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解決済みの質問

神社は畏敬、教会は神聖な気持ちや感じになるのはなぜ?

神社は畏敬、教会は神聖な気持ちや感じになるのはなぜ?

世界には様々な宗教があり、日本でもいろいろな宗教があります。
今回質問させていただきたいのは、その場にいるときの気持ちや感じ方です。

伊勢神宮や明治神宮は、普段は一般人が立ち入れない場所がありますよね。
そこに、カメラが特別な許可を得て立ち入ったとき、テレビ越しでも近づき難い「畏敬の念」を禁じ得ません。

ですが、大聖堂や教会などは立ち入り禁止区域でなくても、テレビ越しでも「神聖」な空気が分かります。その中にも「受容・優しさ」があるような気がするのです。
教会で賛美歌が流れる場面があれば、何もかも煩わしいものがなくなり、幸せな気分、神聖な感じがしてきます。
そして、邪念や煩悩ばかりの自分が小さく感じられます。

日本の神道は「畏敬」だったり、「畏れ多い」という感じが漂うのです。
キリスト教は「すべての人を優しく包み込む」という感じがします。

私は無宗教です。
だのに、神社や教会でこういうふうに感じるのはなぜなのでしょう。

投稿日時 - 2010-06-09 22:28:38

QNo.5957209

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

ん~非難の嵐を受けてしまいそうですが元々イエスの生まれは神道の生まれとは違いその時代は新興宗教で身分の低い人々に発する?共感を得る為に皆に優しくがモットーだから優しい感じを受けるのでは?神道は媚びる必要性が無かったから畏敬や立入禁止が出来るのでは?

投稿日時 - 2010-06-10 03:44:19

お礼

ご回答ありがとうございます。

そうですね。
神社は敬服のイメージ、教会は平等のイメージが有ります。
まあ、ヒエラルキーはありますが・・・。

投稿日時 - 2010-06-15 13:30:10

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回答(10)

ANo.10

宗教を信じることと信仰とは全く違います。太陽神を信じていなくても太陽の恩恵は感じ、自然と頭が下がるでしょう。それが信仰です。太陽神として崇めるのは信じる心。つまり「信心」です。
信仰の「仰ぐ」とは簡単に言えば感謝の念です。
「太陽なんて単に燃えているだけだよ」そういう人は自分が活かされている事も知らないし、人を尊敬する心も打算なのでしょうね。
無宗教であっても感謝の念があれば、信仰心があるのです。

神社の「社」は敷地を意味します。そして昔は神は降ろしていましたが、今では神域に常にいらっしゃるという考えになっています。特に神がおわす「宮」の周囲を立ち入り禁止にしていますから、それだけ神に近づいているわけです。

教会は多くの場合建物を意味します。教会は祈りの場であって、神がそこにおわす訳ではありません。従って清浄な空気はあっても、神気はないので畏敬までは行かないのです。そして誰でも受け止めてくれる空気があります。

投稿日時 - 2010-06-13 13:22:09

お礼

ご回答ありがとうございます。

確かに、サウンド・オブ・ミュージックでは、「神は修道院や教会にだけいらっしゃるのではありません」と収斂長が言っていましたね。

投稿日時 - 2010-06-15 13:26:00

ANo.9

>私は無宗教です。
>だのに、神社や教会でこういうふうに感じるのはなぜなのでしょう。

私はお寺が苦手。修学旅行でお寺めぐりさせれたけど、建物に入るとぞーっとしてた。
それは明るいところから薄暗いところに急に入るので、お化け屋敷に入るように感じたからと、たたりとか呪いとかそういうストーリーを聞かされたあと、お寺や神社にバスをおりて入ってたので「お化け屋敷にいくんでつかー」と印象操作をされてしまったからじゃないかと。

