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締切り済みの質問

キリスト教・エホバの証人へお聞きします。

上の方 限定で質問します
どちらの宗教かと性別、回答の理由もお願いします。


1.愛する人(異性)が違う宗教でも愛し続けられますか?(結婚は別)


2.愛する人が無信仰者です。愛する人は宗教を信仰しないという自分の考え方を持っています。
あなたは「救われて欲しい」だの綺麗な言葉を使い、無理やり自分の考えを押し付けようとしますか?


3.空想上の神と目の前の最愛の異性(しかし無信仰or他宗教者) どちらを取りますか?(2択しか選択肢は有りません)


4.愛する人が違う宗教を信仰しています。しかし結婚の年齢です。あなたはどうする?(結婚せずに愛し続ける・お互いに受け入れ結婚する・別れる 等)

・(結婚するを選んだ方へ)
子供を生む事になりました。
選択肢の無い子供にはどちらの教えを教育するおつもりですか?
(判断ができる年齢までどちらの教えも教えない・等)
子供への教えで口論しなければならないという事実がある宗教をよく信仰できますね?


・(結婚せずに愛す または別れるを選んだ方へ)
愛するのに結婚できない。愛するのに2人を「別れ」という選択肢へ導いた宗教などを
あなたはよく信じられますね?何故そこまでするのですか?
宗教の名の下に、愛する人を その程度なのだ。愛する人は他にいるのだ。 などと言って終わらせる?


5無信仰の人、違う宗教を信じている人へ「かわいそう」「あの人は救われないんだなぁ」「哀れだな」「救われて欲しいけど、死ぬんだな…」と、「コイツは救われない人」として思いますか?



6.私のような人間を見て、どう思いますか?
答えを見つけるためにさ迷っているのだぁ とでも思いますか?


よろしくお願いします。

投稿日時 - 2006-09-06 12:33:04

QNo.2387563

暇なときに回答ください

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回答(8)

ANo.8

1妻はノンクりです
子供もいます。強制はしません。

無理に押し付けしても仕方がない。それぞれ「時」というものがありますから、信仰というものはこうだ、という方程式みないなものはありません。

ただ救い主イエスを信じる、これだけですからね。
>神の「存在」、聖書の一部分は信じています
それでいいと思います。最初からすべてアーメンなんていえる人はいません。
洗礼をうけながらパチンコに行っていた人、たぶんいないでしょうね。(笑)
すこし神と交わる事、聖書を読む事をすすめます。

ただ教会にいくとね。こうしろ、すべきだ!という人もいますが、僕自身関係ないと思います。
教会に行こうといかなくても関係ありません
あなたが神を信じているなら

投稿日時 - 2006-09-11 20:43:12

ANo.7

NO6再びです。

羨ましい…発言は気になりましたか?
年齢のせいでしょうか,性格のせいでしょうか…悩んだり疑問に思っても素直に質問できないことも色々あります。
匿名のこういう場所であっても相手を誹謗するようなことを書く人も中には居るかも知れないし,実際にここではありませんが勝手な思い込みと言うか,誤解で誹謗中傷されたこともありましたので。

そう言う点で自分の悩みや思ったことを素直に書いて質問出来る方は羨ましいなと思うこともあります。
私も結婚に至るまでには随分悩んだこともありました。
夫の信じている宗教は巷では他の宗教は一切見とめない…的に思われていますし、実際夫の友人などにはクリスチャンなど止めてしまえ…みたいな発言を受けたこともあります。幸いなことに夫自身からも夫の家族からもそう言う発言をされたことはありませんけれど。
私達はそれぞれ生まれ育った家庭が現在信じている宗教を家族ぐるみで信じている家庭でしたが結婚にあたりそれぞれの宗教の勧誘をしない(こちら側には元々その意思はありませんでしたが)ということを約束しました。

夫は日曜日に私が教会に行く時に最寄の駅まで送ってくれたりしていますし,クリスマスには礼拝には参加しなくても祝会(行事)に参加してくれることもありますよ(^0^)

投稿日時 - 2006-09-09 16:56:25

お礼

再度ご回答ありがとうございます。
まだよく解かりませんが深い意味はないので気にしないでください!

