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解決済みの質問

自然な日本語に添削していただけないでしょうか。(お手洗い)

 日本語を勉強中の中国人です。作文を書きましたが、表現は自然かどうかとても心配で、添削していただけないでしょうか。よろしくお願いいたします。

 お手洗いへ大風に吹き乱れた髪を直しにいった。日ざしは窓口から差し込んで、お手洗いの中に静かに射している。鏡を眺めて髪を整えていて、私の後ろの光景は鏡にはっきりと写っている。

 清楚の感じがするAさんは入った。まだ十何歳の若い女の子だろうかと、蓮のように清らかだ。彼女は入り口のところでしっかりと足元を止めた。しばらくして、Bさんは来た。まるでAさんが透明人間のような存在で、追い越して堂々と入って、好みのドアの前で待ち始めた。Aさんは眉をひそめた。Cさんは来た。前にいるAさんに気が付き、一瞬躊躇をしたようだが、お手洗いの中で待っているBさんを目にし、救い主を見かけたように、さっさと身を寄せにいった。Aさんは体を少し前に傾けられたが、足は釘のようにしっかりと地面に打ってある。Dさんは来た。ますます賑やかになったお手洗いの中は強い磁力を持っているようにDさんをぱっと引いた。さすがのAさんも2、3歩引かれて前に進んだが、釘を踏まれたようにすぐ下がった。Eさんは来た。入り口のところでじっと待っているAさんに珍奇動物を発見したような不思議な目つきをやった。……

 窓の外から「時間を無駄にするのは命を無駄にするのと同様だぞ……」とどこかの歌手の歌は漂っている。時間を大事にしていないAさんを嘲笑しているように聞こえる。Aさんは唇を噛んで複雑な顔をしている。彼女はいま心の中で戦っているのだろうか。彼女の前を、時間の主人たちはどんどん通りかかっている。自分の後ろを振り替えて、人気がないお店のようで誰もいない。彼女は苦笑いを浮かべ、とうとうあの磁力の魅力に抵抗できなくて……一瞬、外の日ざしは鏡にあたったような気がし、まぶしくて私の目が開けられない。

投稿日時 - 2006-08-21 20:44:41

QNo.2353599

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

awayuki_ch さん、こんにちは。
長文への挑戦ですね。
全体的に直した方がよい所を直しながら、私としての文章にしてみます。その後で表現や言い回し、単語などの間違い、分かりにくい所を列挙してみます。



私は風で乱れた髪を直しに化粧室に入った。天窓からは午後の柔らかな光が化粧室の中に差し込んでいる。鏡に向かって髪を整えている私には、私の後ろで起きている光景がはっきりと見える。

 先ほど清楚な感じの女の子が入ってきた。まだ十四、五歳であろうか、蓮のように清らかな少女だ。彼女は入り口のところでピタッと足を止めたまま動こうとしない。しばらくすると、中年の女性が入ってきた。まるでその少女が透明人間でもあるかのように、少女には目もくれず、さっと横をすり抜けると、トイレのドアの前に立った。少女は少し眉をひそめたように見えた。次に入ってきたOLのような人は、前にいる少女に気が付いたのか、一瞬躊躇をしたように見えた。しかし、トイレのドアの前に立っている中年の女性を目にすると、まるで自分の仲間でも見つけたかように、さっとその後ろに並んだ。少女は少し前に進みかけたが、まるで足が床に釘付けにでもされているかのように、元の位置に戻ってしまった。
すぐにまた中年の女性が入ってきたため、化粧室の中はますます賑やかになっていた。この女性は強い磁力にでも引きつけられたかのように、少女を追い越して列の後ろに並んでしまった。二人に先を越されても動かなかった少女だったが、さすがにこの時は2、3歩、何かに引っぱられるように前に進んだ。しかし、再び、釘か何かを踏んだかのように元の位置に戻ってしまった。しばらくすると、今度は品のよい高齢の女性が入ってきた。その女性は入り口のところでじっと立ち尽くしている少女を、まるで世にも珍しい動物でも発見したかのような、不思議そうな目つきでじっと見つめている。……

 明るい窓の外からは誰が歌うのか、「♪♪時間を無駄にするのは命を無駄にするのと同様だぞ♪♪……」という歌が聞こえてきた。まるで、時間を無駄に使っているその少女を、嘲笑しているように聞こえる歌詞である。女の子は複雑な表情で唇を噛みしめている。彼女はいま心の中で何かと戦っているのだろうか。彼女の前を、「時の管理者」たちがどんどん通り過ぎていく。彼女は後ろを振り返り、そこがまるで人気がないお店のように誰もいないことに気づいた。彼女は苦笑いを浮かべると、ついにあの磁力の魔力に抵抗できなくて……。
外の日ざしが鏡に反射したような気がした。一瞬、私は眩しくて目を開けていることが出来なかった。

★次は日本語としては「おかしい」「ちょっとニュアンスが違う」という個所を挙げてみます。

1.お手洗いへ大風に吹き乱れた髪を直しにいった。⇒「お手洗い」は、「化粧室」に。
⇒「大風」よりは「強風」。ここでは「風」で良いかと思います。
⇒「吹き乱れた」は、「乱れた」
*「風に吹かれて乱れた髪」とか、「強風のため乱れた髪」なども使えます。
⇒「化粧室へ」「「風で乱れた・・・」という語順は変える方が良いでしょう。

2.日ざしは窓口から差し込んで、お手洗いの中に静かに射している。
⇒「窓口」は「チケット売り場」「銀行のカウンター」などを連想させます。ここは「窓」で。
⇒ただ、場所が化粧室ですから、差し込むとすれば、いわゆる「窓」の上にある「天窓」のような所ではないかと思います。
⇒「日差しが差し込んで射している」は、「光が差し込んでいる」
⇒「静かに」は、「柔らかな日差し」

3.鏡を眺めて髪を整えていて、私の後ろの光景は鏡にはっきりと写っている。
⇒「眺めて」よりも「身ながら」とか、「向かって」
⇒「写る」は写真で、鏡は「映る」

*ここから先にAさん、Bさんなどの表現があります。主人公が知っている場合はAさん、Bさんでも良いでしょうが、ここでの設定は、化粧室にたまたま入ってきた人々を指しているのだと思います。したがって、単純にAさん、Bさんではなく、その人たちの特徴を捉えた表現が良いと思います。
4.清楚の感じがするAさんは入った。まだ十何歳の若い女の子だろうかと、蓮のように清らかだ。
⇒「清楚の」は「清楚な」
⇒「清楚な感じのする」ではなく、「清楚な感じの」
⇒このようなところでは「十何歳」という言い方はしません。ここは、「十四、五歳(じゅうしごさい)」とか「十七、八歳(じゅうしちはっさい)」とかが使われます。
⇒「入った」は、化粧室に入ってきたのですから、「入ってきた」の方が良いと思います。「私」が化粧室の外にいて、化粧室に入る人々を観察している場合は、「入った」でも良いのですが、ここでは「私」が化粧室の中にいるのですから・・・。
⇒「蓮のように清らか」という表現はとてもきれいです。日本ではこのような言い方は無く、「清楚」は「白百合の花」に喩えられます。

5.彼女は入り口のところでしっかりと足元を止めた。
⇒「足元を止める」という表現はありません。
⇒「足を止める」ときには「しっかり」よりも「ぴたり」とかが使われます。

6.しばらくして、Bさんは来た。まるでAさんが透明人間のような存在で、追い越して堂々と入って、好みのドアの前で待ち始めた。
⇒ここも「来た」よりも「入ってきた」
⇒「まるでAさんが透明人間のような存在で」として切ってしまうと、後の文章とつながりません。「透明人間なので見えないかのように追い越した」という意味でしょうから、上記の文章のように変えるほうが良いでしょう。
⇒「追い越して堂々と入って」という語順も「入ってくると堂々と追い越しながら」とかになります。
⇒「好みのドア」の前に並べるのであれば、次に入ってきた人が前の人の後ろに並ばなくても良くなります。「好みのドア」の意味がよく分かりません。

7.Aさんは眉をひそめた。Cさんは来た。前にいるAさんに気が付き、一瞬躊躇をしたようだが、お手洗いの中で待っているBさんを目にし、救い主を見かけたように、さっさと身を寄せにいった。
⇒「Cさんは来た」はおかしいです。Cさんが来るのか来ないのか分からなかった場合は、この「Cさんは来た」でも良いでしょうが、ここは、「Cさんが入ってきた」で良いのでは?
⇒Cさんにとって、Bさんが救い主であるためには、Bさんがただ並んでいるだけでは不十分です。例えば、Bさんがこっちへいらっしゃいという目でCさんを見るとか、こちらへどうぞと声をかけてくれたり、Cさんを見ながら少し前へ詰めてくれたりという何かかがないと、敵か味方かも分からないはずです。
⇒「身を寄せに行った」となると、かなり親しい知り合いであることになります。ここでは「近づいた」とか「すぐ後ろに並んだ」などで良いのではないでしょうか。

8.Aさんは体を少し前に傾けられたが、足は釘のようにしっかりと地面に打ってある。
⇒「前に傾けられた」となると、誰かに押されたとか、どこかがぶつかったという原因が必要になります。「傾いた」であれば「自発的に、他からの力ではなく、傾いてしまった」ということになります。
⇒「足は釘のようにしっかりと地面に打ってある」という表現だと、「現に足が地面に刺さっている」ことになり【ありえない】事態です。
⇒「足が釘のようにしっかりと地面に打ってあるかのように、動かすことが出来ない」というように「動かない」「動かすことが出来ない」ことがしっかりと書かれてなければなりません。


9.Dさんは来た。ますます賑やかになったお手洗いの中は強い磁力を持っているようにDさんをぱっと引いた。
⇒ここは理解に苦しむ表現です。
⇒主語?」「化粧室の中」???
ここはもう一工夫ほしい所。
⇒「引いた」というのは「退く」方のイメージの強い言葉です。ここは「引っ張った」「引っ張られた」が妥当です。

10.さすがのAさんも2、3歩引かれて前に進んだが、釘を踏まれたようにすぐ下がった。
⇒「引かれて」は「引っ張られて」
⇒「釘を踏まれた」は「釘でも踏んだかと思ってすぐに下がった」ということを表現したいのでしょうから、「釘でも踏んだかのように」

12.Eさんは来た。入り口のところでじっと待っているAさんに珍奇動物を発見したような不思議な目つきをやった。……
⇒「珍奇動物」という言葉よりも、「世にも珍しい動物」などとしたほうが良いかもしれません。
⇒「目つきをやった」は、「目で見つめた」とか、「目つきをした」

