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締切り済みの質問

真の教えとは?皆さんはどう思いますか

私の家系の宗派は、仏教の浄土真宗大谷派です、通っていた学校は仏教系で曹洞宗の学校でした。兄が通っていた学校はキリスト教のギリシャ正教でした。親戚に日蓮宗の方がいて、近所の知り合いに天理教の人もいます。

何を言いたいかと言うと、いろいろな宗教、宗派がありますが、あなたは数々ある宗教の中で何が一番の宗教だと思いすか。



私は宗教家ではありませんが、キリスト教の聖書を読んだことがあります。学校で簡単な仏教の勉強もしました。どれもすばらしい教えを説いていると思いました。結論を言うと宗教とは、どれもすばらしい教えであると思いますが、私は真の教えを説いた宗教はこの世にないと思っています。皆さんに怒られると思いますが。

前にも何回かこのカテゴリーで言ったことがあるのですが、宗教とは哲学であり、人が生きていく上での道徳学で、生きていく支えの一つである。逆を言うと、その一つでしかない。要するに全てではないと思っています。
それと、宗教とは死んだ先祖と、これからいつか死ぬ自分と、これから生まれてくる子孫の関係が正しくあるべき姿を説いたものと思っています。

この宗教こそが全て、といた宗教にのめり込む事ほど恐ろしく、おろかな考え方はないと思っています、宗教は生きて行く、死んで行く為の全てではないはずで、たとえです。

釈迦が仏教を興して2500年、キリストがキリスト教を興して2000年、起源はすばらしい、だかこれまで、長い時間がたち沢山の宣教師、伝道師に受けつながれて行く内に、だんだん真が風化し、悪くなり、また是正され今に至った。
仏教の末法思想やキリスト教の世紀末は、長い月日の教えの風化を表しているのでしょう。

真の教えはあるのでしょうか。

ある意味、不信心で典型的な門徒者知らずの言いたい放題で申し訳ありませんでした。

投稿日時 - 2008-03-27 22:22:54

QNo.3900467

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回答(8)

ANo.8

さんざんキリスト教を批判していた人々が
何を言い出すかといえば仏教は素晴らしいという
ふざけ具合で。
キリスト教を否定したついでに
仏教も否定していたんですが、(特に阿弥陀仏と空観と上座部仏教)

阿弥陀仏は空ですか?

>数々ある宗教の中で何が一番の宗教だと思いすか

>私は真の教えを説いた宗教はこの世にないと思っています

これ矛盾してますよね。
真の宗教はないけれども、マシなのはどれかということであれば

>宗教とは哲学であり、人が生きていく上での道徳学で、
>生きていく支えの一つである。

という質問者様の基準になっていくでしょうね。

でも、これって現代的な宗教の見方ですよね。
心理学に心得のある人々にも聞いたんですが
そういう人々は、宗教が役に立つか立たないか
「宗教の役割」そういうことをやたら口にするんですよね。

人間の健全な育成、心を豊かにするものとして捉えてるんですよね。

私は、もっと宗教の生々しさというか
人間の精神の影の部分、負としての宗教というものに
注目していたので、楽観的過ぎる!と反感を持ってました。

呪いたい、とか憎む、とかそういうのが前面に出た
宗教は邪教として退けられますが、古代の宗教の
生々しい感情が、現代は薄まっているように思えるのです。

たとえば、聖書で人殺しをやってる。なんて野蛮なんだ
だから、キリスト教は残虐だな、なんて批判がよくあって飽きないなぁ
とも思うんですが、はっきりいって戦争に勝ちたい、
死にたくない、そういった生々しい感情は
どこへいってしまったのかと思うのです。

