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締切り済みの質問

生まれながらにしての罪とは

人間は生まれながらにして罪を負っている、と言われています。生まれ落ちて間もない赤ちゃんにして、既に罪を持つ、ということも聞いたことがあります。罪とは煩悩のことでしょうか。でも赤ん坊に罪があるとは思えないのです。哲学素人です。このカテゴリでよかったでしょうか。よろしくお願いいたします。
 ご回答へのお礼、遅れがちになりましてもご容赦ください。

投稿日時 - 2005-02-13 16:19:43

QNo.1216654

困ってます

このQ&Aは役に立ちましたか?

5人が「このQ&Aが役に立った」と投票しています

回答(46)

ANo.46

それぞれ

生き生かしながら

生かし生かされながら

許し許されながら

自我に固執することなく

全ての宗教が求めてやまなかった

幸福なる社会の創造のために.

 



 

投稿日時 - 2005-02-21 12:54:48

ANo.45

自我は人間が生きていくうえで

必要なものだ.

それを罪と捉えるか,

自然に授かったものとして捉えるか.

によって人生観,世界観は大きく変わる.

どちらがどうと言うことは無いと思う.

その歴史や文化は尊重されていくべきだ.

しかし現代においては

東洋も西洋も

個人の持つ自我,会社の持つ自我,国の持つ自我,人類の持つ自我を滅却する方法を覚え平和共存を目指すときなのではないだろうか.

投稿日時 - 2005-02-21 12:31:32

ANo.44

イエスキリストが

神の何たるかを認識し

神の祝福を受けたのであれば

自我を滅却したゆえであろう.

デカルトが”我考える.故に我あり”と言った

その我を滅却することによって.


 

投稿日時 - 2005-02-21 12:19:54

ANo.43

自我こそが競争原理の要因なのだから

投稿日時 - 2005-02-21 12:00:27

ANo.42

もしユダヤ教の原罪が自我の発生を意味するものであるなら

本当に人が”原罪”から救われるのは

仏教によるだろう.

自我という”原罪”を滅却する方法を学ぶことによって.



西洋哲学によって人類の生活は飛躍的に向上したが

人は必ずしも幸福にはなっていない.

全人類,生物を含めた循環共生型社会.

幸福なる社会の創造

 

投稿日時 - 2005-02-21 11:30:57

ANo.41

人を育てるときに

競争原理で奪い合うことを教えていくより

分け合って生きることを

教えて育てたほうが

人はきっと幸せになる.

天の徳

地の徳にしたがって

健やかに

投稿日時 - 2005-02-21 08:40:17

ANo.40

二人の人間がいたとします.

二人とも喉が渇いている.

目の前には水の入ったコップがあった.

二人は争って独りだけで飲むこともできる.

二人は分け合って飲むことができる.

二人は争ってコップをひっくり返してしまい
水は地面に吸い込まれていく.
覆水梵に還らず.

人はどうやって生きることが幸せと思うのだろうか.

投稿日時 - 2005-02-21 08:30:57

ANo.39

自然

投稿日時 - 2005-02-21 02:52:56

ANo.38

人間である以上、罪を犯す可能性から逃れることはできない。それは摂理。
摂理を定めるのは、だれ?

投稿日時 - 2005-02-21 01:35:53

ANo.37

秋霜烈日

と言う言葉がある.

人を裁く時の

人の心構えとして.



キリストは罪の意識に対して優しい?
それとも厳しい?

投稿日時 - 2005-02-20 22:49:56

ANo.36

罪に対する許しを請うと

神?と言う権威によって許される.



裁判所みたいだね.

別に神じゃなくてもいいよね.

投稿日時 - 2005-02-20 22:33:46

ANo.35

救い?

何からの?

投稿日時 - 2005-02-20 20:54:36

ANo.34

何度もすいません
no.3です。

他で聞いて理解しました。

私なりに理解した内容はというと

「誰でも罪を犯す可能性を持っている

 それをするかしないかは問題ではない

 誰もが罪を犯す可能性を秘めており

 『わたしは罪をおかす可能性は0%です』

 って人は人間の中には たったの一人もいない」


という意味だと思います。

ふ~

従って一般的に考える『罪がある 無い』とは違うようです。

わたしは無いって人も、可能性を秘めているってことです。

それは人間である以上 逃れることは無理。


ということじゃないかと思います。

他の方はそこに留まらず、救いの尊さを言っていらっしゃるようです。
私にとってとっても有意義な質問で、考える機会を与えていただきました。
ありがとう!
 