13.窓の外から「時間を無駄にするのは命を無駄にするのと同様だぞ……」とどこかの歌手の歌は漂っている。
⇒「どこかの歌手の歌は漂っている」という言い回しは少々変です。
⇒「どこかの歌手の歌が漂っている」ならまだましです。しかし、「どこかの歌手」となると、どこの国の歌手だか分からない」という意味も出てきます。
⇒ここでは「名前は分からないが」とか、「どこの誰だかは分からないが」でしょうから、「誰かの歌う」とか、「誰かが歌う」で。
⇒「漂っている」は、「流れている」「流れてきた」

14.時間を大事にしていないAさんを嘲笑しているように聞こえる。Aさんは唇を噛んで複雑な顔をしている。彼女はいま心の中で戦っているのだろうか。
⇒「時間を大事にしていない」という言い方より、「時間を無駄にしている」とか、「時間を浪費している」という方が良いと思います。
⇒「複雑な顔」よりも、「複雑な表情」


15.彼女の前を、時間の主人たちはどんどん通りかかっている。自分の後ろを振り替えて、人気がないお店のようで誰もいない。
⇒「時間の主人」は、「時間の管理者」「時(とき)の管理人」など。
⇒「振り替えて」は、「振り返って」

16.彼女は苦笑いを浮かべ、とうとうあの磁力の魅力に抵抗できなくて……一瞬、外の日ざしは鏡にあたったような気がし、まぶしくて私の目が開けられない。
⇒「磁力の魅力」とありますが、「魅力」はあったのでしょうか?「魅力」よりも「魔力」では?
⇒「眩しくて私の目が開けられない」は、「わたしっは眩しくて目が開けられなかった」とか、私は眩しくて目を開いていることができなかった」などへ。

さてさて、ずいぶん頑張りましたね。もう一息ですよ。これからもどんどん書いて、書いて、数をこなすことが上達への道です。頑張ってください。

投稿日時 - 2006-08-23 19:16:28

補足

 補足いたします。

1.>この女性は強い磁力にでも引きつけられたかのように、少女を追い越して列の後ろに並んでしまった。

「列の後ろに並んでしまった」は私の表したかった意味と少し違うかもしれません。なかなか位置の説明が難しいです。Aさんは洗面所に入って、個室1に近いところにいます。Bさん、Cさん、Dさん、Eさんは必ずしも同じ個室の前で1列に並ぶとは限りません。Bさん、Cさん、Dさん、Eさんの位置はほかの組み合わせの可能性もあります。


        [個室1] [個室2] [個室3] [個室4]
入     A|D    B    C    E
口       |           
--------------------------鏡-----------------窓

2.>二人に先を越されても動かなかった少女だったが、さすがにこの時は2、3歩、何かに引っぱられるように前に進んだ。

 ここの「さすがに」はどんな気持ちが含まれているのでしょうか。

3.>6.しばらくして、Bさんは来た。まるでAさんが透明人間のような存在で、追い越して堂々と入って、好みのドアの前で待ち始めた。
⇒「追い越して堂々と入って」という語順も「入ってくると堂々と追い越しながら」とかになります。
⇒「好みのドア」の前に並べるのであれば、次に入ってきた人が前の人の後ろに並ばなくても良くなります。「好みのドア」の意味がよく分かりません。

「追い越して堂々と入って」で表したかった意味は「Aさんを追い越し、個室の前のエリアに入った」ということだと思います。1の図をご参考いただければ、原文の順番のほうが私の意味に相応しいかもしれません。でも、「堂々と」の場所はよくないですね。

 shigure136さんの「並ばなくても良くなります。」とは【何が】良くなりますか。「良くなります」の主語は何でしょうか。ちょっと理解できません。私が「好みのドア」で表したかったのは、当時の様子を見てどの個室のドアの前で待つのかと、適当に判断することです。「好み」という表現は不自然だと思います。

4.>9.Dさんは来た。ますます賑やかになったお手洗いの中は強い磁力を持っているようにDさんをぱっと引いた。
⇒主語?」「化粧室の中」???
 
 たぶん位置はまだ判っていただかなかったと思います。1の図をご参考ください。つまり、個室の前のそのスペースです。

5.>「蓮のように清らか」という表現はとてもきれいです。日本ではこのような言い方は無く、「清楚」は「白百合の花」に喩えられます。

「清楚」は日本では、「白百合の花」に喩えられているのですね。とても参考になりました。「蓮のように」で外観、雰囲気の「清楚」を表したかったというより、Aさんの品格の象徴として使いたかったのかもしれません。蓮の花は汚泥に生息しながらも、清らかで清々しい花を咲かせ、汚泥に染まらない特質がありますね。中国では、人を「蓮の花のように」とたとえると、この人は「汚泥に染まらない」高潔な人柄の持ち主と連想させやすいと思います。蓮の「汚泥に染まらない」高潔な品格を賛美するとても有名な文章がありました。

 もともとは、Aさんは結局洗面所を出てしったと書くつもりだったので、「蓮の花のように」という比喩はAさんに合うと言えると思います。でも、私の考え方が甘くて理想的過ぎると感じるので、その結末を諦めました。そのまま洗面所を出てしまったという結末はやはりとてもありえないですね。

 いまのAさんはまだ「蓮」と言えると思われますか。何か蓮の汚泥に染まらない品格からイメージ外れたような気がします。最後にやはり汚泥に染まったのでしょうね。Aさんが登場する時に、「蓮のように」と書くかどうか迷っているところでした。あまり人の品格を連想させない別の花(「梅」も人の品格を連想させますね)あるいは「蕾」に喩えたほうがよろしいでしょうか。つまり、可愛らしい、純潔、まだ若いという点だけ表現します。「白百合の花のように」という表現は、人の品格も連想させる表現なのでしょうか。

投稿日時 - 2006-08-24 23:41:48

お礼

 shigure136さん、いつもお世話になっております。
 ご親切に添削していただき誠にありがとうございます。文章と説明が両方あり、大変助かりました。Aさん、Bさんなどにそれぞれ特徴を捉えた表現を加えたほうがいいですね。非常に参考になりました。
 励ましていただき本当にありがとうございました。数をこなすことが上達への道なのですね。自分の目標に向かって頑張ります!

投稿日時 - 2006-08-25 00:27:38

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回答(15)

ANo.15

No.11です。
いくつか誤りもあり、かなり粗い文章ですが、ともあれご参考頂けたら幸いです。
>結末もとてもいいですね
どうしてもこの少女にはめげてほしくなかったのです。
時のめしゅうど(召人)なればこそこの世の中で月日という「逆旅」に宿れるのであり、他者を除けても我こそ主義の時の主人こそは、それこそ時のめしゅうど(囚人)なのではないでしょうか。
ミヒャエル・エンデの小説「モモ~時間どろぼうと、ぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子のふしぎな物語~」はそんな時間泥棒たちと闘う少女の物語です。淡雪さんのこの掌編ですぐ連想してしまいました。もし、ご存じなければ是非お薦めいたします。
http://mazoero.hp.infoseek.co.jp/momo.html

ところで付け足しで申し訳ありませんが、以前「少年時代」の意味を問われていましたがとても素敵な歌で意味もしっかりしているのだとかばいたくて…私の解釈はこんな感じです。

頬を撫でる風の爽やかさに誘われて見上げた空の、見事な紺青を背景に、赤い薊(あざみ)の花びらが舞っている。
私の視線はそれを追ってさ迷うばかりだが、その残像の遥か彼方へと向かう私の心中の眼(まなこ)に映るものといえば、いまだにあの夏の空模様、つまりは私の心模様ばかり。

長い冬のまどろみ─その暗明の中に閉ざされた私の心の窓に、ずっと彼方から呼びかけて来る、生々しいあの体験あの思い出。閉ざされた夢に魘(うな)されたのか、はたまた覚めて蘇(よみがえ)った私の夏の追憶なのか、夢現(ゆめうつつ)の後先も知らず惑うばかり。

夏祭の最中(さなか)だ。
宵闇を払う篝火(ががりび)の鮮やかさは、私の胸中の昂(たかぶ)りに煽られ一層キラメキを増すばかり。
今は8月夏真っ盛りだ。
ドーンとお腹を響かす打ち上げの音に振り返り、バリバリとあたり一帯に大輪を描く花火の夜空に私はただ夢中。
私たちの佇む、その長い影はどんどん伸びて行って、あの夢中の空へ、星屑瞬く天穹へと高まり昇り行くかのよう。
天の無窮なのか、はたまた私の心の夢中なのか、いずれの空間が夢現(ゆめうつつ)なのか、後先も失い惑うばかり。

秋の蒼穹の爽やかさに、その見事な紺碧を背景に、いま赤い薊(あざみ)の花びらが舞っている。
誰の思い出を乗せて空を漂うのか。
いやいや、漂うのはただ、夏八月の花火のどよめく夢中の空で、いまださ迷うあの夏の思い出、そう私の心模様ばかり。

投稿日時 - 2006-08-30 22:28:12

お礼

 月下無可さん、再びありがとうございます。お薦めの本は読んだことがありません。是非探してみます。もう九月になったのですが、「少年時代」のご感想をお聞かせいただきとても嬉しいです。言葉はとてもきれいです。私の大好きな曲です。とても参考になりました。
 本当にありがとうございました!

