことなのかもしれませんね。
  

投稿日時 - 2011-04-15 16:23:21

ANo.17

No.10です。お礼を有難うございました。

至らぬ拙文ゆえ、我が意が上手く伝わらなかったようで申し訳なく思っております。
今までのお礼を拝見しました。質問者様は反原発のお立場なのでしょうか。
だから、結果論的になぜその危険性を十分に検討しえぬまま導入に甘んじたのだろうかと「国民の欺瞞性」をご指摘なのですね。

質問者様のご主張も解るのですが、私としては必ずしもそのようには考えてはおりません。
福島第一と第二の違い、さらには女川が避難所にまでなっているという点にも着目しておりますし、また必ずしも反原発の立場ではありません。

よって、このたびの事故が私達国民の欺瞞にいずるもので、このたびの事故の本質なのかどうかという点については疑問を呈したまでで、仮に近しく考える余地があるとすれば、むしろ他律的ゆえに安心信仰に陥り易いようにも思えるため、だから文頭に有事の際の可能性を示唆してさあどうでしょうねと申し上げた次第です。
敢えて欺瞞と己を問い正すなら、やはりアメリカ頼みな面が否めず、日米の退避区域の見解の差異に翻弄されてしまった点でしょうかね。

猪突先生のご質問に言及なさっていらっしゃいますね。
質問者様の天皇制に触れたご回答がとても印象に残っております。
私も質問者様同様に天皇制との連関を考えていたのです。
先に申し上げた他律性で他人頼みな側面が個々のムラ意識に由来するもので、自己抑制し逸脱し難い行動姿勢は村八分的ないじめを自ずと避け等しくみなされる利をもふまえて行動する傾向があるのではないかという意味です。

「それにも増して原発はその高度な専門性ゆえに、なかなか一般人には理解し判断し辛い面もあると思います。」と私が申し上げた点については、立証し難いと察せられる医療事故にも通ずるような不透明感を抱いたまでです。
現状の一企業の裁量に任せることは今後見直されてしかるべきだろうと私も質問者様と同様に思います。

一方、質問者様の「それをしなくても補償金さえ貰えれば、あるいは、日常生活さえ便利になれば、といって深く検討しようとしない(むろん私を含めた)国民の精神的風土こそが今回の災害の本質ではないでしょうか。」というくだりについては、あまり建設的ではないように拝察しますし、話は戻りますが、経済性や利便性重視だけでは語れない安全信仰に陥り易い他律性が見出せると思います。

そして最後に互いの質問について。
まず、質問者様の「自分の住む地域に原発を作る案が浮上したらどうなさいますか? むろん、反対なさるでしょうが、…」に対しては、必ずしも反対するかどうかはわからないと申し上げておきますね。
地震大国の日本にはたして原発設置が本当に無理なのか否か。
これは決して私達だけの問題ではないでしょうし、反面教師として捉えている各国の原発にも影響を及ぼしているはずです。
ゆえに「原発不要の政権をなぜ誕生させられないのか」と現状では思うに至ってはおりません。
もっとも、ご指摘の通り国民の間でもっと論議が盛んになってしかるべきかと私も思っております。

そして私のほうからもお尋ねします。
「なぜ両立しないのかよくわかりませんが、むしろ両立させるべきではないでしょうか。おざなりの対策がなされる前に。それが本当の意味の復興ではないかと私は考えます。」というくだりについてです。

今ある既存の原発の危険性につき、今回の事故を鑑みあらゆるリスクに対する対処方策は早急に必要かと存じますし、数年先まで大規模余震が予測されている以上はなおのことだろうと私も弁えております。

でも、事故がおこてしまった以上は、いかにこれ以上の被害を食い止め、可能な限りの浄染対策にも尽力するかも不可欠ではないでしょうか。
いったい何をもって「なぜ両立しないのか」と私に仰るのだろうかと、こちらのほうこそまったくわかりかねるのですけれども。

投稿日時 - 2011-04-15 12:47:57

補足

お礼欄、最後の項目について補足します。

猪突さんの言葉を借りると、「自虐的」な解釈だったかもしれない、と思い直しました。
つまり、mashumaro3 さんは、(論理上は)決して両立を否定なさっているわけでない、と解釈いたします。

ただ、
「>どうしても原発の最新事情と先々の他原発の危険性や是非に注視しがちになりがちですが、今現在災いを蒙っている福島県民や近隣県住民のことを思い、可能な限りの再生と復興をもまた願ってやみません。」
という発言内容は、【少なくとも】「>原発の最新事情と先々の他原発の危険性」に関する注力を促進する方向には向いていない、ということだけは確かでしょう。
だからといって否定しているわけではありませんから、「なぜ両立しないのか」と問われることを不本意にお感じになっても不思議ではありません。
しかし、本質としては『この時期、過剰に「原発の最新事情と先々の他原発の危険性」を云々するのはいかがなものか』という意図であるはずです。
この点に関して過剰すぎることはないというのが私の考えですので、その意味で過剰に反応したのだ、と解釈していただければ幸いです。
    

投稿日時 - 2011-04-15 15:51:05

お礼

ご回答ありがとうございます。

>至らぬ拙文ゆえ、我が意が上手く伝わらなかったようで申し訳なく思っております。

いえ、それはこちらが申し述べなければならないセリフでしょう。

>質問者様は反原発のお立場なのでしょうか。

はい。

>だから、結果論的になぜその危険性を十分に検討しえぬまま導入に甘んじたのだろうかと「国民の欺瞞性」をご指摘なのですね。

いえ。
そういう論理にはならないと思うのですが。
原発という悍馬を扱おうというのですから、推進に際しても、そういった欺瞞性は排除されるべきでしょう。
推進派が事故を願っているはずもないのですし、事故に至らないための策に関して述べています。

>また必ずしも反原発の立場ではありません。

反原発というお立場ではない、という点はわかりました。
これは人それぞれでよろしいんじゃないでしょうか。
それに関して論ずるだけの技量も今は持ち合わせておりませんし。
ただ、
>福島第一と第二の違い、さらには女川が避難所にまでなっているという点にも着目しておりますし、

とおっしゃる内容とどう関係しているのかよくわからないのですが、ご面倒でなければ鈍い私に教えてください。
まさか、第二と女川が無事だったのだから、第一の事故だけに注目すべきではない、とおっしゃっているわけではありませんよね。