投稿日時 - 2005-02-20 20:24:31

ANo.33

それによっては天と地ほどの差がある.

投稿日時 - 2005-02-20 19:00:22

ANo.32

イエスキリストが

本当に”原罪”はある

といったかどうかは

とても大きな問題だ.

投稿日時 - 2005-02-20 18:56:05

ANo.31

初めまして。
こういう命題や疑問って哲学だろうが何だろうが真正の答えなんて分からないのですから個人的に感ずるところを述べさせていただきますね。
キリスト教で言うところの「原罪」とは一言で言うと「イブとアダムが約束破った」ということらしいですが、こんなのお話ですね、お話!そのお話を信じることで原罪を背負う者つまりクリスチャンたり得るのなら私は信じません。従って原罪も背負いません。「すべて疲れた人、重荷を背負った人は私のところへ来なさい。私が貴方を休ませてあげます」このことばだけなら有難くいただきたいと思います。

この世界の微細なチリ一粒でさえも神の思し召しによって造られたものなら「人に罪あらば神にもあり」になるはずです。自分ひとりを真っ白に装いたいがために人に黒い衣を着ろと言うのか!そのために「契約違反」のお話を持ち出すのか。神が造ったこの世界で人々は苦しむ。その苦しみの理由を神の罪に帰させないためのお・は・な・し!

仏教では「善人なおもって往生す。まして悪人をや」つべこべ言わずに不問に付す、往生させてくださると言う。ところが「契約」ですって!?黒を白と言ったら天国に入れてやるが黒を黒と言ったら地獄に落としてやるですって!?「契約」!身もふたもない・・・ああ。
私どもの母親は私が物心つくかつかない頃から何かにつけて私を蔑み、母の不注意によって背負った障害も、それによって起きる様々のトラブルに対し一切の手立てをとらなかったことも「すべてはお前自身が、そういう星の元に生まれついたから」との一言で片付けていました。そして死んだ後も娘のうえに君臨し利用し尽した。この母とキリスト教で言うところの神と私にはイメージが重なってしょうがない。欺瞞の匂いがプンプンする。

だがまあ、人間の内面に宿る人格的、人の希求する、あらま欲しき成熟した神のイメージをこそ神とするのか、人の言う善悪等の概念を超えた、すさまじき意志的エネルギー、冷酷という自覚などサラサラ持たぬ荒ぶる自然、淘汰を用いて力弱き者をなぎ倒し世界を変化のるつぼに投げ込み続ける存在それを神とするのか、それによって話は大いに変わってくるのではありませんか?
この自然の成り立ちの玄妙さ不可思議さ、それは私も異存ありません。だからと言って、ほめたたえるつもりもありません。

「罪」なるものが生まれながらにしてあるのかないのか私にはさっぱり分からない。あると言えば、つじつまが合うような気もする。しかし、いずれにせよ懸命に生きていくだけです。「罪」があろうとなかろうと。それが現実でしょう。

投稿日時 - 2005-02-20 16:53:47

お礼

回答有り難うございます。参考になりました。

質問に回答していただいた皆さん誠に有り難うございました。この辺でこの質問を締め切りたいと思います。
 
わざわざ時間を割いていただき、感謝に堪えません。

投稿日時 - 2005-02-21 21:19:02

ANo.30

イエスキリストが”原罪”はあるといったのでしょうか.

それともキリスト教がユダヤ教の”原罪”を引き継いだのでしょうか.

どちらなのでしょう?

投稿日時 - 2005-02-20 12:05:32

ANo.29

それを神は

イエスキリストを通して

人間にとって良いこととして

語らせたというのですか?

投稿日時 - 2005-02-20 09:19:10

ANo.28

実際には無い”原罪”は

子供を育てるときの方便である

ということですか?

罪の無いものに罪を着せる冤罪?

投稿日時 - 2005-02-20 09:13:20

ANo.27

罪は子に託すものなのですか?

投稿日時 - 2005-02-19 19:28:22

ANo.26

自分だけの罪と思うならそれは言いにくいということはありえるだろう.

しかし人類が普遍的に持つ原罪があるならば

それが解るならば

それを言うことは

人類全体の為になるだろう.


原罪それは一体なんですか?

