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締切り済みの質問

宗教を信仰している方に質問です

 私は宗教を信仰したことはなく、また宗教を信じている人の話を詳しく聞いたことがないため、一度宗教を信仰している人の話を聞いてみたいと思っていました。ご回答をよろしくお願いします。

なお、ここでいう宗教とは漠然と超自然的な力をを信じているということではなく、仏教やキリスト教、あるいは新興宗教○○教というような特定の宗教を信じている方のことです。もっとも、なんらかの団体に所属していなくても個人で宗教生活を実践している方にもご回答いただきたいです。


1.宗教を信じるようになったのは何歳からですか、またそのきっかけはどのようなものでしたか?

2.日々実行している宗教的な行為はどのようなことですか?

3.宗教上の仲間がいる方は、どの程度の付き合いですか?

4.信仰上の喜びを感じる瞬間はどのようなときですか?

5.宗教を信じる人と信じない人の違いにはどのようなことがあると思いますか?

6.強いて言うなら、どのような社会が理想的ですか?

投稿日時 - 2009-08-21 12:20:52

QNo.5224880

困ってます

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回答(9)

ANo.9

続けての回答、失礼します。
宗教は、よく心弱い人が頼る、と言われますが、生きる指針を得る為、道徳心を持つ為だと思います。例えば、父母を敬いなさい(大切に)、のような事です。今、学校では、道徳教育が難しい点、宗教は教えてくれます。

投稿日時 - 2009-09-14 02:34:49

お礼

ご回答ありがとうございました。

投稿日時 - 2009-09-16 21:59:36

ANo.8

自分はプロテスタントのキリスト者です。家族は、一般的な日本人で、仏壇・神棚に手を合わせるですから。
9年目に成ります。(受洗して)
悩みを、物事を考える上での手掛かり…支柱を得る為に成りました。
毎日、朝の目覚めに・夜寝る前に・何か事有る事にと祈ります。聖書には、向き合うように心掛けていますが、真面目な信徒ではないです。
事情が有り、教会からは遠退いているから。
宗教を通しての人間関係は、難しい点が有ります。家族全員が教会に通うなら、宗教生活は問題ないのだと思いますが、個人的に一人で教会に足運ぶと成ると、教会の中で孤立します。何か、質問に答えられているかな?
でも、自分はキリスト者で在り続けます。
世の中、社会から、争いが無くなる事が、可能なのかと、思います。平和が一番ですが。

投稿日時 - 2009-09-14 01:29:01

お礼

ご回答ありがとうございます。

日本で信仰のある方というのは家族や友人とともに信仰生活を行っている場合が多い印象があったのですが、意外と個人で信仰生活を送っている方も多いようですね。ただ、一人で信仰を行うのは大変な面もあるみたいですが、それにもぶれずに続けられる強さも信仰心によるものなのでしょうね。

投稿日時 - 2009-09-16 21:52:47

ANo.7

1、キリスト教徒です。3年ほど前から聖書を読み始めました。ウツ病になったことがきっかけです。

2、お祈りの本を読んでお祈りをしています。

3、人付き合いが苦手なので、ほとんどしていません。

4、願いがかなった時。好きな人に合えた時。

5、自分の力以上に、心が強くなれること。
どんなことがあっても自殺しないこと。

6、アメリカは理想的かな。(人種差別やスラム街の問題は別として)

投稿日時 - 2009-09-02 17:34:14

お礼

ご回答ありがとうございます。

信仰のある方は幼少時の家庭教育や勧誘がきっかけではじめる場合が多いと思っていましたが、いろいろな場合があるのでしょうね。

実際、病気がきっかけで信仰心が芽生える人は多い気がします。病気など、自分ではコントロールできないものに直面したときには、人知を超越した大きな力に身を任せようという思いになるのでしょうか。ただ、そういった信仰心が芽生えたとしても、さまざまな宗教があるなかで、ひとつの宗教を選ぶのは難しい気がするのですが、そこにも何かきっかけがあるのでしょうか。

投稿日時 - 2009-09-04 18:47:08

ANo.6

お礼、有難うございました。

> ひとつ疑問なのですが、先祖と自分との連続性の感覚は、例えば、祖父という人物や、先祖代々の土地というような具体的なものと結びついていますか。それとも、もっと抽象的・観念的な意識なのでしょうか。

