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締切り済みの質問

出土した大型建物について知りたいのですが

 卑弥呼の居館かと騒がれている、桜井市纒向の大型建物の事ではありません。
同じ奈良県の御所市秋津から出土している大型建物らしき遺構の事です。

 京奈和自動車道建設に伴う事前調査で、この秋津の調査地から大型建物らしき遺構が出土しています。
布留1、2式の土器が出土しているとは聞いておりますが、それ以上詳しいことは何も解りません。
遺構の性格、年代、範囲などについてご存知の方があれば教えてください。現在調査主体である橿原考古学研究所からは何の発表もされておりません。

投稿日時 - 2009-11-30 11:17:17

QNo.5487040

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回答(5)

ANo.5

11月27日13時30分から桜井市埋文で講演会があります。
 
 黒田先生の意見を聞いてみてはいかがでしょう(^O^)

投稿日時 - 2011-11-13 22:51:29

お礼

講演会の情報ありがとうございます。
できれば出かけたいのですが、なにぶんにも遠方なので無理かも。

投稿日時 - 2011-11-18 21:44:07

ANo.4

 本格的に研究されている方なんですね。失礼しました<(_ _)>
 
 私の文面で私がどこのものか察していただけたと思います。 
 
 担当した調査員が多忙でまだ資料整理が進んでいないのでなにも進展ないと思います。

 研究されている方にとっては早く情報が知りたいと思われるのはごもっともだと思います。
 
 詳しくは分かりませんが来年度も周辺の発掘があると思います。今年度の調査で南側の遺構の
 
 範囲は確定したのではないでしょうか。
 
 夏の秋津の現説行かれなかったんですね。遺構の平面図作ってましたよ。 
 
 最近、いろいろあって自分の仕事以外のことに感心もっていませんでした。

 ちょっと調べてみますね。 

 

投稿日時 - 2011-11-13 22:39:17

補足

 秋津遺跡の調査はとてつもなく大変と思います。
調査範囲が極めて広大で、時代の異なる地層のそれぞれに遺構があるわけです。しかも調査範囲全体に遺構が存在する。
加えて高速道路建設の橋脚工事が、すぐ背後まで迫る状況の中での調査です。
担当者のプレッシャーは想像に難くありません。
よけいな心配かもしれませんが、調査が間に合わなくなるのではないかと心配しています。

こんな事をお聞きしても、まともに取り合って頂けないでしょうが、本当は次のようなことをお聞きしたいのです。

「この室の地は、六代孝安天皇秋津島宮の伝承地です。秋津島宮は実在したのでしょうか?それとも真っ赤な作り話?
橿考研の中に、この遺構を秋津島宮との関係で考える方はお見えになりませんか?もしあればぜひお話をお伺いしたいのですが」

投稿日時 - 2011-11-18 21:46:12

ANo.3

質問の書き方からすると怒っておられますね。

秋津は誰もあそこに大型建物の遺構があるとは思ってなかったそうです。
遺構があるとわかっていたら高速道路の橋脚の場所があそこではなかったと思います。
たまたま京奈和ができるから発掘調査したのでわかりました。
今年度の調査によりまたいろんなことがわかりました。

発掘調査員は暑い日も寒い日も一生懸命仕事しています。
過労で倒れるのではないかと心配することが多々あります。

報告書ができるまでまだ時間がかかります。すみません <(_ _)>

ここ数年京奈和道にともなう発掘により根成柿、萩ノ本、一町、観音寺、玉手、蛇穴、秋津、中西はわかったことがたくさんあります。

投稿日時 - 2011-11-05 22:59:09

補足

早速の回答ありがとうございます。
二年前の質問で状況が変わっています。少し質問の内容を変更させていただきます。最初にこの質問をしてから数度の現地説明会も行われ、私もその間の状況を大体把握しております。

秋津遺跡と名づけられたこの遺跡は、長い間にまたがる複合遺跡であり、最近も一番下層から弥生中期の、我が国最大規模の水田跡地が出土したことで話題を呼んでいます。

私が最も知りたいのは、方形区画と称される塀で囲まれた建物遺構の年代です。橿原考古学研究所は、この年代を四世紀前半とします。
しかしこの場所から多孔銅鏃が一個出土しています。多孔銅鏃の研究に詳しい愛知県埋蔵文化センターの赤塚次郎さんによると、多孔銅鏃の年代は二世紀前半から三世紀半ばとします。
もちろんこの一点だけで遺構の年代を決定できませんが、そこから出土した土器片の写真を赤塚さんに示した所、多孔銅鏃と同時代の土器片も存在するとのことです。また橿考研が東海系とする土器の年代も、三世紀代と考えるとのことです。
赤塚氏の年代観が絶対正しいとは言い切れませんが、仮に50年の狂いがあるとしても、多孔銅鏃の年代が四世紀前半になることはないと思われます。

秋津遺跡の南西は、室と呼ばれる地域です。室は六代孝安天皇秋津島宮の伝承地でもあります。

『魏志倭人伝』は卑弥呼の政治を補佐する男弟があったとします。私はこの男弟こそ孝安と考えています。
従って秋津島宮こそ卑弥呼の王宮で、秋津島宮の実在した年代は三世紀前半と考えるわけです。

詳しくはこちらの私のブログに記します。
http://yamatai.sblo.jp/article/47687462.html

もちろん現在出土している、方形区画と称する塀で囲まれた建物遺構が、秋津島宮そのものではないとしても、必ずこの近辺に三世紀前半の遺構が存在し、その時代の遺物が出土するはずと考えています。

多孔銅鏃とこの遺構の年代との関係について教えて頂ければ幸いです。

投稿日時 - 2011-11-13 11:38:41

ANo.2

それでは本当に関係者以外知らない話なのでしょう。
ここで聞いても無理かと思います。

投稿日時 - 2009-12-03 20:51:49

ANo.1

道路建設に先立つ発掘調査だと工事進行にあわせて調査を行うので質問文に書かれた情報だけでは関係者以外は調査場所さえ特定できないかと思います。
橿原考古学研究所に直接問い合わせるか、桜井市教育委員会にたずねたほうが正確な答えが得られると思います。

投稿日時 - 2009-12-02 22:44:56

補足

御所市教育委員会からは話せる範囲でという条件で、大型建物の遺構が出土していること。布留1、2式の土器が出土していると聞いております。
橿原考古学研究所からは、現地説明会の予定が決まりましたら連絡しますとのこと。それ以上詳しいことは解りません。

投稿日時 - 2009-12-03 09:24:31

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