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締切り済みの質問

死後

死後の世界はあると思いますか?
特に、生きてる間に重い罪を犯して罰せられ死刑にされた人や、知られずにそのまま死んだ人、逆に、社会に大きく貢献して死んだ人、ではそれぞれ、死後に罰や幸せがあるでしょうか?
生まれた環境も人それぞれだし、自分はないと思いますが‥。(あるとしても、「環境」と「残した成果」による度合いが焦点ですかね‥?)
それとも、自分に妥当な環境(状況)で生まれてきたと考えることもできるでしょうか?「生まれながらにして人は不平等だが死後は平等」→かなり不平等、みたいな‥。
(生まれた後は知らないが?)生まれる前から自分の評価は決まっている、みたいな‥。

この世界は幸せもあるけど辛い要素も多くあると思うし、(この環境で)生まれてきたこと自体、罰なのではないか、とか、
理性のない幼少のころから魚や植物を殺して(採って)親などに食べさせられているのは罪なのではないのか、とか、
でもその魚や植物の祖先を残していくための地球の環境を作っていくのは人間で、食べられる魚や植物は一部の生贄と思うしかないのか、とか、
(まぁ人間が生きていくためにそれらは必要で、おいしいし、知性の低そうな動物植物なら倫理的にも許せるということなのでしょうか)

自分は自分の生前や自分の死後のこの世界(現実)はあんまり信用していなかったりもします。
全部自分で創り出した創造なのではないかと思ってしまったりもします。
この現実はものすごいパワーと創造がありますが、今これがあるということは他にも何か(世界は)あるはず、と思うほうが妥当じゃないかと思います。

時間や物質や進化などが謎(未解決)だらけのこの世界で、その謎をおそらく少し解明進めたところで今現在生きてる人は死ぬしかないと思う。
まぁそんなのに興味ない人もいると思いますが‥。

人は来世を信じて死んでいったりもしますが、どうなんでしょうか?
恐竜や虫も罪犯して地獄へいくんでしょうか?
(時間もなく不調でかなりめちゃくちゃに書いてしまってすみません‥)

投稿日時 - 2007-11-03 19:38:44

QNo.3486285

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回答(18)

ANo.18

下記に人間の転生の宇宙の法則の一部を入れておきます。私自身は過去世の記憶を約20回ほど記憶しています。ご参考になれば幸いです。


「人間の転生と宇宙の法則」

*人間は肉体の死後、3秒位で人間の胎児や新生児に転生する。
            
*人間は男にも女にも転生する、白人や東洋人や黒人や宇宙人にも転生する。

*自殺者や戦死者は地球という小学校の教室を落第したので、もう一度、地球に生まれ変わって、やり残した学習や奉仕をやり直す事に成る。殺人や自殺ばかりしていると15~16回の転生で宇宙の転生の法則により魂が除去される。

*生まれ変わる場所は、色々な国々に転生し又、他の惑星にも転生するし、他の惑星からも地球へ転生する。

*人間は人間にしか、生まれ変わらない、他の動物ではボデイが合わない

*善業の者は良き場所へ悪業の者は悪しき場所へ生まれ変わる。
  
* カルマの清算や自分に与えられた奉仕のやり残した仕事の実践がある。

*地獄は本来宇宙には創造されていないし、又、霊界には人間は行かない。

*創造主の聖なる息子や娘としての、人間の義務や奉仕を行う事が担わされている。

*人間の心と宇宙の意識(叡智、命、神)との一体化をする為の進化の目標がある。

*前世は各人が潜在意識(宇宙の意識)と心が結ばれ一体化すると、脳裡の過去世の映像で思い出せる。

*自分が進化する為に自我(エゴ心)のエゴの克服を行う事が担わされている。

*人間は愛(慈悲)と奉仕に生きる為に、良き想念や行いを自分の進化や全体の福利の為に行う事を担わされている。

*永遠の生命を得る可能性を示さない人は15回~16回の転生で魂が除去される。

*生命の宇宙の法則や原理を理解して進化向上した者は他の進化した惑星へ転生が許される。

*来世は貴方の進化や退化の程度、次第です。

投稿日時 - 2011-06-13 21:31:36

ANo.17

私は死後の世界はあるような気がするんですが、いわゆる「天国」「地獄」は無いような気がするんです。
例えば親より早く死んでしまった子供が、賽の河原で石を延々と積み続けねばならないとか、理不尽ですよね。もし本当にそういう世界があって、そんなことをするんなら、私、賽の河原まで行ってひっくり返って大暴れします。血の池に入れるなら入れろ!だから子供を天国に連れて行け~!と。
たとえ、鬼相手であっても。

