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締切り済みの質問

人間の悩みの根源は自己憐憫じゃないでしょうか

このサイトの質問群を見ていていつも思うのですが、結局人の悩みというのは根本に、自己憐憫があるのではないでしょうか。

そうでなかったら”悩み”などあるでしょうか?

だとすれば、安易な同調や慰めはその人のためにはならないのではないでしょうか。

投稿日時 - 2009-08-09 03:29:16

QNo.5192866

暇なときに回答ください

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回答(8)

ANo.8

「自己」を認識するとき、「自己」があり、同時に「自己憐憫」も持つことになります。だがこの「自己」が、仮の存在と知るならば、「悩み」などは通り過ぎていく風のようなものになりはしませんか。

投稿日時 - 2009-08-09 14:55:54

お礼

ご回答ありがとうございます。

その回答は哲学者向けじゃないでしょうか、人生相談をしている人には通用しないと思います。
なぜなら答えを導くためのプロセスを共有できないからです。

それに悩みとは何かを考えることは非常に価値があることだと思います。
風にするにはもったいないと思います。

投稿日時 - 2009-08-09 20:05:05

ANo.7

まさしくその通りだと思います。
「悩み」のある人の質問をみていると積極的に解決を求めているのではなく
いかに「自分がひどい目にあっているか」を感情的に訴えているものが
殆どです。
自分の不安や不満を解決するのは自分自身だ、という自覚が感じられません。

質問者達は「そうだったの辛かったね、あなたは悪くないよ、
よく頑張っているじゃないか」と言う回答が欲しいのだと思います。
でも私はいつも本音でベストと思える回答を書きます。
少しでも参考にしてくれればと思うからです。

投稿日時 - 2009-08-09 13:59:47

お礼

ご回答ありがとうございます。

良薬口に苦しでなかなか渦中にいる人には受け入れがたい様です。
違う視点から問題を見ると案外単純だったりしますので、そこら辺をうまく気付かせてあげられればいいと思っています。

投稿日時 - 2009-08-09 20:10:14

ANo.6

その「自己憐憫」する「自己」というものは、実際問題として「ある」といえますか。
自分のどこを探せば、その「自己」が見つけられます  ?

元々、自己というものは、自分が勝手に作り上げた代物では、ないのではないでしょうか。

投稿日時 - 2009-08-09 10:56:17

お礼

ご回答ありがとうございます。

「ある」とは物質として存在しているかという意味ですか?
哲学的には色々な側面で見ることも必要ですが、実生活ではそれはあるのではないでしょうか。
そうでなければ質問者も回答者も存在しません。

自分が勝手に作り上げたとするならそれを作った『自分』とは誰ですか?

投稿日時 - 2009-08-09 11:06:37

ANo.5

意見を述べて同意を求めるのは
サイトの趣旨に反します。

投稿日時 - 2009-08-09 05:26:16

お礼

気をつけます

投稿日時 - 2009-08-09 10:52:00

ANo.4

申し訳ありませんが、質問者様がおっしゃるその真意には同意見です。


悩んでいる方は 大抵自分が可哀そうで沈んでしまった心をどうにかしたいと、自分の思い描いた沼で溺れているのだと感じます。

ただ、溺れている方にとっては深刻なのだと思います。
第三者的にみれば、膝ほどもないプールで溺れているかもしれません。
しかし、ご本人にとっては深い沼なのだと思います。
浅いプールだから「立てるでしょう」というのは、回答する側の勝手な推測にもなり得るようにも思います。

『事実というのは その人個人によって重みの度合いが違う』

と、私個人としては認識しています。

安易な同調でもその人にとっては救いかもしれません。
不安材料は要らないのです。

また、規範意識を持って相手に促させる回答も間違いではないと思います。

ただ、批判と捉えられても、相談者を救うのは最終的には相談者自身の問題ではないでしょうか。

良い回答も悪い回答も トピ主様が お決めになる事です。

瞬間的に批判としてに捉えられた回答だっとしても、相談した側が時間の経過した過程の中で、脱却出来る要素を持った回答に出逢っていれば、その回答もいつかはご本人の糧になるのではないでしょうか?

私個人としては、shift-2007様には ポリシーの元に勇往邁進して頂きたいと存じます。

投稿日時 - 2009-08-09 04:34:19

お礼

ご回答ありがとうございます。

病気をしたときに『痛み止め』を飲むだけでは治療にはならないと思っているのですが、痛み止めにもそれなりに役割がありますので無下に否定してはいけないのかもしれませんね。

投稿日時 - 2009-08-09 10:51:41

ANo.3

自己憐憫…多いに結構ではない?
つらくて 悲しくて …けれども 皆大人になると 身近な人に、なかなか 心の内を さらけ出せない。差し障りがあるからなぁ。でも苦しくてたまらない。誰かに、聞いて欲しい。迷路にはまりこんだ思考回路に 突破口を開きたい、一歩を踏み出す勇気が欲しい、そんな時に ここに 来る。私も その一人です。
そういう役割も 担ってくれている…というか このサイトの大きな存在理由と 私は感じているのですが…。

投稿日時 - 2009-08-09 04:11:11

お礼

ご回答ありがとうございます。

突破口としてこのサイトを利用するのは結構なことだと思います。
ただ、突破口は自己憐憫の中にはないと思うのです。
地獄の中はどこまで行っても地獄ではないでしょうか。
故に『あなたの悩みは自己憐憫によって持続され続けている』という事を指摘してあげるのも回答者の役割ではないでしょうか。

投稿日時 - 2009-08-09 10:39:02

ANo.2

そうでないとは100パーセント言えないでしょうけどね。全てがそうであるとは言えないでしょう。
何か問題を抱えたとき、近視的な状況に陥り、判断できないこともあります。また、自分に非がなくても降ってかかる問題もあります。
それを質問することによって、自分の状態を判断し打開策を見出す。と私は考えています。判断する要素になればと私は思っています。

「安易な同調や慰め」と決めつけては、回答者に失礼ではありませんか?
質問者の切実な状況を「自己憐憫」と切り捨てるのは失礼ではありませんか?

投稿日時 - 2009-08-09 03:51:16

お礼

ご回答ありがとうございます。

生きていく上で様々な問題が発生し、それはひとつひとつ解決していかなければならないことです。
だから近視的な状態から抜け出すためにこのサイトを利用するのは結構なことだと思います。
ただ、問題=悩むとは必ずしもならないのではないでしょうか。
人間の心理が「問題」という事象に乗っかってしまうと問題解決を遅らせる原因になってしまう場合が多いと感じます。

質問者がそれを失礼だと感じるならプライドという心理が問題解決を邪魔しています。
回答者が失礼だと感じるなら、誰のための回答か分からなくなるんじゃないでしょうか。

心理が問題解決を邪魔していると思うのです。

投稿日時 - 2009-08-09 10:32:36

ANo.1

>結局人の悩みというのは根本に、自己憐憫があるのではないでしょうか。
自分の悩みならそれ以外の説明が困難のではないでしょうか。
つまりあったりまえということです。

>安易な同調や慰めはその人のためにはならないのではないでしょうか。
さぁ、それはどうだかねぇ。

投稿日時 - 2009-08-09 03:48:21

お礼

ご回答ありがとうございます

投稿日時 - 2009-08-09 10:17:36

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