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桓武天皇と熊谷(次郎)直実

こんにちは。

1、桓武天皇と熊谷(次郎)直実は血筋は繋がっているのでしょうか?

2熊谷(次郎)直実は法然上人の一番弟子ですか?

私の友人の知人が「熊谷(次郎)直実」の子孫で「桓武天皇」の血をひいている。と言うのですが、桓武天皇の側室の四代目位が熊谷(次郎)直実子孫と・・・。

私はそれがホントでも(「熊谷(次郎)直実」と「桓武天皇」血筋が繋がっていても)「熊谷(次郎)直実」すごい有名人でないから、知人が末裔かどうか判る分けないと言うのですが?  
  
ご意見をお待ちしています。

投稿日時 - 2006-12-13 17:50:00

QNo.2598942

困ってます

質問者が選んだベストアンサー

1・熊谷はそう自称しています。いくつか説がありますが、桓武平氏の傍流という説(一番一般的な説)、宣化天皇の傍流であり、後に平氏から養子を取り一門とした説があります。
ただし、全般にいえますがこれらは当人が捏造したりとかが多く、当てにはなりません。

2・一番弟子・・・という基準がはっきりしません。高僧ならば弟子というか門下というか支持者はたくさんいるのが常ですし、直実が仏門に入ったときはすでに結構活躍していましたから、それまで弟子がいないと言うのはほぼありえません。

さて・・・ここからが問題なのですが・・

>私はそれがホントでも(「熊谷(次郎)直実」と「桓武天皇」血筋が繋がっていても)「熊谷(次郎)直実」すごい有名人でないから、知人が末裔かどうか判る分けないと言うのですが? 

この一文を見ると、質問者さんはあまりこのあたりに関して深く詳しい知識をお持ちではないのかと思います。

戦国時代までの武家は、姓を名乗るのが一種当然です(なのっていないということは、土民上がりと認めるようなもの)。しかし、姓は天皇が与えるものですから、どうやって手に入れるかと言うと・・・
その一族である、と言うのです。
たとえば、信長は「平氏」の子孫であると自称しました。家康は、征夷大将軍の都合もあるため源氏であるとしました。しかしこれはほぼ100%捏造です。
こういった具合に、「自身は~の一族の末流である」とするのです。自身の家に箔をつける意味も強いです。
大きなものは僭称と戸籍売買ですね。そもそも、400年前に分かれた家の子孫かどうかなんて、間違いなく正当な藤原家である近衛家とかですら把握できないですから、自分たちが名乗れば本当になる世界でもあるのです。

http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2192705.html

このあたり(私の回答も含めて)とか参考URLをごらんいただければ、お分かりいただけるかと思います。
なお、このあたりは現代の有名無名は関係ないです。当時武家であったかどうかですから(でも熊谷なんかは鎌倉御家人としては最も有名な部類だと思うんですけどね・・・彼より有名なのは北条氏と那須与一くらいで・・・)。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/熊谷氏,http://www2.harimaya.com/sengoku/html/kuma_k.html

投稿日時 - 2006-12-13 23:11:47

お礼

お礼が遅くなって申し訳ございません。

URLなども貼って頂き大変参考になりました、有り難うございました。

投稿日時 - 2006-12-16 11:31:01

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回答(3)

ANo.3

熊谷氏は桓武平氏を称しています。
桓武平氏は桓武天皇の桓武天皇の孫や曾孫が平の氏(うじ)と朝臣(あそん)の姓(かばね)を賜って臣籍に降った一族です。
このような皇族を賜姓皇族といい、増えすぎた皇族が財政を圧迫したため平安のころ盛んに創始されました。
源氏なども賜姓皇族のひとつです。
ちょっと横道にそれますが、氏・姓・名字(苗字)は現在では区別されませんが本来は別物です。
氏は自然発生的に生じたもののようで本姓ということもあります。
古代には血族集団を基盤としてコミュニティを形成したようです。
藤原氏のように功績によって天皇から賜った例もあります。
姓は氏について職掌などを表しますが天武朝のころに八色の姓として整備されます。
真人や連などがありますが平安のころにはほぼ朝臣だけになったようです。
名字と苗字は厳密には違いますがどちらも氏が細分化する過程で付けられた家名と思っていただければよいと思います。
熊谷直実は氏が平、姓が朝臣、名字が熊谷ということになります。
熊谷氏が桓武平氏だとすると桓武天皇とも血が繋がっていることになります。
ですが本当に桓武平氏の一族かどうかは曖昧な部分もあります。
これはその後の時代も同様です。
後の武将でも過去の系図などが残っている場合もあります。
ですが系図自体が売り買いされて自分あるいは数代遡って系図に書き込まれることもあります。
ですから信憑性があるとは言いがたいものも少なくありません。

直実が法然上人の弟子であったことは確かですが一番弟子とまでは言えるかどうか。
順番のとしたら直実が出家した1192年は浄土宗の立教開宗の年とされる1175年からでも17年経っています。

余談ですが熊谷直実は私も有名な部類だと思います。
信長の話でよく出てくる「人間五十年~」というのを聞いたことはありませんか?
これは幸若舞の「敦盛」という曲で(平)敦盛を討ち取ったのが熊谷直実です。

参考URL:http://keizusoko.yukihotaru.com/keizu/heishi_kanmu/heishi_kanmu1.html#anchor4-1-2

投稿日時 - 2006-12-15 16:57:59

お礼

お礼が遅くなって申し訳ございません。

読ませて頂きました大変参考になりました、少し早いですが良いお年をお迎えください、有り難うございました。

投稿日時 - 2006-12-16 11:34:36

ANo.1

1.熊谷直実が桓武平氏という話は聞きません。関東平野に勢威を振るった武蔵七党の中には平家の後裔と称する党もありますが、熊谷はその中にはいないようです。

2.直実は出家して法然の弟子になったのは事実ですが、一番弟子かどうか。法然の講話の際、群集の後ろの方にいて「こんな後ろでは折角の話が聞こえぬわい」と大声を出して暴れた、という話はあります。

なお、熊谷直実の長子が熊谷家を伝えています。銀座にある文房具店「鳩居堂」がその子孫です。かなり前ですが、東大工学部を卒業して鳩居堂の社長になった男(熊谷姓)が経営不振を苦にしてか自殺しましたので、現在は経営者は違うかも知れません。

友人の知人さんの話が鳩居堂で裏書して貰えるでしょうか。

投稿日時 - 2006-12-13 20:06:44

お礼

御礼が遅くなりました。

友人の知人さんの話が鳩居堂で裏書して貰えるでしょうか。←鳩居堂の親戚だと言っているようです。 色々教えて有り難うございました。
 

投稿日時 - 2006-12-15 17:37:23

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