>むしろ他律的ゆえに安心信仰に陥り易いようにも思えるため、だから文頭に有事の際の可能性を示唆してさあどうでしょうねと申し上げた次第です。

他律性という点で通底しているものがあると私も思います。
他律性=欺瞞性と考えることができると思うのですが、
>原発はその高度な専門性ゆえに

他律的でも致し方ない、つまり「国民の欺瞞性を論ずるのは当たらない」とmashumaro3 さんはお考えなのですよね。
それは理解しているつもりです。

>他律性で他人頼みな側面が個々のムラ意識に由来するもので、自己抑制し逸脱し難い行動姿勢は村八分的ないじめを自ずと避け等しくみなされる利をもふまえて行動する傾向があるのではないか

深く同意いたしますが、「>高度な専門性」というだけの理由で原発にはそれが適用できないとするご見解が納得いきません。
それこそ、賛成という意志が最初にありきの結果論的ご見解ではないでしょうか。

>立証し難いと察せられる医療事故にも通ずるような不透明感を抱いたまでです。

不透明であるならあるでその旨を公表すべきではないだろうか、というのがわたしの考えです。
それをしないのは政・官・業なわけですが、(猪突さんへのお礼にも記しましたとおり、現状に対する批判は当質問の眼目ではないため、)むしろ今回は、それをさせない、という、まさにおっしゃるところの他律性という欺瞞について考えたいということです。

>~というくだりについては、あまり建設的ではないように拝察しますし、話は戻りますが、経済性や利便性重視だけでは語れない安全信仰に陥り易い他律性が見出せると思います。

かのくだりはあくまで皮肉です。
しかし、皮肉必ずしも本質ではないとも言い切れません。
結果としてこういう皮肉を否定できるだけのことを何もしていないのではないか、ということです。

>必ずしも反対するかどうかはわからないと申し上げておきますね。
>「原発不要の政権をなぜ誕生させられないのか」と現状では思うに至ってはおりません。

わかりました。
お答えいただきありがとうございます。

>でも、事故がおこてしまった以上は、いかにこれ以上の被害を食い止め、可能な限りの浄染対策にも尽力するかも不可欠ではないでしょうか。

全くおっしゃるとおりです。

>いったい何をもって「なぜ両立しないのか」と私に仰るのだろうかと、こちらのほうこそまったくわかりかねるのですけれども。

「>どうしても原発の最新事情と先々の他原発の危険性や是非に注視しがちになりがちですが、今現在災いを蒙っている福島県民や近隣県住民のことを思い、可能な限りの再生と復興をもまた願ってやみません。」
という#10の発言を、
「今は、原発の危険性や是非を論じている時期ではない。こんなくだらない質問をしている暇があったら、今現在災いを蒙っている福島県民や近隣県住民のことを思い、可能な限りの再生と復興に注力すべきではないだろうか」
という内容に解釈したからです。
つまり、両立ではなく、一方を優先させるべきだというご見解ですよね。
他に解釈のしようがないと思いますが、わたしの感覚がおかしいのでしょうかね。^^;
ただ、詰問調になっているようで、その点はお詫びいたします。
表現の未熟さをお笑いつつご寛恕のほどお願い申し上げます。
    
  

投稿日時 - 2011-04-15 15:30:08

ANo.16

エネルギー事業はある程度は分散化を目指して、ある程度は自由化する
必要があると思います。それには、勿論規制は必要だと思いますが。
例えば、

・オーナーや幹部はプラントの近くに住居をかまえなくてはならない。
 (リスク管理の向上の為)

・オーナーや幹部も、ある程度の知識や技術を有していなくてはならない。
(お金がない下請けの雇われオーナーを避けるため)

・オーナーや幹部は、人となりに対しても審査を有する。
(自爆テロに利用されない為)

など、課題がまだあるかもしれませんが。

投稿日時 - 2011-04-15 12:25:44

補足

どういったメリットがあるのでしょうか。
と記しましたが、自由化に関してです。
  

投稿日時 - 2011-04-15 14:22:49

お礼

ご回答ありがとうございます。

>エネルギー事業はある程度は分散化を目指して、ある程度は自由化する
必要があると思います。

そうなんですか。
なかなか大胆なご見解と感じましたが、どういったメリットがあるのでしょうか。

>・オーナーや幹部はプラントの近くに住居をかまえなくてはならない。
 (リスク管理の向上の為)

これは私なんかもよく考えます。
東京湾に原発を作るぐらいの心構えがないと、建設すること自体、倫理に悖るのではないでしょうかね。
(実際に作るかどうかはまた別の問題ですが)

投稿日時 - 2011-04-15 14:21:35

ANo.15

>それも含めてどう思われますか?という質問ということです。言葉不足でしたかね。

>そうならないように良い方法はないでしょうか、という質問ですね。


そうでしたか。「仕方ない」というタイトルと、「今回の事故は、こういった経緯を経ずに、また原発の危険性を十分に検討せず、あいまいに妥協してしまったために起きた事故と言えるのではないでしょうか。みなさんはどう思われますか?」

 という最後の文章を読んで、言えるか、言えないか という回答のみ欲していると判断したのですが。

 そういうことであれば、最後に「そうらなないように良い方法はないでしょうか」と付け加えておけばよかったのではないですかね。

投稿日時 - 2011-04-15 01:12:52

お礼

ご回答ありがとうございます。

> そういうことであれば、最後に「そうらなないように良い方法はないでしょうか」と付け加えておけばよかったのではないですかね。

そうかもしれませんね。
  

投稿日時 - 2011-04-15 13:31:33

ANo.14

貴方の仰ることは一見筋が通って居りますが、ここでマキュアベリの言葉を思い出してしまいました。彼はかの有名な『君主論』の中で、「今まで皆さんは政治はどうあるべきかと言うことを話したり書いたりして来ましたが、私はこの本で、政治はどうあるべきかではなくて、どうあるのかを論じます」との趣旨を述べています。マキュアベリから政治学が始まったと言われる所以です。

貴方の論点の中で、官僚や公共性の強い会社の幹部が日頃どう行動しているのかの視点が完全に欠落しているようにお見受けします。所謂役人や役人もどきの連中のことです。実態は知りませんが、東電はあれだけ公共性があるのだから、多分幹部の殆どは天下りだと思います。どなたかもしこの情報を知っている方が居られましたら教えて下さい。いずれにしても公共性の高い会社の幹部は役人と殆ど同じ発想をする筈です。

さて、役人の本質とは何でしょうか。それは、どんなにカッコいいことを言っても「保身」がその本質です。人のことや国のことなど、自分の身の安全が保障されない限り先ず考えてはいません。2~30年程前にワンマンと言われた医師会の元会長で喧嘩太郎と綽名されていた武見太郎の『21世紀は慢性肝炎が蔓延する』だったと思いますが、こんな変な題名の付いた彼の自伝を読んだことがあります。その時には何でこんな変な題名が付いているんだろうと不思議でしたが、その後の厚生省の役人の天下り先だったミドリ十字で起こした肝炎問題で、はたと気が付きました。武見は、その本ではっきりと言っては居りませんでしたが、そのことを暗に既に予言していたのですね。

