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解決済みの質問

英語はそろそろ受験科目から外せませんか

いよいよ小学校から英語が始まるそうですが、NHKの子供番組で日本語であそぼうなどという番組で日本語をいい加減に扱う一方英語でギターを弾くアメリカ人(?)に合わせて小さい子が飛んだり跳ねたり将来アメリカ人の指揮官の言うことがわかる日本兵を養成しているのかと思ってしまいます。英語を幼いときから教えるのは英語しか使わないアメリカ人より頭脳が発達するかもしれませんので一概に反対する必要はないと思います。しかし上の学校へ行くとき英語が受験科目にすることの意味をもう一度考える必要はないでしょうか。高校時代にアメリカでは日本の子どもが英語を学んでいる時間に創造力を養成しているかもしれません。また日本語を学ぶ時間がそれだけ少なくなると日本の若者の思考力に影響が出ると思います。高校はともかく専門学校や短大、大学などでは語学コース以外では英語を受験科目から外した方がよいのではないでしょうか。ノーベル賞の益川さんの発言に悪乗りしているわけではありませんが、すべての若者の貴重な青春の時間を英語などに使うのはもうそろそろやめてもよいのではないでしょうか。言うまでもなく各人の判断で英語や外国語を学ぶことは大切なことだと思います。

投稿日時 - 2008-12-18 18:14:41

QNo.4565810

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

>現在の日本語は先人の大変な苦労(漢文の読み下しを源流とする蓄積された翻訳技術が主体だと思いますが)専門領域の研究に差し支えるほど幼稚なものではないと思います

これは完全に皆さんの意見を勘違いされています。ここの回答者だれもそんなことは言っていません。

>研究室に配属された学生の多くは自分の保有する英語より日本語の貧弱さに悩まされてはいないでしょうか。

はは、これは確かにそうかも。ただ、これに関しては日本語が出来る人は英語も出来るんですよね。やはりレベルの問題で。

仰る事は極一例なんです。すばらしい研究を日本語ですれば良いかもしれません。でもそれだと日本人しか読めません。翻訳家に英語に直してもらったり、英語の論文をすべて日本語に翻訳してそれを研究者が利用しますか?そんな悠長なことをやっていたら議論などできません。

日本でこれほどまでに英語が言われるのは、過去の屈辱的なことが多かったからです。すばらしい日本人研究者の業績はたびたび無視されてきました。日本語の論文は評価されません。日本が発行する英文誌でも低く評価されます(例外もありますが)。

既に評価されている人なら日本からの発信を強調して、日本発行の雑誌の評価を上げることが少しは出来ますが(その努力をされた先生も居られます)若手は世界的な評価に乗っかることからしか始められないものです。挙げてくださった例は天才の話で、ほとんどの人はそれより遥か下のレベルで専門的な仕事を行っていて、世間からは一流と呼ばれています。所謂一流を育てる時に天才の例は参考にならないと思います。天才を育てることは出来ませんから。

ただ、一つよく分かりました。
>現在一流を自負するところこそ英語を受験科目から外すくらいの独創性を発揮してはいかがかと思うわけです。

こういうのがあっても良いですね。あったら嬉しいです。そのためにはその教育を実施出来る教育陣の技術と理念が必要です。多様化を目指し、「高い評価」が一種類ではないことが理想なんですが、なかなかそんな社会にはなりそうに無いですね。

投稿日時 - 2008-12-21 02:56:13

お礼

暖かい御回答をいただきありがとうございました。特に最後の部分のご感想には感激いたしました。

投稿日時 - 2008-12-21 03:16:18

ANo.10

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回答(10)

ANo.9

今のなかなか使えるようにならない教育課程の英語だと不必要と感じるのはごもっともです。
英語の本質を教えられる先生は限られていますからね。
本当に面白い、そして使える英語の授業を受けたことがある身としては、別にはずさなくてもいいなぁと感じていますが。

まあ、英単語の暗記がOKなら何とかなるのも英語です。
受験をする側としても、我慢、暗記をまじめにやる学生がほしいのですから、英語を試験科目にするのはうなずけます。
それに、この単純暗記の勉強も無駄ではありません。
なぜなら、やはり単語の暗記などは、実際に英語を使う場で、結局役に立つのですから。

