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解決済みの質問

「科学」ってなに?・・

化学とか数学、物理学とかいう範囲はまだ明確な範囲があるきがします。

で・・「科学」ってなんですか???

僕の思う「科学」は
・「自然の事象を観測し」「分析し」「理由付け」「予測する」手法のことだと思っています。

本当の定義もあるとは思いますが、
あなたの思う「科学」ってなに?ってことで募集。

投稿日時 - 2002-07-09 02:15:59

QNo.309752

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

三度ハリセンボンでございます。

「科学」を「手法」とするならば、「手法」は今も昔も同じでしょうか?
自分は統計工学を専攻しています。手前味噌ながら、確率論に基づく統計的推論という「手法」は他の多くの分野で利用され、その発展に寄与してきました。でも、この統計的推論理論がフィッシャーによって確立されたのはたかだか一世紀ほど前です。
前提となる知識が違えば「手法」の実行結果も違ってくる。その通りだと思います。でも知識が「手法」を作り出すこともまた事実ではないでしょうか?

私は「科学」を「客観性のある知識の体系」としましたが、今も昔も変わらないのは「知識」でも「体系」でもなく、「現象(自然現象や社会現象など)に対する人間の関心」と「それに客観性を求める」ことではないか、と思います。科学的な態度というものでしょうか。

つまり、「科学」の本質は「科学的な態度」であり、それは昔も今も変わらない。そして「科学」の総体は、その時代の人間の知識や関心によって多少は変わっていくもの。これが私の回答かな。

その意味では、魔術や錬金術も科学である時代もあった。という解釈もできると思います。(もちろんSF作家が作り出す独創的な世界観は科学ではありません)

最後に・・・
私はこういう議論は楽しいし、大好きです。でも楽しいお祭もいつかは終わるもの、その膜引きを決めるのは主催者の務めです。ご自身の思うとおりになさいませ。

投稿日時 - 2002-07-14 13:31:42

お礼

またまた有難うございます。
そうですねぇ・・「手法」の中身も変ってますねぇ。(^^;;;;
「知識」の中身もかわってますしねぇ・・

確かに・・「科学的な態度」っていうやつが示したいんです!!
うんうんうん。

ただ、ここで「科学」を使っちゃうと再帰しちゃうんで・・

「事象を観測し」「論理的に」「分析し」「理由付け」「予測し」「事象を究明する態度」てな感じでいかがでしょう。
っていうか「僕定義」なんで僕が納得すれば済む話なんですが・・(笑)

ということでいろいろと参加していただきありがとうございました。

投稿日時 - 2002-07-15 11:06:26

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回答(22)

ANo.21

No20のハリセンボンです。

>昔の科学が本当に今も科学なのか?
「科学」というものが、ある思想や概念を表す言葉とするならば、言葉の定義なんて時代とともに少しづつ変わっていくものだと思いませんか?

電気も無く(正確には発見・利用されてなく)、天動説を皆が信じていたときの人たちが、科学として認識していた概念と、ナノテクだのクローンだのってものが研究されている時代の科学の概念がはたして同じか、というのはどうしても考えちゃうことですけどね。

投稿日時 - 2002-07-13 17:16:36

お礼

再び有難うございます。

おっしゃる様に思想や概念は変るというのはよくわかります。
そして、科学的知識もだんだん変っていると思います。
っていうか、変らない知識体系じゃ科学じゃなさそう。

で、「昔の科学が本当に今も科学なのか?」っていう命題が出てくる前提は、
「科学」を「客観的知識の体系」とした場合なのです。
つまり、「僕定義」な「科学」では、当時の知識に基づく「手法」なので、
いつまでたっても「科学」は「科学」なんです。

土台になってる知識が全然ちがえば「手法」の実行結果も全然違います。
「理由付け(論理)」も全然違うでしょう。

まだまだ微妙な話がありそうですねぇ・・
この質問・・そろそろ締め切った方がいいのかなぁ・・
どうしましょう。(笑)

投稿日時 - 2002-07-13 18:42:31

ANo.20

「客観性のある知識の体系」だと思っております。

同じ条件でやれば、誰でも同じ結果が得られることが、大事だと思います。
人によって違う結果になるのでは、その知識を他の人が使うことが出来ませんから。
(「やる」って部分は分野によって実験だったり観察だったり論理展開など)

完全に証明されていないことでも、再現性があれば、とりあえずは他人にも使えますし。そういうものを生活に役立てるようにするのが工学だと考えています。

科学のすばらしいところは、何百年も前の人の知識が、時代を超えて磨かれ、今に生きていることだと私は思います。

時を越えた知識のバトンタッチ・・・っていう表現はぜんぜん科学的でないですかね?