この本の中で、武見が何で厚生省の役人といつも喧嘩するようになったかの経緯を紹介していました。戦争直後、慶応大学医学部の教授だった武見に、厚生省の役人から進駐軍の幹部の所に出てこいと言われました。そこに言ってみたら、厚生省の幹部が武見に

「アメリカさんの言うことは何でもはいと聞いてくれ。絶対に喧嘩しないように」

と言われたので、何のことだろうと訝っていたそうです。そしたら、アメリカさん曰く、

「今度チフスに関する人体実験を日本人にしたいから協力せよ」

とのことでした。この時武見さんは断固としてそれを拒否して、結局日本での実験は取りやめになりました。その本で武見さん曰く

「皆さん、役人て言うのはこんな者ですよ。国民の健康を司る筈の厚生省の役人が、国民の健康のことなんか全く考えていない。考えているのは、どうその場をやり過ごして、自分の退官まで浪を立てずにいられるかという自分の保身だけです。私は、この経験からその後医療行政を絶対に厚生省の役人に任せては駄目だと知り、私の目の白いうちは、日本医師会を厚生省の思いの侭にさせないと決意したのです」

その後武見さんも歳を取って引退を余儀なくされてしまいましたが、その引退直後の医師会の会長選挙で、厚生省の息のかかった人が会長に選出されたようです。まあ、これで日本の医療行政も一巻の終わりと相成ったのだと思います。あの肝炎事件も確かに、武見さんが引退してからしばらく経って出て来た問題でしたからね。

さあ、役人てそんな面があるんですよ。だから、役人とはどうあるべきかなんて言っていても何も始まらない。それよりも、こんな役人を相手にしながら、どうやって原発を比較的安全に動かして行けるかと言うことを論じるのが正解だと思いす。

残念ながら、貴方の論法は「どうあるべきか」ばかりですので、役人や東電の幹部の人達に笑われて終わりだと思います。

投稿日時 - 2011-04-15 01:08:11

お礼

ご回答ありがとうございます。

>いずれにしても公共性の高い会社の幹部は役人と殆ど同じ発想をする筈です。

そう考えるのが順当なのでしょうね。
政府・保安院・電力会社の馴れ合い所帯といった感じはよく伝わってきます。
責められて後が無くなれば切捨てるのでしょうが。
詳しい内情は知りませんが、体質に関して特に視点が欠落しているつもりはないのですけどね。
いずれにせよ、なかなか面白いお話をお聞かせくださりありがとうございます。
読書量が豊富でいらっしゃいますね。

>だから、役人とはどうあるべきかなんて言っていても何も始まらない。

それはおっしゃるとおりです。
そこに重点を置いているつもりは全くありません。
東電や役人政府を今更責めても得るものを少ない、という考え方は一貫しているつもりです。
むろん非難がましいことはどこかで書いたかもしれませんが、全体をご覧いただければ、末梢の部分であることがたぶんおわかりいただけると思います。
どの記述をご覧になって、そのように思われたのでしょうか。
個人一人ひとりの意識について問うているつもりなのですが・・・。

>それよりも、こんな役人を相手にしながら、どうやって原発を比較的安全に動かして行けるかと言うことを論じるのが正解だと思いす。

残念ながら、貴方の論法は「どうあるべきか」ばかりですので、役人や東電の幹部の人達に笑われて終わりだと思います。

なるほど。
実効性に薄い、というわけですね。
まあ、それは政治家にお任せするしかないのではないでしょうか。
私たちとしては、そういうことができる政治家を選べるような確かな目を養うことが急務と言えるでしょう。
そのため個人の意識改革が必要になるのではないか、という発想ですが、とくに珍しくもないと思います。

一種のエールとして受け止めるべきなのでしょうが、
cyototu さんらしからぬ論理ですので、ちょっと揚げ足をとらせていただきますと、
>「どうあるべきか」が無い状態で、
>どうやって原発を比較的安全に動かして行けるかと言うことを論じる

ことができるものでしょうか。
いえ、この点に関する反論は不要ですよ。
結局、個人の意識変革と、しかもそれが合意(民意)として表面化するまでにはある程度の時間が掛かります。
その意味で、
>残念ながら
>役人や東電の幹部の人達に笑われて

しまう、のはそうかもしれませんね。
おっしゃるとおりでしょう。
ただ、
>終わりだと

は思いません。
それに、それほど大それたことを考えているというより、思っていることを言ってみたい、というだけのことですし。
まあ、この当たりは単なる見解の相違ということになりましょうかね。
       

投稿日時 - 2011-04-15 14:06:12

ANo.13

>原発事故が起きるのは仕方がないと考えることが今、最も必要とされているのではないか、と私は思います。

違う。

最も必要なのは直ちに今回の事故を想定内にするということだ。
なぜなら、原発の大事故が発生した現実がある以上、もはや同じ規模の地震や津波はもちろん、知り得た過去の天災は全て想定せざるを得ないのだ。

原子の火が灯ってからたかだか50年程度。50年に1回ずつこんな事故が起こっていたのでは国が滅ぶ。100年に1回でも危うい。
住める土地がなくなる。

投稿日時 - 2011-04-15 00:56:02

お礼

ご回答ありがとうございます。

>もはや同じ規模の地震や津波はもちろん、知り得た過去の天災は全て想定せざるを得ないのだ。

知り得ない可能性(危険性)をどこまで想定できるか、とうことになるのでしょうね。
たとえば15mの津波を経験したら、20mでよしとするのかどうか。
30m以上あっても不思議ではないような気がします。
壊れ難くするために厚さや強度も改善する。
その上で高台へ住宅を移動する。
いくらお金をかけてもいいはずです。
そして、そう思えるためにはどうするのがベストか、という実効性を伴なった具体的方策なりセオリーが必要だと思うのです。
  
>100年に1回でも危うい。

そうですね。
さらに、100年【ごと】に来るわけではありませんからね。
明日、再び起きてもおかしくないわけです。
    

投稿日時 - 2011-04-15 13:14:58

ANo.12

端的に言うと「人事を尽くして天命を待つ」ということでしょうか?