投稿日時 - 2008-12-21 02:35:58

お礼

お礼が遅れまして済みませんでした。御経験に裏付けれたご意見でおっしゃる意味をよく理解できたのですが、これは義務教育における効用であって専門教育ではかえって有能な才能を発揮できる人材をみすみす失うことにはならないかと愚考する次第です。私は専門教育の基盤になる論理性や創造性を高校の辺から追う重視した方が良いと思っております。

投稿日時 - 2008-12-23 02:35:34

ANo.8

他の方の補足に対する意見で申し訳ないのですが、とりあえず私の知っている理系の研究職の状況をお答えいたします。

研究するには英語が必須です。本当は勉強するのにも必要ですが、勉強だけならまだ日本語である程度は出来ます。

学生が研究室に配属されると、研究テーマを理解し、必要な文献を読むために英語が必要です。英語が読めない学生に英語の文献を渡すのは漢文を渡すようなものだと思います。全く触れた事がないから読めないことも無いよね?という理屈になりますね。これで頑張れる学生だけが研究職に残れる、という判断のもとに大学が英語を試験に課さないのはありでしょうが、酷です。

しかし、実際問題としてはそのように英語の試験を受けずに入ってきた学生に対して英語の教育をするのが教育機関として正しい姿なので、試験で英語がある程度以上のものを集めて、その代わり基礎からの英語教育は大学では行わない、というのが現状だと思います。

これは専門教育を行うからこそ必要な試験です。

投稿日時 - 2008-12-21 00:32:48

補足

私の不注意で補足に書くべきことをお礼の欄に書いてしまいました。

投稿日時 - 2008-12-21 01:43:54

お礼

中世のヨーロッパでもラテン語が全くわからなかったら何もできなかったと想像します。単なる田舎の物知りおやじ(あるいは物知りおばさん)で終わっていたと思います。しかしレーウェンフックという人はラテン語がまったくできなかったそうですが、顕微鏡を自作して素晴らしい研究を続け、当時のライデン大学の学生(おそらくラテン語ペラペラ(あるいはスラスラ)だったと思います)がうるさく寄ってくるのを追い払っていたようです。今の日本でも結構同じようなことはあるのではないでしょうか。牧野富太郎なども面白い例だと思います。明治以来旧帝国大学は優秀な翻訳家養成施設でした。現在一流を自負するところこそ英語を受験科目から外すくらいの独創性を発揮してはいかがかと思うわけです。専門知識を備えた翻訳家(翻訳家を軽視しているのではありません)の学者を育てるのは一流とされている研究施設の任務ではないように思います。少し論点がずれてきたようにも思いますが、英語の必要性と受験科目として温存することとのずれが問題であろうということです。また現在の日本語は先人の大変な苦労(漢文の読み下しを源流とする蓄積された翻訳技術が主体だと思いますが)専門領域の研究に差し支えるほど幼稚なものではないと思います。研究室に配属された学生の多くは自分の保有する英語より日本語の貧弱さに悩まされてはいないでしょうか。

投稿日時 - 2008-12-21 01:42:27

ANo.7

>大学受験などの専門教育を行う学校の入学試験では英語などははずして論理力とか創造力を推定できるような科目で行うべきだろうというように考えています。

これは多分意味を成さないです。特に受験産業が発達してしまった今は。それにそのような適切な問題を大学が作れるか、それも疑問です。

仰る事、うなずける部分はありますが、英語を否定する根拠としては弱く感じます。英語に関して、海外で活躍している人がよく言うことは、「まともな日本語を話せない人は英語も上達しない」です。要するに日本語を操れていない人が多いわけです。それを強化することには私も賛成ですが、さて、英語を減らしたとして学校教育で今以上に出来ますか?