あるとしたら本当に人知を超えた何かが待っているんだと考えることにしています。

私は子供を産んだ時に少し思ったのですが、今私たちが、これが「私」、と認識している自我は、
後天的に作り上げられるもので、産まれたたての赤ちゃんって、なんだか神様のように神々しく、
愛に満ち溢れていて凄いなぁと思いました。
病院で沢山の赤ちゃんを見て「こんな可愛い赤ちゃんたちが、それぞれに成長して喜怒哀楽を沢山経験して、色んなタイプの大人になって行くんだなぁ。」と思ったものです。

この時に、凶悪な犯罪者も元はこんなに小さな赤ちゃんだったのに、どうやって育ってしまってそうなってしまったのか、としみじみ考えたものです。

何となくですが、赤ちゃんを見た時に、どこからかやってきた存在のように感じました。
勿論自分のお腹に宿った存在ですが、それでもどこかからやってきた魂、というように感じたのです。
だから、自我から離れて、いつか帰る場所もあるんじゃないかと。

食物に関しては、不思議ですよね。肉や魚、野菜などを食べないで、生きて行くことはできないし、
一方誰も何も食べなかったら、食物連鎖が崩れて、生態系が滅茶苦茶になってしまいますよね。
人間だけが肉や魚を食べているわけではないけれど、動物は、必要以上には殺生しませんよね。
食べ物のみならず、革のバッグや靴のために何匹動物を殺しているのか、それって正しいのか、
少なくとも感謝の気持ちは忘れたら駄目だなぁって最近しみじみ思います。

投稿日時 - 2010-05-15 02:47:40

ANo.16

死後の世界はあると思います。

こんな話を聞いたことがあります。(聞いた話をまとめた文です。)
(1)、(2)というのは、2通りあるということです。
___________________________
ある悪人Aが、死んだ。
悪人Aは、死後川を渡った。
川を渡ると木が一本あった。
その木の下に一人の老婆がいた。
その老婆が、「服を脱げ」といった。
(1)脱ぐと、その老婆が木に服をかける。
(2)断ると、鬼が来て無理やり脱がせる。そして木に服をかける。
木に服をかけて、
(1)ミシミシといいながら、枝が下がる。
(2)何も起こらない。
すると、老婆は、
(1)枝が下がったら、地獄と判決。
(2)何も起こらなかったら天国。
という判決を下すという。
___________________________

これを信じているんですよ。
なぜかこれだけは、否定できないのです。

まぁ個人意見ですが。

投稿日時 - 2009-04-27 22:45:38

ANo.15

うーん、「あれば面白そう」かなぁと考えています。
死者に対して不謹慎な発言かもしれませんが・・・。

誰も死後の世界という存在を確認していませんから
あるかもないかも謎に包まれていますよね。
永遠に答えが出ないことを承知で議論してる専門家さんたちは
その行為自体を楽しんでいるから続けられるのでしょう。
絶対に、人間がどう頑張っても答えは出ませんから各々の解釈じゃないでしょうか、やはり・・・。
私は今生きているのも楽しいですが、死後どうなるのかも気になるので死ぬのすら楽しみです。

肉体は細胞の塊ですから、死は大規模な壊死ということになるんでしょうか?
じゃあ精神、意志、魂はどうなるのかというのが興味深いです。
仮に完全に消滅して何も考えずに済むなら、それが一番の幸せなんじゃないかと私は思います。