で、今回の件は人事が尽くされていたのか、という議論になりますね。

目下この国の一大事であることは間違いない事実ですが、「津波が来ても高さ○mまでは耐えます。なお、日本国内で観測された最も高い津波の高さは△m(当然○より小さい値)です」という情報を地域の住民の皆さんに流していて、もし今回の津波がその想定値を上回っていたのなら、「しゃーない」と思います。

頭ではそう思っていても、感情では相当に難しいことだと思いますが、そう思わざるを得ないとは思います。

投稿日時 - 2011-04-14 23:43:00

お礼

ご回答ありがとうございます。

>で、今回の件は人事が尽くされていたのか、という議論になりますね。

そう言ってもいいのですが、今回の件に限らず、
人事の尽くし方が(わたしたち自身の)欺瞞性によって不十分なものになっているという事実を認識する必要があるのではないか、ということになるでしょうか。

>「津波が来ても高さ○mまでは耐えます。なお、日本国内で観測された最も高い津波の高さは△m(当然○より小さい値)です」

この場合の「高さ○m」をどの程度の値にするか(できるか)、ということです。
「もし高さ○m以上の津波が来たら死者は〇人、家屋は殆んど全壊、生き残った〇人は100kmほど先での避難生活を一年以上強いられるでしょう。しかし、それでも仕方ありません。この原発はそれ以上の安全性を担保できない構造になっています」
と言われたら、改めて危険性に関して考え直すのではないでしょうか。

>もし今回の津波がその想定値を上回っていたのなら、「しゃーない」と思います。

それが本来の受け止め方だと思います。
ただ、今回の場合、その心構えが整わないまま原発が稼動していた、と言えるでしょう。
次回の津波が起きた場合には、明確に「しゃーない」と思えるだけの十全な対策を(事前に)見直すべきではないかと思います。
  

投稿日時 - 2011-04-15 13:27:55

ANo.11

よく似たスレを2つ作っている最中ですので、余り立ち入って結論めいたことはいえないのですが、

基本的に質問者様のご意見に対しては、そうなるのではないか、あるいは論理的には正しいと思います。
正論だと思います。

ただ、タイトルが刺激的過ぎます。
菅さんがそういったら(内容はどうあれ)即刻総辞職です。

留保条件として当然ながら、フクシマの事故は(従来の技術で)避けることが出来たということを責任者と推進者に納得させることとし、これからはあの手の事故で制御不能になる原発を運転することは許されない、としたいと思います。
つまり

実情がある程度分かっている千年単位での巨大天災には耐えて欲しい。

少なくとも浜岡が今度のM9級の天災でぽしゃることは避けて欲しい。
若狭湾の大陥没(日本海、山陰の海岸では他処でも良くあることです)にも耐えるものにして欲しい。
時間的に(数日)余裕があるのなら完全停止で対処できるのではないでしょうか。
これは現行の原発(本体が)では駄目ですので、かなりの改良が必要です。

これで理性的な市民の多くが納得するかどうかは別問題ですが。


たとえば太平洋に大隕石が落ちて、135m級の大津波が来ることには仕方がない(この場合は日本が消滅するだろうし)。
新ハマ岡の直下でM9が起きて地が割けたら、これも仕方がない。
現在の知見で絶対起こらないということを証明できないのなら移転しかないでしょうが。

単なる私見です。

投稿日時 - 2011-04-14 21:45:55

お礼

ご回答ありがとうございます。

>ただ、タイトルが刺激的過ぎます。

もし刺激的とすれば、私たちは刺激的ゆえに重要な本質から目をそむけていることになります。
そのことに気づく必要があるでしょうね。
むろんそれを承知であえてご指摘いただいたのだと思います。

>菅さんがそういったら(内容はどうあれ)即刻総辞職です。

しかし、事実ですよね。
その事実を受け止められない国民のほうがおかしいのであって、そこに哲学的課題も見出せるのではないかと思います。

>実情がある程度分かっている千年単位での巨大天災には耐えて欲しい。

こういった具体的な要求なり指針なりが必要でしょうね。
その場合、たとえば、
>少なくとも浜岡が今度のM9級の天災でぽしゃることは避けて欲しい。

こういった発想ですと、たとえばkomaas88さんご自身がそうだということではなく、
電力会社あたりから、「むろん、その点は十分に留意しますし万全を期します」程度の説明で納得させられてしまう可能性があるように思うのです。
「であれば良いでしょう」ということになり、しかし事故が起きた場合、
「万全を期してはいたのですが想定外の事態が発生したもので・・・」という言い訳が繰り返されることになるのは目に見えています。
そこで「なぜそんなことぐらい想定しなかったのか」と責めても時すでに遅し、というわけです。

これを防ぐためには、
「浜岡がM10級(というか震度で示すべきでしょうが)の天災でぽしゃったら仕方がない。たとえ死者が出ても家屋が失われても私は諦める。生き残って数ヶ月に亘る避難所生活を強いられることも厭わない」
と言明することが必要ではないか、と思うのです。
想定事項をあらいざらい検証してもらうのではなく、する立場に立つということでもあります。
御用役人やひも付きの専門家ではなく、独自に雇って専門家なりと共に検証を行ないます。
むろん費用は会社に持たせます。
今回の場合をあげつらっても意味がないですし、その気もないのですが、あくまで一例としてあげさせてもらうと、防波堤の高さや強度、あるいは電源車の確保方法なりでもう少し、いや相当に極め細かな対策がなされたのではないでしょうか。
なにしろ、上のように言明することによって、自らの平穏な日常生活を諦めるか否かの瀬戸際にあることを実感できるはずだからです。
また、事故が起こった場合には、今回のように寄付云々に頼っていても仕方ありません。
国民全体から災害復興税を、被災地全域が完全復興に至る時期まで自動的に徴収できるようにします。
>これで理性的な市民の多くが納得

しなければ原発は作らない、ということになります。
つまり、リスクなしに恩恵だけ受けようという人間を無くすことと、そのリスクに対する明確な認識を私たち一人ひとりが持ち、また、持てるような状況を築くことの重要性を認識した政府を選択することが重要になってくるように思われます。
そのためには賛同いただきましたように、「仕方がない」という発想がどうしても必要になる、ということです。
    
>新ハマ岡の直下でM9が起きて地が割けたら、これも仕方がない。

この場合、被害の範囲や死者や家屋倒壊の予測を出して、それに対してどういった対策を講じるのかのシミュレーションが必須になるでしょう。
どこからどういう支援が為され、どういった手順で解決に導くのか、といった多様な想定が必要になります。
原発の稼動には、こうした検証が絶対的に必要であると認識させるだけの危機感が最も不足しており、また、危機感を薄めることに腐心する経済優先の人々がいるという現実があるのだろうという気がします。
  

投稿日時 - 2011-04-14 23:32:37

ANo.10

こんにちは。
ご質問を拝見して、たとえば対外的な有事の際のリスク管理や想定しうる危険性について、十分に国民の間で検討されていないという現状と何やら通底するテーマのように思えました。