結局出来る人は出来る。出来ない人は出来ない。それだけのことだと思います。ちなみに複数の言語を勉強することが言語の理解を助けるのは間違いありません。英語を学ぶことで日本語の理解はより深まると思います。結局すべてはレベルの問題です。

受験科目だけなら、英語を必要としないところなんて幾らでもありますよね?同じ分野で英語を要求するところの方が高いレベルを求めているだけだし、結局それをこなせる学生が集まるわけです。

投稿日時 - 2008-12-20 05:16:55

お礼

御説うかがいありがとうございました。NHKの朝の子供番組を拝聴するといろいろ考えてしまいます。

投稿日時 - 2008-12-20 19:24:46

ANo.6

アメリカ人、アメリカ人と言われていますが、英語を使うのはアメリカ人に限りません。

世界で事実上の標準語になっているということです。標準語を教えることの何が問題でしょうか?


質問者様の話だと、沖縄の人は沖縄の方言を教えればよくて、本土の標準語を教えるのはおかしいといっていることになりますが、そういうことですか?
北海道の学校では北海道の方言を教えるべきで、標準語などに時間を割くべきでないと。



>英語が役に立つ分野では英語は必要ですが、大部分の日本人は
>英語がなくても大丈夫です。

また、この考え方も受験をする中学生くらいの子が、「学校の勉強なんてやってなんの役に立つんだよ」と言っているようにしか思えません。
実際に学んだことを日常生活で使うか使わないかで言えば、以下のようなこともいえてしまいます。

【歴史が役に立つ分野では英語は必要ですが、大部分の日本人は歴史がなくても大丈夫です。】
【地理が役に立つ分野では英語は必要ですが、大部分の日本人は地理がなくても大丈夫です。】
【化学が役に立つ分野では英語は必要ですが、大部分の日本人は化学がなくても大丈夫です。】
【物理が役に立つ分野では英語は必要ですが、大部分の日本人は物理がなくても大丈夫です。】
【数学が役に立つ分野では英語は必要ですが、大部分の日本人は数学がなくても大丈夫です。】

ようするに読み書き、四則演算以外はやる必要は無い。付け加えるなら論理力を鍛えるのみ。後は全部各人の判断で学ぶかどうかは決めればいい。
そういうことでしょうか?



ある程度大きくなって、自分で将来の目標が持てるようになって、その時に国際舞台に出ようと思ってから英語をやって遅いのです。
国際舞台に出ようと思っても英語をやってこなかったから及び腰になってしまいます。その時に英語の基礎をやっていれば、やる気にもなります。
今、英語を使って仕事などをやっている人も全員が全員自主的に英語にかかわったわけではありません。基礎をやっていたから英語での仕事を受け入れられやすかったという影響があります。

強制的な英語教育を排除すれば、その結果、国際競争力が落ちますから反対です。ある程度は自動的に学ぶような環境を提供すべきと考えます。



と、いいますか英語も日本語も両方やればいいだけです。米英豪など以外では英語が第一言語でない国がたくさんありますが、それらの国では複数の言語の教育をやりながら論理的思考力等も育てています。
英語をやっているからダメだというのは、責任を英語に押し付けようとしているだけで根本解決にはなりません。

投稿日時 - 2008-12-19 23:32:28

補足

英語の教育は基礎的なことを全員に課する化することには時期のことはさておき反対していません。しかし専門領域を学ぶための学校における受験科目からは外した方が良いのではないかと考えています。つまり強制的な教育には反対しないが入学試験の科目からは外した方が良いという考えです。今の受験英語などはあれは基礎とは言えないと思いますが、ほかの教科にしても受験科目にあるかないかにかかわらず基礎は必要だと思います。

投稿日時 - 2008-12-20 19:09:57

ANo.5

結局のところ、あなたの主張が良く汲み取れないんですが…

(1)小学生に英語を教えるのは間違っている
(2)専門学校や短大、大学などでは語学コース以外では英語を受験科目から外した方がよい
(3)英語を教えるよりも、もっと日本語教育を徹底すべきだ


(1)については、私も賛成です。英語を教えるぐらいなら通分とかをしっかり覚えさせた方がよっぽど重要でしょう。小学校で付け焼刃みたいに教えても、はっきり言って意味ありません(どうせ日本人が教えるんだろうし)
(2)については、なぜそういう考えに達するのかわかりませんが、大学で学問を行うのに多かれ少なかれ英語は必要なので受験科目に加えるのは当然かと
(3)については、わかる気もしますが、私はそれよりも数学教育の徹底だと思います。昔から、読み・書き・そろばん とよく言いますが、最近はそろばんの部分が日本語教育より大分疎かになっていると思います。私としてはこちらをしっかりやるべきかと。
私は、必要性としては現代日本語>>英語>漢文>>>>>古文 と感じております。