一番大事な質問は「死後の世界があるかどうか」ですから
私の勝手な結論では「あると思う」と答えます。
そう思った方が、思考をめぐらす楽しみにもなりますしね。

投稿日時 - 2007-11-08 01:07:04

ANo.14

人間を含めた生物は、時空間宇宙と気の宇宙の摩擦部分の界面現象と言うことができます。たとえれば、楽器と演奏者とそこから奏でられる音楽の関係です。
楽器が時空間宇宙、演奏者が気の宇宙、音楽が人間です。曲が終われば消滅します。しかし、本質は演奏者に残っています。しかし、もはや音楽は鳴っていません。
人間の死後は、死体が時空間宇宙の土に帰り、気が気として気の宇宙のへ戻ります。
でも再度演奏者が楽器に出会い情熱があれば音楽が奏でられます。
音楽は時として演奏者と楽器を超える輝きを放つ場合はあるかもしれません。

気の宇宙には時間も空間も質量もなく気だけが圧倒的に存在し、人間からみると、太陽と同じように常にそこにあります。

投稿日時 - 2007-11-07 02:31:31

ANo.13

私は無くて別にいいと思います。
仮に在っても脳みそが滅びたら、
人間らしい考えはできないでしょう。
その時点で別物ですね。
人は命のバトンを次に渡して生きる生き物です。
それ故に、はかない命にも意味があるのでしょう。

罰は与えられたものですが、
私たちは自分の生き方を選ぶ自由があります。
生きること、それは「苦」だとしても、
人は「苦」があって「幸」がある生き物です。
何事も幸せだと有難みもマヒして分かりません。

時間や超次元の世界に私たちは超えてゆくことは叶わず、
現実のものすごいパワーと創造があるのであれば、
今ある目の前をひとつ美しくしようとする心も
きっと素晴らしいことでしょう。
私は何より現実が大事です。

投稿日時 - 2007-11-07 01:54:07

ANo.12

うん死後はあるよ。しかし罰とかはないね。みんな一生懸命生きてきたからね。

投稿日時 - 2007-11-06 21:57:12

ANo.11

私はあると信じています。
死後の世界には二つの大きな考え方があります。
一つにはキリスト教のように、死んだら天国か地獄に行く。もう一つは輪廻の考え方です。しかし輪廻でもいずれは解脱といって生まれ変わりのない世界に行くので、結果的に過程が異なっているだけと思っています。(詳細は長くなるので省きます)
この世での成果は、成功するか否かではなく、正しく生きるかどうかです。そこには環境も「何を残したか」も関係ありません。自らが与えられた環境の中で、正しく生きたかどうかです。(この正しさも詳細を述べればかなり長くなるのですが…)
我々は他の生物を食して活きています。それ自体は天の定めた摂理であり、罪ではありません。しかし、我々はその犠牲に対して感謝しなければ、それが罪になります。
例えば菜食主義者が居ます。彼らの一部は「動物は殺さない」事を理由にあげます。しかし、植物にも命があります。動物を殺さず、植物を殺す事に躊躇なく感謝しなければ、動物を感謝して食す人以上に罪となります。感謝を表明できるのはヒトのみに与えられた特徴だからです。
他の動物は本能として他の生物を食しています。感謝こそ表明しませんが、実際に感謝しているかどうかは判りません。しかし彼らは理由なく殺戮はしません。必要最小限の犠牲で終えます。だから罪になりません。
人間は過去において何度も罪を繰り返しました。しかし反省を以って現在に至っています。もし、一度の人生で、その罪によって地獄に行くとすれば、過去のキリスト教の多くは、法王を含めて地獄に行った事でしょう。
しかし、私達は人の自由を侵さない事を学び、会話を持つ事を学び、戦争回避の方法を学んできました。それでも昔の罪を繰り返す者が居ます。それは今の時代にあってはより大きな罪となるでしょう。
私達は輪廻の中で繰り返し罪と反省、そして徳を積み重ねて、最終的に天国の門に至るのです。
…以上は概略で、私の考えのさわりでしかありません。
あくまでも個人的考え方です。