投稿日時 - 2002-07-10 20:15:00

お礼

ご回答ありがとうございます。

「客観性」+「知識」+「体系」っていうなのですねぇ。
「知識」にポイントがあると考えられうる事は否定しようがないとも思います。

ところで、この場合の「客観性」ってなんなんでしょう?
「僕定義」的には「知識」は「理由付け」なのだと思いますが、
「客観的な予測」ができれば、「理由付け」はある意味
どうでも良い気がするのです。
ハリセンボンさんがおっしゃる「再現性があれば、とりあえず使える」です。

「人間が居る」という観測は「神が創った」でも「猿から進化した」でもどっちでも・・・(^^;

で、ちょこっとなやんじゃうのが昔の科学が本当に今も科学なのか?
ってな感じがしませんか?

投稿日時 - 2002-07-12 18:55:53

ANo.19

>うーん・・「数学」と出会うと幸せなんですかねぇ・・
例示が狭すぎたかと後悔しております.
モデリングをするのは生の人間が行う自由な思考活動ですが,
数学と巡り合った為に物理学では検証と予測がやりやすくなったと
思います.でも飽くまで手法のひとつであって,数学があるから,
自然のモデリングを行われると言うものでもありませんよね.
全ての科学に数学と言う手法が有効である筈ないですし..
金槌ではキャベツの千切りは出来ないってところかな.

><「科学」は数式で表記が可能な物>っていう発想を誘発
この語弊はよくありそうに思います.
辞書にも狭義には「自然科学」を指すって,ここら辺ではないか,と..

教えて!なのに議論みたく何度も書いてすみませんでした.
勉強になりました.

投稿日時 - 2002-07-10 10:48:37

お礼

検証、予測がやりやすくなったというのはかなりありそうですね。

在るか無いかの二値的な判断よりも数値によるリニアな値の方が
柔軟な評価が可能ですしね。

数式で表記が可能っていう部分は自然科学の中でも一部に限られる気がします。
No.7でnikaさんがおっしゃる様に、
「分類」というのも「科学」の重要な部分だと思いますが、
その分類は数値化できない部分も多いと思います。
まぁ、画像とかで数値化出来るっていう話は無きにしもあらずですが・・(^^;

「教えて!」であるからこそ、
わからない部分を詰める必要があったと思います。

うーん・・数学って・・本当に自然科学なんですかねぇ。
ちょっと疑問。

投稿日時 - 2002-07-10 21:20:58

ANo.18

「科学」って、扱われる対象が広いと思いますから、
百人に質問すれば、百通りの回答があるのではない
か、と思われます。

ということを踏まえまして、人が経験的に知りえた
ことについて、なぜなのかを説明することができる
知恵・知識であって、体系づけられているものと
答えさせていただきます。もちろんこれが正解とは
考えませんヨ。

なお、acacia7さんの思う科学は、当たっていると
思います。やっぱり、自然が相手で、自然と対話
する試みがないと、科学は発展しないと思います。

おそらく、いままでの諸先輩方と、同じ方向の内容
かと思います。

投稿日時 - 2002-07-09 22:22:29

お礼

ご回答ありがとうございます。

おおよそのイメージは同じ物みたいですね。

自然科学は自然を相手に「対話」が必要なんですね。
実験やら実測ですね。

全然余談ですが、大学の先生に
「実験をする前に予測値を決めておけ。
 予測値も求まらない実験をするな」
といわれたことを思い出しました。
ここにもサイクリックな科学が見えますね。

投稿日時 - 2002-07-09 23:51:56

ANo.17

acacia7さま
なるほど.やはり一般論としては,
「科学では「普遍的な知識」は得られるとは限らない」
なのですね...ありがとうございました.