未熟ながら、愛があれば宗教の違いなど2人にかすりもしない問題だと思っています。
そして相手からすれば「断固として信仰しない私」を受け入れてくれません。その気持ちが私への気持ちに邪魔をしているようです。
今判断する事ではないので、受け入れてくれるまで、待つつもりです。(実は信仰して良いと思ってますが こういう私を受け入れてくれないなら
ちょっと・・・って感じです)

キリストもエホバもそれぞれ外部からの情報は遮断していると言って良いですし、お互いの事を良いように言ってません。(書き換えたのは向こうだ 洗脳されている などと批判しあっているのは事実ですし)

私も将来宗教のことが絡んでくるとすれば
回答者さまのようになれることを祈っています。

投稿日時 - 2006-09-09 17:09:15

ANo.6

プロテスタントの教団信者(♀)です。
夫は違う宗教を信じています。子供には今だ恵まれませんが諦めたわけではありません。
1.可能です。

2.愛する相手であろうとなかろうと他人に信仰を押し付けようと言う考えは全くありません。でも愛するが故に…と言う理由で他宗教の信仰を押し付けられたことは(相手が異性ではなくても)何度かあります。

3.そう言う問題ではないです。神も夫も空想上の存在ではないし,あなたにとってもどちらを取るか…と選択できない存在もあり売るでしょうから…。

4.結婚しました。子供に恵まれた時,彼は自分の信仰を勧めたいと言っていますけれど,私はどちらも強要はしません。何をどう信じるかは子供本人が判断がつく年頃になって決めることだと思うからです。又,他の方も書かれているように宗教上の理由だけが揉める原因ではないですよね?

5.世の中にはそのような考え方の方もいますね。又宗教によってはそのような教えもあるようです。私はクリスチャンホームに育って,今も教会に所属していますけれどそのような教えを聞いたことも強要されたことも無いです。
勿論自分自身もそんなことは思いません。

6.さ迷っている…それは誰でも同じではないでしょうか?クリスチャンだって他の宗教を信仰されている方だって迷わない方などいるのでしょうか?と思っています。
素直な疑問を口に出来る方なんだな…とある意味羨ましく思います。

投稿日時 - 2006-09-09 15:33:36

お礼

ご回答ありがとうございます。
やっぱり可能ですよね。不可能と言われていたら、宗教は断じて拒否の姿勢を変えていないところでした
3ですが選択するときが来ないかもしれませんね。ただ、神を信仰している自分が、無信仰の相手を"愛せる"のか?というのが疑問でした。
うらやましいですか?そこが気になりました。誰も聞ける人が居なかったので。。
回答ありがとうございます。

投稿日時 - 2006-09-09 16:23:59

ANo.5

 プロテスタントのクリスチャンで、女房は全くキリスト教には関係ありません(まさに適任の回答者かもしれません)。

1-はい、全く問題ありません。

2-押しつけもしません。反対もされません。その辺りを全部コミコミで互いの人格です。

3-これはさすがにわかりません。そういう状況を考えたことすらありません(そんな状況はまず起こりえないと楽観視してます)。私にとって神は空想上のものではありませんし、もちろん女房も空想上のものではありません(笑。

4-愛し合うことができるっていうことは、違う宗教を信じているまさにその異性ってことなのでしょう。例えばロミオとジュリエットのように家柄の問題とかだと、家柄はその相手の本質には全く関係ありませんが、信仰はその相手の人柄そのものに影響しています。違う宗教であろうと、その相手と愛し合えるなら、違う宗教を信じて生きている、まさにその相手なのではありませんか?

