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解決済みの質問

江戸時代までの庶民は貴重品の管理をどうやっていたのか気になります。

江戸時代までの庶民は貴重品の管理をどうやっていたのか気になります。

例えば時代劇などに登場する庶民の住居ですが、都市部では多くは長屋ですよね。 ちょっと上のクラスの商売人 (例えば夫婦だけでやっているような) になれば数部屋ある一戸建てに住んでいたと思います。

時代劇で見た範囲で言えば、外出する時、今のように鍵をかけるとか一切無くて、開けっ放しの状態ですよね? 

ただ防犯面で言えば、大体は隣近所の付き合いが濃厚なので空巣にやられ難い面もあったでしょうし、仮に泥棒が入ったところで家の中には貴重品や現金などを置きっ放しにするケースなど無い状態だったのではないかなと思っています。

それでも自宅で小商いや食堂を経営している人の家には常に若干の現金 (当日の売上金や支払に当てるお金など) はあっただろうと思うのですが、外出して家に誰もいなくなる時、一体どうやって貴重品などを管理していたのでしょうか?

もしかして、24時間、常にふところに入れて肌身離さなかったのでしょうか?

でも銭湯に行く時は? お湯の中まで持って入ったのでしょうか?

投稿日時 - 2010-04-27 14:41:45

QNo.5854977

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

>時代劇で見た範囲で言えば、外出する時、今のように鍵をかけるとか一切無くて、開けっ放しの状態ですよね? 
その通りですね。
今とは逆で、外出する時はカギをかけないで、在室している夜間にはカギをかけていました。
日中は、隣近所の方々がお互いの家に注意・関心を払っていたのです。
「向こう3軒両隣」という言葉も残っていますよね。
そもそも、金目の物がありません。
多くの住民は「日払い・日給制度」です。今日貰った給金は翌日まで残さない!(宵越の金は持たない)のが、江戸っ子の心意気でした。

>外出して家に誰もいなくなる時、一体どうやって貴重品などを管理していたのでしょうか?

大店(おおたな)の場合は、蔵の中に入れていた様です。
一般の商人とか庶民は、床下の地面に穴をあけ、そこに甕を置き、その甕の中に金品・貴重品を入れていた様ですね。
東京都下の武家屋敷跡地建築工事では、時々地下から小判が纏まって出土しています。
下町の地域では、時々地下から寛永通宝などの束(当時は、紐にお金を結んでいた。銭形平次参照)

>もしかして、24時間、常にふところに入れて肌身離さなかったのでしょうか?

江戸の標準な大工さん。
(米価を基準とすれば、1両は75000円前後)今の金額にすると、日給は約1000円です。(棟梁で約3000円)
ニ八蕎麦が16文ですから、蕎麦一杯が320円もします。
母ちゃん・子供が居れば、懐にいれる程のお金はありません。
買物も、多くは「つけ払い」です。「ゴト日」には、多くの店から集金人が長屋になってきます。
落語の花見の話ですが、卵焼きの代わりに沢庵。蒲鉾の代わりに、大根の切り身の政界なんです。(笑)

>でも銭湯に行く時は? お湯の中まで持って入ったのでしょうか?

庶民は、余分なお金は一切持ち歩きません。(持つ事が出来ません)
自営業の場合などは、店主・番頭など交代で銭湯に行きます。
大店では、自分の家に内風呂がありますが・・・。

投稿日時 - 2010-04-28 00:14:09

お礼

興味深いお話を頂き、有難うございました。
どうも一般庶民は床下に埋めた容器に多少の金子を保管していたようですね。
時代劇などでも、何かの拍子で多額の現金を手にした町民が、盗まれないように、どこかに埋めるというシーンをよく見かけます。
でも、職人のレベルでは「その日暮らし」が現実で、家の中に盗まれるような貴重品など存在しなかったのでしょうね。

留守の間は開けっ放し、人がいる夜は戸締りをシッカリ ・・・ 今とは随分と違いますね。

投稿日時 - 2010-04-28 15:44:12

ANo.4

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回答(5)

ANo.5

 江戸時代の民芸品博物館などに行くと良く有る、隠し貯金箱に入れていたのでは?
 (一見すると貯金箱に見えないのだが、特定の手順を踏むと現金などを入れておける箱が開く物)

 私の祖母も嫁入りの時に持ち込んだタンスにそんな仕掛け(正にタンス預金ですが…。)が有りそうなのですが、急死したため空け方が分らず、しかも桐で出来たそれなりの物ですから、壊すのも躊躇われ、家族では現在たいした物など入っていないと思い込む事にしています。
 (タンスクラスだと空き巣が気軽に持ち出せる物では有りませんし…。)

 なお両替商(本両替と呼ばれた大両替商は、為替・預金・貸付・手形の発行により信用取引の仲介もやっていた)などは、今の銀行のように有る程度の規模の顧客の現金を預かったりしていました。

 両替商の預金の対象になれない中小の商家や一般家庭などでは、頼母子講(たのもしこう)と言う庶民の相互扶助を目的として、多数の人が金銭などを持ち寄り、集団で運用すると言う事が行われました。
 (沖縄では現在でも、これに似た模合[もあい、むえー]といった団体に県民の半数近くが参加しているとか…。沖縄以外の地方でもまだ残っている所も有るとか)