Winoさま
>数式などで表記が可能な物だけを「科学」に定義してますか?
私もそれについて日ごろメディアの中での使われ方を危惧しているところです.
しかし,
>こじつけ理論でも、科学的風に解説ができれば科学なのでは?
についてですが,いわゆる「似非科学」に代表されるところ等では,
反証や矛盾があっても無視している場合が多いと言う点で「科学」の手法に
違反している場合があると思えるので,多分「検証」して「自己修正」される
ことが「科学」の手法の中には必要不可欠だと思います.

その点「物理学」は幸運ですよね,「数学」と言う,
「足せとあるけど足したくないから足さない」
なんてことが絶対に許されない,明確な「手法」と巡り合えたから...

投稿日時 - 2002-07-09 19:17:17

お礼

いえいえいえ・・
こちらこそ、さまざまな視点からのチェックがはいり、
考え直すことができました。
ありがとうございます。

そうそうそう・・「自己修正」ですね。
それが科学の要素ですよね。・・・「再現性と自己修正」のセットかな。

うーん・・「数学」と出会うと幸せなんですかねぇ・・
その見解が<「科学」は数式で表記が可能な物>っていう発想を誘発するんじゃないですか?・・(^^;

自然を直接相手にしていないだけに、数学の方が
「足さなきゃいけないわけじゃないけど足したいから足してみる」
っていうような不用意な拡張を許しそうな気もするんですが・・(^^;

投稿日時 - 2002-07-09 23:45:00

ANo.16

もしかして、過半数の方々は、数式などで表記が可能な物だけを「科学」に定義してますか?
>>「論理的」かつ「普遍的」である必要が…
というものもありますが、
現在の(または、その社会における)非論理的な事柄ででも(霊とか?)
普遍的でないものでも、仮説的(僕定義?)理論もまた科学かと思います。
なんとなく、有ったら良いなぁみたいな
こじつけ理論でも、科学的風に解説ができれば科学なのでは?
化石から復元するのも、じつは全然違う… って何年もたってから並べ替えてみたりしてるしぃ (なんか、ちゃぅかぁ?)

投稿日時 - 2002-07-09 17:50:46

お礼

ご回答ありがとうございます。

とりあえず、「僕定義」では数式表記などの制約ははいってません。
「つきに傘がかかったら明日は雨っぽい」も科学に分類してます。(笑)

うーん。非論理的なものまで科学ですかぁ・・
ちょっとつらいかなぁ。
非論理的っていうのが若干明らかじゃないですが、
「論理的」には推論可能性も含めているつもりなので・・
推論不能なものから「予測」は引き出せなさそうです。

また、普遍的でないものはこれまでのところ容認される方向で・・

仮設的なものは・・・というか・・あれです。
「僕定義」に置ける「理由付け」の多くは「仮説的な理論」です。

実のところ「絶対的に理論が「真」であることの証明」は
無理なんじゃないかと思う今日この頃です。

こじつけ理論であってもそれを否定することができなければ「科学」である
と考えています。
ただし、推論と観測に大きな誤差を含むものは
その「理由付け」に大きな誤りを含む可能性が高いとも考えます。
ですから、従前の「科学的知識」に明らかに否定されるものは
「科学的知識」と認められない可能性が高いです。

化石の復元の件は、「観測」が不足しているために「予測」を誤ったものです。
「観測」「分析」「理由付け」「予測」を繰り返すのが「科学(僕定義)」
ですので、古い誤った化石の復元もその当時には「科学」ですし、
その後に修正された場合は「科学」から排斥されるわけです。

投稿日時 - 2002-07-09 23:31:34

ANo.15

ちょっとここで矛盾が出て来るかも知れません.
と言うのも...

天動説は当然「(いわゆる)自然」を扱ったもので,「自然の事象を観測し」
「分析し」「理由付け」した結果,幾つかの円盤の上に天体が配置されていると
言う幾何学的知識を用いて当時でもある程度(当時の「誤差」範囲で),
天体の運動を予測することが可能でした.
それは「実験」「観測」を通して「検証」された為に,宗教家に限らず
思考の強制を受けた経験の無い天文学者にまで広く長く信じられていました.
(宗教暗黒時代は天動説の歴史の中ではごく一部です.)

天動説は科学の手によって「自己修正」を経て,現在では「地動説」ですが,
当時の天動説信者は「科学者」でしょうか?
天動説に基いて天体の運行を演繹的に予測したことは「科学」なのでしょうか?
ただ反証を得なかったと言う見方をすれば,YESのような気がします.