仏教の、当時、バラモンに虐げられてどうしようもない、
自由になりたい!そういった生々しい感情は
どこへいったのかと思うのです。

なんで彼らが財産も肉親も捨てて出家したのかとか
そういう情熱です。

それを理解できるのか?ってことで理解できないって
いったところもあるんですが、さんざん馬鹿にされましたよ。

で、人間に感情があるうちは、絶対に宗教はなくなりません。
それは歓びも憎しみも含めて。人間が人間であるうちは。

真の宗教は、人間の感情だと思います。
だからよくいう、神を利用して自分を正当化するという
批判はそのとおりだと思います。

圧制の社会では戦争の宗教が必要になるでしょう。
平和な社会では平和の宗教が必要になるでしょう。

人間が望んだものです。そしてそれが与えられた。

投稿日時 - 2008-03-28 20:36:37

お礼

参考になりました。

投稿日時 - 2008-03-29 07:53:02

ANo.6です。

質問にイチャモンをつけただけで
全く質問に回答してませんでしたね>重ね重ねスイマセン。

私はこれまで
自分の傲慢さゆえに度々失敗をしてきました。
自分が正しいと思い込み
ついつい自分の考えを他人に押し付けて
あまつさえ、それが正義だと思い込んでしまうのですね。
下の回答でも「押し付け」気味な自分が出ており
恥ずかしい限りです。

そんな自意識過剰な部分を何とかしたい、というのが目的なので
自分にとっては「自我を処理する」宗教である仏教が一番なのです。

大事なのはあくまで「目的」に対する「妥当性」において
一番だと言うことです。

ただ、自力による自我の処理は難しい。とても難しい。
自我こそが生命力だと思うこともあるし。
そんなとき、親鸞の教えは、ちょっと光明かなと感じます。
No.5さんも書かれていますが
●煩悩具足のこの身このまま
本当、それ以上でもそれ以下でもないのかなと思います。

投稿日時 - 2008-03-28 19:58:07

お礼

参考になりました。

投稿日時 - 2008-03-29 07:52:12

私は無宗教の典型的な日本人ですから
> 宗教は全てではない
と仰るご質問者さまに近い部分があります。一方で
> 宗教とは哲学である
は、あまり共感できません。さらに
> 宗教とは死んだ先祖と、これからいつか死ぬ自分と、
> これから生まれてくる子孫の関係が正しくあるべき姿を説いたものと
> 思っています。
これは私の認識では儒教に近い宗教観であり
比較的、原始仏教に共感している私にとっては
採用しがたい考え方です。

つまり
●自覚的か無自覚かはさておき、儒教的なご質問者さま

●正しく理解しているかはさておき、原始仏教に共感している私
の間で「何が一番の宗教か?」を問うことに
どんな意味があるのでしょう。
私は非常にナンセンスだと思います。
ご質問者さまに怒られると思いますが・・・

> 「真」の定義次第。
これは非常に重要な指摘ではないでしょうか。
真や善の定義を曖昧にしたままこのような議論を続けると
信仰のぶつかり合いになってしまいませんか?
私が学んだ限りにおいては
例えば四大宗教だけを取ってみても
規律を目的としたものから救済を目的としたものまでバリエーションがあり
何を持って真とするのかは非常に難しい問題ではないでしょうか?
四大宗教だけでもそうなのですから、その他の宗教にどう対応しますか?

すいません、重ね重ね、ご質問者さまを怒らせるつもりはありません。
ただ
> この宗教こそが全て、といた宗教にのめり込む事ほど恐ろしく、
> おろかな考え方はないと思っています
それを「おろか」と切って捨ててしまっては何の解決にもなりません。
宗教とは人間の弱さや愚かさを支えるものでもあり
それゆえに悪意が介在するととんでもないことになる。
それは宗教を論じること、もっと言えば、宗教を悪者にすることでは
解決できない問題だと思います。

