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解決済みの質問

三種の神器はウソ。

一般的に三種の神器は、「天叢雲剣・八咫鏡・八尺瓊勾玉」をもって三種の神器と言います。
「しかし、それは間違っている。」と、ある有名な関西の神社の宮司から聞きました。

「天叢雲剣は尾張氏の守り刀であり、尾張一族が熱田神宮の奥深くに守り隠しているもの。
八咫鏡は火災により焼け曲がり、祭事には仕えないため、伊勢神宮の奥深くに守り隠されたるもの。
御所と伊勢の祭事にはそれぞれ、代わり鏡が作られ、一枚ずつ収められているが、それは祭礼用の鏡であって、神器ではない。
八尺瓊勾玉こそ朝廷の至宝。軽々しく三種の神器などと言うこと自体、無学を現すことである。」

「三種の神器がなければ、天皇の地位に即位できないという俗信が流布していることだが、そのような伝承はありません。これまでも、そのような儀式はなし、そんな儀式をしなくても、天皇の即位に障りない。どうして尾張氏の守り刀で天皇家の命運が決まるのか?多少でも学識があればわかるものでしょう。」
「天皇に即位するときに用いるものは、須賀利御太刀と内侍所の御鏡です。」

とのことです。
1、「天叢雲剣・八咫鏡・八尺瓊勾玉」が三種の神器だと書いてある文献は存在するのでしょうか?そもそもこの3つが三種の神器だと言い始めたのは、いつの時代からですか?
2、天皇の即位に必要なものは「須賀利御太刀・内侍所の御鏡」なのでしょうか?

投稿日時 - 2007-02-20 02:06:16

QNo.2767905

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

No.9の続きです。
神器が記紀に登場するのは前記の通りですが、皇位継承に使われたのはもっと早く4世紀中ではないかと云われています。  三種(または玉を省いて二種)が何であったか。  一番の鏡については、伊勢の古い社を天皇家の祖先の天照大神を祭る伊勢神宮として、斎宮をおいたのは6世紀と考えられるので、そこへ奉納しその後は形代(模造品)を神器として代々使われたのですが、内裏が何度も火災に会い(最後は1040年とか)現在の形代の鏡は何代目かはっきりしません。
剣については草薙の剣は倭建命の遺品で東夷の守りとして熱田神宮に納められたとの言い伝えなので、はじめから形代が使われたのではないでしょうか。   宮司さんの話もこのような意味でしょう。  剣は壇ノ浦で海没したので、伊勢神宮より形代の剣が奉納される習いだと伝わっています。
玉は先述のように八尺瓊勾玉は固有名詞でないので、初期は適当なものを使い、それが二種の説になったと考えます。  勾玉の生産が盛んでよいものが容易に得られたためでしょう。  平安期勾玉の生産が減り、固定化せざるを得なかったので、三種の神器が定まったものと思います。   従い貴重品となりましたが、壇ノ浦でどうなったか、わかりません。   箱に入っていて沈まなかったか、海没を隠して別な品と替えたか、沈んでまた浮き上がったとは考えにくいものです。
いずれにせよ確実にその後伝わったようで、現在使われている神器の中では玉が一番由緒ありと云えそうです。

投稿日時 - 2007-02-22 17:56:29

お礼

調べていると、草薙の剣が熱田神宮に納められているのは本当のようですね。
内裏が何度も火災にあって、鏡が焼け曲がっているのも事実なのですか。
だから、現在の天皇即位式に必要なものは「須賀利御太刀・内侍所の御鏡」なのですね。
宮司の話を最初に聞いた時は半信半疑でしたが、やっぱり現在の三種の神器説は俗説のようですね。
確信が持てました。
ありがとうございます。

投稿日時 - 2007-02-23 01:13:53

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回答(10)