この点につき「国民の欺瞞性」といえるかどうかだと思います。
さあ、どうでしょうね。

この国の安全保障は実質ほかの国の傘下にあるのですから、どこか他人頼みな風潮が根底にあるようにも思えるのですけれども、それにも増して原発はその高度な専門性ゆえに、なかなか一般人には理解し判断し辛い面もあると思います。

叔母の一人が会津に嫁いでおりまして、子どもの頃白虎隊の白剣のおもちゃを振りかざして畑を暴れまわったことが思い出されます。
どうしても原発の最新事情と先々の他原発の危険性や是非に注視しがちになりがちですが、今現在災いを蒙っている福島県民や近隣県住民のことを思い、可能な限りの再生と復興をもまた願ってやみません。

投稿日時 - 2011-04-14 21:05:01

お礼

こんばんは。
ご回答ありがとうございます。

>たとえば対外的な有事の際のリスク管理や想定しうる危険性について、十分に国民の間で検討されていないという現状と何やら通底するテーマのように思えました。

たしかにそうですね。

>この点につき「国民の欺瞞性」といえるかどうかだと思います。
さあ、どうでしょうね。

わたしは言えると思います。
なぜ言えないとお考えになるのかよくわかりません。
国民の間で全く検討されなくても、わずか半世紀ほど前の歴史が語りますように、戦争突入が避けられませんでしたよね。
彼の日も今も、そのような政府を選択してしまったという責任はつきまとうわけですが、いずれにしても自らの欺瞞性を否定していてはいつまで経っても進展はないように思われます。
お上に任せておくしかない。
それで間違っていたら仕方がない。
というお考えでしょうか。
mashumaro3さんは気持ちの優しい方のようにお見受けするのでご自分からはおっしゃれないと思いますが、要するに大半の国民は馬鹿だから、真実を曝した日にはパニックになって正常な判断なんかとても覚束ないだろう、ということですよね。
それにしても、同じ仕方がない、なら自ら納得するほうが良くはないですか?

>この国の安全保障は実質ほかの国の傘下にあるのですから、どこか他人頼みな風潮が根底にあるようにも思えるのですけれども、それにも増して原発はその高度な専門性ゆえに、なかなか一般人には理解し判断し辛い面もあると思います。

一般人に理解できるように説明するのが政府・電力会社の責任でしょう。
それをしなくても補償金さえ貰えれば、あるいは、日常生活さえ便利になれば、といって深く検討しようとしない(むろん私を含めた)国民の精神的風土こそが今回の災害の本質ではないでしょうか。
自分の住む地域に原発を作る案が浮上したらどうなさいますか?
むろん、反対なさるでしょうが、どこかに作る必要があるという前提での話しですから、その当事者になったおつもりでお考えいただければ有りがたいと思います。
(仮にですが)「震度7に耐えられます。15mの津波でも大丈夫です」
と言われて納得しますか?
「とんでもない。最低でも震度12の地震。津波であれば35mの高さに備えるのでなければ許可できません」
などと反論なさるのではないでしょうか。(数値はあくまで仮のものです)
この場合、
「震度13の地震が起きたら仕方がないあきらめます。35m以上の津波が来たら仕方がないあきらめます」
という覚悟が前提になるのではないでしょうか。

この覚悟が現状では求められていない。
求めなくてもなんとかやり過ごせるような気持ちになっているし、させている。
このことが最大の問題であると思うわけです。
猪突先生の質問ではないのですが、こうした従順性をあまりにも露骨に利用されているし、また利用される側はそのことに気づかないか、気づかない振りをしていますよ。
こんなことでいいんでしょうかね。

>どうしても原発の最新事情と先々の他原発の危険性や是非に注視しがちになりがちですが、今現在災いを蒙っている福島県民や近隣県住民のことを思い、可能な限りの再生と復興をもまた願ってやみません。

なぜ両立しないのかよくわかりませんが、むしろ両立させるべきではないでしょうか。
おざなりの対策がなされる前に。
それが本当の意味の復興ではないかと私は考えます。
復旧→復興となるわけですが、復旧だけに終わらせると、また同じようなことが繰り返されるのは明らかだからです。
mashumaro3さんに愚痴を言ってもしょうがないのですが、何か良い知恵はないものでしょうかね・・・。
    

投稿日時 - 2011-04-14 22:33:19

ANo.9

そうそう、仕方ないんですよ。
このセリフを東電や政府は口が裂けても言えないでしょうけど、想定外の事が起きたんだから仕方ないんです。
今回の放射能漏れは地震が原因なのだからこれは立派な天災だと思います。
人災だと言って東電を責めるのは愚民というべきでしょうね。

「起きたことはしゃあない、でもやっぱり地震国日本に原発はリスクが大きいな」

と考えるのがまともな日本人だと思いますよ。
今日のニュースで「川崎市が、東日本大震災の被災地の廃棄物処理の協力を表明したところ、「放射能に汚染されたゴミが持ち込まれる」などといった誤った情報がインターネット上に広まり、抗議が殺到した。」なんてのが流れてました。

自分の権利ばかりを主張するこれぞまさに愚民

投稿日時 - 2011-04-14 19:56:31

お礼

ご回答ありがとうございます。

>このセリフを東電や政府は口が裂けても言えないでしょうけど、想定外の事が起きたんだから仕方ないんです。
今回の放射能漏れは地震が原因なのだからこれは立派な天災だと思います。

そうですよね。
「想定外」の範囲が広すぎるという重大性に気づかないまま、あるいは無視し、あるいは誤魔化しつつ電力という利便性の追求をしてきた人間のへのつけが露呈しただけではないだろうか、というのが実は率直な気持ちです。

天災なら天災でもよいのですが、それに対する覚悟がなさすぎる。
仮に覚悟があるというのなら、その対処に関してあまりにもいい加減すぎる、ということになると思います。
魚類に対する放射能規制値が未設定というのもそのひとつでして、能天気すぎませんか。
細かいことを言えば、避難先の手配ぐらい予め想定しておくべきでしょう。
つまり、見たくないものには目をつぶり、見た目きれいに、まあまあ波風立てずに仲良く穏便に。
というある種の曖昧性、欺瞞性がそこにはあります。
これを最初から堂々と曝しておくことによって、より適切な防御が可能であったはずではないだろうか、と思うわけです。

>「起きたことはしゃあない、でもやっぱり地震国日本に原発はリスクが大きいな」

と考えるのがまともな日本人だと思いますよ。

そうですね。
それもありますが、むしろ「(これから)起きることはしゃあない」という発想でしょうか。
そう胸を張って?言えるだけの態勢を整えておくことが必要ですよね。
現状は、その覚悟をなし崩しにする方向にどうも操作されているわけで、
「じゃあ、震度いくつなら壊れる危険性があるのですか?」という突っ込みが不足しているような気がします。
  