投稿日時 - 2006-09-01 17:02:29

ANo.14

shigure136 です。補足を読ませていただきました。
「人を蓮の花にたとえると」のところは、私のかん違いでした。ごめんなさい。

【たとえると】について。
★「人を蓮の花にたとえた場合」ということですね。
⇒もちろん、「人を蓮の花にたとえると」という表現、そして、「もし人を蓮の花にたとえるなら」という意味での使い方も不自然ではありません。

⇒では何故、私がこの「たとえると」を「たとえた場合」の意味にとることが出来なかったのか考えてみました。なかなか分かりませんでした。
⇒そして得た結論は、「たとえると」と結びの「連想しないのですね」という関わりではないかということでした。

★我々が普段使っている日本語で、「たとえると」→「連想しない」(否定)
と結びつくことはあまり無いのです。
⇒「たとえると」・・「連想するのですね」となります。

★ところが、「連想しないのですね」と結ぶ時は、「たとえても」「たとえたとしても」とか、「たとえた場合でも」などという表現が使われます。

【深いところ】について。
⇒「日本では、人を蓮の花にたとえた場合でも、深いところまでは連想しないのですね」
*「日本では、人を蓮の花にたとえたとしても、このように深いところまでは連想しないのですね」
*「日本では、人が蓮の花にたとえられた場合でも、このように深いところまでは連想しないものなのですね」などです。


「深い」は「意味が奥深い」のつもりで用いました。
⇒納得です。
⇒原文では「神経質に深いところまで」とありましたので、余計なことを考えてしまいました。

>花から人の外観や雰囲気への連想は表面的浅い連想で、花から人の人柄、人格への連想は奥底の深い連想だと言わないのでしょうか。
★言えると思います。

【連想】について。
>「一歩進んで連想する」、「一歩つっこんで連想する」、「さらに一段と連想する」などの表現はいかがでしょうか。
⇒この三つの表現は「?」ですね。

*あえてこれらの言葉を使おうとすれば、
「さらに連想を一歩進める」とか、
「さらにもう一歩つっこんだ連想をする」とか、
「さらに一段と連想の枠を広げる」などになりますでしょうか。

★【日本では、人を蓮の花にたとえたとしても、普通さらに深いところまで、連想の枠を広げることはしないのですね。】
★【日本では、人を蓮の花にたとえても、普通このように深いところまで、連想の糸を手繰り寄せることはしないのでしょうか?」
⇒「・・・ですね」という終わり方は少しきつい感じもします。「・・・・でしょうか?」と終わると柔らかい感じが伝わって終われます。

【普通】について
⇒基本的には、「普通」は文頭、文中など何処に入れてもおかしくはありません。

*日本では普通人を花にたとえても、連想の枠をそれ以上広げたりはしないのでしょうか?
*日本では人を花にたとえても、普通、連想の枠をどんどん広げたりすることはないのでしょうか?
*普通日本では、人を花にたとえても、連想の枠を次から次へと広げようとはしないのでしょうか?
など、どれも間違いではないのです。

どこにご自分が強調点を置くかによりますので、解説にあるように awayuki_ch さんの置いた場所で良いと思います。
ただ、最初の方の文章には関係ないと思ったとのことですが、この解釈は少々違うのではないかと思います。
「普通」は全部に掛かっているのではないでしょうか。
*普通野球をやろうと言ったら、ボールとバットを持ってくるんじゃないの?
*野球をやろうと言ったら、普通、ボールとバットを持ってくるんじゃないの?
*普通サッカーをやろうと言って、ボールとバットを持ってくる人いる?
*サッカーをやろうと言って、普通、ボールとバットを持ってくる人いる?
【普通】は何処に入れても全部に影響しているので、前半には関係ないとか、後半には関係ないとかはではなく、文章全体が「普通」はどうなのかということになります。

【新作文章】について。
(1)日本では、人を蓮の花にたとえると、普通一歩進んで連想しないのですね。
(2)日本では、人を蓮の花にたとえると、普通一歩つっこんで連想しないのですね。
(3)日本では、人を蓮の花にたとえると、普通さらに一段と連想しないのですね。

前の方の回答文を参照してみてください。

【たとえると】【○○○○する】という結び。
【たとえても】【○○○○しない】という結び。
また、【たとえても】という言い方は、【たとえたとしても】、【たとえた場合でも】、【たとえようとも】など様々な言い方があります。

語尾と結びの微妙な関係は少々手強いかもしれません。

投稿日時 - 2006-08-30 20:05:17

お礼

 shigure136さん、度々ありがとうございます。疑問は全部解決できました。結びは本当に難しいです。もっとたくさんの文章に触れてみます。大変助かりました!
 本当にありがとうございました。

投稿日時 - 2006-08-30 23:23:52

ANo.13

awayuki_ch さん、こんばんわ。
皆様へのお礼文や、補足の文章を読んでいて、少々気になった部分を指摘させていただきます。

1.悲しいと思う」という主旨を一番表したいことだと思います。
⇒他のところでも見られますが、この【思います】の使い方は間違えています。
⇒この書き方で表現されるのは、awayuki\ch さんが思っているのではなく、【何処かの誰かがそのような主旨を一番表したいと思っている】ということになってしまいます。
⇒ここでは、【悲しいと思う」という主旨を一番表したかったのです。】ときちんとご自分の意思を記すことが大切です。
★これは、3、4、5、8、10でも見られる「思います」の使い方です。
⇒このように書かれた「思います」は、awayuki_ch さんが思ったのではないことになります。
例えば3の例ですと、awayuki_ch さんが「前に進んだその場所で釘をうっかり踏んでしまったみたいにその場から足を離した」というつもりで書いたにも拘らず、この例文が意味するところは、誰か第三者がそのような積りで書いたのだと、awayuki\ch さんが思っているということになるのです。
2.日本では、人を蓮の花にたとえると、普通神経質に深いところまで連想しないのですね。
⇒【花にたとえると】は中途半端なところで終わっています。【蓮の花にたとえるというような】とか、【蓮の花にたとえるという】などにしないとなりません。
⇒【神経質に】は、ここでawayuki_ch さんが表現したかった意味合いとは違ったニュアンスが言い表されているのではないかと思われます。
【神経質】とは、【ほんの小さなこと、些細なことなどをもぴりぴりする】【物事に過剰に反応する】ようなときに使われます。
このような意味を表現したかったのではないと思いますが・・・。
★「深いところまで」という言葉と繋げているところから判断すると、【精神世界的に】とか【心の】などの言葉のほうが似合いそうですが・・・。
⇒語順に注意。
⇒日本では、普通、人を蓮の花にたとえるというような、心の深い・・・。
3.おっしゃるとおり、「釘を踏んだように」というのは、「前に進んだその場所で釘をうっかり踏んでしまったみたいにその場から足を離した」のことだと思います。
⇒1の項を参照。
4.「追い越して堂々と入って」で表したかった意味は「Aさんを追い越し、個室の前のエリアに入った」ということだと思います。
⇒1の項を参照。
5.たぶん位置はまだ判っていただかなかったと思います。
⇒【判っていただかなかった】ではなく、【判っていただいてなかった】とか、【判っていただけなかった】です。
⇒「思います」は1を参照。
6.なかなかAさんが現実に負けないシチュエーションを思いつけないので、実際の成り行きのままのように、「Aさんはしかたがなく、目の前の状況に負けた、私はとても残念に思った」という視点を踏まえ書きました。
⇒【実際の成り行きのままのように】のところは、【実際に見た成り行きのように】とか、【実際の成り行きを】とか、【実際に見たままから】などとするほうが良いと思います。
⇒「Aさんはついに目の前の状況に負けてしまったが、私はとても残念に思う」
⇒「Aさんが目の前の状況に負けてしまったのは仕方が無いが、私は残念に思った」
⇒【という視点を踏まえ】のところは、【という視点で】とか、【という観点から】の方が良いと思います。
7.AさんはBさんに肘が当たられて、
⇒AさんはBさんに肘を当てられて、
⇒Aさんの肘がBさんに当たって、
8.焦っていて進もうと、少し前のめりに体が傾いたのだと思います。
⇒【焦っていて進もうと】も中途半端な切り方です。ここは、【焦って進もうとして、少し前のめり・・・】でいいと思います。
⇒【思います】は1を参照。
9.実は、全文には皮肉が交じるつもりでした。ここも皮肉です。
⇒【実は、全文に皮肉を交える積りでした。もちろんここも皮肉です。】とした方が良いかもしれません。
10.「時間の主人」は時間を自分のお使い人とする人の意味に近いです。つまり、時間をコントロールでき、計画的に時間を上手に使う人の象徴だと思います。
⇒ここの最後の「思います」も1を参照してください。
⇒ここは、【・・・上手に使う人の象徴として使いました】とか、【・・・上手に使う人の象徴の積りで用いました】などがよいのでは?

私への文章ではないので差し出がましいとは思いましたが、awayuki_ch さんのお書きになった文章への添削ということでお許し下さい。

投稿日時 - 2006-08-28 22:19:22

補足

 2について補足いたします。

>>2.日本では、人を蓮の花にたとえると、普通神経質に深いところまで連想しないのですね。
>⇒【花にたとえると】は中途半端なところで終わっています。【蓮の花にたとえるというような】とか、【蓮の花にたとえるという】などにしないとなりません。

 この文は「人を蓮の花にたとえる/と」のように切りたかったのです。「人が蓮の花にたとえられる/と」に言い換えるかもしれません。「と」は「というような」、「という」のつもりで用いたわけではなく、「もし、~なら」のつもりで用いました。やはり不自然なのでしょうか。

>⇒【神経質に】は、ここでawayuki_ch さんが表現したかった意味合いとは違ったニュアンスが言い表されているのではないかと思われます。
【神経質】とは、【ほんの小さなこと、些細なことなどをもぴりぴりする】【物事に過剰に反応する】ようなときに使われます。
このような意味を表現したかったのではないと思いますが・・・。
★「深いところまで」という言葉と繋げているところから判断すると、【精神世界的に】とか【心の】などの言葉のほうが似合いそうですが・・・。
⇒語順に注意。
⇒日本では、普通、人を蓮の花にたとえるというような、心の深い・・・。

「神経質」は不自然であることに気づきました。無視してください。「深い」は「意味が奥深い」のつもりで用いました。花から人の外観や雰囲気への連想は表面的浅い連想で、花から人の人柄、人格への連想は奥底の深い連想だと言わないのでしょうか。「一歩進んで連想する」、「一歩つっこんで連想する」、「さらに一段と連想する」などの表現はいかがでしょうか。

「普通」の場所も難しいですね。「人を蓮の花にたとえる」と関係がないかと思いました。日本では、もしかして、場合によっては、「一歩進んで連想する」、「一歩つっこんで連想する」、「さらに一段と連想する」もするのですが、一般的ではないということを表したかったのです。やはり「人を蓮の花にたとえる」の後ろに「普通」を置いたほうが私の元の意味に近いような気がしますが、shigure136さんのご意見はいかがでしょうか。

 ということで、2は次のように書き直せていただきます。今回はいかがでしょうか。

(1)日本では、人を蓮の花にたとえると、普通一歩進んで連想しないのですね。
(2)日本では、人を蓮の花にたとえると、普通一歩つっこんで連想しないのですね。
(3)日本では、人を蓮の花にたとえると、普通さらに一段と連想しないのですね。