投稿日時 - 2005-02-19 19:15:44

ANo.25

救済の為の人間が与える原罪なんてのは

投稿日時 - 2005-02-19 18:25:14

ANo.24

許すことを憶えるために人間がわざと与える罪

なんてのは無しでね.

投稿日時 - 2005-02-19 18:09:10

ANo.23

生まれながらにしてある

と思っている”原罪”とはいったいなんですか?

個人的でなく一般的に持つ”原罪”とは.

貴方には有ると解るのですね?

それは何なのですか?

投稿日時 - 2005-02-19 17:49:29

ANo.22

こんにちは、興味深い質問なので私なりの解釈でお答えします。

私は、学問としてキリスト教を学んだことがある者として、キリスト教的観念からの「原罪」はあると思っています。
確かに、「生まれたばかりの赤ん坊なのに」と思うかもしれません。ただ、ここで考えて頂きたいのは、キリスト教では「罪」は悪いことなのですが同時に救済への足がかりだいうことです。「どんな罪人でも神の国は彼らのものである」ってキリスト教では言うので。
つまり、「赤ん坊にも罪はある」というのは「生まれたばかりの赤ん坊にも、神のご加護はありますよ」「どんな人でも神の愛を受けているのです」という教義を示しているのではないかと私は解釈しているんです(こう書くのはちょっと気が引けますが)。だから日本人の考える「ケガレ」とか、法律的な「ツミ」とか、道徳的な「アクギョウ」いう概念とは異なるんではないかと思いますね。

引用文が普通と違うかもしれません。クリスチャンの方怒らないで下さい。英文でしか読まなかったので(>.<)。でも、脇で傍観者として宗教家を眺めてきましたから一般人の理解の仕方としては近いかと……。

投稿日時 - 2005-02-19 12:11:42

お礼

回答有り難うございます。
【キリスト教では「罪」は悪いことなのですが同時に救済への足がかりだいうことです。「どんな罪人でも神の国は彼らのものである」ってキリスト教では言うので。】
上の言葉は魅力的な内容ですね。親鸞の悪人正機説でしたでしょうか、重なりますね。
【つまり、「赤ん坊にも罪はある」というのは「生まれたばかりの赤ん坊にも、神のご加護はありますよ」「どんな人でも神の愛を受けているのです」という教義を示しているのではないかと私は解釈しているんです】
なるほど、このような解釈もあったのですね。有り難うございます。参考になりました。

この質問をそろそろ「締め切り」に、とも思いましたが、もう少し継続させてください。gooの管理の方、すみません。

投稿日時 - 2005-02-20 00:47:00

大きな課題に対して問題意識を持っておられること、まず、尊敬します。
私自身が身近な例としてわかりやすい説明の一つに、サッカーなどのオフサイドがあります。何も「反則行為…相手を突き飛ばしたり…」をしていなくても、そのいる場所そのものが「違反」ということです。ですから、当然、そこで行うことはどんな行為でも…それがどんなにファインプレーでも、どんなに見事なキックでも…すべて「反則」となります。
「生まれながらにしての罪」も、決して「何か悪いことをした」ということで生じるものではありません。居る場所…他者との位置関係…が問題なのです。キリスト教では、その他者…絶対他者である神との関係が「オフサイド」ということではないでしょうか。

投稿日時 - 2005-02-18 17:53:40

お礼

有り難うございました。「比喩」って面白いですね。なるほど、「オフサイド」ですか。参考になりました。

投稿日時 - 2005-02-20 00:32:54

ANo.20

投稿日時 - 2005-02-18 05:58:09

ANo.19

時空の連続的な

投稿日時 - 2005-02-17 20:31:44

ANo.18

親の在り方を含む環境

投稿日時 - 2005-02-17 18:50:04

ANo.17

血ではなく後天的な.

環境と教育のあり方による.

投稿日時 - 2005-02-17 18:33:54

ANo.16

魂の穢れを嫌う

投稿日時 - 2005-02-17 18:13:50

ANo.15

罪とは一体何ですか?

投稿日時 - 2005-02-17 10:32:20

ANo.14

神のみぞ 知る

投稿日時 - 2005-02-17 10:24:05

ANo.13

自分がただ”悪かったと認識した”と思えば

どんな罪でも

消え去るものなのでしょうか?