川崎のニュースも見ましたが、これも同様ですね。
誤報だったとはいえ、現時点での市民を愚民とは思わないのです。
彼らがそのような行動を取るのも、事前の心構えをさせてもらえなかったからでしょう。
つまり、
「わたしたちは、これ以上責任のとりようがない、というほど万全の対策を立てた。むろん、お金の問題があるので対策のための費用には自ずと限界があった。しかし、あの時点で想定した以上の被害が発生した場合には諦めるしかない、と言えるほどには万全の対応をしたはずだ。その上で今回のような事故が起こったのだから仕方がない」
と言えるほどの心構えです。
いや、元々わたしは反対だった、という方も当然おられるでしょうが、その場合は、原発不要の政権をなぜ誕生させられないのか、という問題になってくるのでしょう。
  

投稿日時 - 2011-04-14 21:51:35

この設問を見て呆れました。まず「しかたないもの」は作るなと言いたい。車ならリコールできる。原子力発電所はリコールできるのか?できない。責任の大きさが全く違う。

次に誰も作ってくれと頼みはしなかった。大体、停電がどこで起きているか、よくよく考えて。その大半が大企業の工場でしょ。これで誰が原子力発電所を求めているのかが、一目瞭然。農民や漁民ではない。大多数の国民は、果たして原子力発電所級の電力を必要としているのかどうかが、疑わしい。

どうしても原子力発電所が欲しいっていうのなら、国民じゃなく、工場を経営している大企業がお金を払うべきだと思う。少なくても私は、慎ましくてもいいから、安全に、平和に暮らせるものを望んでいます。これを哲学とか何とかで補わないとならないとしたら、反ネオリベラリズムの思想ということになるでしょう。何か質問者の方は、大企業で働いていてそれにどっぷりつかったか、人が良すぎて見えてないって印象です。

投稿日時 - 2011-04-14 17:47:50

お礼

ご回答ありがとうございます。

>この設問を見て呆れました。

にも拘らずご回答いただき光栄に思います。

>まず「しかたないもの」は作るなと言いたい。

おっしゃるとおりです。
ただ、「作るな」というお考えには全面的に同意するものですが「作らざるを得ないとすればどうすべきか」というのが今回の質問の趣旨です。
今急に無くすことは少なくともできませんよね。
今回の事故が起こったことに対して仕方がない、と言っているわけではないのです。
愚痴は意味がありませんからね。
現在も原発は各地で稼働中です。新しい建設計画も各地にあります。
それらに対して、

(事後に)「仕方がない」と言えるだけの心構えを(事前に)自らに課すべきではないでしょうか。
ということです。

「わたしたちは、これ以上責任のとりようがない、というほど万全の対策を立てた。むろん、お金の問題があるので対策のための費用には自ずと限界があった。しかし、あの時点で想定した以上の被害が発生した場合には諦めるしかない、と言えるほどには万全の対応をしたはずだ。その上で今回のような事故が起こったのだから仕方がない」
と言えるだけの万全の態勢をとるべきではないか、というわけです。

>次に誰も作ってくれと頼みはしなかった。

そうです。
わたしも頼んでいません。
しかし、作ることを否定しない政府を選挙で結果的に選んでしまったのは私たちでしょう。

>大体、停電がどこで起きているか、よくよく考えて。その大半が大企業の工場でしょ。

いや、全く同感です。
ただ、こうした大企業の恩恵を大いに享受しているというのが大多数の国民である、という事実もあるのではないでしょうか。
そこで、なぜ、原発の危険性にも拘らず、こうした大企業に頼った利便性に国民は執着するのだろうか、という点も考えてみると面白そうですね。
電力消費減衰のため、たとえば最低温度20度のエアコンが発売されたとしても、最低温度12度の外国製品を買うのではないでしょうか。
この視点をないがしろにしてしまうと、現実的な対応から懸け離れた論議になってしまうような気がします。
つまり、大企業云々の話とはまた別の次元で捉える必要があると思うわけです。

>どうしても原子力発電所が欲しいっていうのなら、国民じゃなく、工場を経営している大企業がお金を払うべきだと思う。

ただ、万一の場合に被害が及ぶのは大企業だけではすみません。
それが原発の難しいところでしょう。
自己責任とかいう論理が通用しない範疇である、ということ。
そのような大企業、現に東電がそうだと思いますが、こういうものを一企業の裁量に任せているような、そんな政府を選んでいる国民の甘さもそこにはあるはずです。

>少なくても私は、慎ましくてもいいから、安全に、平和に暮らせるものを望んでいます

100%同意します。

>これを哲学とか何とかで補わないとならないとしたら、反ネオリベラリズムの思想ということになるでしょう。

ネオリベラリズムやらリバタリアニズムやらはよくわからないのですが、
>慎ましくてもいいから、安全に、平和に

と全ての人が考えているわけではない、ということが問題になると思います。
そういった考えもまた個人の自由ということになるのではないでしょうか。
そこも含めて解決の糸口を探る必要性があるように思うわけです。

>何か質問者の方は、大企業で働いていてそれにどっぷりつかったか、

ということは全くありません。

>人が良すぎて見えてないって印象です。

人が良いというわけではないと思いますが、頭が悪すぎて見えないってことは可能性としては否定しません。
ここで勉強させていただければ幸いです。
  

投稿日時 - 2011-04-14 21:18:21

日本語の使い方の問題だけども、「仕方ない」という表現が責任を放棄しているように聞こえるからまずいですね。

「原発事故が起きる可能性がある」ということは誰もが認めているのですから、こちらが良いでしょう。

「仕方ない」という表現に拘る理由がありますか?

投稿日時 - 2011-04-14 14:44:43

お礼

ご回答ありがとうございます。

>「仕方ない」という表現に拘る理由がありますか?