ANo.9

神器が皇位継承に登場するのは、512年継体天皇が「皇位につき、群臣が天子の鏡、剣の璽符を奉った。」とあるのが始のようです。   690年持統女帝が皇位につく時も、おなじ記述があります。
これから三種の神器は二種でないかとの説もありますが、4、5世紀の豪族の古墳の副葬品には、鏡、剣、玉があり、景行天皇が筑紫に行幸の際、県主がかしこ木の上枝に白銅鏡、中枝に十握剣、下枝に八尺瓊の玉を掛けて出迎え、他の県主の時も上枝に八尺瓊の玉、中枝に鏡、下枝に十握剣を掛けて出迎えたとあります。
儀礼に三種を使うしきたりがあり、八尺瓊勾玉は普通名詞のようです。従って先の皇位継承の際に、玉の価値は小さく記載されなかったかも知れません。
それは別として、明確に三種が使われるようになったのは、平安期になってからと云われています。

投稿日時 - 2007-02-21 22:42:12

ANo.8

「朝廷の祭祀の執行に当たった古い祭祀の家である斎部氏は、三種の神器を認める『記紀』の所伝に対抗して、瓊瓊杵命が天上より携え降った宝物の中で『天璽』の名に値するものは鏡と剣の二点のみであり、故に『勾玉』をこれらと同列に扱うべきでないと主張していたといわれています。
また、津田左右吉以来の古典的学説に従えば、皇室の神器は、もっとも古くは宝鏡にのみ言及した『日本書紀』の一書の二の記述によって暗示されているように、鏡一品だけであったものに剣が加えられて二種とされたということになりますね。そして最後に勾玉を加えて三種とする所伝が成立したのだと。さらに直木孝次郎氏によって、即位に際して『三種の神器』を天皇に奉献する儀礼は、天智天皇によって制定され、その後、天武天皇の御代まで三代の天皇のみによって実修されたものであるということが発表されました。そのため『記紀』に収録された三種の神宝授与の神話は、この儀礼に基づいて天武朝に創作されたものであるとされています」

高田崇史著『QED 神器封殺』より抜粋

投稿日時 - 2007-02-21 01:16:41

お礼

詳しい説明をありがとうございます。
専門に研究している人はさすがに深いですね。
私などが理解できる範囲を超えています。
さぞ多数の文献を読んで結論を出したのでしょうね。
参考にします。ありがとうございました。

投稿日時 - 2007-02-23 00:49:09

ANo.7

一応言っといた方がいいと思っているんですが
新三種の神器って知っていますよね?

投稿日時 - 2007-02-20 20:24:30

ANo.6

三種の神器が天皇の即位に必要とされる説が広まったのは、北朝の天皇は神器がないまま即位した(後醍醐天皇が吉野に逃げた時贋物を置いて本物だけ持って行き、その後の戦乱で南朝軍が贋物も持ち去って行った)ので正統な天皇ではない、南朝が正統な天皇であるという見解とセットになったと思われます。

天皇の即位に本当に必要なのは、大嘗祭です。これを行う事によって、新しい天皇は真の天皇となれるのです。

投稿日時 - 2007-02-20 20:14:43

お礼

なるほど。現在、流布している三種の神器の俗説は南朝が言い出した可能性が高いということですね。
ありがとうございました。参考にします。

投稿日時 - 2007-02-23 00:41:03

ANo.5

1, この三種が宝物だという観念は、「古事記」「日本書紀」から見られます。
この観念が発展し一般化するのは鎌倉時代から南北朝時代にかけてです。
三種の神器と呼ぶようになったのは、南北朝以降の話で、最初の文献と思われるのが、
伊勢神道の度会家行が著した「類聚神祇本源」巻十四神鏡編で、三種の神器の意義を論じています。

2,三種の神器は保存場所は異なれ、天皇の所有物ということに意味があるのです。
これを保有していることが天皇の皇位の正当性を主張できるのです。
天皇即位の際、伊勢神宮から須賀利御太刀・御鏡が献上されます。
儀式の際はそれが使用されます。
いわばレプリカですが、剣も鏡も神社から持ち出せない以上、ほかに方法が無いのでしょう。(この部分ちょっと自信なし)

投稿日時 - 2007-02-20 19:50:56

お礼

三種の神器と呼ぶようになったのは、南北朝以降の話ですか。
平安時代は呼ばれていなかったのですね。
三種の神器の俗説は南朝や後醍醐天皇が言い出したことでしょうか?