宗教問題を考察する上で、形而学的なアプローチは重要ですが、完全に区別する必要は無く、具象・抽象の両方の影響を受けると考えるべきだと思いますよ。

たとえば、名門・名族と言われる様な家柄などでは、物質的・精神的の両面で、バランス良く伝承が行われ易い点は、イメージしやすいと思います。

結局は、自分のアイデンティティの問題なのですが、両方が、ほど良く揃っておれば、物心両面、即ち、自分と先祖にも、アイデンティティを見出しやすいと思います。
私なども、そのクチです。

逆に、いずれかに偏った場合は、いずれに偏っても、難しいと思いますし、いずれも無ければ、当然、伝承が最も行われ難いです。

例えば、思想などの面では、先祖から伝承されたものが優れていても、物質的に恵まれない境遇であれば、反作用的に、その思想を否定する思想を持つことは、容易に想像出来ます。
また、物質的にのみ恵まれており、精神面での伝承がなければ、名門・名族の矜持などは失い、ただの成金の様になってしまいそうです。

また、受け継ぐものが無い状況は、戦後、核家族化が進み、祖父母-孫間の思想の伝達や教育が行われ無くなった影響が大きいでしょうね。
そのまま宗教の影響力低下に繋がっていると思いますし、やたら勧誘を行う様な、新興宗教などの台頭に繋がっていると思います。

新興宗教の全てが悪いワケでは無いですが、自己のアイデンティティが無い状態で、勧誘を受ける様な状況は、歓迎するべきものでは無いです。

投稿日時 - 2009-08-22 11:35:11

お礼

私の場合、祖父の代から受け継いだもので物質的なものはほとんど無さそうです。また、精神的なものでは、祖父が幼少時に亡くなったこともあり、これも無さそうですね。それに父が祖父に対してあまり良い印象をもっていなかったように私の目からは見えますから、父を通して間接的な継承というのもなかったと思います。

同じような状況は現代日本では少なくないと思います。とはいえ、仰るとおり新興宗教にも不安がありますし、難しい状況ですね。

投稿日時 - 2009-08-22 23:55:31

ANo.5

プロテスタントのクリスチャンです。

>1.宗教を信じるようになったのは何歳からですか、またそのきっかけはどのようなものでしたか?
今は亡き母に、小学生のころ教会の日曜学校に連れて行かれたのがきっかけです。
子どものころは幼いなりに信仰心があったようですが、成長してからは教会から離れてました。数年前の母の死をきっかけに、子どものころからなじみのあった教会に戻り、改めて信仰を自覚して洗礼を受けるに至りました。

>2.日々実行している宗教的な行為はどのようなことですか?
聖書を読むこと、祈ることです。
といっても、堅苦しく構えて行うのではなく「そうだ、聖書読もう」くらいの気楽な気持ちで読みます(真面目な人からは怒られそうですが)。お祈りも、「神様こんなことがありました」という感じで。
もっとも、現在日曜学校で子どもたちの指導を担当しているので、嫌でも聖書は読まないといけないのですが(^^;)

>3.宗教上の仲間がいる方は、どの程度の付き合いですか?
教会に「青年会」という若い人たちの集まりがあるので、教会での勉強会はもちろん、誘い合わせて出かけたり、ほかの教会の若い人たちとの会合の後にご飯を食べたりしてます。
話題に教会や信仰のことが出ることもありますけど、クリスチャンであることを除けば普通のお友達づきあいと何ら変わりないです。

>4.信仰上の喜びを感じる瞬間はどのようなときですか?
困っているとき、辛いときに周囲の教会の方たちから「祈っていますね」と励まして下さったとき、ありがたいなあと思います。時々「祈るだけじゃしょうがないよ」と、罰当たりなことも思うんですが。感謝と共に、私もそうありたいと思います。

>5.宗教を信じる人と信じない人の違いにはどのようなことがあると思いますか?
自分の価値判断の基準を、絶対的なものに置くか相対的なものに置くかということと、私は考えています。
何か問題が起こったとき、考えても答えがなかなか出ないとき、「神様ならどうなさるだろう」「(仏教なら)仏様ならどうなさるだろう」と考えることができるのが宗教だと思います。周囲や世間に振り回されない軸、とでも言ったらいいでしょうか。