投稿日時 - 2007-11-06 02:10:45

ANo.10

死後の正解って言うのは心の中にあるものだと思います。
悪行多ければ地獄の世界を味わうのでしょう。
逆に地獄に行かなければ記憶などが綺麗に洗われて新しい生命として生まれて来るんだと思います。

投稿日時 - 2007-11-05 17:49:31

ANo.9

人はすべての事にそうなる原因があるはずだと思いますよね。

夕暮れに太陽がどうしてあんなに大きくなるのか とか どうして雨がふるのか とか。
その理由がわかってなんとなく安心したりする。

だから自分がこの時代のこの国のこの地域に生きているのは、なにかしらのとても大事な理由があるはずだ と。


法律はいろいろありますが、それができた理由はある。
根拠なく法律ができたわけじゃない。


カースト制度があるところは、そのカーストに生まれたら死ぬまでそのカーストで、その子供も親と同じカーストになるそうです。
懸命にがんばったから徐々にカーストのレベルが上がるなんてことはないらしい。

カースト制度はむしろ低いカーストの人が支持しているそうです。
低いカーストに生まれたからには理由があり、逆らってしまうと来世はもっと下のカーストで生まれてしまう と考え、上のカーストの人を敬い逆らわないようにしようとするのだとか。

来世を信じているというか、知覚できない本当にあるのかわからない輪廻を根本的には信じているから、そうなるわけですが、上のカーストに生まれた人にとってはカースト制度はありがたいもので、それは前世でいいことをやったから当然という考えのようです。


考えてみれば、今人類はホモサピエンスですが、その前にクロマニヨンとかいましたよね。
他にアウストラロピテクスとか ネアンデルタール人とか。
彼らは全員罪を犯したから滅びたのでしょうか。

ホモサピエンスもいつか滅びる可能性は十分にありますが、全員が罪を犯したから絶滅するのでしょうか。

環境に適応できなかった生物が絶滅しているのであって、人間が決めた罪を犯したからじゃない。

人が決めた倫理はあくまで共同体の維持のために必要なもので、その共同体が善として行ったことが、他の共同体にとっては悪になるってこともありうるわけです。
それで戦争が起こったりする。

来世を信じるということは希望を持ち続けて生きるという意味ではとても大事な人もいるでしょう。
それで生き方が楽になる人もいるでしょう。


死後の世界は今生きている人たちの頭の中にのみ存在する。
物理的に考えると、来世のある場所ってとても小さいんですね。


人はこの世のすべてをこの小さなボックスの中に持っている。
パソコンって0か1ですべてを表しているんですね。
色も数字も文字も3Dのゲームの世界も0か1で表現している。
人間の脳も同じ。

パソコンの処理能力より人間の脳の処理能力の方が高いので、人間の脳の方が知能は高い。
音速よりちょっと遅いくらいで、脳内物質はいきかっているそうです。

人が定める罪も0か1で構成されているし、人が想像する死後の世界もそう。

感情もそう。

疲労すると脳内物質が低迷するので、頭がすっきりとせず考えがまとまらなくなる。

テンカンを起こしたため別ワールドが見えたような気になり、それを神の降臨だと脳は解釈したりする。


パソコンと人間の脳の大きな違いは、既存のものから組み合わせによって新しいものを創造できるということ。

パソコンのように正確に情報を再現できず、曖昧にしか記憶しないので、それが新たなものを創造できてしまうのだそうです。

死後の世界もそういった曖昧にしか記憶できない人間が創造したもの。

じゃあ 「なーんだ 無いんだ、じゃあ 何をやってもいいんだ」 と自分の本能のままに生きると、集団で生きていると摩擦が起こって不幸を感じる。
自分の欲望を抑え、集団で共通理解をしているものを守っていれば、叩かれにくい。

それでもハメられたりするわけで、「なんでちゃんと共通ルールを守っているのに、こんな目にあうのだ 納得がいかない」という気持ちを納得させ、自分を落ち着かせるには、来世では、、、とか 「自分は悪くない あいつが俺を陥れた。あいつはそれによって富を得られたが、来世はろくな人生にならないだろう」と自分を想像によって慰め、再起することも可能なんです。


