みんなの「教えて(疑問・質問)」にみんなで「答える」Q&Aコミュニティ

こんにちはゲストさん。会員登録(無料)して質問・回答してみよう!

解決済みの質問

義経は馬に乗っての戦闘なのに、新撰組の隊士は歩く走るのみ?

大河ドラマを真面目に見始めて2年目です。

義経たちは、馬に乗って戦闘していますが、時代の下った新撰組の隊士は歩いたり走ったりの手段しかありません。

江戸時代、騎乗は禁止されていたのでしょか。
それとも都市化した、江戸や京都の市中では使いにくかったのでしょうか。

投稿日時 - 2005-07-08 15:08:20

QNo.1499928

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

義経の時代、下層の従者などは徒歩でしたが、いちおう名のある武士は騎馬弓兵で、みんな馬に乗り弓矢で戦いました。そのため戦う人数はそう多くはありませんでした。
その後、時代を下るにつれて戦闘の方法も変化し、戦国時代には馬に乗るのは指揮官クラスだけで、それも戦闘時には馬から降りて戦うのがあたりまえになりました。その代わりに戦闘に参加する人数は大幅に増えました。
それとともに鉄砲が導入されてますます戦闘の様相が変化し、騎馬のまま戦うことはまれになりました。
江戸時代になって、戦争の記憶が薄れてくると、馬を飼うことは現在の超高級車を持つの以上に維持費がかかり、大名や大身の武士しか馬を飼うことが出来なくなり、馬に乗るということは一種のステータスシンボルとなりました。
しかも馬を飼っていても、公用の早馬などであればともかく、一般の移動で市中で馬を走らせることは厳禁で、馬に乗っていても口取りという従者が馬を引いて歩く速度でしか走れ?ませんでした。
ということで大身でもない新撰組の隊士が馬を飼う余力はまずなかったでしょうし、京都の市中で馬を走らせたりすることは今で言えば歩行者天国で暴走するようなもので事故を起こすだけでなく思うようには走れませんでした。
また戦闘の場面では馬に乗ってもつっかけても鉄砲で撃たれればおしまいでした。

投稿日時 - 2005-07-08 15:22:06

お礼

回答ありがとうございます。
なるほど馬に乗ったまま戦うのは、だんだん時代の武器、戦法に合わなくなってきたのですか。
超高級車並み。そう言えば「暴れん坊将軍」は乗っていました。というのは冗談として、一般人が都市で乗るのはまったく不可能な状況ですね

投稿日時 - 2005-07-08 17:22:01

このQ&Aは役に立ちましたか?

1人が「このQ&Aが役に立った」と投票しています

回答(5)

ANo.5

 他の方の仰るとおり、兵器の進化(殊に対銃火器戦)による兵法の変化は第一の理由ですが、それぞれの「戦い」の意味合いにもあると思います。
 義経など戦国時代までにおける「戦い」とは領国争いなどの戦争であり、戦法やそれに伴う隊組織も大掛かりになるはずです。語弊があるかもしれませんが「天下取り」の戦いです。
 一方、新撰組などは、その組織自体が戦の為の物ではなく、体制側の作った警備・取締り組織です。
彼らにとっての異端分子らを「斬る」のが初期の目的であり、後期の戊辰戦争にいたる「戦争」への参加は時代の流れに翻弄された結果です。(そこに本人たちの野心等もあるのでしょうが。)
 簡単言うと「戦い」の種類が違うと思うのです。

投稿日時 - 2005-07-08 16:13:35

ANo.4

 他の方の仰るとおり、兵器の進化(殊に対銃火器戦)による兵法の変化は第一の理由ですが、それぞれの「戦い」の意味合いにもあると思います。
 義経など戦国時代までにおける「戦い」とは領国争いなどの戦争であり、戦法やそれに伴う隊組織も大掛かりになるはずです。語弊があるかもしれませんが「天下取り」の戦いです。
 一方、新撰組などは、その組織自体が戦の為の物ではなく、体制側の作った警備・取締り組織です。
彼らにとっての異端分子らを「斬る」のが初期の目的であり、後期の戊辰戦争にいたる「戦争」への参加は時代の流れに翻弄された結果です。(そこに本人たちの野心等もあるのでしょうが。)
 簡単言うと「戦い」の種類が違うと思うのです。

投稿日時 - 2005-07-08 16:13:21

お礼

回答ありがとうございます。
そうでした、新撰組は市中の警備をしていただけでした。
新政府との「戦争」に参加してすぐに撃たれておしまいなのが、悲しくもなさけなかったのでした。

投稿日時 - 2005-07-08 17:37:29

ANo.3

新撰組にあまりお金がなかったということも理由の一つだと思います。
馬を世話するのはなかなか大変なもので、厩舎の建設と維持、日々の餌代、軍用としての訓練など、それぞれ手間もお金も相当に掛かります。
また街中では馬泥棒に備えて警備もしなければいけません。
清貧を旨とする新撰組にとって、そうした方面に裂ける力はまず無かったことでしょう。

もちろん、洛中では馬の使い勝手が良くなかったということも大いに考えられます。
京都は升目状に綺麗に区画整理されているように見えて、その内では細い路地がひしめき合っています。
そうした場所や建物の中においては、馬は全く役に立ちません。

義経たちが馬に乗って活躍できたのは、広い戦場と、そこで戦うための戦術、そして馬を世話する者あっての事なのです。

投稿日時 - 2005-07-08 15:26:14

お礼

回答ありがとうございます。
江戸時代の武士階級はなんといっても貧乏ですよね。
そうですね京都でも、狭い路地を抜け、小さな橋を渡っていました。

投稿日時 - 2005-07-08 17:27:41

ANo.1

こんにちは。
義経の時代も全員が騎馬武者ではなく、ちゃんと徒士の兵隊さんもいましたので、白兵戦もありました。

騎馬での戦闘は、刀を振り降ろしたとき、馬の首に切りつけない太刀さばきだとか、片手で武器、片手で手綱を使って両方をコントロールするとか、両手で武器を使う場合、馬から落ちないように、また、馬が暴走しないようにする方法とか、軍団で行動する時、自分の武器、特に槍などで隣の人や馬を傷付けないようにするとか、結構高度な技術が必要なので、兵隊なら誰でも馬に乗れるってわけじゃないです。

これは新選組の時代でも同じで、むしろそちらの方が馬に乗る機会自体が少なく、戦闘用の馬術を習得してる人は少なかったと思われます。

新選組は浪人を集めて作った即席集団であり、刀や槍の訓練がせいぜいで、馬術まで手が回らなかったのではないでしょうか。

投稿日時 - 2005-07-08 15:19:52

お礼

回答ありがとうございます。
馬を乗りこなすだけでも大変なのに、さらに武器を効果的に振り回すのは大変なことでしょうね。
新撰組の方がトレーニングシーンが多かったのですが、義経たちもどこかで修行しているのでしょう。

投稿日時 - 2005-07-08 17:12:54

あなたにオススメの質問