投稿日時 - 2008-12-19 11:43:11

補足

数学も論理でしょうから日本語と共通する重要性があると思います。英語は論理力とか創造力を養成する目的ではほとんど役に立たないと思います(暗記力とか忍耐力の訓練には大いに役立つと思いますが)。英語の安易な日本語化であるカタカナ語をつなぎ合わせて怪しげな議論が横行していることも何か気になるところです。ただ(2)については英語は将来必要になるかもしれないから基礎的な勉強は良くしておくようにということはほぼ全員に指導してもよいと持っています。しかし大学受験などの専門教育を行う学校の入学試験では英語などははずして論理力とか創造力を推定できるような科目で行うべきだろうというように考えています。

投稿日時 - 2008-12-19 16:54:34

ANo.4

どうやらあなたは研究職とは無縁の方のようですね

基本的には、現在では学術誌は基本的にすべて英語で書かれています。つまり、英語がわからなければ世界で科学がどのように発展しているか知る術は基本的にありません。また、自分の発見を世界に発表することもできません。
極端に言えば、英語をしらなければ自分が行っている研究が過去に行われているのか、またそれについてどのような研究が行われているかについて知る術は全くありません。研究はある意味、情報戦でありスピード戦です。英語の能力が低ければ情報戦で大きくハンデを負うことになります。
また、日本の研究は日本だけでやっているわけではありません。多くの日本の研究所が海外の研究所と共同研究を行っています(もちろん他の国も)。これをするには英語が必要なのは自明です。

英語はあくまでもコミュニケーションの手段です。ある意味、現在では世界の共通語になっています。それを勉強する必要が全くない… というのはつまり、日本は鎖国すればいいと言ってるのとほとんど同じです。
ちょっと違いますが、あなたは
「一足す一 は2」と書きますか?書きませんよね?
「1+1=2」と書くと思います。なぜなら基本的にこの書き方をすれば、世界中の人が理解してくれるからです。
英語もこれと同じです。世界の人とコミュニケーションをとる手段の一つとして英語を学ぶ必要があるわけです。


まあ、私は小学校で英語を教える必要はないと思いますが

投稿日時 - 2008-12-18 21:54:04

補足

研究職に限らず英語が必要な人もたくさんおられると思います。話が飛びますが、マルチンルーテルがドイツ語で宗教活動をしたことは私も知っています。ルーテルは、当時ラテン語がわからない一般庶民のためにこの運動を起こしたと学校で習いました(こういう知識は学校で教わらなければ知りませんでした)。今の日本でも英語を実際使う機会がない人がほとんどだと思います。研究のことは分かりませんが、研究のアイディアの情報をやり取りするには必要でも、本当に新しいことを考えるときは日本語で考えているのではないかと想像します。デカルトやニュートンはラテン語で著書を出版しましたがフランス語や英語で考えていたと思います。ラテン語は当時の日本人の漢文に相当したと思います。明治維新のとき漢文だけでなく日本語による義務教育がはじまりがおこり、一般庶民にも専門知識が普及するようになりました。今でも英語でしか専門教育が行えない国があるそうですがそういう国ではビジネスは得意でも研究したい人などは外国へ行って行うことが多いようです。英語英語とはやし立てているのは軍国主義の時代に中学生に軍事教練を行って戦争に駆り立てていったことと本質は変わらないように思います。当時俳句を作っていたらそれで戦争に勝てるか。第一アメリカ人に俳句はわからないと叱られたのではないでしょうか。現在でも同じことなら英語の代わりに小学生の全員に俳句を作らせて余裕のある少数の生徒に英語をやらせる方が将来英語を使うことに名大多数の種学生にははるかに幸せのように思ってしまいます。

投稿日時 - 2008-12-19 05:49:43

ANo.3

少なくとも、研究者や世界で商売するビジネスマンを輩出するような学校の入試には英語は必要でしょう。
好むと好まざるとにかかわらず、英語は世界共通語になってしまっていますから。