つまり私思うに,「科学」とは「手法」を表す言葉であって,
「科学」にのっとって得られた知識が「普遍的な科学知識」とは限らない,
と言う気になって来ました.
心理学など,手法としては科学ですが,得られる結果は科学ではなさそうですよね..

と言うところで行き詰まってしまいました...

投稿日時 - 2002-07-09 14:16:53

お礼

ご回答ありがとうございます。

星の運行を観測して分析し、「天動説」という理由付けを行い、
ある程度の予測をおこなっていましたし、
当時の賛同を得ていました。
こういう点からすると少なくとも「僕定義」の「科学」であると思います。
また、辞書定義的にも科学でしょう。

「僕定義」の中では「科学的な知識」は「理由付け」という形にしてありますが、
この「理由付け」が「真理」であるか否かは
<「予測」と「観測」の差異>からしか垣間見ることはできません。
つまり、どんな予測を立てようと観測による実証が得られなければ、
肯定もできませんし、否定も出来ません。

いくつかのご回答からも感じられますが、
科学では「普遍的な知識」は得られるとは限らないと思っています。
得られそうなものは精度の高い予測だけです。

まぁ、これも漸近的な近似として得られるというだけなので、
もしかしたら、収束する先が「真」とはかぎらなかったりもしそうですけど・・(^^;;;;

投稿日時 - 2002-07-09 14:47:55

ANo.14

> 『血液型性格判断』 | 『医学』、『天気
> 予報』、『数学』だとおもいますよぉ。
> 血液型性格判断はまだ経験則の蓄積が足り
> ないとおもうのですよぉ

つまり十分な実験結果の蓄積が無いから『血液型性格判断』は仲間外れ、という考え方ですよね?
でも、それって、どれだけ実験結果を積み重ねれば『十分か』、どれだけ再現性が高ければ『十分か』という、絶対の規準の無い、『程度』の問題に過ぎないと思いませんか?
『数学』は実験を必要としない、という本質的な点で、『血液型性格判断』、『医学』、『天気予報』 | 『数学』だとわたしは思うんですよ(勿論左の3つの中で『医学』と『天気予報』を括るのにはやぶさかではありませんが)

投稿日時 - 2002-07-09 13:47:00

お礼

なーるーほーどー・・・・・
そんな風にも見えますねぇ。

ちょっと考え直してみますぅ。

投稿日時 - 2002-07-09 14:31:50

ANo.13

rei00 です。

 お礼拝見しましたが,やっぱり説明不足の感があったような・・・。で,補足(?)します。


> その分類を行った際に「この分野では」という暗黙の条件設定
> が切られ、表に出て来ない場合があると思うのです。

 あ,先の回答で「ある種の条件の元で普遍的という場合もあるでしょうが,」と言ったのは,そういう意味でした。私も全ての分野にわたって「普遍的」であるとは思っていませんし,それは無理でしょう。

 そうではなくて,ある一定の条件の下であれば必ず同じ結果になるという意味で「普遍的」と言う表現をしたのですが,チョット不適切でしたでしょうか。「再現性」とでも言った方が良かった?

 と,これを書いていて院生時代に研究室の助手の先生に言われた言葉を思い出しました。正確には忘れていますが,大筋は次の様なものです。


 おい,再現性はあるか。誰がやっても同じ結果になるから「科学」なんだ。お前しか出来なかったら,それは「科学」じゃなくて「芸術」だ。


> 多くの人の合意を得られるような知識の集積って「科学的」
> ですよね?(笑)

 お書きの僕定義 『「事象を観測し」「論理的に」「分析し」「理由付け」「予測する」手法』につながるものであれば「科学的」でしょうね。単に雑多に集めるだけであれば・・・・(苦笑)。

投稿日時 - 2002-07-09 13:08:04

お礼

すーみーまーせーーん。
お忙しいところを。

普遍性についてはわかりました。
やはり、完全な普遍性のことではなかったのですねぇ。
読解力不足でした。

確かに「再現性」というのは大変重要なポイントだと思います。
で、「僕定義」なんですが、実はもともと再現性をひそかに含んでいて・・
4つのステップを行ったきりではなく、
「予測」から「観測」に戻ることを考えていたわけなんです。
「予測値」と「観測値」の誤差からくる「分析」
そして「理由付け」の再構築・・
そして新たな「予測」がでてくる・・
これがくるくる回るのが科学なのだと思っていたのです。