はい。
まず、今回の結果に対して仕方がない、と言っているわけではありません。
(事後に)「仕方がない」と言えるだけの心構えを(事前に)自らに課すべきではないでしょうか。
ということです。

「わたしたちは、これ以上責任のとりようがない、というほど万全の対策を立てた。むろん、お金の問題があるので対策のための費用には自ずと限界があった。しかし、あの時点で想定した以上の被害が発生した場合には諦めるしかない、と言えるほどには万全の対応をしたはずだ。その上で今回のような事故が起こったのだから仕方がない」
という内容ですね。

「仕方がない」は諦めの意味です。
確かに事後に言えば責任放棄です。
しかし、「これ以上の災害が降りかかったら諦めるしかないな」と言えるだけの対処を事前にしておくという発想を持つことが、(責任放棄ではなく)諦めを容認できるはずです。
「あるいは生きることすら諦めなければならない」という緊迫した事態が想定されることを強く認識するためには、「仕方がない」が最も強力で有効な思考の形態ではないかと考えた次第です。

>「原発事故が起きる可能性がある」ということは誰もが認めている

のかもしれませんが、「では、どのような事故が想定され、その場合どの程度の被害が想定されるのか」という詰めが甘いのでしょう。
「可能性があるなら、その可能性をつぶせばいい」
という発想で止まってしまいやすいからなのかもしれません。
しかし、おっしゃるように原発に関しては事故の可能性を完全につぶすことはできません。
実は原発に限らずなのですが、この点がかなり曖昧になっていると思います。

この曖昧性は人間が生きていく上である意味必要なものではありますが、こと原発に関してはここから脱却する必要があるように思います。
現状はこの点が殆んど見落とされているでしょう。
つまり、責任を放棄している(と同様である)にも拘らず、そうでないかのように振舞っている。
東電・国のみならず全国民がです。
この欺瞞性を保持したまま何を構築しても徒労に終わるのではないでしょうか。

たとえば原発賛成派は、
「震度〇以上の地震や高さ△m以上の津波の場合には皆さん諦めましょう。この原発にはこれ以上のお金をかけるわけにはいかないので仕方ありません。しかし、確率は低いようですし都市部への電力供給のためにも建設を認めましょう。補助金を十分にもらえばいいじゃないですか」
といって選挙民を納得させるべきです。
端的に言うと、「不利なことを細部に亘って国民全員に対して明確にする」というセオリーを確立すべきではないか、ということです。

個人的には代替エネルギーしかないと思っているのですが、色々な意味ですぐに移行することは難しいでしょう。
少なくともその間、「人間にとって不利な事柄を細部に亘って明確に示し、またそれを明確に受け止める」
という姿勢が必要ではないかと思うわけです。
「今度の原発はなるべく安く作りますので、震度7の地震が起きたら仕方がありません」
「震度7で死んでも仕方ないと言うのか」
「そういうことです」
「とんでもない話だ」
「ではいくつなら諦められますか」
「う~む(-_-;)震度10!」
「とてもお金がかかりますよ。税金が上がってもいいでしょうか」
てな論議が為され、
「仕方ないだろうな・・・」
あるいは
「そんなら原発作るのやめましょう」
といったような流れになり、
いずれにしても現状よりは、はるかに危険性は減少するでしょう。
甘いでしょうか・・・。
   

投稿日時 - 2011-04-14 17:07:33

ANo.6

理念的に完全な原発を造るのは無理でしょう。
しかし、現実的に完全に安全な原発を造るのは
可能だと思いますよ。

経済的効率性、つまりお金をケチるから
事故が起きるのです。
完全制御は無理でも、安全を完璧に守るのは
可能でしょう。
例えば、トーチカのようにコンクリートや鉛の板で
完全に密閉してしまう、地下に設置するとか、方法は
色々あると思います。

ただ、一般論として仕方がない、というのは賛成します。
自動車事故では毎年一万もの人が死んでいますし、
自殺者は三万を超えています。

あの、デュルケムも言っていました。
自殺はその有無は問題ではない。多いか少ないかが
問題なのだ。

投稿日時 - 2011-04-14 05:14:47

お礼

ご回答ありがとうございます。

>経済的効率性、つまりお金をケチるから
事故が起きるのです。

おっしゃることは全くその通りですね。
非常に重要な点です。
非常に重要であるにも拘らず掘り下げ方が不十分ではないだろうか、と思うのです。

いくらお金をかけても絶対に安全な原発はできません。
おっしゃるようなトーチカ状のものであっても、たとえばですが震度12の地震によってマグマが噴出し地殻が大変動した場合の安全は保障できない、といったような事実は浮上せざるを得ないと思います。
であれば、おっしゃるように、どの程度までお金をかけるべきか、ということが問題にならなければなりません。
現在は、電力会社や政府の安心安全神話に追随する形で、曖昧性を残したままいい加減な妥協の産物として原発が建設されていると言えるでしょう。

こういった曖昧性を維持したまま利便性のほうを追求してしまう。
その結果として今回のような事故につながったのではないかと思うわけです。
それで、この曖昧性を排除するためには、国や電力会社は最大限のリスクを明確にし、国民の側もそれを明確に受け止める、認識する、という手順が必要ではないかと考えました。

>ただ、一般論として仕方がない、というのは賛成します。

今回の結果に対して仕方がない、と言っているわけではありません。
「仕方がない」と言えるだけの心構えを【原発稼動前に】自らに課すべきではないでしょうか。
ということです。
たとえば原発受け入れ賛成派は、
「震度〇以上の地震や高さ△m以上の津波の場合には皆さん諦めましょう。しかし、確率は低いようですし都市部への電力供給のためにも建設を認めましょう。補助金を十分にもらえばいいじゃないですか」
といって選挙民を納得させる必要があります。
端的に言うと、「不利なことを細部に亘って国民全員に対して明確にする」というセオリーを確立すべきではないか、ということです。

この場合、
「震度〇以上の地震や高さ△m以上の津波」の想定基準は必然的に高くなるように思われるわけです。
結果として今回の被災も防げた、あるいは相当小さくて済んだのではないでしょうか。
     

投稿日時 - 2011-04-14 15:20:04

ANo.5

訂正

そして逆上気味に他者を攻撃非難すると言うことを体験しています。

⇒そして逆上気味に他者を攻撃非難すると言うことを実際に体験しています。


 さて、No.4で挙げたような人は、なぜそうなったのでしょうか。なぜ過剰に自己防衛したり、自分の正当性を主張しなければならないのでしょうか。

 キーワードは批評、非難、性悪説 でしょうか。

投稿日時 - 2011-04-14 03:34:30

ANo.4

民意をどのように反映させるか と言っていますが、政治と一般社会の境界線と言うのはあるのでしょうか。

結局「政治は民意、総意の表れ」だと思います。

他の人の質問の回答者の中にも、「政治レベルのことと民衆レベルのことに乖離がある」と言っている人がいましたが、それは妄想、勘違いだと思いますけどね。起こった後にこうすればよかった、ああすればよかったと言うのは、東電さんや政治家と結局同じでしょう。

