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解決済みの質問

プロと素人の差

プロの芸術家(あえて美術の分野に限らない)と素人のもっとも顕著な差は、「精神性」だと思うのですがどうなんでしょう。
素人の日曜画家たちの展覧会など観る機会があるのですが、そこで感じることは、「上手いけども、なにか印象に残らない」ということで、考えてみると、強い主張というか、計算性というか、とにかく何か迫るものがないんですね。そこへいくと超一流画家のものを観ますと、その作品から出てくる力の入れ具会、精神力の充実、天才の技等よりも頭の中身に参ってしまいます。もちろん私はそういうものを十分汲み取れるだけの見識を持っているわけではいないんですけどね。

そういうことから、やはり、プロとアマの一番の差は「精神力」「頭」だと考えてよいのでしょうか。

また、素人の作品は、どうしても型にはまっているスケールが小さい小市民的であるということとも連動している気がします。これは、共産主義社会主義国の芸術とやや似たようなところにあるのでしょうか。つまり、体制から逸脱すろというエネルギーを要することは天才にしかできませんから、その天才を容認する資本主義国家にしか芸術家は育ちにくいのでしょうか?

投稿日時 - 2007-07-13 16:34:38

QNo.3164278

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

権威が認めればプロ、売り込み上手で売り絵を描くのがプロというのは、一面的には確かにその通りだと思います。
ただ、本当のプロはそれだけではないと私は思います。
現在一応プロとして活動している芸術家の中には、確かに「どうしてこいつが?」みたいなやつもいますし、反対に本職が芸術家ではない(もしくは芸術では食えていない)人の作品で「これはすごい」と思うものもあります。
私は、やはりプロは圧倒的な技術と精神力を持った者であると考えています。で、この場合の技術というのは、何も「一ミリ幅の線の上に十本線が引ける」とか「米粒に曼荼羅が描ける」とかそういう超絶技巧的なものだけを指すわけではなく、もっとトータルなものです。観察力と発想力、判断力を伴う技術であると思います。で、その技術につながっていくものに精神力のようなものがあると思います。それが質問者さんのおっしゃる強い主張や計算性というものにあたるのではないでしょうか。精神力、という言葉が適切かどうかはよく分かりませんが。
でもそれはプロではなく天才ということかもしれませんね。
ただ本当のプロ意識を持つ人間というのは、お金をかせいでいる人の中にも少ないと思います。当人がプロ意識だと思っているものは、本当は周りに作り出された誤解なのかもしれません。
 資本主義社会主義とプロの関係に関しては私には分かりません。生きている社会と芸術は無縁ではいられませんから、そこにはなんらかの相関性が生じるとは思いますが、それを資本主義と社会主義できっぱり分けられるということはおそらくないと思います。特に個人の才能に関していえば、そんなに簡単に割り切れるものでもないでしょう。

投稿日時 - 2007-07-14 15:05:14

お礼

回答者さんのような論旨であると、私は非情に納得できます。いくらなんでも、世間の目がそれほど節穴とは信じられないからです。そして、今回わかったことは、プロの中にもまがい物がいるし、尼の中にも実力者はいるのだろうということ。そして、実力者とは、精神性と技術性を兼ね備えているもの。その上で、売れる売れないという2重のファクターがあるらしいということ。厳しいというか、つらいですね。

投稿日時 - 2007-07-17 23:45:01

ANo.4

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回答(6)

ANo.6

プロとアマチュアの差は、「それで飯を食えるかどうか」だと思います。

これでもプロ?という人がいるのも事実です。
しかし、その人は「それで飯が食える才能」の持ち主ではないでしょうか?

いくら才能があっても、それで飯が食えなくてはプロとはいえません。

才能があるからといって、プロになれるとも限りませんよ。

あと誤解を恐れずに言えば、先入観もあるように思います。
例えば「この人はプロだから」という目で見ると全てがすごく見えてきます。
アマチュアでも、世界観をきちんと持っている人は大勢いるのでそういった先入観を抜きにして見るようにしてみると、また違った角度から芸術と向き合えるような感じがします。

投稿日時 - 2007-07-16 12:24:59

お礼

私は、真の実力者しかプロではなく、食えるプロと食えないプロがいるが、どちらも実力や精神力は問題ないのだという考えだったのですが、どうやらもっとシビアなようですね。それに、鑑賞力が本当にある人が以下ほどあるか、先入観でこれはいいと思ってしまうことが以下に多いかで小ね。