>6.強いて言うなら、どのような社会が理想的ですか?
人それぞれが、お互いを思いやり、助け合っていく社会であってほしいです。

投稿日時 - 2009-08-22 09:56:38

お礼

>(宗教を信じる人と信じない人の違いは)自分の価値判断の基準を、絶対的なものに置くか相対的なものに置くかということと、私は考えています。

私は、価値観の多様性を認めようとあらゆる価値観を相対化していたのですが、そうすると何が正しいのかが解らないような感覚に陥りました。結局、価値観の多様性を認めるというのは自分の価値観をも相対化するというのではなく、自分自身は絶対的なものを追及しつつ、他の価値観も相対的に認めるということなのだと今では思います。

しかし、いざ絶対的なものを追求しようにも何が絶対的なものか解らない状況にあります。やはり信仰のある方はここが違うようですね。

投稿日時 - 2009-08-22 23:52:11

ANo.4

<お礼>拝見しました。
アナタさまは高校生か中学生なのかもしれませんね。
ご親族に信仰がなくても、そうした情報は尋ねなくても
噂etc.から自然に齎されるものですし、
理容や美容関連のお店の人たちは情報源でもあります。
ご自身の足を使って得た情報にはネットで得られる情報よりも
遥かに価値がありますよ。
なんであれ、自分自身に負けないことです。
お早めにネガティヴ・スパイラルから脱してください。

以上、参考まで。

ステキなご回答が多数寄せられるといいですね。

投稿日時 - 2009-08-21 21:44:26

お礼

恐縮ながら、既に成人に達しております。

噂では「□□さんは○○教の信者らしいよ」というような話を聞くことはありますが、その人がどのような宗教心を持ちどんな生活を送っているのかというのは伝わってきません。実際に興味を示して、勧誘されるのも不安ですし。

複数の方から、日常生活の中で信仰を実践している様子がイメージしやすい回答を投稿していただき大変参考になります。

投稿日時 - 2009-08-22 23:48:30

ANo.3

1.両親がキリスト教(プロテスタント)のクリスチャンで、父が牧師だったため、生まれ育った環境が教会でした。毎週日曜日には教会で礼拝をし、食事の際にはお祈りをするという感じです。自分で考え、信仰をもつようになったのは小学校高学年以降です。
教会では、同じクリスチャンの両親に育てられた同い年のお友達もいました。(通っている学校は違いましたが)

2.お祈りをすることです。食事の時だけに限らず、感謝したい時、何かを願っている時、悲しい時や苦しい時などに祈ります。場所は問わずです。

3.今は教会から離れてしまっていますので。。もう疎遠ですね。同じクリスチャンの家族との付き合いくらいです。

4.様々なものの中に愛や優しさを発見した時でしょうか。

5.様々な違いがあると思います。特定しては言えませんが。。
宗教を信じている人は、自分の中に核(信念)となるようなひとつの確信を持っているものではないかと思います。揺るがない強さのようなもの。
信仰の違いによって、「死」の捉え方も違うし、生き方、考え方、世界に対する見方も違ってくるように思います。

6.戦争・紛争のない、恒久の平和が約束された社会

投稿日時 - 2009-08-21 17:13:54

お礼

ご回答ありがとうございます

宗教を信仰している方は謙虚さというか、感謝の気持ちが強いように感じます。祈るという行為もその表れのようですし。こういった気持ちは大切だと思いますが、幼少時から慣れ親しんでないと難しそうですね。

投稿日時 - 2009-08-21 19:27:23

ANo.2

私自身は、真面目に信仰してるワケでは無いですが、先祖代々の葬式仏教の信者のハシクレです。


1.宗教を信じるようになったのは何歳からですか、またそのきっかけはどのようなものでしたか?

物心がついて以来の幼年期から。
その当時からの教育の影響?
幼心にも、仏壇や墓に、先祖が祭られてることで、やはり神聖視しましたから。


2.日々実行している宗教的な行為はどのようなことですか?

