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年長者の日本の昔の引きこもりについて

引きこもりに関する記事を読んでいたら次のような文に出くわしました。

実態調査をまとめた明星大人文学部の高塚雄介教授は「若年者層のひきこもりは心理的葛藤(かつとう)が主な理由だが、40代以上は精神疾患の可能性があり、全く別物。年長者のひきこもりは昔からあり、かつては山にこもるなどしていたが、現代では家庭にこもるしかないのでは」と指摘している

この、<<年長者のひきこもりは昔からあり、かつては山にこもるなどしていたが>>の部分ですが
具体的に分かりにくいです。暗夜行路の主人公みたいな感じでしょうか?
文人みたいな人が葛藤に苦しみ人生を問うて、山に引きこもって思索にふけっているみたいな、そういうイメージが浮かびましたが、このイメージはトンチンカンでしょうか?あるいは現代の引きこもりのようにストレスで引きこもっていたのでしょうか。
具体的な例とか(芸術作品とか、何でもいいので)、昔の年長者の引きこもりについてご存知の方、教えてください。
☆年長者のひきこもりは昔からあり、かつては山にこもるなどしていたが←ほんとうにこんな人達いたの?

投稿日時 - 2008-06-28 11:32:25

QNo.4135193

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回答(4)

ANo.4

「山に庵を結ぶ」といった行動や「**山で修行する」といった行為を「引きこもり」と同視するのは適当ではありません。

「山に庵を結ぶ」というのは、何らかの理由で世の中で表立って暮らせなくなった人が、自殺したり捕縛されて処刑されることはないが、山の中に家を作ってひっそり暮らすようなことです。徒然草を書いた吉田兼好もそうですが、そういう人はもともとは貴族階級、武士階級、あるいは僧侶ですから、何も仕事をしなくても生活に不自由することはありません。「山の中に蟄居し、反省の意を形で示す」といったことです。

山岳仏教というのは、寺が領地を持っており、多くの参詣人を集めて多額の収入を得ているものです。これは一種の「宗教産業」であり、山岳仏教に従事する人は別に世捨て人でも引きこもりでもなく、現代風に言えば「山岳仏教寺院の従業員」です。現代では「山岳仏教」というものが昔とは大きく変容し、単に「山の中にあるお寺」になってしまったので、現代人には理解し難いのですが。

なお、出羽三山を中心とした「即身仏」というものについてですが、これについて詳しく調べると、即身仏になった人が本来の僧ではなく「行人」と言われる「寺の僧の下に位置する、寺の召使のような人。僧としての修行を積んでいない人」であった例がほとんどなことが分かります。「即身仏になった人は深い修行を積んだ名僧で、信仰が昂じて即身仏になるに至った」というわけではありません。

そして、即身仏になった行人の経歴を見ると「犯罪を犯して**寺に逃げ込んで行人となった」経歴を持つ人が意外なほど多いのです。これについては「犯罪者を寺に迎え入れる代わりに、死ぬときは即身仏として死んで、寺の『観光の目玉』になる『契約』が成立していた」とする研究があります。

また、即身仏になる予定だった行人が、いざ即身仏になる約束を果たそうとして一度地中に入ったものの、あまりの苦しさに地中から脱走して逃げ出したという話もあります。「即身仏」というのが非常に世俗的な生臭い存在であったことが分かります。ミイラになって僧衣を着れば、生前にどんな人であったかは分からず「有難い即身仏」に見えるわけですので。即身仏があるとないでは、お寺の観光収入に大きな違いがあったようです。

参考文献
日本のミイラ仏をたずねて
土方正志/著 晶文社 1996年
http://www.7andy.jp/books/detail/-/accd/19780222

投稿日時 - 2008-06-29 18:43:21

ANo.3

「世捨て人」という言葉があるように思索や厭世観などにより社会と縁を切り引きこもる人は年長者だけでなく壮年の人にも例があります。
兼好法師はその経緯を書き残しています。

多くは流浪の生活や人里を離れて生活したようです。
日本には山岳仏教があり、山寺は瞑想や思索に適しており、またこのような人々に開放されていましたから「山に籠もる」という表現はあたっていると思います。

また信心が高じて則身仏となることを願い、自ら食を断ちミイラのようになるという人もいました。
多くの場合地中に穴を掘り空気穴を残して埋められ念仏を唱えて断食死したという記録が残っています。
これは信仰による引きこもりの究極と言えましょう。

投稿日時 - 2008-06-29 12:17:01

ANo.2

昔、具体的には戦争前の日本は一般に今のように豊かではありません。住宅事情も良くありません。東京の上野より東の「下町」では家族5人が6畳一間にギュウギュウに住むようなケースも珍しくありませんでした。農家の住環境も似たようなものです。そして、働ける者は何かをして働かねば一家が食っていけないという家が多くありました。

そのような環境では、引き篭もる為の部屋がなく、引き篭もっていては食って行けませんから、引き篭もることなど出来ません。
「引き篭もる」というのは非常に贅沢なことなのです。「働かずとも食っていけるカネ」と「引き篭もる個室」があって初めて出来るのです。なお、戦前の日本には「生活保護」などという制度はありませんでした。

もちろん、戦前の日本でも官僚、職業軍人、サラリーマン、医師、弁護士などは現代の日本人と同様の生活水準にあり、皇族・華族や資本家・地主階級は今で言えば「年収1億」のような生活をしていました。そういう家庭では「成人のひきこもり」もいたかもしれませんが、そういう家庭の絶対数が少ないですから社会的には問題になりません。

なお、日本史上最も古い「引き篭もり」として、奈良時代の文武天皇の妃であった藤原宮子です。この人は、何らかの精神障害を患い、30年以上の間「幽囚の内に沈み、人と会わなかった」と当時の歴史書に記録されています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E5%AE%AE%E5%AD%90
これも、生活に何不自由ない「天皇の最高位の妃」だから可能であったことです。

なお、
「年長者のひきこもりは昔からあり、かつては山にこもるなどしていた」
という話ですが、そのような人がどうやってメシを食っていたのか「明星大人文学部の高塚雄介教授」に聞きたいですね。

投稿日時 - 2008-06-28 12:53:49

ANo.1

 古来日本人は死後の世界を信じ、人は皆死ぬとその世界へ行って神になると思い込んでいました。そして少しでも生きているうちからその神の域に近づこうと努力する風潮があったのです。そこで到達できる境地を神仙の域としてひたすら努力を傾ける人が沢山いました。そこまでは行かなくても隠遁と称して俗事から離れることはよくありました。兼好法師や鴨長明、西行法師等がこれに当ります。何かの障害で世間の人と交われなくなってしまう今の引きこもりとは根本的に違いますが、形態は似通っていることは確かですね。そのような思索の中で徒然草や方丈記が生まれたのです。それは中国の老子、荘子の世界と共通する部分がありますね。
 最近のNHKハイビジョンで、山折哲雄氏はこれを日本人の死と向き合う方策の摸索だったと捉らえ、毎年3万人もの日本人が自殺するようになったのはこの知恵がなくなったせいだと語っていました。納得できる主張だと思います。

投稿日時 - 2008-06-28 12:04:53

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