僕は確かに実験してたときは「芸術家」でした。(爆)
燃料電池やってたんですけど、
電池特性が作るたびにかわるかわる(爆)

いまは「科学」の意味について科学的に再構築しているところなわけですねぇ。(たぶん)

投稿日時 - 2002-07-09 13:33:08

ANo.12

>・「自然の事象を観測し」「分析し」「理由付け」「予測する」手法のことだと 思っています。

それに付け加えることの、
「自然の構造の理解するための」手法です。
たとえ、直接に原理的に観測できない対象でも、
それがないと説明に困る現象というのがあります。
例:波動関数(観測できるのはその絶対値の自乗)
  ベクトルポテンシャル
蛇足ですが、そういう対象って素粒子論に偏ってますね。
もう少し身近な分野、流体や熱力学なんて分野でも
そういう量ってあるのでしょうか?

数学でいうと、虚数ですか。
虚数がないと3次方程式の厳密な実数解も求まりませんからね。

> 数学、理物等の定義はどうするんでしょう??

数学の定義は、どなたか(たしかある数学者)の定義によれば、
「数理現象の解明」だそうです。
「数理現象とは?」と聞くと、「数学者が扱っている対象」なんだそうな。
なんだかなー

投稿日時 - 2002-07-09 12:37:57

お礼

ご回答ありがとうございます。

うんうん「構造を理解する」っていうのもある意味ポイントなんですよねぇ。
「僕定義」の「分析」から「理由付け」の中で機構の推定があるわけで、
そこに理解が含まれるかとは思うのですが、
問題は「予測する」ことに重点をおくか「理解」に重点をおくかなんですよね。

僕は前者に置いてしまったのですが、「理解」に重きを置く人もいるのは確かなんですよね。

ある意味、科学を目的とするか手段とするかの違いに見えなくはなく・・
僕の信条として「科学は手段にすぎない」とした為に、「理解」は省いちゃったんです。

それこそ、古代エジプトの天文学なんかは「手法」として認識されていたのだと思うのですが・・・

数学の定義についてはあんまり考えてなかったんですが・・(^^;;;
「数里現象の解明」となるとあきらかに「数里現象」を理解することに重きがおかれてますよねぇ。

こまったなぁ・・(笑)

投稿日時 - 2002-07-09 13:22:52

ANo.11

毎度です、某スレではお世話さま、ユウタです。

ちょっとだけ勉強した成果として、(?
頑張って自分の言葉で言うと、

すげー大雑把な言い方ですが「科学=統計」のイメージです。

acacia7さんの仰る観測が情報収集のイメージ。
分析・理由付け、が情報の整理のイメージ。
最後の予測は、そのまんま予測。

精神病理学とか、にも近い雰囲気です。
精神とは何か、質量は、材質は、色は、位置は、
とゆー様なコトより、それが病気っぽいゾ、
どーやら異常だゾ、とゆー概念とでも言いますか…。

いや、すんません。やっぱ阿呆です。(笑
自分の論がまとまりません。また今度。

投稿日時 - 2002-07-09 12:14:41

お礼

ご回答ありがとうございます。
某スレはたのしかったです。(笑)

「科学」ってどんなものっていう扱いなんで、
たまたま「観測」とか「分析」とか「理由付け」とか「予測」
なんていう言葉を使っていますが、
似たようなステップがそれぞれの分野にあるんだと思います。
そして、それぞれ分野によっては違う言葉を使うかもしれません。

そういう意味では、「統計」も「精神病理学」も「科学」の一部なんだっていうことでしょう。

投稿日時 - 2002-07-09 12:52:59

ANo.10

私は辞書にある定義のとおりと思います。

自然や社会など世界の特定領域に関する法則的認識を目指す合理的知識の体系または探究の営み。実験や観察に基づく経験的実証性と論理的推論に基づく体系的整合性をその特徴とする。研究の対象と方法の違いに応じて自然科学・社会科学・人文科学などに分類される。狭義には自然科学を指す。