日本の神社って祟り神とか多いんですよね。
だから神社に入ると畏敬というより畏怖の念を覚えてしまう。


教会の場合も、入ると薄暗いのですが、天井がとても高いので、圧迫されるような印象を持たない。
しかも、ステンドグラスなどで芸術作品があっちこっちにあるので、怖いという感じは持たない。
さらに 教会というのはマリアなわけですから、母体に帰還したかのようなやすらぎを覚える。

tombは墓という意味でwombは子宮という意味。
教会はwomb。


テレビだとナレーションがうまいじゃないですか。
さらに音楽が流れて視聴者の心を製作者がどう動かそうか決めて映像とか音楽を編集しているので、製作者の意図通りに視聴者はなってしまうんです。
製作者は日本の神社の畏怖するもの、海外の教会は母体という印象を持っていたら、そのような映像になるように番組を作り上げるわけです。

どうして製作者はそのような印象を持つのかというと、本とか歴史とかそういうのを勉強しているので、かけはなれた印象を持つ番組にならないわけです。


何故そのような印象を持つのか。
言い伝えとかそういうのがあるから。
そういう情報が無ければ、そういう印象を持つことは無い。

投稿日時 - 2010-06-11 14:24:38

お礼

ご回答ありがとうございます。

なるほど・・・・映像からの心理操作・・と言うことですか・・。

投稿日時 - 2010-06-15 13:26:51

ANo.8

建築を見て回るのはけっこう好きなのですが、神社の位置する空間って水平方向に緊張感がめぐらされ、お社は重心が屋根にあって重いです。庇も深く直射日光もあまり入りません。そして、祀る神様の人格や性別を反映したような意匠がありますね。全体にご神体に意識集中した造りで、拝むにしても見るにしても気持ち的に向かい合う形になります。
いっぽう教会は、サイズは様々にせよ、天井が高いし円天井とアーチの構成から成っており、四方に広がった突出部の小空間を持っていて、高い位置からステンドグラスの光が落ちてきます。高い天井を支える柱も縦空間を強調しています。拝むにしても見るにしても、気持ち的に教会の中のどこでもよく、偶像あるいは十字架は飾ってありますが、ただのシンボルにしかみえず、向かい合うというものでもないように思います。訪問者にとって、光が高いところから落ちてくる、暗めの、意識分散的な空間であると言えます。
さらに考えると、思考や信仰心の形式の違いに辿りつくかなという気がします。

投稿日時 - 2010-06-11 02:38:25

お礼

ご回答ありがとうございます。

確かに、教会の方が明るいですし広いですね。
だから安心につながるのでしょうかね。

投稿日時 - 2010-06-15 13:28:02

ANo.7

 神社は畏敬、教会は抱愛
 クリスチャンではありません。
 神社もどこの教えの教会もお寺さんも大好きです。お墓も好きです。寂寥や孤独が消えます。
 そして近所のお寺さんの勤行がやかましいという苦情をいう人が居たそうです。
 ご住職からそんな話を聞いて、とても悲しい。
 宗教の歌、賛美歌、お経、鉦や太鼓もいいですね。
 嫌いなのがエンジン音。台風や雷も、雨も大好き。鳥の声も好きです。
 梵鐘も好きです。人のさんざめきも好きです。近所でみんなが集まって、なにやら話しているもの大好きです。
 私の悪口かも知れないが、そんなこと気にしません。悪口言われるって、存在しているからなのでして、私が。

投稿日時 - 2010-06-10 08:02:05

お礼

ご回答ありがとうございます。

投稿日時 - 2010-06-15 13:28:46

ANo.5

それを商売にした風俗が「イメクラ」なのです。
極論かもしれませんがねw

投稿日時 - 2010-06-10 02:29:44

お礼

投稿日時 - 2010-10-08 23:08:45

ANo.4

同じ神様でも、神社は、「神道」という名前で分かるとおり、柔道や剣道にも通じる、ある種の現実的な意味合いが混じっています。

それは、神様を見ても、ギリシャの神様が何々コンプレックスと言ってよく心理分析に引用されるのと同じく、いろんな神様が居るので、とても現実的な一面があります。


なぜか、とまではきっちり分析できませんが、現実的な神様の場合、ゼウスもそうだし、日本の神もそうですが、一番上の頂点の、最も権威在るもの、という性格が強く出ます。
神様、という概念は、もともと、「比較」から生まれるからです。