そうやって謙虚に生きたのに、地震が起こって半身不随になったりもする。
自分が前世で悪いことをしたから  でもなく 今世で悪いことをしたわけでもなく、地震により家が倒壊してその下敷きになってしまったから。

スマトラ島沖地震で死んだ人は、前世や今世で悪いことをしたから罰を受けたわけじゃないですよね。
たまたまそこにいて自然の猛威になすすべもなかっただけで、自分がたまたまいたら津波に飲まれて死んでいたかもしれない。

地球が氷河期になり、それでも環境に適応できた人々の子孫が増えていった。
動物だって環境に適応できなかったりしたら絶滅するしかない。

動物の前世は人間で、前世に罪を犯したから動物として生まれたわけじゃない。

人間が勝手に自分達を主人公だと思っているだけにしかすぎず、自然からすれば、人間も他の動物も変わりないわけです。

投稿日時 - 2007-11-05 07:27:59

ANo.8

あなたの仰るとおり死後はありますよ、
自分は死ぬと思っている人が居るみたいですが
それは理論的に不可能です
なぜかといいますと現世では魂を殺せないからです
魂というのは魂の次元があって肉体が滅びた後魂の次元の
法則によって動かされます。決して現世の法則によって動かされる
ものではありません。
一つだけ言っておきますが私は霊能力者じゃありませんので
「悪霊とかいるんですか?」と聞かれても「いるかもしれないし
いないかもしれない」としか答えられないのであしからず

投稿日時 - 2007-11-05 00:54:22

ANo.7

死後の世界は無いと思います。
死んだら終わり。それで終了だと思います。
死後の世界は無いし、前世も来世も無いです。
地獄や天国は、人間によって、人間が「悪い事をしないよう」に創り上げたものでしょう。
同じように、来世は死への恐怖を和らげる為。

>特に、生きてる間に重い罪を犯して~それぞれ、死後に罰や幸せがあるでしょうか?
無いと思います。
言い方悪いかも知れませんが、死んだらそれでチャラ…、みたいな。

死んだら“精神”とか“魂”はどうなるの?とか考えた時期もありますが、
そんなのは脳の働きの“感情”とか“思考”の類だろ、という結論になりました。
(…と言うより、考えるのを放棄したという気がしますが…;)
心霊体験(幽霊見た、とか)も一切無いため、そういうのも信じてはいません。
仮に“幽霊”なんかが存在していたとしても、少なくとも今までの私にはそういったものを認知(?)出来なかったわけで、そんな認知出来ないようなものは、存在しないも同然だと思います。
死後の世界と心霊体験を一緒にしちゃってますが、同じようなものと私は捉えてます。

>これがあるということは他にも何か(世界は)あるはず、と思うほうが妥当じゃないかと思います。
むしろ私は“死後の世界”より宇宙人の存在の方を信じてます。

謎と言えば。
私は存在理由を問いたいですね。
「私は何の為に生まれてきたの?」とかいう個人的なものではなくて、「何故、人間が存在するのか」と。
併せて「何故、地球が…」「何故、生命が…」「何故、宇宙が…」などなど。
そもそも何故、存在が存在するのか。
何も無ければ、何も無いままで、何も無いのに、と。
自分でも何を書いてるんだか解らなくなってきましたが…。