投稿日時 - 2006-08-30 02:15:05

お礼

 shigure136さん、こんばんは。お礼や補足の文章までもご添削いただき本当にありがとうございました。とても嬉しいです。間違えたところにこれから気をつけます。非常に参考になりました。
「と思います」へのとても肝心なところをご指摘いただき心より感謝いたします。「たかったのです」が正しいのですね。最近、「と思います」、「と思いました」、「たかったのです」の感覚がなんとなく少し分かるようになりました。
 本当にありがとうございました。

投稿日時 - 2006-08-30 02:33:56

ANo.12

awayukki_ch さん、こんばんは。
お礼を頂戴しありがとうございます。
「並ぶ」という行為は、文化の度合いを表す指標のような気がします。【われ先に】【早い者勝ち】【先んずれば人を制す】という精神構造から、【マナー優先】【ルール遵守】【礼節・互譲の精神】を大切にする精神構造を持ちたいものです。

補足にお答えします。
1.「さすがに」の使い方が難しくてまだよく判りません。
⇒【さすがに】は、【評判だけあって】【優れただけあって】【本文に違わずして】【何といってもやはり】などの意味と共に、【そうはいうものの、やはり】とか、【そうではあるが、やはり】などの意味を持ちます。
⇒ここでは、後者の方の意味で、「じっと堪えていたが」「高潔さを保っていたが」【やはり、堪えきれなくなって】【やはり、保ちきれなくなって】というニュアンスをかもし出す役割をしています。


2.「勝手の良い言葉」とはどういう意味でしょうか。
⇒これは、「勝手の良い言葉」では無く、【使い勝手(つかいがって)の良い言葉】と読みます。
⇒「勝手」には様々な意味があり、(1)都合の良いこと。便宜の良いこと。便利なこと。(2)自分だけに都合の良いように行うこと。わがまま、気まま。(3)台所(キッチン)(4)生計。家計。暮らし向き(5)様子。模様。具合。などが意味としてあります。
(1)の意味から、【使い勝手】は、【使うのに都合が良い】【使いやすい】ことを表現するときに使います。

投稿日時 - 2006-08-28 00:16:48

補足

>【われ先に】【早い者勝ち】【先んずれば人を制す】という精神構造から、【マナー優先】【ルール遵守】【礼節・互譲の精神】を大切にする精神構造を持ちたいものです。

 とてもいい言葉ですね。大賛成です!

投稿日時 - 2006-08-29 01:19:11

お礼

 shigure136さん、こんばんは。度々ありがとうございます。「さすがに」の使い方は今回とてもすっきりいたしました。普段習った使い方と違うので、気になりました。これから、また練習します。「使い勝手の良い言葉」の意味も判りました。大変参考になりました。
 本当にありがとうございました。

投稿日時 - 2006-08-29 01:12:57

ANo.11

 淡雪さんの真摯な文章にインスパイアされて、エッセイ風に真似してみました。

 今年の上海の初夏は入梅(つゆいり)後に雨が4日だけの空梅雨(からつゆ)で、わずか13日で梅雨明け宣言という60年ぶりの出来事だった。おかげで夕立どころか集中豪雨に悩まされる例年並みではなかったことは実にありがたかったが、かわりに真夏日が多く夜は蒸し暑く、また空っ風にも大いに悩まされた。

 そんな夏の突風に追れるようにフト最寄のトイレに入ったのが、その少女と出会いのそもそもの発端だった。
 そこでは天窓から差す日差しは柔らかく、この空間は今、外の風鳴りも嘘のように物静かだった。あいにく個室は皆ちょうど塞がっていたが、差し迫った用足しで飛び込んだわけでもないので、その個室の開くのを待つともなく、取り付きの洗面コーナーでゆっくりと髪を当っていた、その鏡越しにその少女は現れ、さりげなく個室の待機ラインに立ち止まった、そのしなやかな自然体が私の目に入って来たのだった。ローティーンにはありがちな、まだボーイッシュにして、しかも蓮の花のような清潔感が印象的な美少女だった。

 ほどなく20代のOL風の女性がやって来たが、順番待ちラインに佇むその少女の脇をはなから無視しまるで透明人間扱いで傍をすり抜けるや、早く開きそうだと目星をつけて、一つの個室の扉前に陣取った。
 その後続いてハイティーンの女性が入ってきた。ライン待ちの先客に気づき一瞬躊躇したが、個室前に立っている人影を見やって救い主とばかりすり寄り、その隣の扉に並び立ったのだった。くだんの少女の上半身は大きく前傾したが、すらりと伸びたその足元はしっかりと床面を踏んでいた。
 そこへ更に小柄な小母さんがやってきた。先ほどとは打って変わってこのトイレは賑わいを増してきたではないか。それとともに強い磁場が発生しているかのようで、その小母さんもまた、待ち人のいない扉へと引き寄せられるように行ってしまった。さすがのその美少女も磁力に引き寄せられて数歩踏み出したのだが、熱いものに触れたかのように反応し元のラインまで直ぐに戻った。
 まだどの個室も空きがないまま、更に気難しそうな老女が入ってくるや、絶滅種の珍奇動物でも発見したかのような目つきで見遣りながら、人影のなさそうな扉前へと割り込んで行った。

 入り口の向こうから「時を失くすことは、人生を失うことだから…」といった流行り歌が流れて来た。あなたは時を大切にしていないのだとその少女には聞こえているのだろうか。鏡に映る彼女は口元を噛み締め、しかもその視線は揺れている。これまで脇を通り抜け、ラインに並ぶことよりは自分の、自分だけの時を優先して扉に陣取ったあの人たちこそが時の主(あるじ)であり、ラインで順番を守ることにこだわった彼女は時の召人(めしゅうど)だと葛藤しているのだろうか。
 さっきの雑踏が嘘のように静かさが戻り、もはや彼女の後ろは人気のない店のように誰もいない。ようやく彼女は口元に笑みを浮かべるや前へと歩みだす。あの磁場の魅力に抗せずか……と、一瞬彼女の身につけた金具が反射したものか、眩しくて私は束の間目を閉ざした。

 ばたばた扉が開閉する音が重なり、ガヤガヤとした音声に目を開けると、一斉に個室が開いて、どっと中の人が繰り出してきたのを目の当たりにした。ああ、ちゃんと彼女は空いた個室を、ラインでの順番待ち通りに使うことができたのだった。とうとう意思貫徹してしまったその少女を称える間もなく、この洗面コーナーへと押し寄せる人並みを避け、外に逃げた。外に出たその途端、激しい突風にまたも髪がかき乱されてしまった私だが、もう大きく胸を張って、風に向かって歩き出しているのだった。
  

投稿日時 - 2006-08-27 13:52:12

お礼

 月下無可さん、いつもすばらしい例文をありがとうございます。同じ意味を表すのに、文章はこんなに天と地の差のように違うのだと非常に驚きました。羨ましいと感じるとともに、頑張らなくてはと痛感しました。新しい表現をたくさん習得できてとても嬉しいです。よく整理してノートにまとめます。結末もとてもいいですね。やはり、善には善の報いですね。とても参考になりました。
 本当にありがとうございました!

投稿日時 - 2006-08-29 00:06:22

ANo.10

awayuki_ch さん、「お礼と補足」を読ませて頂きました。前の方への補足文にも図が載っていたのですね。
私は、自分の回答文を作成する時点では、他の方々の回答文、またそれに対するお礼、補足文は読まないことにしているのです。

今回、補足への回答を書くに当たってこの図が以前にも出ていたことを知りました。
図を見て「う~ん」と唸りました。
日本では化粧室の中で各トイレの前に、後から来た人たちが並ぶということは無くなって来ています。(私は男ですから断言は出来ませんが、無くなってきていると思います。)
以前は日本でもこのように、入ってきた人が「ここぞ」と定めたトイレ(個室)の前に並んだものでした。しかし、何処が最初に空くのかは分かりません。場合によっては、最初に入ってきた人が並んだトイレが、いつまで経っても空かないで、後から入ってきた人の待っている所がどんどん空いてしまうことだってあるのです。
そのため、最近では、銀行のATMもそうですが、最初に空いた所に、最初に来た人が行ける様に、図でいえば「A」の場所を頭にして、その後ろに後から来た人が並ぶようになっています。(入ってきた人が自分の意思でトイレの前の場所(B、C、D、Eなど)を選択することは無くなって来ています)
そのようなことから私の文章がawayuki_ch さんの考えていらっしゃったイメージとは異なってしまったのだと思います。

この補足を参考にしたうえで書き直してみました。
★【次に入ってきたOLのような人は、前にいる少女に気が付いたのか一瞬躊躇をしたように見えた。しかし、トイレのドアの前に立っている中年の女性を目にすると、まるで自分を呼んでくれている仲間でも見つけたかように、さっと少女の横を通り抜けると、中年女性の隣のトイレの前に立った。

【さすがに】について。
⇒最初に化粧室に入りながら、既に3人の人たちが自分を追い越してトイレのドアの前に並んでしまった。そして、今、4人目の人が自分の横を、珍しい生き物でも見るような目つきで自分を見つめている。
「また追い越される!」と思った少女は、今までは「まあいいや」と思っていたけど、4人目ともなると、【さすがに】「もう我慢できない」、【さすがに】私だってトイレの前に行かなければ」、【さすがに】もう待つのはイヤだ」など、【今まではともかくとして】とか、【もう限界だと感じて】のような意味合いで使われるのが、この場合の【さすがに】になります。
★「このときばかりはさすがに・・・」
「このときばかりはさすがのAさんも・・・・」
「さすがのAさんも、このときばかりは・・・」
など、【さすがに】は意外に使い勝手の良い言葉なのです。

【堂々と】について。
⇒このようなBさんの行動の表現に使われた「堂々と」は、「当たり前のように」とか、人の迷惑を顧みないで」とか、「回りを気にしないで」とか、わが道を行くが如くに」とか、「傍若無人の態度で」などのような意味合いを以って皮肉的に使われます。
原文のようなBさんの行動に使うのであれば、「自分がAさんを追い越してきたことなど気にも留めないように」とか、「図々しくも」とか、「ちゃっかりと」「何食わぬ顔で」などが相応しいかもしれませんね。

【良くなります】について。
⇒並ばなくても【よい】=並ばなくても【構わない】=並ぶ必要が無いという意味の【並ばなくても良い】です。この場合は一般的に言ってますので、主語は「人」「化粧室に来た人」ということになります。

【好み】について。
⇒「好みのドアの前」というと、ドアのデザインや形態が様々あって、その中の自分の趣味に合うデザインのドアの前という感じがしてしまいます。
⇒このような場合、「ここが最初に空くかなと狙いをつけたトイレの前」とか、「奥から二番目の」とか、「一番奥のドア」とか、「外からの日差しが柔らかく当たっているドア」など、具体的に表現する方が良いと思います。