4'-私には子どもはいませんが、もし子どもが生まれたら、その子がよりよく育つための方法を模索します。もしクリスチャンとして育つ事がその子にとってよいと思うのであればそうします。もしお寺で修行させるのがいいと判断したら、それもまた有りです。質問者が「子供への教えで口論しなければならないという事実がある宗教をよく信仰できますね?」と書かれていますが、無宗教を標榜される方々であっても子どもの教えでもめる事は日常茶飯事です。少なくとも私にとって宗教は、決まり事の固まりではなく、とても自由な生きるための活力です。

5-全く思いません。人が他人を「救われない」と判断するなど傲慢の極みです。

6-とても率直に疑問をぶつけられたのだと思います。キリスト教はそういう疑問が生まれるくらいに理解されていないのだなぁというのが率直な感想です。エホバの方が近くにおられるのかと想像しますが、ぶっちゃけ、一度まともな教会にひやかしで見学に行かれてはいかがですか。直接なまのクリスチャンを見てみるのも一興でしょう。教会に行ったからといって、取って喰われるわけではありませんのでご心配なく。

投稿日時 - 2006-09-09 15:01:47

お礼

ご回答ありがとうございます。
深くまで信仰してる方のご意見が聞けて偏見がなくなりました。
他人に押し付けたり、救われて欲しいからと言って
無理やり押し付けてくるのですが、それはまだ浅いのですね(22歳です)
子供が生まれればキリストの教えで良いと思います。
ただエホバは週3なので、エホバの人とはちょっとなぁとも思いますね
私は愛した人ならどんな宗教でも構いませんが
相手の方が受け止めてくれないので。。
偏見がなくなったので、肩の荷が下りたという感じです。

ただ、神に祈れば答えが返ってくる と言うのを本気で信じているのだけは理解できません。
祈ったら雨が降って好きだった女性が雨宿りに教会へ来たことがきっかけで、プロポーズして結婚した と言っているのですが
そんなのただの偶然だし、そんな事で私との関係を祈って判断するのか??と思ってしまうのですが・・・

教会には絶対行かない!と思ってましたが機会があれば行きたいなーとまで思えました。もちろんエホバの方もですが
回答ありがとうございました。

投稿日時 - 2006-09-09 16:20:46

ANo.4

#2です。
質問文を見る限り挑戦的だな、と思ったので、少しきつい書き方をしましたが、お礼の文章を読んであなたに対する見方が少し変わりました。

>信仰するのが父への感謝だとして、感謝しないと救われない=「モノをくれた人にアリガトウを言えない人は地獄」
>こんなことを神は要求しているのか?と、疑問に思ってました

神がいたとして、どんな神であるかを人間の尺度で考えてはいけないんです。
キリスト教の教義というのはイエスの言葉にいろんな人間が余計な肉付けをして成り立っています。
信仰の美徳というのも、過度に肉付けされたものですし、そこまで気にしない方がいいと思います。

神とはこういうものだと人間が決めてしまうということは、実は人間が神になろうとしていることと変わらないのです。
人間の尺度で造られた神を信じるよりは、神がみずから語るであろうところの神を信じる方がずっといいはずです。
神というものは私ひとりだけの神じゃないはずですしね。

それと、「信仰する時間がない」というのは、ちょっとおかしいですね。
例えば「時間がないので教会などには参加できない」というのならわかります。でも「神はいると思う」のに時間はかかりません。いると思うならそれで信じていることになるはずです。
あなたはあなたなりの信仰を持っているので、無信仰じゃありませんよ。もちろん、信じきれていないかもしれませんが、信じきれていないがゆえに、どんなことにも柔軟に対応できるかもしれませんから、それでもよいのだと思います。

投稿日時 - 2006-09-08 23:53:06

お礼

ご回答ありがとうございます。

神がいたとして、どんな神であるかを人間の尺度で考えてはいけないんです。
>その通りです。ですから、信仰しません。私は私の基準で信じれるものだけを信じます。神の「存在」、聖書の一部分は信じています。
神が定めるものが私の価値観と一致するわけではないという
ことは解かっています。
私の父が言っていること全てが正しいと思った事はありません。
それと同じですよね。
生んでくれた存在ですが、私なりの判断で間違えは指摘しています。