アンケートのような回答、また長文失礼しました。

投稿日時 - 2007-11-04 18:27:04

ANo.6

「心の世界」はこの世もあの世も同じです。「心の世界」ではこの世にありありながらあの世にも同時に住んでいるのですね。肉体の目で見たものにこだわるとそれがすべてだと勘違いしてしまいますが、心に着目するとこの世とかあの世とかの境はなくなるはずです。心は脳ではありませんから肉体がなくなっても当然存在します。勉強したこともよいことをしたことも悪いことをしたこともすべて心にありますね。心のみが存在する世界をあの世といいます。あの世では心のみが存在しますから善なる心は、善なる心の集団にいますし悪なる心は悪なる心の集団にいます、悪なる心の集団の領域を地獄といっていますね。まあいやなもの同士は一緒にはいたくないからね。肉体は便利なもので、心を見えなくする鎧ですから心が何を思っていてもみんな一緒に楽しくやれますが、心だけの世界ではみんながお互いの心を読めるので、心の世界ではおのずとすみわけができてしまうのですね。心を基準にヤクザはヤクザの世界へ善人は善人の世界へ、天使は天使の世界へですね。一番てっぺんにいる心が仏様なんですね。
この世の職業や地位や名誉はまったく関係ない世界です。心の状態のみで決定される世界ですね。面白い世界ですね。死後はそういう世界に心が住むことになるのですね。かっての英雄や総理大臣や高名な学者が地獄にいたり、名もなく生涯を終えたり、不遇な最後をしたかたが天使の世界にすんでいたり、殺人を犯したものが天国にいたり、殺されたものが地獄にいたり、人間は脳だ、猿から進化した、死んだら何にもない、という心もありますね、このような心の集団も悪い領域でさまよってますね、この世の価値基準では到底理解不能な摩訶不思議な世界ですね。心だけで行き先が決まる世界だからでしょうね。

投稿日時 - 2007-11-04 10:10:48

ANo.5

永遠の現在があります。
現在しかありません。現在がすべてです。
前世や死後を想像するというのなら いま行なっているのですから その現在の中にすべての時空間が含まれると言うことと同じです。
すべては 現在の行為です。
(現在がすべてを決定するというのとも少し違うでしょうが)。

Q:《全部自分で創り出した創造なのではないかと思ってしまったりもします。》けれども 《死後の世界はあると思いますか?》
A:現在どう考えるかです。分からないことは 想像自由です。しないのも自由です。
 わたしは しません。(だから ないと言おうというのでもなく あるかも知れないと言おうというのでも ないという意味です)。

Q:《特に、生きてる間に重い罪を犯して罰せられ死刑にされた人や・・・それぞれ、死後に罰や幸せがあるでしょうか?》《人は来世を信じて死んでいったりもしますが、どうなんでしょうか?》
A:その人のその現在 そして そういうことを想像するあなたのいま現在の問題です。何を どのように想像しても 自由です。言いかえると 想像力の及ぶ範囲で すべての可能性があります。
 たとえば 《天国地獄》という死後の世界があるかも知れません。両領域が融合したところです。わたしが 行って帰って来たのだから まちがい無いという人が いても その現在のこととして ありえるわけです。証明も出来なければ 反駁も出来ません。すべては 想像の世界です。 
 もっと言えば この想像行為によって 人は 現在のこころを静めていたり 単なるお遊びであったり その人にとっては真面目な研究であったり・・・とすべては自由です。
 《この現実はものすごいパワーと創造があります》。
 われわれの心は なんと 広くゆたかなのでしょう。

Q:《「生まれながらにして人は不平等だが死後は平等」→かなり不平等、みたいな‥。》
A:これは 神義論(*)のような課題です。神がいるのなら この世の悪はなぜあるのか。
 善悪論(*) 特に悪の定義が 問題になるでしょうし もっと 詳しく論議する余地があるわけですが 仮りに答えてみるなら やはり現在の問題です。永遠の現在です。
 
  * 《Q:善と悪について》=http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3160459.html そのANo.3を参照してください。
  * 《Q:魂の救済》=http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3195305.html そのANo.1です。

神は善であるのか などは別に質問されてはいかがですか。

投稿日時 - 2007-11-04 09:50:19

死後の世界は自分が死んだ後に生き残っている人が住んでいる世界のことでもあります。要するにアノヨというのは実は此の世でもあるように思います。此の世でないあの世(死後の世界)の存否は原理的に人間には分からないのではないかと思います。案外虫とか細菌とか水素分子などのほうが知っているのかもしれないと思います。

