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同じ苗字の人が全国にいるのはなぜ??

こんにちは。

わかりにくいタイトルですみません。
日本人の多くが苗字(姓)を名乗るようになったのは、明治以降だったと記憶しています。
そのとき、きっと苗字を決めたのだと思いますが、制限があったのでしょうか?

よく、自分の職業や住所からとったとか聞きますが。
ではなぜ、全国で同じ姓を持つ人がこんなに多いのでしょうか。親戚関係とか、移住だけでは説明しきれないと思ったので質問しました。

たとえば、長野県の「山田」さんと佐賀県の「山田」さんは偶然同じ苗字をチョイスしたのでしょうか?(親戚でないとして)

苗字を決める際、この中から選びなさいとかの決まりがあったのでしょうか?

ちょっと気になったので、教えていただけるとうれしいです。

投稿日時 - 2007-04-21 11:40:10

QNo.2938019

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回答(5)

ANo.5

>苗字を決める際、この中から選びなさいとかの決まりがあったのでしょうか?

にお答えすると、無いと思います。
苗字の第一位は「佐藤」さんで二位が「鈴木」さんですよね。
佐藤は多分「藤原」を「助ける=佐」だと思います。
鈴木は神主さんを意味する名前ですね。

「山田」と仰いましたが、どこかでは「サンダ」と読む所があるんでしょうね。(お目に掛かったことはありませんが…)

#1さんのご回答にあるように、私唱していた苗字は、あったようです。実際、我家がそうです^^;
日本の地名で、一番多いのが「中村」なのに、苗字では、そうではない。
面白いですよね。

投稿日時 - 2007-04-22 23:47:49

お礼

お礼が遅くなり申し訳ありません。
ありがとうございました。

投稿日時 - 2007-08-16 21:31:49

これは家のほうの話ですが、一つの集落が、ほとんど同じ苗字を名乗っています。
同族・親戚同士ということの他、「山の中にあるから山中」「塚と田んぼで塚田」というふうに、イージーに決めたとか聞きました。
同じような話が全国にあっても不思議ではないと思います。
こちらでは、「屋号」もあり、昔は屋号と名前で通じたといいます。
今はお互いの行き来もあまりなくなったので、また、引越し等で入り混じってしまい、余計わかりにくくなってきましたが。
古くからの商業地なら兎も角、田舎のほうでは、「集落でまとめて」というのが多かったのではないかと思います。

投稿日時 - 2007-04-22 09:31:46

お礼

お礼が遅くなり申し訳ありません。
ありがとうございました。

投稿日時 - 2007-08-16 21:31:25

ANo.3

現代の名字を考える上で考えるべき事は
1:鎌倉時代の承久の変と元寇
承久の変の恩賞として、西日本に東日本の関東御家人の領地が増やされました。元寇の段階で、ちゃんと赴任することが推し進められました。毛利(本来の地名は、相模)とかその辺が典型例となります。
2:室町期の守護制度
複数の国の守護に有力者がなり、守護代など在地領主がシャッフルされました。越前・尾張の両方を守護をした斯波氏によって、越前の織田家が尾張にとか、畠山氏に従って、遊佐氏などが能登にいたり、河内にいたり、紀州にいたりというやつです。
3:織豊政権の全国展開
徳川家を含めて、全国に大名が行き、それに伴って、全国に尾張・三河などの氏族が拡がる。
と、ここまでは質問者も想定内だと思います。
4:戦国期は激しい飢餓の時代だった。
激しい飢餓は、有力者が生き残り、食うに困り滅亡する。滅亡した後に、他国から流入することになります。シャッフルです。
5:江戸時代も、飢饉と復活の歴史
農民は領主にとっては、生産財、今で言えば工場を造るようなもの。飢饉で人口が減った後、自然に戻るのを待つのではなく、積極的に流入を促進しています。そのためにシャッフルが起こりました。
私の叔父がお寺の過去帳をさかのぼったところ、江戸時代に5回ほど分家で移動していました。現在の福島から新潟市までだんだんと移動しております。飢饉のひどかった東北では、かなりの移民があったようです。
6:名字帯刀
江戸時代には、公式には名字を禁じられていましたが、実は皆さん持っていた。4で示した有力者とは、兄貴が武家になって弟が農家に分離したような有力者です。国人層というやつです。そのくらい有力でないと、零落=滅亡であったわけです。

投稿日時 - 2007-04-21 22:38:40

お礼

お礼が遅くなり申し訳ありません。
ありがとうございました。

投稿日時 - 2007-08-16 21:31:12

苗字(名字)の由来はいろいろあります。

 http://www.geocities.jp/nametantei/link9.html
>名前探偵団

当方の名字は、鎌倉時代の所領の地名でした。
「どこそこ」の誰、という呼び名の「どこそこ」が名字になったのです。

公刊された現存史料を調べただけでも、本領以外に所領を得て各地に散らばっていったとわかります。
江戸時代にも、旗本や地方の藩に同姓が見られますが、たいてい江戸時代の系譜しか判らないようです。
同姓人数のランキングは百位より下という名字ですが、江戸時代にはあちらこちらに広がっていたわけです。

貴方も、ご自分の名字の由来や分布を調べてみると面白いでしょう。

投稿日時 - 2007-04-21 17:59:21

お礼

お礼が遅くなり申し訳ありません。
ありがとうございました。

投稿日時 - 2007-08-16 21:31:02

ANo.1

>>日本人の多くが苗字(姓)を名乗るようになったのは、明治以降だったと記憶しています。

この考えは誤っています。実際に地方にいき多くの文献などを見てください。江戸時代の人も苗字をもっていました。ただ、名乗ることができなかっただけです。
当然、何百年も苗字を名乗ることができなかったわけですから、中には自分の苗字を忘れてしまった家もいくらかあったようですが、そんなに多くあったわけではないようです。
地方では一族ごとに固まって住んでいましたので、それぞれの家では忘れてしまっても一族として覚えていたことがあったようです。一族のうちには何家か裕福な暮らしができた家があったようです。

また、旧家の家伝などを読んでみると江戸時代の初期などを中心にかなり広範囲な移転があったことが確認できます。たぶんは大名などが旧領の気が聞く者や商人などを連れてきてそのまま土着したのかもしれません。

また、苗字はいくつかの家系で同時発生することもあります。また、鎌倉時代以前のような遠い昔に分かれて異なる時間をすごしてきた家もあるようです。
中央の有名な家などに無理やりつなげてしまったため本来の家系が判らなくなってしまった家もあります。

投稿日時 - 2007-04-21 11:55:15

お礼

お礼が遅くなり申し訳ありません。
ありがとうございました。

投稿日時 - 2007-08-16 21:30:51

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