投稿日時 - 2007-07-17 23:48:07

ANo.5

プロフェッショナルであることと個人の素質は、本来、分けて考えるべきだと思います。
プロフェッショナルというのは、創作物の価値を、金銭という価値に転化して計ることが出来る人でしょう。自分が作ったものをどのレベルで換金できるのかを理解している人と言い換えても良いと思います。
素人は自分の創作物と金銭のバランスに無頓着です。つまり、幾らの値を付けるのかに、あまり真摯的ではありませんし、それで良いわけです。しかし、プロはそうはいきません。そこがプロと素人の差だと思います。
創作物のエネルギーや、作った人間の素質は、それとは基本的に無関係ですが、もちろん、金銭の価値に置き換える際の売りのファクターとして利用することは多分にあります。売り手と買い手の価値観が同じ場合、買い手は感動したり、売値に対して安いと判断することになります。

投稿日時 - 2007-07-14 19:59:47

お礼

金銭に転換できなければプロではないという、奇麗事ではない現実がついて回るというのはあるんでしょうね。

投稿日時 - 2007-07-17 23:46:12

ANo.3

売れる絵をかけるのがプロです。

そして売れない絵しかかけないのが素人。

でも天才はプロにも素人にも存在します。歴史がそれを証明しています。

ですから資本主義だと芸術家が育つなんていう説に根拠はないですね。

本当の天才は、教育環境がなくても才能を発揮できます。

投稿日時 - 2007-07-13 18:48:14

お礼

才能はあるのが前提で、しかも売れるのがプロということらしいですね。

投稿日時 - 2007-07-17 23:42:30

ANo.2

>そういうことから、やはり、プロとアマの一番の差は「精神力」「頭」だと考えてよいのでしょうか。

いいえ。

プロを「それでお金が稼げる人」、アマを「それでお金が稼げない人」とした場合、プロとアマの差は「単なる運」です。但し「運も実力のうち」ですが。

お金が稼げる機会、つまり、世間に知れ渡る機会を得た人は、質問者さんを含む「他人」に認知されます。

その機会を得られなかった人は、プロより実力があっても、如何に天才であっても、世間に知れる事も無く没します。

あと、天才と凡人の差は「権威に認知されるかどうか」の差しかありません。

どんなに天才でも、権威に認知されなければ、画家のレンブラントを例に挙げるまでもなく、貧乏なまま没します。

この時代の多くの「天才画家」は、没後に作品を「権威の手により評価され」死んでから天才と呼ばれたに過ぎません。

「権威の手により評価され」る為には「権威に認知され」なければならず、「権威に認知され」る為には「世間に知れ渡る機会を得」る必要があります。

>その天才を容認する資本主義国家にしか芸術家は育ちにくいのでしょうか?
天才だろうが凡人だろうが「共産主義社会主義国より、資本主義国家の方が、世間に知れ渡る機会を得えやすい」ってだけの話。

プロもアマも、天才も凡人も、中身は対して違いません。

結局は「他人が評価してナンボ」です。

凡人が描いたパッとしない絵でも、ある日ある時、それを目にした「権威」が「これは凄い」って言った瞬間、凡人は天才になっているのです。

投稿日時 - 2007-07-13 17:25:50

お礼

そうなんですか。たんなる「運」とは。あまりにも非情な現実ということなんでしょうか。確かに力作天才の作品と呼べ売るものも、発掘されなければ認知されないということはあるのでしょう。
しかし、中味がまったく問題ではないとは。にわかに信じがたいですね。

投稿日時 - 2007-07-17 23:41:46

ANo.1

プロとしてやっていくには どんなジャンルであっても営業能力が必要です。
作品を支持してくれて 作家活動で応援してくれる人達の存在無しには 
プロとしての長い活動は不可能です。
最終的には その人の作品の力と 人々から愛される人間性と 営業力だと思います。

投稿日時 - 2007-07-13 17:17:05

お礼

実力より営業なのですか?意外です。でも、なによりも経済活動がなくてプロというものは難しいでしょうからね。

投稿日時 - 2007-07-17 23:39:38

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