【蓮】と「白百合」について。
⇒【蓮】にこのような深い意味があるとは思いもしませんでした。大変参考になりました。
日本では【蓮】はお釈迦様を連想させる花として誰もが知っていますが、「清楚」「可憐」などとの関連は初めて知りました。
⇒この化粧室の中の一件で、「清楚な感じの少女」が汚泥に染まったとは言えません。汚泥に染まるということは人生の中で味わう、様々な困難や苦しみ悲しみ、所謂「非苦」を知ってゆく過程で次第に染まるものではないでしょうか。
⇒この時点でも少女は【蓮】のように可憐で清楚なままです。
⇒日本では【白百合」が使われると書きました。
そのほかにも【かすみ草】(少し繊細)【カラー】(少し派手)【コスモス】(最も清楚・可憐?)などの花々が「清楚な人、可憐な人」などの形容に使われます。

投稿日時 - 2006-08-25 16:14:28

補足

 申し訳ありませんが、まだすっきりしていない点について補足いたします。

1.「さすがに」の使い方が難しくてまだよく判りません。「勝手の良い言葉」とはどういう意味でしょうか。

2.「汚泥に染まらない」人格についてですが、中国では、普通次のようなことを象徴します。周りの人はみんなよくないことばかりしています。しかし、この人はこの汚泥のような汚い環境の中にいるのですが、周りの悪い慣習などに染まらないきれいな(清潔の意味)身のまま、自らの志を持って、人生を送ります。たとえば、暗い官僚世界の中で、周りの官僚はみんな汚職などの悪いことばかりしています。でも、この官僚は汚泥のような汚い官僚の世界の中にいるのですが、汚職しないで、ずっと廉潔のままとか。以前教えていただいた水芭蕉からも蓮の花と同じようなイメージを受けました。汚いところで生えていますが、真っ白でとても清らかですね。Aさんを蓮にたとえる理由は彼女のこのような品格をとても表現したかったのです。でも、Aさんの最初のやり方は確かに蓮の花に似ているのですが、何だか「しかたがなく、妥協した」という結尾は蓮の花に合わないような気がします。

 私は「高潔の人格を持つ人が悪い環境の中で、しかたがなく、当時の流れに従わざるをえないということを同情する、悲しいと思う」という主旨を表したいと思いました。

投稿日時 - 2006-08-27 13:22:59

お礼

 shigure136さん、再びありがとうございます。添削文を書き直していただき大変感謝いたします。「堂々と」、「良くなります」、「好み」の疑問も全部解けました。「白百合」、「かすみ草」、「カラー」、「コスモス」などのお花の名前も教えていただきありがとうございました。とても参考になりました。

 Aさんのような並び方の利点とBさんたちのような並び方の欠点を文に書きたかったのですが、なかなか書けませんでした。shigure136さんの回答文はちょうど例文になっていますね。繰り返し繰り返して読みます。

 日本にいる友人の話では、日本ではほとんどAさんのような並び方だそうです。羨ましいです。中国では、近年、Aさんのような並び方もだんだん目にするようになったのですが、このような並び方に慣れるようになるまでまだ時間がかかると思います。化粧室の場合は、どのような並び方になるのか、ほとんど最初にその化粧室に入った人の並び方によって決まると思います。私は絶対Aさんのような並び方に賛成します。メリットはshigure136さんのおっしゃるとおりだと思います。今回Aさんはせっかくいい手本を示したのですが、残念ながら、彼女に従う人はいませんでした。私は鏡の前でこのシーンを全部見てしまい、とても悲しかったです。

 本当にありがとうございました。

投稿日時 - 2006-08-27 13:59:08

ANo.9

#8です。ご返事ありがとうございます。補足も拝見しました。

蓮が象徴するものとして、日本での【花言葉】は多岐に渡っているようです。
「雄弁」「休養」「沈着」「神聖」「清らかな心」「離れゆく愛」
などが検索できました。
日本では、人を蓮に譬えることはあまり無いと思いますが、どちらかというと、外観のイメージを表わす場合が多いのではないかと思われます。
中国では「高潔」というイメージも含むようですが、仏像の台座にもなっていることを思えば理解しやすい解釈だと思いました。

『最初にAさんを見た時は、高潔な人格の持ち主のように見えた。
しかし、後の行為で高潔ではないことがわかった。』
という構文に不自然な点はないように思います。
「最初会った時は真面目そうな青年だと思った。しかし、後になって不誠実であることがわかった。」
などと同じような構成であると考えれば良いように思います。

【蓮に譬えてしまったことが悔まれる】ということを表現しておきたいのであれば、その旨を文に挿入しても良いと思います。
皮肉っぽい文章を目論んでいたということであれば、文末に、
『どうやら蓮の花は早々と散ってしまったらしい。』
などと加えることもひとつの方法でしょう。

おっしゃるように外観だけをイメージする花に変えてみたり、「蕾」に譬えるのも悪くはないと思います。
この場合は、大人の穢れを知らない純情無垢な乙女が「悪い大人に感化されてしまった」というニュアンスになると思われます。
ただ、「高潔な印象を裏切られた」という意味合いは少なくなりますから、皮肉な要素も薄まることになるでしょう。

【当初の印象と後での行為の落差】に関して、awayuki_chさんがどの程度拘っているのか、ということによって違ってくるということになりそうです。


因みに「#4の18ーa」で、
「時間を上手に使っている【A~E】さんのような人たち」という意味でしょうか。
と書きましたが、これは、
「時間を上手に使っている【B~E】さんのような人たち」という意味でしょうか。
の書き違いです。
この場をお借りして訂正させていただきます。

投稿日時 - 2006-08-25 13:07:51

補足

 私はAさんを同情します。洗面所でのやり方は仕方がないと思いました。【B~E】さんのような人たちを皮肉で批判したいのですが、Aさんを批判したくありません。当初の印象と後での行為の落差を表すつもりもないように思いました。どちらかと言うと、「高潔の人格を持つ人が悪い環境の中で、しかたがなく、当時の流れに従わざるをえないということを同情する、悲しいと思う」という主旨を一番表したいことだと思います。ですから、Aさんが登場したときに、Aさんの人格を賛美できる蓮の花を使いました。でも、中国では、「蓮の花」からはどんな悪い環境であっても、絶対染まらないというイメージを受けるので、やはり「染まらなかった」、「妥協できなかった」のような結尾を受けるのが普通かと考えて、どうしようと悩んでいるところでした。日本では、人を蓮の花にたとえると、普通神経質に深いところまで連想しないのですね。

 蕾もよいと思うのですが、何だかAさんの人柄を誉める力が薄くなったような気がします。私はAさんの人柄を疑っていないで、いい人だと思い、同情します。ですから、「どうやら蓮の花は早々と散ってしまったらしい。」はとてもすばらしい表現だと思うのですが、この文章ではとても使いたくないですね。

投稿日時 - 2006-08-26 11:36:04

お礼

 度々ありがとうございます。日本では、人を蓮に譬えても、どちらかというと、外観のイメージを表わす場合が多いのですね。大変参考になりました。
 私は「最初にAさんを見た時は、高潔な人格の持ち主のように見えた。しかし、後の行為で高潔ではないことがわかった。」という考え方でそう簡単に考えないかもしれません。
「どうやら蓮の花は早々と散ってしまったらしい。」がとても気に入りました。これから、チャンスがあれば、使ってみます。「#4の18ーa」の間違いにすでに気づきました。お気になさらないでください。きっとタイプミスだろうと思ったので、hakobuluさんに確認していただきませんでした。
 本当にありがとうございました。

投稿日時 - 2006-08-26 11:59:38

ANo.8

#4です。ご返事ありがとうございました。
補足も拝見しました。

1、
「でも」は助詞で色々な意味を持つ語句ですが、この場合は、
「ひとつの軽い例をあげてみると」
といったような意味になります。

「餃子を食べに行こう」に比べると、
「餃子でも食べに行こう」は、
どうしても餃子が食べたい(餃子でなければならない)というニュアンスは相当薄くなります。

a.実際に磁力があるわけではないので、
「磁力を」よりも「磁力でも」としたほうが【曖昧さ】を表現することができます。
使い方は難しいですが、「完全な比喩」として使うこともできます。
この場合は「持っているかの【ように】」という曖昧表現もあえて使わないで、
「~お手洗いは強い磁力でDさんをパッと引っ張った」などとなります。

b.「釘を踏んだように」でも間違いというわけではないのですが、この釘はあくまで比喩なので、「どうしても【釘】でなければならない理由」が特に無い場合は、
「釘でも踏んだように」と【一例をあげている】意図を表わしておくほうが自然に感じられます。

c.「珍しい動物でも」の場合も同様のことが言えます。
「珍しいもの」という表現もよく使われます。

2、
>やはりAさんが登場する時に、「蓮のように」と書かないほうがよろしいでしょうか
:そんなことはありません。
むしろ逆で、書かないほうが不自然でしょう。
Aさんに対して、第一印象で(蓮のように)清純な感じを受けた。
そのAさんが最終的には期待に背くような行動を取ってしまった、という流れで作者(awayuki_chさん)の落胆振りが良く伝わってくるわけです。
最初の印象と後で受けた印象の落差を構成する、大きな要素になる部分だと思います。

awayuki_chさんが違和感を覚えるとすれば、
「蓮のように清らか【だ】」という箇所から断定しているような印象を受けるせいでしょうか。
これは「蓮のように清らかだ、という印象を受けた」という意味であることはわかるので問題はないでしょう。
なぜなら、「清らか」は主観に過ぎず、「絶対的な清らかさ」というものは存在しないからです。

せっかくですから添削を離れて、以下の部分だけ私なりの表現に置き換えてみます。
「清楚の感じがするAさんは入った。
まだ十何歳の若い女の子だろうかと、蓮のように清らかだ。」
『やがて、一人の女性が入ってきた。
仮にAさんとしておく。
女性といっても恐らくまだ二十歳前だろう。
可憐な少女で、蓮の花のように清楚な雰囲気をたたえている。』

投稿日時 - 2006-08-24 12:48:01

補足

 中国では、人を「蓮の花」にたとえると、この人は「汚泥に染まらない」高潔な人柄の持ち主と連想させやすいと思います。日本ではどうでしょうか。イメージ、外観、雰囲気の連想だけですか。それともこの人の人格までも連想させられるのでしょうか。
 