自分の言葉でこれ以上的確な定義はできかねますねぇ。

投稿日時 - 2002-07-09 12:07:14

お礼

ご回答ありがとうございます。

そうそう、実際に辞書的な定義ってありますものね。
それをわざわざ「僕定義」する必要ないんですけどね。

ただ、討論のなかとかに出てきた文言のイメージを
すべて、辞書的な定義でもてるかというとそうでもなさそうで、
イメージをもてないものを基準に判断なんぞできません。
ということで、今回はたまたま「科学」という文言の曖昧さが気になったので、
そのイメージの叩き台がこのスレッドだったわけです。

で、mickjey2さんに挙げていただいた定義も叩き台の材料として使わせていただくと・・
やっぱり科学って「特定分野」が対象なんですね。
rei00さんのコメントの「普遍性」がちょっと気になったのはその辺だったのですが、とりあえず、後ろ盾として認識できそうです。
「法則的認識」も「観測」「分析」「理由付け」の部分と符号しそうです。
「合理的」の部分は新規導入の「論理的」でどうにかなるかな・・
どうちがうかな・・ちょっと不明ですね。
「知識の体系」又は「探求の営み」っていうのは新しい部分ですけど、
経験則の塊という認識と「手法」という判断は持っていたので、然程違う意味はなさそうですね。
2文目は・・言い換えですよね・・
そうそうそう・・ちょっと「狭義には」に囚われてた部分があったみたいですね。
最初の「自然の事象を観測し」の部分の「自然の」がそれですね。

やっぱり広義と狭義の違いはあるんですね。

僕には辞書的な定義をパッとイメージできかねましたけど、あまり大きな間違えはなさそうなので安心しました。

投稿日時 - 2002-07-09 12:44:47

ANo.9

> 数学、理物等の定義はどうするんでしょう???
> 科学とは別領域っていう扱いですか?

ほんと、どうしたらいいんでしょう?
でも、『血液型性格判断』、『医学』、『天気予報』、『数学』と並べたとき、どこかに境界線を引くとしたら、どうしても、『血液型性格判断』、『医学』、『天気予報』 | 『数学』としたくなりませんか?

投稿日時 - 2002-07-09 11:47:23

お礼

え・・(・▽・?

えぇぇ・・僕的にはもう一個境界を引かせて欲しいなぁ・・
どうしても一本となると・・うーん。
やっぱり『血液型性格判断』 | 『医学』、『天気予報』、『数学』だとおもいますよぉ。
血液型性格判断はまだ経験則の蓄積が足りないとおもうのですよぉ。

数学に関してはなか程の二つより大分右にはずれる気はしますけど・・・

投稿日時 - 2002-07-09 12:47:54

ANo.8

 化学者(ですので,一応「経験者」)の rei00 と申します。私が考える「科学」とは・・・・,acacia7 さんのものと殆ど同じです。つまり,次の一文ですね。

> ・「自然の事象を観測し」「分析し」「理由付け」
> 「予測する」手法のこと

 ただ一点追加したい事があります。これらのいずれにおいても,「論理的」かつ「普遍的」である必要があると思います。

 論理には様々あるでしょうし,ある種の条件の元で普遍的という場合もあるでしょうが,基本はそうだと思っています。

 『あなたの思う「科学」って』ですので,自分の考えには「自信あり」です。皆さんに当てはまるかは「自信なし」ですが(って,「科学的」じゃないか)。

投稿日時 - 2002-07-09 10:56:05

お礼

ご回答ありがとうございます。

そうですねぇ。論理的で普遍的っていうのは必要かもしれませんねぇ。

「論理的」の内容が定かでないというのも微妙に問題かもしれませんが、
もっと問題なのは「普遍的」についてで、本当に「普遍的」であることを
必要としているかというとそうでもない気がします。

というのは、科学は全体で「科学」一つというわけではなく、
多くの分野に分類できることはご同意頂けると思うのですが、
その分類を行った際に「この分野では」という暗黙の条件設定が切られ、
表に出て来ない場合があると思うのです。
・・・・具体例がちょっとあげづらいんですが・・・・(--;;<ダメ過ぎ

なにはともあれ、その分野の共通の知識として
「原因」と「結果」を結ぶ「法則」について大方の同意が得られた場合、
それはその分野における「科学的証明」がなされたものなのではないでしょうか。

という感じで「普遍的」の導入はちょっと微妙なので保留して・・
僕定義を「事象を観測し」「論理的に」「分析し」「理由付け」「予測する」手法のこと とします。(笑)

多くの人の合意を得られるような知識の集積って「科学的」ですよね?(笑)