投稿日時 - 2007-11-04 06:27:45

ANo.3

死後の世界は、確実にあると思います。しかし、「証明しろ」と言われると証明はできません。だだ、ほとんどすべての人は大体100年もすれば自分で体験することではないでしょうか。
人間は生きていくために他の生き物を殺して食べています。それはしかたないことです。このことをキリスト教では「原罪」というのではないかと思います。生きていくために常に生き物を殺している。実に罪深いことです。それゆえに、「日々自分が生きているために犯している悪業以上の善行を積まないといけないのではないでしょうか。」ただ何もせずに生きているだけならこの「原罪」のために悪業を行っていることになるでしょう。もっと善行に対して熱心にならないといけないとおもいます。
死後、罪を裁かれるのは、何も現世での行いだけではありません。前世の罪も裁かれます。これは、前世の死後、地獄に落ちるのを嫌がって、ウマウマと逃げた人の場合のことです。また、一度の地獄だけでは罪が清算出来ていない極悪人もそうです。
地獄に落ちて苦しんで、現世に生まれて苦しんで、死後また地獄に落ちるという極悪人もいるそうです。
動植物の場合は、魂があまり進化していなくて死後は地球の魂と一つになってしまうようなところがあります。十分魂が進化して、次に人間に生まれ変われるような動物は、人間の姿になることが出来て、人間の霊界と同じところにいます。

投稿日時 - 2007-11-04 02:31:02

ANo.2

 思うも何も…

 人間の意識は脳の活動です。死ねば脳は活動をしなくなりますから、意識も消失します。
 物理化学的にはそれだけの話です。

 が、そんな話と信仰とは全く別の話です。
 例えば、当人の意識は霧消していても、死者の物語が語り継がれる限り、その人は社会的には死んでいません。それ故に信仰の入り込む余地があるわけです。このことが、あまりものごとを深く考えない人にとっては、混乱のもとになるのでしょうね。

投稿日時 - 2007-11-03 23:20:44

ANo.1

 死後の意識継続を論証せんとする者です。私の持論として

 http://question.excite.co.jp/qa3362608.html
の質問文と、ANo,6の補足をご紹介します。

 http://question.excite.co.jp/qa3411210.html
のANo.17と19が死後の具体的内容に関するものです。

 そこで、今回は死後に罰や褒賞はあるのか、について言及したいと思います。

 誰もその意識を裁く事はありません。意識が自分自身を裁くのです。 意識は死後脳という五感の牢獄を離れると、無意識世界を意識の領界とする事が出来ます。
 無意識には善の心があります。善の心は自分の無意識から突き上がって来る思念です。生前意識は無意識を領界としていない為、その思念を無視する自由意志があります。
 ところが死後は、その思念がまさに自分自身になってしまいます。その時領界の広がった意識は、無意識世界の自分の感覚(善の気持ち)と照らし合わせた、生前の反省を、突きつけられざるを得なくなります。
 例えば、「昔書いた日記を読み返したら、すごく恥ずかしくなった」という状態に似ています。生前と死後では認識できる善の気持ちの、レベルが違うのです。
 そこで、善の動機に従って生活しなかった者は、死後自分自身で暗いイメージに身を閉じ込めて、長らく嘆き悲しむ事になります。
 一生懸命、善の気持ち(無意識=霊界の性質)で生活した者は、現世でどんな冴えない人生だろうが、明るいイメージの世界に自ら赴くのです。
 はっきり申しまして、現世での社会的功績など、幽世には一切通用しません。善の動機で一生懸命やった事が、自分自身による評価に繋がります。結果的な功績は、善の動機から派生する場合のみ価値がある(と自分で判断する)と言えましょう。

 現世で生きる限り、食べなければなりません。それは、良い事ではありません。しかし、現世で修行するにあたって、食によってカルマ(業という修行要素)を得ているという側面もあります。その事自体は妥協点として、死後後悔する事も無いと思われます。
 ただ、そこで良心の呵責が湧く場合は、「本当は良い事ではない」という事を再認識させる事によって、獣性の減少という、進化を目的とした思念が働いているのかも知れません。それはそういう修行内容なのでしょう。あまり考えすぎず、そういう気持ちが湧いた、と認識しておくだけでいいのではないでしょうか。


 

参考URL:http://question.excite.co.jp/qa3362608.html,http://question.excite.co.jp/qa3411210.html

投稿日時 - 2007-11-03 21:19:24

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