 Aさんは最後にやはり汚泥に染まったのでしょうね。Aさんが登場する時に、あまり人の品格を連想させない別の花(「梅」も人の品格を連想させる花ですね)あるいは「蕾」に喩えたほうがよろしいでしょうか。つまり、イメージ、外観、雰囲気の点だけ絞ったほうが良いと思われますか。

投稿日時 - 2006-08-25 02:42:06

お礼

 再びありがとうございます。
「でも」はここで使える理由がよく理解できました。私にとって初めての使い方なので、これからまた練習させていただきます。
「蓮のように清らかだ、という印象を受けた」という解釈は納得できます。参考にさせていただきます。素敵な例文をありがとうございます。このような書き方はいいですね。暗記します。
 本当にありがとうございました。

投稿日時 - 2006-08-25 02:33:17

ANo.7

#2です。
>「さすがのAさんも2、3歩引かれて前に進んだが、釘を踏んだようにすぐ下がった。」

もしかしたら「釘を踏んだように」というのは、前に進んだその場所で釘をうっかり踏んでしまったみたいに
その場から足を離した、という意味ですか?
だとしたら、その場にとどまる意思も「釘を打った」で、進んだ場から離れる瞬間も「釘を踏んだ」と
同じ表現が出て来てしまうので、違うものに変えた方がいいと思います。

また、「さすがの」は直接皮肉には受け取れませんが、その後の行動を、すこしふざけた感じに使う時が多いので、この小説には似合わない気がします。

「Aさんの強い意志もその磁力に吸い寄せられたように、一瞬、前に進みかけたが、
 彼女はすぐに我に返り、もとの位置に戻った。」という感じでしょうか。

また、別の方への補足で図解を見ましたが、
「入り口のところでしっかりと足元を止めた」は「個室へと続く通路の手前で」の方がわかりやすいかも知れません。

ついでにですが、「時間を無駄にするのは命を無駄にするのと同様だぞ……」
このような直接的な表現をする歌はあまりないので、少し変えてみた方がいいのかも。
「時だけが無駄に過ぎていく中・・・」とか「もう戻せない、あの時、あの時間・・・」とか、
時間について何か匂わせるような、Aさんだけに何かを感じさせるような、そんな表現の方が素敵だと思います。

投稿日時 - 2006-08-23 23:35:31

お礼

 再びありがとうございます。
 おっしゃるとおり、「釘を踏んだように」というのは、「前に進んだその場所で釘をうっかり踏んでしまったみたいにその場から足を離した」のことだと思います。釘という表現は前のと重複になったので、やはり別の表現に変えたほうが良いのですね。例文を参考にさせていただきます。「個室へと続く通路の手前で」はとてもすばらしいです。まさにこのような意味を表したかったのです。「手前」の使い方を復習します。添削していただいた歌詞はとても素敵だと思いました。何かを感じさせるような味わいがある書き方ですね。これに比べて、私の歌詞は粗野で幼稚な書き方だなと思いました。大変参考になりました。
 本当にありがとうございました。

投稿日時 - 2006-08-25 02:01:36

ANo.5

 #3 です。

> Aは洗面所の入口の外で待っているという意味ではなかったと思います。

 お手洗いに現れたときの表現に関して、何らかの意図があったのであろうと思いますが、Aさんは「入った」で、その他の人は「来た」でしたので、お手洗いに入る前にAさんに遭遇したのかなと判断しました。「彼女は入り口のところでしっかりと足元を止めた。」を、立ち止まった理由を付けて、「個室が全て塞がっているのに気がつくと、個室の手前で立ち止まった。」などにすると良いかも知れません。

> 1.「親戚、友人に身を寄せる」の「身を寄せる」は「救い主」と一緒に使って・・・

 BさんとCさんは他人であると思いますので、お手洗いなどでは「身を寄せる」ということはしないと思います。「Bさんと同じように個室の前まで進んだ」あたりでしょうか。

> 2.AさんはBさんに肘が当たられて、・・・

 そういう状況でしたか。であれば、「AさんもBさんにつられて少し前に体を傾けたが、足は微動だにしなかった。」というのはどうでしょう。
 ちなみに、「足は釘のようにしっかりと地面に打ってある。」は、「足は釘で打ってあるかのようにしっかりと地面に付いている。」のほうが良いかと思います。

> おっしゃるとおり、お手洗いに外の光が入るのは防犯上難しいのですね。

 ビル内の公衆用トイレでは、窓はあまりないと思いますが。外からの盗撮とかが行われる可能性がありますので。あったとしても小さい曇りガラスの窓ですので、日差しは期待できません。

> 文頭と文末は現在進行形的な表現を用いていますが、実は、理由がよく判りません。日本の小説でこのような書き方を見たことがあるので、つい真似してしまいました。

 主人公の視点や主観で、物事の状態や主人公の心象を説明するときなどに使われますね。小説などの読物の手法のひとつですね。

投稿日時 - 2006-08-23 07:22:03

お礼

 再びありがとうございます。「個室の手前」はいいですね。「身を寄せる」はやはり不適切ですね。「AさんもBさんにつられて少し前に体を傾けたが、足は微動だにしなかった」も参考にさせていただきます。現在進行形的な表現の働きを説明していただきとても助かりました。
 本当にありがとうございました。

投稿日時 - 2006-08-24 12:06:46

ANo.4

文学的要素は別にして、まず国語的な添削をしてみます。

1、
{日ざしは窓口から差し込んで、お手洗いの中に静かに射している。}(×)

a.「差し込んで」と「射して」が重複していて不自然な表現です。

b.「日ざし」は日が射すことですから、「日ざしが差し込む」というのは重複表現になり不自然に聞こえます。

c.「窓口」という場合、「(病院などの)受付口」を指す場合が殆んどです。
「窓になったところ」という意味で使われることもありますが、これも「窓そのもの」を指しているわけではありません。
ここは素直に『窓』としたほうが良いでしょう。

d.【は】というのは、主に【主題の提供を意図する】助詞です。
ですから、「日ざしは」という表現は、日ざしについて何かを語ろうとする意図がある場合に使われます。
「空気は澄んでいたが、日ざしは強かった。」など。
原文の場合は、厳密に言うと、「日ざしについて」語ろうとしているのではなく、
「お手洗いの中に射しているもの」について語ろうとしているはずです。
ですから、「何が射しているのか? 」ということを表現する必要があります。
こういう場合は【特定、または強調】の助詞【が】を使う必要があります。
(「が」は他にも多くの意味を持ちますが、今はとりあえず主語を受ける場合の「が」について述べています)
一般的な文章の場合は、『日ざしが』としたほうが自然です。

e.「お手洗い」でも間違いではありませんが、他の方もおっしゃっているように「洗面所」が一般的なように思います。
文の内容から考えると、また女性の場合は、#3さんおっしゃるように「化粧室」というのが最も上品なニュアンスを含んでいて適切かもしれません。
男の私としては、単純に「トイレ」としか思い浮かばなかったのですが・・・。

f.『日が窓から差し込んで、化粧室の中を静かに照らしている』
『窓からの日差しが、化粧室の中を静かに照らしている』
『窓からの日が、化粧室の中に静かに射している。』
などとするほうが良いでしょう。

2、
{鏡を眺めて髪を整えていて、私の後ろの光景は鏡にはっきりと写っている。}(△)

a.漫然と鏡を眺めていたのではなく、髪を整えるという目的があったわけですから、『鏡に向かって』としたほうが自然です。
「眺める」は、どちらかというと、
「遠くを見渡す」あるいは「じっくりと見る」というニュアンスで使われることが多いようです。

b.動作の主体である主語が、直前の文の「日ざし」から「私」に変わっているので、「私」は文頭に持ってくるほうが良いでしょう。

c.原文に素直に添削すれば、
『私は鏡に向かって髪を整えていて、後ろの光景は鏡にはっきりと映っている。』(A)
となります。

これはこれで散文的な味わいが出ている表現ですが、もう少し一般的な文章として書く場合は、
『私は鏡に向かって髪を整えている(または、整えていた)ので、後ろの光景が鏡にはっきりと写っているのが見える(または、見えた)』(B)
などとなります。

全体的にエッセー風な文章を意図されているようなので、この場合はAのままでも良いかもしれません。

3、
{清楚の感じがするAさんは入った}(×)

a.『清楚【な】』

b.[1のd]を参照していただきたいのですが、この場面で「Aさん【は】」というのは不自然です。
ある人について何かを語ろうとする【主題の提供】を表わす「は」を使うとすれば、基本的にはその人が既出でなければなりません。
つまり、読者がある人(この場合はAさん)を予め知っている必要があります。
知らない人に関していきなり話題を振られても困るのと同じです。
『Aさんが』としたほうが良いでしょう。

c.鏡に映った光景を記述しているのですから、自分の方に近付い来ているわけで、
【入った】ではなく、『入ってきた』としたほうが良いでしょう。

4.
{まだ十何歳の若い女の子だろうか【と】、蓮のように清らかだ。}(×)

・【と】が蛇足。

5、
{彼女は入り口のところでしっかりと足元を止めた。}(×)

a.「足元」は「足のあたり」とか「足の運びよう」といった意味です。
「足元に注意してください」
「足元がおぼつかない」など。
「足自体」を指すことはまずありません。

b.『足を止めた』とするのが良いでしょう。

c.この場合の「彼女【は】」というのは正しい「は」の使い方です。
Aさんはすでに一度登場していて読者はすでに知っているので、awayuki_chさんが「彼女は」と主題を提供した時点で、
「あのAさんについて【何か言うつもり】なのだ」と受け止めることができるのです。
無論、「Aさんは」でも同じです。
これに対して「彼女【が】」と言った場合、読者は、
「あのAさんが【どうした(何をした)】のだろう」というニュアンスで受け止めることになります。

この点についてもう少し述べてみます。
「彼は若い」
「彼が若い」
という2つの文について、awayuki_chさんはどのような印象をお持ちになりますか。
以下、違いを明確にしてわかりやすくするために極端な解釈をしてみます。
○「彼は若い」という場合。
「若い」ことよりも、
「彼について何か語ろうとする状況」での発言になります。
そのために、彼という「主題を提供する必要」があるので【は】を使うわけです。
○「彼が若い」という場合。
「若い」ということはすでに基本的事実として暗黙の了解事項になっており、
その対象が【何か(誰か)】ということを特定したり強調したりするのが目的の表現です。