投稿日時 - 2008-03-28 19:26:51

お礼

失礼いたしました、少々軽率でした。

投稿日時 - 2008-03-29 07:50:42

ANo.5

真の教えはあるのでしょうか。

宗教の本質は学んでも解りません苦しみ抜かないと解りません(生半可な苦悶では)。これは禅の鈴木大拙先生が言った言葉ですが私もそう思います。

ところで貴方の家系の宗派は浄土真宗大谷派、親鸞聖人の教え

心の問題は他力とおしゃってますが、煩悩具足のこの身、真の教えはこれ以上でもこれ以下でもないと私は認識しています。自覚してください。

ちなみに親鸞聖人は80歳になってますます、悩みが多くなったおしゃってますね。

禅も自力折れ他力だと私は認識しています。

投稿日時 - 2008-03-27 23:09:56

補足

浄土真宗大谷派でありながら親鸞聖人の教えは正直言ってよくわかりません。漠然ですが、親鸞聖人、日蓮、道元などが1200年前後の末法の世に悟りを開き、布教を行った程度です。
これは正しく真の教えであったのだろうと思っています。その後時代の流れで風化してしまった部分もあると思いますが。

無知ですいません。かっこばかりつけて。

投稿日時 - 2008-03-27 23:34:25

お礼

>宗教の本質は学んでも解りません苦しみ抜かないと解りません。
 修行をし、苦しみ抜いて悟りをひらないと宗教の本質は説けないと仰っているのでしょうか。
ありがとうございます。

投稿日時 - 2008-03-28 00:03:28

ANo.4

> 真の教えはあるのでしょうか。

 「真」の定義次第。

 まこと君が教えてくれることはあるかもしれませんが。

投稿日時 - 2008-03-27 22:47:24

補足


投稿日時 - 2008-03-27 23:00:45

お礼


投稿日時 - 2008-03-29 08:45:33

ANo.3

鳥は親に教えてもらわなくても空を自由に飛べるようになり、
えさを確保し、よき伴侶をみつけ、巣をつくり、子供を育てます。
鮭は大洋の真ん中までいっても、生まれたところに戻ってきて
産卵をします。
哺乳類も親からさづかった能力で、教えてももらってないことができましす。
人類と宗教の関係もおなじようなことがいえるのでしょう。
そういう意味では真の教えはあるのでしょう。
たとえば原罪というのは人間ならではの概念かもしれませんね。

投稿日時 - 2008-03-27 22:38:53

補足

自然に生きる動植物の繰り返される生命の受けつなぎ。この中に真の教えがあると言うことですかね。

不信心の私の愚かさを感じます。

投稿日時 - 2008-03-27 23:06:20

お礼

ご回答ありがとうございます。

投稿日時 - 2008-03-27 23:32:30

ANo.2

えーと
神は人間の創造物でもはや信じられず
仏も人間の創造物でもはや信じられず

世の中には詐欺師ばかり。

まってましたとばかりの
無神論者に無宗教者が信仰者を脳内がお花畑な人たちだとして、
つらいことがあったんだね、うん、わかってるからと
偉そうに馬鹿にする。

なんて世界は素晴らしいことでしょうか。

真の教えといって今日もどこかで
商売が始まります。

おめでとうございます。

投稿日時 - 2008-03-27 22:38:13

補足

宗教とは与えるものなのか。それとも求めるものなのか。
また宗教とは
強制するものなのか。すがるものなのか。尽くすものなのか。
いろいろな信仰者と、いろいろな信者がいて、それを利用する者とそれにだまされるもの。
本来あるべき者ではない宗教の名を利用した団体、考え深い。

投稿日時 - 2008-03-27 23:20:36

お礼

ご回答ありがとうございます。

投稿日時 - 2008-03-27 23:33:18

ANo.1

私の主観では、神道が一番自然の摂理を表していると思いますね。
全てのモノには神が宿っている。
全ての物を否定せず、拒まず、たとえ他宗教の神であろうとも
その存在をあるがままに受け入れる。
そして、それら全ての神に感謝して生きる。
共存共栄の真理だと思います。

投稿日時 - 2008-03-27 22:37:56

補足

共存共栄の真理。 決して争わず、決して憎まず。と言った感じなのでしょうか。大変すばらしい教えと思います。
のめり込み過ぎ、お金を注ぎ込み、破産までし、最後には盗み、犯罪まで犯してしまう。こんな新興宗教にはまることがないよう、常に冷静な心を持っていたいものです。

投稿日時 - 2008-03-27 22:42:34

お礼

ご即答ありがとうございます。大変為になりました。

投稿日時 - 2008-03-27 22:58:28

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