投稿日時 - 2002-07-09 12:28:22

ANo.7

分類することに尽きると思います。
さまざまな事象、現象、抽象をカテゴリを定義して分類していくことが、科学といえます。
いままでにないカテゴリの発見、定義(勝手に定義できない)に出会えればノーベル賞というわけです。
それを周囲に理解してもらい、受け入れてもらうまでに先人の科学者たちは、苦労したわけです。
ガリレオしかり、アインシュタインしかり・・・
分類し、認められてこそ科学なのかもしれない。

投稿日時 - 2002-07-09 09:47:37

お礼

ご回答ありがとうございます。

うーん。分類することですかぁ。
生物学とかはまさに分類の極地ですよねぇ。

「僕定義」との関連だと「発見、定義」は「観測、分析、理由付け」に相当するみたいかな・・

周囲に理解して受け入れてもらうまでが科学なんですねぇ。
おうちに帰るまでが遠足なんですねぇ。(ぉぃ)

投稿日時 - 2002-07-09 09:59:36

ANo.6

> 「僕定義」では「宗教」は「誰かわからない人
> が定義つけたさまざまな社会的なルールの塊」
> っていうのにしてますので

『俺定義』では『宗教』は『再現不能な経験則にもとづく信念に則った、(特定の人々にとっての)真理の体系』です
で、こいつは、数学や理論物理などごく一部のジャンルを除く『科学』の大半にも当てはまっちゃうんだなぁ

大半の『科学』は実験と検証にもとづくわけですが、失敗した実験にミスリードされる危険性を除外するとしても、実験の再現可能性を完全に確信することは不可能(たまたま結果が揃った可能性が常に残る)である上、実験結果から導くことのできる多様な解釈からどのモデルを選択するかも、つまるところその『科学者』の信念に掛かっているわけです
そしてそのモデルに合わない実験結果が出るまでは、そのモデルが『真理』としてまかり通り、また、新しい『真理』に取って代わられるときが来たとしても、それまでやってきたことが『科学』でなかったとは考えず、『科学』が進歩したと考えるわけですが、これは、本質的に、予言が実現しなかったときに教義の解釈を変更して存続しようとする『宗教』のレバートリーのひとつとみなすことが可能でしょう

投稿日時 - 2002-07-09 03:25:39

お礼

再びご回答ありがとうございます。

数学、理物等の定義はどうするんでしょう???
科学とは別領域っていう扱いですか?

確かに科学って経験がものをいう世界ですものねぇ。
経験しなかったことは判断しようがないですねえ。

投稿日時 - 2002-07-09 09:54:07

ANo.5

その募集、乗った(笑
acacia7さんの定義がとてもわかりやすいです。
そこに乗っかる形で、わたしの思う「科学」の話をします。

大学に入ったときに初めてその疑問を抱きました。
一般教養の授業はすべて「人文科学」「社会科学」「自然科学」の三つに分けられていたからです。
化学も数学も物理学も、そして文学も哲学も倫理学も経済学も音楽も芸術学も、すべて「科学」であることを知って、そりゃもうびっくりしました。

じゃぁ「科学」の対義語って何だろう?と考えて、
それは「宗教」なんじゃないかと思うようになりました。
(ただし「宗教学」は信徒じゃなくても学べるので、「科学」です)
なぜって、「宗教」は疑うことを決して許さないからです。

どの宗教も、信徒が勝手に教義を解釈することを禁じています。
その宗教の教義をちゃんと学んだ「指導者」がいて、彼の語ったことを信徒は従順に無垢に受け入れなければならないのです。
もしそこで自分の頭を使って考えた人が現れて、規制の教義を少し疑ってみて考えて、そして自分が正しいと思った教義の解釈を誰かが唱えはじめたら、
それは宗教改革となったり、新しい宗教が興ったりするわけです。
(そして彼は元の信徒たちから裏切り者、反逆者のレッテルを貼られます)

しかし科学はあくまで「疑い、追究すること」を貫きます。
「本当はどうなんだろうか」「もっと違った考え方はあるだろうか」
とことん真理を追究するために、さっき自分の出したばかりの結果すら科学者は疑うのです。
そうでなければ、人類の文明はここまで発達しなかったはずです。
自説を疑わずにしがみつき、ただ他説を排する人の心は、
もはや科学心ではなく宗教心です。
ガリレオに地動説撤回を求めた宗教学者たちは、科学者ではなく宗教家でした。
しかし現代では、科学は宗教の檻から放たれ、どこまでも疑ってもよい自由を得ました。
(現代でも宗教家的な科学者もいるような気がしますが)