しつこいですが、もう少し具体的な例をあげてみましょう。
awayuki_chさんが、「自分について何か語ろうとする状況」にいる場合、例えばこのgooでお書きになっているように、
「私は、日本語を勉強中の中国人です」という表現が可能です。
「私」という主題(場合によっては、話題と言っても良いのですが)を提供しておいて、それ(私)について「どのような人物か」述べているわけです。
では、仮にここのgooの人々が実際に会った場合を考えてみましょう。
誰かが「awayuki_chさんという方はどなたですか? 」と聞いたとします。
awayuki_chさんはどのように言うでしょうか。
「私が、awayuki_chです」と言うでしょう。
なぜかと言うと、awayuki_chさんという名前はすでに「基本的事実として」知っており、
そのawayuki_chさんとは【誰なのかと特定する】ことが求められている状況だからです。
このような状況で「私はawayuki_chです」と言うのが不自然な表現になることは、ご理解いただけるでしょうか。

6、
{しばらくして、Bさん【は】来た}(×)
これも上と同じ内容で、『Bさんが』とする必要があります。
理由は2つ。
ひとつは、Bさんが初めて登場していること。
もうひとつは、
「(誰かが)来た」ことは、「基本的事実」として表現されるであろう事が暗黙のうちに了解されており、それよりも「誰が(来たのか)」ということを特定(または強調)する必要があるからです。

7、
{まるでAさんが【透明人間のような存在で】、追い越して堂々と入って}(×)

a.「透明人間のような存在【で】」とした場合は、「見ることができないかのように」などという言葉を続けて、「透明人間がどのような存在であるのか」を説明する必要があります。
「このお菓子は岩のようなもの【で】、固くて噛み切れない」など。

b.『透明人間であるかのように』という表現が適しています。
「彼はまるで私だけが悪者であるかのように非難した」など。

c.順序として『堂々と追い越して入って』の方が自然です。

8、
{好みのドア}(△)
特別「好みのドア」というものがあったわけではないでしょうから、『ひとつのドア』という自然な表現を適用する箇所でしょう。

9、
{Cさん【は】来た}(×)
3人目ですから、この辺で「次に」という語を挿入すると収まりがよくなります。
『次にCさん【が】来た』

10、
{躊躇【を】したようだが}(△)
『躊躇したようだが』とするほうが自然です。

11、
{Aさんは体を少し前に傾けられたが、足は釘のようにしっかりと地面に打ってある}(△)

a.「体を少し前に傾けられた」という表現は人にはあまり適していません。
『少し前のめりになった』または『少し前方に倒れかけた』などとするほうが良いでしょう。

b.原文のままだと、「足自体を釘であるかのように地面に打ってある」という意味になります。
それでも意味は通じますが、『足の上から釘を打たれて動けなくなったかのようにその場に立ち尽くしていた』などとしたほうが良いかもしれません。

12、
{Dさん【は】来た}(×)
4人目ですね。
『今度は、Dさん【が】来た』
という表現が可能です。

13、
{強い磁力を持っているようにDさんをぱっと引いた}(△)
『強い磁力【でも】持っている【かの】ようにDさんをぱっと【引っ張った】』

14、
{釘を踏まれたように}(×)
主語はAさんですから受身ではなく、『釘を踏んだように』とする必要があります。
また、「釘のように尖ったもの」という意味でしょうから、『釘【でも】踏んだように』とするほうがベターでしょう。

15、
{Eさん【は】来た}(×)
これで最後ですね。
『最後に、Eさん【が】来た』
という表現が可能です。

16、
{じっと待っているAさんに珍奇動物を発見したような不思議な目つきをやった}(×)

a.「珍奇動物」という熟語はあまり一般的ではありません。
『珍しい動物』というのが一般的です。
また、「珍しいもの」という意味合いが大きいので『(まるで)珍しい動物【でも】発見した【かの】ような』とすると、なお良いと思われます。

b.「不思議な目つき」だと、Aさんではなく「(Eさんの)目付きが不思議」という意味になります。
『不思議そうな』とする必要があります。

c.「目付きをやった」は不自然な表現です。
『視線を投げかけた』などとするのが良いでしょう。

「目付き」を生かすのであれば、「Aさんに」を「Aさんを」に直して、
『Aさんを珍しい動物でも発見したかのような不思議そうな目付きで見た』
とすることもできます。
こちらのほうが表現としては自然かもしれません。

17、
{窓の外から「時間を無駄にするのは命を無駄にするのと同様だぞ……」とどこかの歌手の歌は漂っている}(×)

a.「窓の外から」を受けるためには、『漂ってくる』とする必要があります。
あるいは、「漂っている」と結ぶのであれば、『窓の外で』とする必要があります。

b.無論、「歌は」ではなく、『歌が』とする必要があります。
「歌」について語ろうとしているのではなく、「漂ってくるもの」について語ろうとしているのが、この表現の意図するところだからです。
そして、それは「歌だ」と特定していることになります。
この辺は「慣れ」の要素が大きいですから、私の説明をあまり神経質にお考えにならなくとも大丈夫です。
色々な文章に触れていくことで自然に覚えていくものです。

18、
{時間の主人たちはどんどん通りかかっている}(△)

a.「時間の主人たち」というのは、「時間を上手に使っているA~Eさんのような人たち」という意味でしょうか。
非常に文学的な表現ですが、ある意味では難解ですね。

b.状況を考えると、「通りかかっている」というよりは「通りすぎている」のほうが適切なように思います。

19、
{自分の後ろを振り替えて、人気がないお店のようで誰もいない。}(×)
2のcでも少し触れましたが、「~していて」や「~して」で【因果関係】を表わすことはあまり適切とは言えません。
ここの場合は、
『自分の後ろを振り返ると~』などとしたほうが良いでしょう。

20、
{一瞬、外の日ざし【は】鏡にあたったような気がし、まぶしくて私の目が開けられない。}(△)

a.『日ざし【が】』

b.「まぶしくて私の目が開けられない」
ここは考えようによっては文学的表現を含んだ余韻の残る表現なので添削するのは躊躇してしまいますが、
『まぶしくて私は目が開けられない』とするのが一般的な表現である、ということだけ述べておきます。


3段落で構成されていますが、一段目と三段目はなかなか文学的で詩的な印象を受けました。
「蓮のように」
「透明人間」
「救い主を見かけた(見つけた)」
「磁力を持っているかのように」
「釘」
「時間の主人」
「人気がないお店」
など比喩を多用しておられますが、意図は成功しているように感じられます。

「一瞬、外の日ざしは鏡にあたったような気がし、まぶしくて私の目が開けられない。」
という視点が一番気に入りました。
この文は、Aさんが磁力の魅力に負けるのを見たくない、という含意も意図されているのでしょうか。
細かな国語的なことは別にして、また、意図されたかどうかは不明ですが、シュ-ルレアリズム的印象が文学的余韻を残していますね。

投稿日時 - 2006-08-22 05:39:17

補足

 補足いたします。

1.「でも」
>13、
>『強い磁力【でも】持っている【かの】ようにDさんをぱっと【引っ張った】』

>14、
>また、「釘のように尖ったもの」という意味でしょうから、『釘【でも】踏んだように』とするほうがベターでしょう。

>また、「珍しいもの」という意味合いが大きいので『(まるで)珍しい動物【でも】発見した【かの】ような』とすると、なお良いと思われます。

 申し訳ありませんが、hakobuluさんに添削していただいた【でも】がよく理解できませんでした。上の三文の中で、「を」を「でも」に添削してくださった理由を教えていただけないでしょうか。

2.>「一瞬、外の日ざしは鏡にあたったような気がし、まぶしくて私の目が開けられない。」という視点が一番気に入りました。この文は、Aさんが磁力の魅力に負けるのを見たくない、という含意も意図されているのでしょうか。

 おっしゃるとおり、Aさんが磁力の魅力に負けるのを見たくない、という意味でした。その意味を感じることが出来てくださってとても嬉しかったです。

 蓮の花は汚泥に生息しながらも、清らかで清々しい花を咲かせ、汚泥に染まらない特質がありますね。Aさんを蓮の花にたとえ、Aさんは蓮の花と同じように汚泥に染まらないと考えました。

 もともとは、Aさんは結局洗面所を出てしったと書くつもりでしたが、やはり私の考え方が甘くて理想的過ぎると感じるので、諦めました。そのまま洗面所を出てしまったという結末はやはりとてもありえないですね。実は、この作文の話は私が実際経験したことでした。ただし、経験したことをもとにして大げさに加工しました。私はAさんが負けたことを実際この目で見てとても悲しくて書きたくなりました。なかなかAさんが現実に負けないシチュエーションを思いつけないので、実際の成り行きのままのように、「Aさんはしかたがなく、目の前の状況に負けた、私はとても残念に思った」という視点を踏まえ書きました。

 それでも、Aさんは「蓮」と言えるのでしょうか。何か蓮の汚泥に染まらない特質からイメージ外れたような気がします。やはりAさんが登場する時に、「蓮のように」と書かないほうがよろしいでしょうか。よろしければ、ご意見をお聞かせください。

投稿日時 - 2006-08-23 23:54:29

お礼

 hakobuluさん、いつもお世話になっております。
 ご丁寧に教えていただき誠にありがとうございます。「は」と「が」に関してですが、こうやってゆっくり考えると全部判るのですが、いざ作文に書くと、なぜ「が」にするべきところが全部「は」になっているか、とても不思議に思いました。間違えないように心がけます。
 本当にありがとうございました。


 
 申し訳ありませんが、補足文をもう一度読んでみました。また「が」と「は」の誤用がありました。訂正いたします。

>Aさんを蓮の花にたとえ、Aさんは蓮の花と同じように汚泥に染まらないと考えました。
「Aさんを蓮の花にたとえ、Aさんが蓮の花と同じように汚泥に染まらないと私は考えました。」と訂正させていただきました。