私はどちらかと言うとエホバの方が共感できる部分が多いです。
そしてキリストの方に共感できない部分が多いです。
おそらく母の影響だと思います(エホバを信仰しています)。
どちらの宗教とも疑問に思うことは多いですが
解決しようとは思いません。
そして信仰する=感謝 だと聖書で定められているのだとしても
私はそう思わないので、現在は信仰する気はありません。
(この文章内の信仰とはまじわりへ行くという意味です)
まじわりに行く時間が無い という意味です(誤解をお招きしました)。

しかし、宗教を信仰している人にたいしての偏見がなくなりました。
母がエホバで愛する人がキリストです。
母も愛する人も、「人として」は とても尊敬しています。
それは紛れも無く、信仰しているからでしょう。

偏見で固めていた相手への恐怖が無くなりました。
とても気持ちが楽になりました!ありがとうございました。

投稿日時 - 2006-09-09 04:25:48

ANo.3

私はカトリック信者。いい加減ですが教会ではボラン
ティアに積極的に参加しています。
結婚40年になりますが、主人は無信者。あえて未信
者とは言いません。
何の夫婦の危機もなくここまで来ました。
子供には恵まれませんでした。あるときまで主人に遠
慮もし、乙女心に洗礼受けたふしがあったので「神も
仏もあるものか」というくらい悩みました。
あるとき、突然悔いて生きてもそれを受け入れて生き
ても私の一生、ということに目覚め、又教会に戻りま
した。子供のないことも私に課せられた人生とはっき
り自覚して。

しかし主人は私に感化されません。
教会で割の悪い仕事をするので余計に教会嫌いになっ
ています。
でも本当の私は意地っ張りであまのじゃく。
気が強くてかんしゃくもち。それが信仰を持っている
事で多少薄まっていることは彼は認めているみたいです。
時々「君のお人よしにイライラする」とは言ってますが。

主人と私とどっちが救われるか。
彼のほうが心が純粋かもしれません。
救われるのと信仰するのとでは違います。
私は業が深いので、信じることで少しは救われています。
前の方が仰っているように、今は何でも受け入れられ
る覚悟は出来ているつもりですが。
でもそれだってそのときにならないと分かりません。
救われる救われないは、信者かどうか関係ないと思い
ます。

投稿日時 - 2006-09-08 21:12:45

お礼

回答ありがとうございます。
とても解かりやすい説明ありがとうございます。
私は小学生まで信仰してましたが、いくつか疑問があって、
都合の良い答えが用意されているのだろうし、答えを求める気力もなかったので
それを抱えたまま偽善者ぶって信仰するのが嫌になり、時間の無駄だと思い行くのをやめました。
絶対的な神という存在は認めています。しかし信仰することが神への感謝だという考え方が理解できませんでした。
私は私なりの正しい生き方をまっとうし、それが認められないなら
地獄にでも送れば良いし、永遠の命もいりません。
救われる事>神への感謝 こういう信者は救われないんじゃないの?と思ってます。
しかしながら、信仰しなくても良いという事は間違えじゃないし、
信仰者の人たちは、無信仰の人を哀れんでいるのかと思い、その概念が無くなったので、気持ちが楽になりました。
回答ありがとうございました

投稿日時 - 2006-09-08 21:55:54

ANo.2

立場上カトリック教徒です。男です。
しかしながら、宗教に問題があることも十分理解しているリベラル系相対主義者です。無神論や哲学・現代思想もそれなりにかじっています。信者にもいろいろいると思っておいて下さい。
なお、私はあなたの設問順序に従って回答するつもりはありません。

あなたの質問は、ものすごく簡単にしてしまうと、「恋愛(それに伴う社会生活)という世俗なものと、宗教という超世俗なものとの間で軋轢が起こるが、それでも宗教は人を救うというのか」という話になるのだと思います。

結論から言えば、宗教が人を救うというのは幻想に過ぎません。
しかしながら、恋愛や社会生活が人を救うというのも幻想に過ぎないので、どっちもどっちです。

宗教が歴史上抱えてきた負の側面は、他者に対して寛容ではない、排他性にあります。
自分と同じ宗教でないと救われない、などという固陋な考えを持つ信者さんには困ったものです。キリスト教どころか、切り捨て教になっている面もあります。
他者を拒絶することが、かえって自分を狭くするということに気づかないんですよね。
そして、それは信者だけに限らず、無神論者とて同じことです。神という発想を持つ人を拒絶しているのですから。