ただし完全な自由ではないと思います。
たとえば脳死や臓器移植の問題の大部分は、
死者に対する私たちの思い(死者を敬う素朴な信仰心だと思います)が関わっていたりします。
しかし中国医学を疑い、民意に逆らい日本ではじめて人体解剖書を記した漢方医・山脇東洋、彼に多くの漢方医・蘭方医が続き日本の医学が発達したように、
いつかは(多くの規制が払われるはずですが)広く認められる日が来るのではないかと思っています。将来のことだからわからないけど。

科学とは「疑い、真理を追究すること」。かな。

投稿日時 - 2002-07-09 03:22:00

お礼

ご回答ありがとうございます。

なるほどぉ・・宗教は疑えないんですねぇ。
確かに「僕定義」の「宗教」も「誰かわからない人が定義付けた」
なので、自分で定義付けしたルールを導入した瞬間に「宗教」じゃなくなっちゃいます。

でも、それでいて宗教って変質していきますよねぇ・・
どうやって変ってるんでしょうね。
解釈の部分だけなのかな。

>科学とは「疑い、真理を追究すること」。
なるほどぉ。頂いておきます。(笑)

投稿日時 - 2002-07-09 09:49:53

ANo.4

acacia7さまの解釈ですと,おっしゃる意味は分かるのですが,
「自然の事象とは何か?」について不明確であるように思われます.

人文科学と言う言葉が存在するところを見ると,対象は人間の思考の結果
生じることも対象になると思います.例えば心理学とか.

私は,
「ある事象に対して一対一の解釈を与えるもの」
だと思っておりましたが,ちょっとここで勉強してみたいと思います.

また来ますね..

投稿日時 - 2002-07-09 02:52:49

お礼

ご回答ありがとうございます。

そうですね。No.3の話を見ても、
人文科学というのもあるので、
「自然の事象」というよりただの「事象」でいいかもしれないですね。
自分ではちょっと「科学」として「自然科学」をイメージしてた様です。

>「ある事象に対して一対一の解釈を与えるもの」
「僕定義」の「理由付け」にあたるところかもしれないですね。

投稿日時 - 2002-07-09 09:35:05

ANo.3

acacia7さんの言われるとおり、

人間が拘束される「時間」から少しでも自由になるため、万物の
t秒後の状態を「予側する」ための手法。

「自然の事象を観測し」「分析し」「法則を見つけ」「予測する」

と、思ってます。

「自然科学」だけでなく「社会科学」「人文科学」も一緒と思います。

投稿日時 - 2002-07-09 02:38:38

お礼

どうも有難うございます。

自然科学と社会科学・・人文科学・・ですか・・
それぞれちょっとずつ観測対象が違うっていう事なんでしょうねぇ。

でも、どれも「科学」なんですねぇ。
たぶん。

投稿日時 - 2002-07-09 02:44:30

ANo.2

***科の学問のことをいうのでしよう
自然科学とか、宇宙科学とか言いますしぃ
そうですね、予測・分析し公式などで理由付けする…
その点、某大学のオオツキさんは、科学者ではありませんね
(あたしは認めていません)
すでに有る公式にあてはまらないと、分析しない(できない?)、予測は否定するだけで、理論を定義し、思考することをしません。
(なんか、とんちんかんなことに・・・)

投稿日時 - 2002-07-09 02:32:24

お礼

どもども有難うございます。

・・・科の学問ですかぁ・・
じゃぁ・・経理科の学問は・・・ちょっと科学っぽくない気が・・(爆)

投稿日時 - 2002-07-09 02:42:40

ANo.1

今のところ一番破綻が少なく、一番信者の多い宗教

投稿日時 - 2002-07-09 02:18:06

お礼

早速有難うございます。

「僕定義」では「宗教」は「誰かわからない人が定義つけたさまざまな社会的なルールの塊」っていうのにしてますので・・(ぉぃ)
「経験則を見つけた人が結構わかっている「科学」は宗教じゃないことになってるんですよねぇ・・(ぉぃぉぃ)

投稿日時 - 2002-07-09 02:40:29

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