>英語に限らず外国語というのは個人の創造力を高める力はないと思います。

それは論拠薄弱ですし、仮にそのお考えが当たっていたとしても、すべての人が高い創造力を持つ必要はないし、外国人とのコミュニケーションのためには外国語は必要です。
創造力を養わない事項でも教育する必要のある事項はあります。

>むしろ英語で表現できないほど優れたことをやっている人がたくさんいるのではないかということです。

でもその業績を世界に知らしめるためには英語が必要なんですけど。
通訳をつければいいという問題ではありません。
優れた業績を世界に示すには、その人自身の言葉でないと的確に表現できないでしょう。

>そろそろ日本語だけでよい時代が来ているのではないかという感じがするのです。

鎖国するか、日本語を世界共通語にするかすればそれでもいいですけど、そんな時代が来るとは思えません。
前者はありえないし、後者も日本語は話す聞くは簡単だと思いますが読み書きはきっと外国人にはハードルは高いので、日本が世界征服でもしない限りありえません。

投稿日時 - 2008-12-18 19:41:49

補足

研究者はともかくとして世界で活躍するビジネスマンにとっては英語や現地語が必要なことは分かります。研究者となると大いに疑問です。アメリカ人に理解できないようなことはする価値がないというようなことをいう偉い人が結構いるようです。また英語に訳せないようなことは考えるなという人もいます。日本語もしっかりしないうちからすべての日本人に英語を教えることに共通する考え方(考え不足?)のではないかと思います。これでは日本人が英語が得意な外国人に勝てる(勝負というより日本独特のことを実行する力を保つということ)はずがありません。せめて日本のものを大切にして余裕ができてから英語漬けを行った方が良いと思います。

投稿日時 - 2008-12-18 20:56:55

ANo.2

益川さんは英語で論文を書いています。ただ、彼のよしとするレベルでは自分はないとしているだけです。
ヨーロッパの言語、例えばラテン語、フランス語、ドイツ語、ロシア語のそれぞれの優勢が亀甲していた時代なら、英語英語言うのは間違いかもしれません。しかし、スウェーデンでの授賞式が全て英語である時代です。全分野の国際的科学者、コンピュータ関連は少なくとも英語必須です。正直言って、英語ができずに育つのはこれからさきもっと不利になっていくばかりでしょう。以前なら、アメリカの子供は英語を学ばないのに日本人は英語の学習に費やされてしまい不利だ、、というのがありましたが、いまや、古過ぎる。津軽弁の子供が東京弁ができるのと同じように考えるべきです。親は子供に英語ができるようにさせる義務を負っているというべきでしょう。英語はできるというのは前提として国語の表現力を養っていくというのが親に課された今後の主題です。
英語なんて!というのは逃げでしかありません。

投稿日時 - 2008-12-18 18:42:41

補足

英語に限らず外国語というのは個人の創造力を高める力はないと思います。英語重視が国語軽視と並行していればなおさらです。英語で表現できないものもたくさんあります。英語が役に立つ分野では英語は必要ですが、大部分の日本人は英語がなくても大丈夫です。むしろ英語で表現できないほど優れたことをやっている人がたくさんいるのではないかということです。私は決して英語の役割を無視しようと考えているわけではないのですが、そろそろ日本語だけでよい時代が来ているのではないかという感じがするのです。

投稿日時 - 2008-12-18 19:03:58

私の認識不足かも知れませんが、少なくとも大学受験は英語を必修科目としている大学は一部ではないでしょうか。
周囲では中国語を選択したとかドイツ語で受けたという知人は少なくないですけど??
当方、フランス語は苦手でしたが、忘れもしない「アルルの女」を原書で読んで勉強し、丸暗記状態で試験を受けました、数十年前ですから今は受験科目も変わったのかな。

投稿日時 - 2008-12-18 18:30:14

お礼

いわゆる旧制高校の時代には理系では第一外国語が英語の理甲、ドイツ語なのが理乙(大部分が医科志望)と言われていて必ずしも英語だけが外国語ではなかったようです。現在は英語だけになっているところがほとんどではないでしょうか。ご指摘ありがとうございました。

投稿日時 - 2008-12-18 18:59:54

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