宗教のもう一つの負の側面に、「改宗させねばならない」というのがあります。無神論者が「神などいないということに目覚めさせなければならない」というのも同じことであり、これは神が悪いのではなくて、人間の考え方が悪いというしかないと思います。
人間の意志で何かしてやろうという考えは傲慢です。誰かを改宗させた自分はよいことをした、などというのは思い上がりであり、自己満足もいいところです。
もし神を信じない人がいるなら、「神を信じない人もいるような世の中を神は容認している」ということなので、人間の立場でこれに不服を申し立て、誰もが神を信じなければならない、皆真理に目覚めなければならない、などと信者が突っ走るのは、神の意図を外して暴走した人為と言わざるを得ないでしょう。

私はこの先どんなことが起ころうとも、不平を言わずそれを受け止めるつもりでいます。自然に任せて生きる、微妙に老子的な生き方ですね。
自然に任せて生きるとですね、実は人間は恋愛も結婚も欲さないのですよ。そんなものは人為的なわがままですからね。求められない限りは私は恋愛も結婚もないと思います。
それ以前にモテないという話もありますがね(笑)
来る者は拒まないつもりですが、大抵の女性は私に恋愛感情を抱いても不毛だと思うことでしょう。

私のような考え方で信者をしてて、なんの意味があるの、と思われるかもしれませんが、信者であることにも信者でないことにも、後付けの意味しか与えられません。意味があるかないかで判断することすら、私はしない立場にあります。

これでおそらく5までの質問に答えうることを言い尽くしたと思います。
6についてはですね、やはりあなたが「許せない」何かを抱えて拒絶している姿勢が見えるので、せいぜい、器が小さいな、という感じにしか思いません。
なんでも許せてしまう人の方が、人生を豊かに生きられると思うんですが、どうでしょうか。
とはいえ、器の小さい人は信者にも、さらには聖職者にもいるので、宗教に関係ないことです。

そういや聖書には「主よ主よという者が天の国に入れるとは限らない、主のみ旨を行う者が入る」なんてあるわけで、天国に入ることすら、宗教に属しているかいないかには関係ない、という風にイエスは言っちゃってるんじゃないかと(これはもちろん宗教的な立場からすると異端扱いな発想でしょうが)思うと、イエスってなかなかスカっとすること言ってくれる人物に感じられます。自分がこの正しい宗教を信じているから救われる、なんて思っている人を笑い飛ばす勢いを感じたりもします。

そんなわけですから、あなたが仮に宗教を信じないからといって救われないということにはなりません。救われるか救われないかは私が決めることじゃあないから。

投稿日時 - 2006-09-08 18:28:46

お礼

回答ありがとうございます。
信者の中でも「人それぞれ」だという事がわかりました。
信仰する時間もないし、疑問を解決しようとも思いません。
しかし神の存在は認め、自分が正しいと思ったとおりに生きようと思います。
信仰するのが父への感謝だとして、感謝しないと救われない=「モノをくれた人にアリガトウを言えない人は地獄」
こんなことを神は要求しているのか?と、疑問に思ってました
ありがとうございます。

投稿日時 - 2006-09-08 21:59:22

ANo.1

エホバの証人のものです。男です。
1.違う宗教であればそのような感情は捨て去ります。
2.救われてほしいのはやまやまですが、考えを押し付けることはありません。
3.神は空想ではなく実在しているものなので、神をとります。
4.その前に、違う宗教に入っている人と付き合うことはしません。
5・どうにかして全ての人が真理を受け入れて救われてほしいと思います。
6・あなたにも救われてほしいです。

投稿日時 - 2006-09-08 01:19:16

お礼

回答ありがとうございます。

投稿日時 - 2006-09-08 21:59:47

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