 なお、明治以降には無尽などと呼ばれ会社化していき、大正の頃(世界恐慌があった頃)には一般の銀行に匹敵する日本の経済を担う金融機関の一つとなっていました。

 戦後はGHQが難色(無尽の利益配当方法を賭博行為[特定の者(多くの場合は順番)に利益を供与される為]であると認識)を示した為、相互銀行へ転換し、現在では第二地方銀行(行名に県名を関した銀行など)や消費者金融として存続しています。

投稿日時 - 2010-04-28 01:18:16

お礼

有難うございました。
なるほど、隠し引き出しのような所にお金を保管していたとも考えられるわけですね。
そういえば、昔の家具にはそのようなカラクリが多くあったと聞いた事があります。
でも、お祖母様のタンスですが、中に何が保管されているのか、お話を聞いただけでも気になりますよね。

投稿日時 - 2010-04-28 15:48:52

ANo.3

江戸時代なんて遠くの昔まで戻らなくても、つい4、50年前までは、庶民の家では今ほど厳重な鍵はついておりませんでした。私が子供の頃、母が外出中の時に早く下校し過ぎた時など、木をスライドさせる程度の鍵は子供の私でも簡単に開けられました。私の家は普通の庶民の家でしたが、貴重品が無かった訳でもありませんでしたよ。夜になったら雨戸を閉めるとか、昔の江戸の長屋では木戸を閉めるなどの工夫もありました。しかし、つい最近まで戸締まりがそんな程度ですんだのは、物理的な工夫ばかりに頼るのではなく、文化的な工夫もあったからなのだと思います。要するに、他人の物を取るのは悪いことだと言う共通認識が徹底していた文化を持っていたということです。

昔、私の先生と奈良の正倉院を訪れた時に、その先生が突然気が付いたようにこんなことを言いました。「日本人とは何とも変わった国民だ。見てみ給え。校倉造りと言い、鼠返しと言い、この正倉院は宝物を自然災害から守るために、感心するようないろいろな工夫が成されている。湿気の多い日本の気候から守る工夫は現代科学から見ても舌を巻くくらいだ。ところが盗賊から守る工夫が、ほとんど何も成されていない。何なんだ、日本人て。」

そう言えば、日本の古墳もそうですね。ピラミッドだって中国の墳墓だって、彼らが全智全能を傾けたのは盗掘防止の工夫だったですね。ピラミッドの盗掘防止装置は特に有名ですね。ところが、日本人のそんな文化的な盗難予防法も、外国と接触するようになってじわじわと通じなくなり、開国後約百年経って、やっと最近になって日本人も外国の先進国並みに盗難防止には物理的な工夫に限ることに目覚めたようですね。

投稿日時 - 2010-04-27 22:13:14

お礼

有難うございました。
なるほど、西洋と日本とでは「窃盗」に対する考え方に大きな違いありそうですね。興味深いお話です。
たしかにピラミッドのような盗掘防止装置なんて日本の古墳には無かったのではと思います。
文化の違いなのでしょうね。
一方、江戸時代は「10両の金子を盗めば死罪」になったと聞いた事があります。
少ない同心で江戸の治安を守れたのは、そのような厳罰主義で臨んだからだとか。
ただ、現実の江戸の町は、今のようなキチッとした警察組織が完備されておらず、やくざと岡っ引きの区別も曖昧で、逆に混乱を極めていたという話も聞いた事があります。
興味深いお話に感謝します。

投稿日時 - 2010-04-28 15:39:09

ANo.2

ご参考。
http://okwave.jp/qa/q5754438.html

>もしかして、24時間、常にふところに入れて肌身離さなかったのでしょうか?
>でも銭湯に行く時は? お湯の中まで持って入ったのでしょうか?

江戸の粋を示す言葉で「宵越しの金は持たない」って言葉がありますが、これは「貯金する方法が無かったから」なんです。

つまり「あればあったで使い切ってしまう」のが「江戸の庶民の経済感覚」なのです。

ある程度お金を持っていた商家は土蔵などにしまって鍵をかけるなどしていましたけどね。

投稿日時 - 2010-04-27 15:06:41

お礼

有難うございました。
なるほど、一般庶民には安全に貯金する方法が無かったので、「宵越しの金は持たない」という風潮が広まったわけですね。

投稿日時 - 2010-04-28 09:49:45

ANo.1

庶民は銭を壷や竹の銭筒に入れ、板敷きの下や土間の穴に隠す、おなじみの方法でしたが、
やがて、小金を貯めた庶民は、頼母子講あるいは無尽講とよばれる組織を作り、少額の金銭を持ち寄って運用しました。

頼母子講や無尽講は、一種地域コミュニティーとしての色彩が強い組織で、飲み会や雑談のための溜まり場的な要素もあり、貯蓄や利殖だけを目的としたものでは無いのですが、実態は今日の信用組合信用金庫の前身といえます。時代劇でも、よくでてくる、おなじみのものです。

 また、大店の主人の大金持ちは盗賊を恐れて、信用ある両替商に金を預け、預かり手形を受け取りました。いまでいうと無利子の当座預金で遠方への送金にも重宝がられました。銀行の貸し金庫という所です。両替商はこの預金も、無利子の幕府の御用預かり金と共に、高利で貸し付けに回し莫大な利益を得ました。

投稿日時 - 2010-04-27 14:53:34

お礼

有難うございました。
なるほど、庶民は物理的に隠してしまう。そして商売人は両替商に預けてしまう。
このようにして貴重品を管理していたわけですね。

投稿日時 - 2010-04-28 09:46:53

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