 ネットで集めた情報を判定しているだけで自分は何もせず、個人の知識や知恵が反映されない状況にあると言うのも「総意の表れ」だと思うんですけどね。

 当たり障りのない万人受けする演説をして票を集める人が政治家になりやすいというのはここでも同じなのかなあ と思います。古くからいる人は特に反省してほしいですね。


 しかし、乖離があるとした場合は、反映させなければならないわけです。暇つぶしのブロガーさんが自分の仲間内だけでくだを巻いている限りは反映されえないと思います。まさに自分のことだけ考える、自分の立場や身の安全を最優先するという状況が一個人としての政治家や政治に現れているのではないでしょうか。

 あるブロガーさんとのやり取りで、批評、分析はそこそこ確かではあるが、イザ自分のことになると過剰なまでの自己防衛や妄想や欺瞞で事実、真実を捻じ曲げ、自分にとって有利な、都合の良い情報だけ掲げ、そして逆上気味に他者を攻撃非難すると言うことを体験しています。

投稿日時 - 2011-04-14 03:29:17

お礼

ご回答ありがとうございます。

>起こった後にこうすればよかった、ああすればよかったと言うのは、東電さんや政治家と結局同じでしょう。

そうならないように良い方法はないでしょうか、という質問ですね。
  

投稿日時 - 2011-04-14 14:39:06

ANo.3

ずっと思っていたので良い機会があるので言いますが
http://okwave.jp/qa/q6604160.html

事が起こった後に「ああすればよかった こうすればよかった」と言うのは少し情報を集めて事態について知っている人であれば誰でも言えますね。そうではなく、「なぜそうしないのか、出来なかったのか、何が原因、要因でそうなったのか、『無責任であるとするなら』なぜ『無責任』な対応をしたのか」を考えるのが思想哲学ですね。先の質問は政治・社会のカテに投稿すべきでしたね。


>原発事故が起きるのは仕方がない

 起こった後にそう言うのは慰めとしては良いかもしれませんね。もう起こったことに対して仕方ないというのは仕方ないにしても、起こった出来事には必ず理由があり、では今後どのようにすれば起こらないようにするかを考えればよいですね。

>今回の事故は、こういった経緯を経ずに、また原発の危険性を十分に検討せず、あいまいに妥協してしまったために起きた事故と言えるのではないでしょうか。

 なぜそうなったのでしょうかね。

>みなさんはどう思われますか?

 この質問も結果論として「こういうことではないのか」と言っているだけであり、そうだとしても、批評屋、批判屋の見解としてそれで終わるなら無益ですね。そのことを再確認したとして、それが同じ過ちを犯さないために役立ちますか?


話はそれますが、何か私に言いたいことはありますか。

投稿日時 - 2011-04-13 20:19:50

お礼

ご回答ありがとうございます。

>なぜそうなったのでしょうかね。

それも含めて
どう思われますか?
という質問ということです。
言葉不足でしたかね。

>話はそれますが、何か私に言いたいことはありますか。

いえいえ滅相もございません。
お元気そうで何よりです。
  

投稿日時 - 2011-04-13 21:06:52

ANo.2

何の解決策も示していない無責任極まりない「仕方のない脳味噌の持ち主」による最低の見解ですね。

原発事故が起きるのは仕方がない。では事故が起きたら?

それを示して下さい。

それがないならこんな議論しても、それこと仕方がないでしょう。

投稿日時 - 2011-04-13 19:47:27

お礼

ご回答ありがとうございます。

>原発事故が起きるのは仕方がない。では事故が起きたら?

「諦める」しかないでしょう。
「諦めてるしかない」と言えるほど、事前の検証をしっかりとすべきではないだろうか、というのが主張の骨子です。
事後にいくら騒いでも亡くなった人は還ってきません。
しかも、なぜああしておかなかった、こうしておかなかった、という後悔や非難だけでは虚しいでしょう。

>それを示して下さい。

目立つように文末に、
「今回の事故は、こういった経緯を経ずに、また原発の危険性を十分に検討せず、あいまいに妥協してしまったために起きた事故と言えるのではないでしょうか。」
と書いているとおりです。

わかりにくければ、
「今回のような事故に至らないためには、こういった経緯を経て、また原発の危険性から目をそむけずに十分に検討し、あいまいに妥協してしまうことのないようにすることが重要ではないでしょうか。」
と書き換えていただいてもいいでしょう。

もしもですが、「こういった経過」の内容が伝わっていないようでしたら、再度ご説明さしあげても結構ですので、その旨お知らせください。
再度読み返していただければ、たぶんおわかりになるとは思いますが。
    
  

投稿日時 - 2011-04-13 21:32:06

ANo.1

「それを受け入れている国民の欺瞞性」と言いますが、
国民のひとりとしては、受け入れたという意識は低いですね。

東電だって、ただの上場企業ですから、
国民が受け入れようが受け入れまいがどうでもいいよ、
株主の方がずっと大事だよ、ってなるわけです。

今回の事故で改めて感じたのは、
原子力を一企業に扱わせてはいけない、ということです。
行政が管轄すべきだと思いました。

質問の冒頭で自動車にたとえていらして、
それに対して一定の賛同もいたしますが、
でも自動車メーカーが道路交通法を自由に制定できたとしたら、
どこかで問題が起きるような気がしませんか?

営利目的の上場企業である電力会社が原子力をハンドリングするということは、
自動車会社が道交法を勝手に制定するのと近い危険性を感じました。

行政の管轄になれば、市民が監視することもできます。
あなたがおっしゃるような仕組みで原発を運用することもできると思います。
国民の命を危険にさらす事業を、一企業が扱ってはいけない、
というのが私の考えです。

投稿日時 - 2011-04-13 19:13:05

お礼

ご回答ありがとうございます。

>「それを受け入れている国民の欺瞞性」と言いますが、
国民のひとりとしては、受け入れたという意識は低いですね。

たしかに反対する人も多いわけですから、そういうことは言えますね。
ただ、それは民意をどのように政治に反映させていくのか、という政治の話になってしまうので、あえて取り上げませんでした。

>営利目的の上場企業である電力会社が原子力をハンドリングするということは、
自動車会社が道交法を勝手に制定するのと近い危険性を感じました。

実質的にはどちらも現に実行されている事柄だと思います。
これを許している国民のというか、人間の感覚の仕組みはどうなっているのだろうか、という点に興味があります。
監視すべき立場の経産省保安院にしても東電の親玉と大差ないでしょう。
つまり、営利目的第一を国民が暗黙のうちに認めているのではないでしょうか。
東電のみならず、国民も一定程度の事故は止むを得ない、と思っていながらそうではない振りをしている。
その欺瞞性が事故の拡大や情報の隠蔽対質につながっているのではないか、と考えるわけです。
      

投稿日時 - 2011-04-13 21:18:33

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