やっぱり天皇即位に必要なのは須賀利御太刀・内侍所の御鏡であって、三種の神器ではないのですね。
ありがとうございました。

投稿日時 - 2007-02-23 00:37:57

ANo.4

あなたは根本を理解していないでしょう。
壊れていようがいまいが関係ないんだよ。
あれが神なるパワーがあるから神器と思ってませんか?違いますよ。
天叢雲剣…地上の神スサノオから天照に禅定された剣だから
八咫鏡…天の岩戸の神事に使われたから
八尺瓊勾玉…天の岩戸の神事に使われたから

その宮司の人は伊勢神宮って言いましたか?その段階でレベルが知れます。あれは「神宮」と言います。伊勢にある神宮

投稿日時 - 2007-02-20 17:58:21

補足

もちろん知っています。
質問する際に、分かり易いように「伊勢神宮」と書いただけです。
どころで、あなたは伊勢に移る前の神宮はどこにあったか知っていますか?
その宮司はそれも知っていましたよ。口伝として残っているそうです。
従って、伊勢神宮のことを神宮と呼ぶのは、当たり前のことです。

>天叢雲剣…地上の神スサノオから天照に禅定された剣だから
スサノオから天照に禅定???
そんな記述はどの歴史書に書いていますか?
あなたの回答は間違いだらけですね。

それと、回答する際には、言葉に気をつけましょう。
社会人として最低限のマナーですよ。

投稿日時 - 2007-02-20 18:11:10

お礼

>あれが神なるパワーがあるから神器と思ってませんか?

神なるパワーって何ですか?
そんな小学生みたいなことを思っているワケがないでしょう。
「須賀利御太刀」は石川県の展示会で見ましたが普通の派手な剣でしたよ。
絶滅した朱鷺(トキ)の羽を使っていたのが印象に残っています。
ありがとうございました。

投稿日時 - 2007-02-20 18:41:32

ANo.3

参考資料ですが、こちらをご覧になってみてください。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E7%A8%AE%E3%81%AE%E7%A5%9E%E5%99%A8

http://park1.aeonnet.ne.jp/~ark/myths/japan/index.html

投稿日時 - 2007-02-20 08:20:11

補足

1、熱田神宮説
2、壇ノ浦水没説
3、宮中安置説(この儀式に使われているのは伊勢神宮から献上される須賀利御太刀であるので、歴史的には誤りである。)

ということは、壇ノ浦に水没していなければ、熱田神宮にあるということですね。
ますます現在の三種の神器説は俗説だという確信が深まりました。
ありがとうございます。

投稿日時 - 2007-02-20 18:32:20

お礼

貴重な史料をありがとうございます。
参考にします。

投稿日時 - 2007-02-20 18:25:30

ANo.2

神剣と勾玉は安徳天皇と共に壇ノ浦に沈んだと思うのですが。

投稿日時 - 2007-02-20 02:29:33

お礼

壇ノ浦に沈んだと言われているのは剣だけです。
しかし、それは俗説だということを確認したかったのです。
ありがとうございました。

投稿日時 - 2007-02-20 18:45:55

ANo.1

文献には、無いのでどうも俗説が変化していったようです。
http://inoues.net/mystery/3shu_jingi.html

投稿日時 - 2007-02-20 02:14:46

お礼

この資料は非常に参考になりました。
やはり3種の神器は俗説だったのですね。
京都の神社の宮司を俗説だと言っていたので、真実味が増してきました。

投稿日時 - 2007-02-20 18:28:19

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