投稿日時 - 2006-08-24 00:13:15

ANo.3

 なかなか面白い小説ですね。文頭と文末は現在進行形的な表現を用いていると考えて宜しいですか? 私的にアレンジしました。お手洗いに外の光が入るのは防犯上難しいですし。実は、お手洗いの入口の外で待つというのはあまり無いと思いましたので、ここも書き換えようかと思ったのですが。
*******
 強い風で乱れた髪を直しに化粧室へ入った。天井のライトが静かに室内を明るく照らしている。髪を整えている私が眺めている鏡には、後ろの化粧室の出入口の光景がはっきりと映っている。
 Aさんが来た。まだ二十歳前の女性だろうか、蓮のように清楚な感じがする。個室がひとつも空いていないことに気がついた彼女は、出入口の外で立ち止まった。しばらくして、Bさんが来た。まるでAさんが透明人間のような存在であるかのように気にもせずに堂々と追い越して、好みのドアの前で待ち始めた。Aさんは眉をひそめた。続いて、Cさんが来た。Aさんに気が付き一瞬躊躇をしたようだが、室内で待っているBさんを目にしたらしく、救い主を見つけたようにさっさと中に入ってきた。Aさんに肘が当たったらしく、Aさんは少し前のめりに体が傾いたが立ち位置は変えなかった。Dさんが来た。複数の人が順番を待つ室内の雰囲気は強い磁力を持っているかのようにDさんを引き入れた。さすがのAさんも引き込まれて2、3歩前に進んだが、思い留まったようで、すぐに下がった。Eさんが来た。入口のところでじっと待っているAさんを不思議な動物を発見したような目で見やった。……
 窓の外では「時間を無駄にするのは命を無駄にするのと同じだ……」とどこかの歌手が叫んでいる。「時間を大事にしていない」と、Aさんを嘲笑しているかのようだ。Aさんは唇を噛んで複雑な顔をしている。彼女はいま心の中で戦っているのだろうか。時間を大事にする人たちは、彼女の前をどんどん通り過ぎている。彼女が後ろを振り返っても、人気がないお店のように誰もいない。彼女は薄ら笑いを浮かべ、あの磁力の魅力にとうとう抵抗できなくて…… 一瞬、強烈なスポットライトが鏡にあたったような気がして、まぶしくて私は目が開けられない。

投稿日時 - 2006-08-21 22:48:03

補足

 補足いたします

>実は、お手洗いの入口の外で待つというのはあまり無いと思いましたので、ここも書き換えようかと思ったのですが。

 Aは洗面所の入口の外で待っているという意味ではなかったと思います。洗面所の入り口から一番目の個室までのスペースが待つ場所だと思います。なかなか位置の説明が難しいです。Aさんは洗面所に入って、個室1に近いところにいます。位置は次のようになると思います。


        [個室1] [個室2] [個室3] [個室4]
入     A|D    B    C    E
口       |           
--------------------------鏡-----------------窓

>Aさんに気が付き一瞬躊躇をしたようだが、室内で待っているBさんを目にしたらしく、救い主を見つけたようにさっさと中に入ってきた。Aさんに肘が当たったらしく、Aさんは少し前のめりに体が傾いたが立ち位置は変えなかった。

1.「親戚、友人に身を寄せる」の「身を寄せる」は「救い主」と一緒に使って、面白みを出すつもりでしたが、捨てなくてもよろしいでしょうか。

2.理解しにくくて、申し訳ありません。AさんはBさんに肘が当たられて、少し前のめりに体が傾いたのではなく、焦っていて進もうと、少し前のめりに体が傾いたのだと思います。でも、心の中で信念を持っているので、立ち位置は変えませんでした。何かこのシチュエーションに合う文はありませんか。

投稿日時 - 2006-08-23 00:38:23

お礼

 ご親切に添削していただき誠にありがとうございます。おっしゃるとおり、お手洗いに外の光が入るのは防犯上難しいのですね。最後の文は一番最初に考えつきました。でも、文頭に日について何も書かないと最後の文は唐突な感じを受けるだろうかと考えて、いまのような書き方にしました。文頭と文末は現在進行形的な表現を用いていますが、実は、理由がよく判りません。日本の小説でこのような書き方を見たことがあるので、つい真似してしまいました。天井のライトとスポットライトという案はとてもいいですね。「どこかの歌手が叫んでいる」もとても気に入りました。大変参考になりました。
 本当にありがとうございました。

投稿日時 - 2006-08-23 01:02:07

ANo.2

(文章ではあまりお手洗いという言葉は使わないと思います)
大風に吹かれ、乱れた髪を直しに、化粧室に入った。静かに、窓からの日が差し込んでいる。鏡に向かって髪を整えていると、私の後ろの様子が鏡にはっきりと映った(写るではなく映るです)。清楚な感じのするAさんが入ってきた。まだ十何歳かの若い女の子だろうか。彼女のかもし出す雰囲気は、蓮のように清らかだ。彼女は入り口のところでしっかりと足を止めた。しばらくして、Bさんが来た。まるでAさんが透明人間であるかの様に、彼女を追い越して堂々と中に入り、適当なドアの前で待ち始めた。Aさんは眉をひそめた。Cさんが来た。前にいるAさんに気が付き、一瞬躊躇をしたようだが、ドアの前で待っているBさんを目にし、救い主を見つけたかのように、さっさとBさんに身を寄せた。Aさんの体は、少し前に傾けられたが、足は釘を打ったようにしっかりと地面についている。Dさんが来た。ますます賑やかになった化粧室の中は、まるで強い磁力を持っているかのようにDさんをぱっと(○○に 例:ドアの前に・Bさんの後ろに)引き寄せた。(ここから→)さすがのAさんも2、3歩引かれて前に進んだが、釘を踏まれたようにすぐ下がった。(←ここまでがよくわかりません)Eさんが入って来た。入り口のところでじっと待っているAさんを、珍奇動物を発見したような不思議な目つきで見た。……

 窓の外では「時間を無駄にするのは命を無駄にするのと同じ……」と、どこかのミュージシャンの歌が流れている。それは時間を大事にしていないAさんを嘲笑しているように聞こえる。Aさんは唇を噛んで複雑な顔をしている。彼女はいま、心の中で戦っているのだろうか。彼女の前を、時間の主(ぬし)たちはどんどん通り過ぎていく。自分の後ろを振り返ると、人気のない店のように、誰もいない。彼女は苦笑いを浮かべ、とうとうあの磁力の魅力に抵抗できず……一瞬、窓の外の日差しが鏡に反射した気がして、まぶしくて私は目が開けられなかった。
*******
作文というより短編小説ですね。添削より読んでいるほうが面白かったです(^^)
まだ少し不自然かも知れませんが、まるっきり書き変えてしまうと、貴方の小説ではなくなってしまいますもんね^_^;

投稿日時 - 2006-08-21 21:50:59

補足

 補足いたします

>(ここから→)さすがのAさんも2、3歩引かれて前に進んだが、釘を踏まれたようにすぐ下がった。(←ここまでがよくわかりません)

 理解しにくくて申し訳ありません。間違いがあるので、書き直せていただきます。「さすがのAさんも化粧室の中の磁力に引き寄せられ、前に2、3歩進んだが、釘を踏んだようにすぐ下がった。」

 たくさんの人に割り込まれた時、自分の権利を守るために、焦っていて前に進んでしまうかもしれませんね。「さすがのAさんも化粧室の中の磁力に引き寄せられ、思わず前に2、3歩進んだ」はこのようなことを描きました。でも、Aさんは進んだ自分もBさん、Cさんなどのようにマナー違反になることにすぐ気付きました。ですから、私は「釘を踏んだようにすぐ下がった。」と書きました。つまり、これはいけないことだと気づいて、すぐ下がりました。以上の場面はどのように自然に書くのか、教えていただけないでしょうか。

 また、ここの「さすが」は正しく使ったかどうかもとても心配です。ここの「さすが」は皮肉の意味はありません。じっと待っているAさんを感心するので(同情する気持ちもあるかもしれません)、使いました。自然なのでしょうか。

投稿日時 - 2006-08-22 14:00:21

お礼

 ご丁寧に添削していただき誠にありがとうございます。「化粧室」、「かもし出す雰囲気」、「ミュージシャン」、「窓の外の日差しが鏡に反射した気がして」などの表現はとてもいいですね。大変参考になりました。
「面白かった」という評価で励ましていただきありがとうございました。とても嬉しかったです。

投稿日時 - 2006-08-22 14:19:10

ANo.1

台風で乱れた髪を直しに洗面にいった。
陽が窓から洗面所に静かに射している。
清楚な感じのAさんが(洗面に)入った。
まだ十何歳の若い女の子だろうか、蓮のように清らかだ。
彼女は入り口のところでしっかりと足を止めた。
しばらくして、Bさんが来た。
まるでAさんが透明人間のように、追い越して堂々と入って、ドアの前で待ちはじめた。
Aさんは眉をひそめた。Cさんも来た。
前にいるAさんに気が付き、一瞬躊躇したようだが、
洗面の中で待っているBさんを目にし、救い主を見かけたように、さっさと身を寄せた。
Aさんは体を少し前に傾けていたが、足は釘のようにしっかりと地面に立っている。
Dさんが来た。ますます賑やかになった洗面の中は強い磁力を持っているようにDさんをぱっと引き寄せた。
さすがのAさんも2、3歩引かれて前に進んだが、釘をさされたようにすぐ下がった。
Eさんが来た。入り口のところでじっと待っているAさんに珍奇動物を見たように不思議な目つきをしていた。……
(略)
と、どこかの歌手の歌が流れている。
「時間の主人たち(?)」はどんどん通り過ぎていく。
自分の後ろを振り向いて、(略)

(略)はそのまま訂正なし
「お手洗い」はふつう話すときは使いますが、文章では「洗面(所)又はトイレ(便所)」と書きます。
「 」内ちょっと意味不明

投稿日時 - 2006-08-21 21:29:09

補足

 補足いたします。

1.>台風で乱れた髪を直しに洗面にいった。

「台風」ではないかもしれません。「大きな風」という意味だけです。「大雨」という言葉があるので、勝手に「大風」(おおかぜ)を作りました。「大風」はやはり不自然なのですね。

2.>「時間の主人たち(?)」はどんどん通り過ぎていく。

 理解しにくくて申し訳ありません。実は、全文には皮肉が交じるつもりでした。ここも皮肉です。「時間の主人」は時間を自分のお使い人とする人の意味に近いです。つまり、時間をコントロールでき、計画的に時間を上手に使う人の象徴だと思います。ここでは、あえて皮肉のつもりで、いわゆる「時間を無駄にしない」(時間をコントロールでき、計画的に時間を上手に使う)BさんやCさんなどのような人らに使いました。皮肉は感じられますか。

投稿日時 - 2006-08-22 12:42:40

お礼

 ご親切に添削していただき誠にありがとうございます。「引き寄せる」、「通り過ぎる」、「振り向く」などの表現は使える場面がよく判りました。「お手洗い」は文章では使わないのでしたね。大変参考になりました
 本当にありがとうございました。

投稿日時 - 2006-08-22 12:48:36

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