特に有りませんが、容易に守れる仏教的な慣習などは、守りますヨ。
北(西)枕とか、箸をゴハンなどに付き立てないとか、箸・箸で食べ物を渡さないとか、葬式や霊柩車を見たら、親指を隠すとか・・・。

まあ、誰でもやってる様なコトですが。


3.宗教上の仲間がいる方は、どの程度の付き合いですか?

門徒の仲間などいませんが、お坊さんとは親しいです。
とは言え、会う時は法事などが多く、お布施を渡す機会ば多く、所詮は取引関係ですかね?

4.信仰上の喜びを感じる瞬間はどのようなときですか?

自分の宗教観で、問題解決が図れたり、問題解決の糸口になった時かな?

宗教観というのは、やはり信仰宗教があったことに尽きます。
信仰している宗教のお経は多いし、正直、すべて理解することなど出来ませんが、自分の家や先祖が仏教徒であることで、宗派に限らず、仏教全体に広く興味を持つことが出来、更に他の宗教にも興味を持ちました。
この結果出来たのが、自分の宗教観です。

5.宗教を信じる人と信じない人の違いにはどのようなことがあると思いますか?

先祖を敬う気持ちとか、未知なるものへの畏怖心・畏敬心などじゃないですかね?
先祖があるから自分がある。それが感謝の気持ちの基本の様な気もします。
未知なるものの、最たるものが死でしょう。
死を恐れ敬うから、生を楽しみ、命を尊重するんだと思います。

ただ、この様な感覚さえ持てば、別に宗教など必要無いとも言えるかな?

6.強いて言うなら、どのような社会が理想的ですか?

誰もが健康で幸福な人生を謳歌する社会ってトコじゃないかな?

ただ、政教分離は行われるべきだと思いますよ。
宗教は、道徳と同じく、法令を破らないために、法令の内側で、個人レベルで人を律するものとして存在すべきと考えます。

宗教は、政治と関与した瞬間に、その宗教自身の宗教性を損なう点を、自覚せねばなりません。
政界に野望を示す宗教団体などは、健全な宗教とは思いませんし、むしろ軽蔑すべき対象だと思います。

投稿日時 - 2009-08-21 16:50:12

お礼

ご回答ありがとうございます。

私の家も先祖代々、葬式は仏教で行っています。そのため、自分も死んだときはお世話になるという意識はあります。

>>先祖を敬う気持ちとか、未知なるものへの畏怖心・畏敬心などじゃないですかね?
>>先祖があるから自分がある。それが感謝の気持ちの基本の様な気もします。

なるほど。確かに私にはそういった感覚は欠けている気がします。
ひとつ疑問なのですが、先祖と自分との連続性の感覚は、例えば、祖父という人物や、先祖代々の土地というような具体的なものと結びついていますか。それとも、もっと抽象的・観念的な意識なのでしょうか。

投稿日時 - 2009-08-21 19:15:03

ANo.1

自由研究か何かでしょうか。

個人情報を知られることになるので、その種の質問への
回答は極めて稀少でしょう。私も伝聞可として悟り・
人間革命について質問したのですが宗教と関係ない人の
冷やかし的な回答が2件あっただけでした。

有力な調査方法は、
お爺ちゃまお婆ちゃま、ご両親に訊いて情報をゲットして
ご近所の信者の皆さんを訪問して直接お訊きすれば
喜んで話してくださるでしょう。
1日で、
ン十人以上、インタヴューできるでしょう。

教会や教団etc.を訪れれば更に広く情報をゲットできます。

投稿日時 - 2009-08-21 16:32:49

お礼

ご意見ありがとうございます。

この質問は他人に見せるのが目的ではなく、あくまで個人的な関心によるものです。

私自身、最近は宗教的なものに惹かれることがあるのですが、本で調べようにもアカデミックで信仰には向かないものや、オカルト過ぎるものが多く、参考になりそうなものは見つかりません。また、人間関係を当たろうにも、両親に信仰がないのは知ってますし、近所は新興住宅地で人間関係の希薄ですから、信仰のようなデリケートな問題を聞くのは無理です。一応、近所にはお寺や教会、新興宗教の施設があるようですが、単に話を聞きに行くのも気が引けます。

投稿日時 - 2009-08-21 19:09:42

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