キリスト教の神様も旧約聖書では怖くて権威ある神様でしたが、イエスキリストによって、その壁を越えて、普遍的な、許しと愛としての神様を現すようになったように僕は推測します。
現実的な打算がない、より完全に近い神様の概念に近づいたのが、キリスト教の神概念だと思ってます。
(その分、キリスト教のいうことは若干非現実的でもあります、でもその非現実さが、質問者さんの言われる優しさにも通じてると感じます)


神道の神は、世界的には、平均的な神様だと思います。世界のどこにでも見られる、伝説として伝わる、ある種心理学で言う元形的な? ステレオタイプ的だと思います。

投稿日時 - 2010-06-10 01:03:53

お礼

ご回答ありがとうございます。

投稿日時 - 2010-06-15 13:31:21

キリスト教は善悪がハッキリしています。絶対神とそれに敵対するもの。ですから、教会で人々が崇めるのは必ず善なるものですので、「何もかも煩わしいものがなくなり、幸せな気分、神聖な感じ」となるのは、良いことしか教会が扱わないから。

しかし、日本の神道では善悪は分かれていません。そもそも、神道ではあらゆるものが神の対象になります。人が神認定されたりしてますしね。
名前こそ忘れましたが、とある武将かな が負業の死をとげ、悪神となり厄災をふりまくが、崇め奉る事で逆にその土地を守る守り神となる ってことがあります。
神道では悪神、善神の明確な区別がないのです。
神社で畏敬の念を感じるのは、崇めている神が善なるものとは限らず、悪かもしれないことが関係してるでしょうね。
悪かもしれないのにいい気持ちになる人がいたらマゾくらいでしょう。

直接知識は知らなくても、こういったことはTV等を見てれば肌で感じるでしょうから、無宗教でもいろいろ感じるのでしょうね

投稿日時 - 2010-06-10 00:49:36

お礼

ご回答ありがとうございます。

投稿日時 - 2010-06-15 13:33:53

ANo.2

 考えてみました。
 
 たぶん、
 役割が違うから、
 ではないでしょうか。

 神社は、
 神を崇め奉る施設。

 協会は、
 人を導くための施設。

 また、日本のお寺は、
 人を弔う施設。

 日本の神社に祭られている神は、おおかた、穢れを嫌う神聖なるもの、とされています。だから畏敬の念を感じてしまうのでしょう。

 次のような話があります。
 ある大学教授が、お寺の境内に住み付いているホームレスに聞きました。
 近くにもっと条件のよい神社があるのに、なぜそちらに行かないんだと。
 そう聞かれたホームレスは言いました。
 神社はなんとなく怖い、お寺のほうが温かい、と。

 この記事を読んで、私は自分のブログに感想を書きました。

 “神社は神聖な場所で、穢れを忌み嫌うところ。寺院は厳格さはあるものの、すべてのものを受け入れてくれるところ”なんて。

 教会もすべての人を受け入れてくれる雰囲気がありますね。人によりけり、とも思いますが。

 

投稿日時 - 2010-06-10 00:00:46

お礼

ご回答ありがとうございます。

崇める物が許容か厳格か・・・ということですね

投稿日時 - 2010-06-15 13:33:15

ANo.1

つまりあなたは無宗教ではないのです。
あなたも教えられたり、自然と身に付けた「善」「悪」「尊」「卑」などの考え方があるはずです。
それがあなたの「宗派」です。日本人の多くは無自覚ですが、そういうものに支配されています。
顕著な例は「空気を読む」ですが・・・それは横道にそれるのでやめましょう。
神社や教会などであなたが敬虔になれるのは、そういう「宗旨」のもとにあなたがいるからです。

投稿日時 - 2010-06-09 22:40:19

お礼

ご回答ありがとうございます。

無宗教ではない・・・・なるほど・・・。

投稿日時 - 2010-06-15 13:32:16

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