投稿日時 - 2005-02-17 10:15:18

ANo.12

No.3です。
前回スカすぎたようなので書き直します。


一つの事例でも人によってその解釈は違いますよね。
例えばユダヤ教の律法をイエスは正しくないとしたので処刑されちゃいました。
これは正しいか正しくないかがイエスの処刑の原因じゃなかったですよね。
ユダヤの律法を守ることを天職としていた人々の保身と恐怖が原因だったとわたしは解釈しています。

人間は恐怖をコントロールされるととても弱いです。
予想もしないところでブチって釘がささると、「あらら」って思いますが、「刺すぞ刺すぞ」と脅されるとそれは実際の痛みの1000倍くらいの恐怖を感じるのではないかと思います。

イエスは原罪とかなんかに固執してはいなかったと思う。
彼が言いたかったのは、どんな人も自分がやったことが悪かったと認識したことで罪は消えると考えたのではないかと思います。


イエスの死後、キリスト教は迫害されました。
なんたって統治者を一番に民衆は思ってくれないので扱いにくいったらありゃしない。

イエスは死後の世界を解きました。
現実の世界が駄目でも、死後天国という世界がある。
これはとても狭い門でほとんどの人は通れない。
釘を刺すぞ刺すぞと言われる方がとっても怖いので、天国に行けないってすっごいことになっちゃうと人々は恐怖に囚われてしまったのではないかと思います。
死後まで苦しんじゃあしょうがない。
それで今の統治者に背を向けてもイエスの言う天国を信じきった。
ライオンに食われた方が天国に行けないより全然マシって思えた。

それで統治者はそれならって考え、彼らが手放さないものを認めることにした。
あら? 言うこと聞くようになった。やっぱり~。
これで統治ができるようになった。

キリスト教を擁護したので、人気者になった。
キリスト教は支配者の庇護の元だんだん大きくなって勢力を伸ばしていった。

信者が多いほど寄付金集まるし、皇帝よりも一応上になったので、どういうルールを作ろうと誰も文句言わない。

もっと信者を集めるにはどうしたらいいか?
恐怖をコントロールするんだ。
ところが宗教はいりませんって言われた。
「ちっちっちっち あなたは知らないかもしれないが、全員生まれながらに罪があって、このままだとほらほら ほらほら 地獄に落ちますよ~ いいんですか~」
釘の心理と一緒。 恐怖1000倍。

一気に信者増えた。寄付金増えた。
集まった財宝で教会の建物を飾っていよいよ輝くばかりの栄華を極めた教会。

カソリックでは神父は予言者的な位置づけで、直接神と対話でき、神の意思を市民に伝える役職と定義されていた。
日本だって天皇が神だって定義しちゃったもんね。
お国のため天皇万歳って死んでいったもんね。

その神の言葉を直接伝える人の考えをおかしいなんて思うと地獄行きになっちゃうんだぞって、恐ろしくてとてもじゃないけど疑えなかった。


誰が人間には原罪があるからこのままだと地獄に行くって言い出したのか誰か調べて欲しいです。

人を恐怖でマインドコントロールして得した人って一体誰なんでしょうね。
それはやっぱり権威とか金からみなんでしょうかね。
誰か調べて欲しいです。

投稿日時 - 2005-02-16 23:09:40

お礼

有り難うございます。参考になりました。

投稿日時 - 2005-02-20 00:25:29

ANo.11

血統書付きの

悪の枢軸

投稿日時 - 2005-02-16 04:35:02

ANo.10

参考程度に
[人間は生まれながらにして罪を負っている、と言われています。] というのは、まったくの「うそ」でしょうね。何を信じるのも自由ですけど、罪を背負って生まれたいという人間などどこにもいないでしょう。だから「うそ」の話ですね。ということで、「赤ん坊に罪があるとは思えないのです。」は至極まっとうな考え方です。人間は、成長するにつれ、社会の中で社会的な「罪」と「罰」を経験することになりますが、それだけですね。生まれてくる子供は、みんな天真爛漫な汚れなどないものです。よく詐欺師が使う手が「罪の子」理論ですね。詐欺師の理論がまかり通ってはいけないんですね。

投稿日時 - 2005-02-15 12:27:02

お礼

お礼遅れて、申し訳ございません。
赤子にして罪を負っている、という考えには、「信じ(信仰)」が背景となっている。そんなことはない、という立場からすれば、そのような考え方は詐欺とも言えるというのですね。なるほど、参考になりました。有り難うございました。

投稿日時 - 2005-02-16 16:37:11

ANo.9

律法が多いのもその為だろう.

もしかしたら監獄での生活習慣だったりして

投稿日時 - 2005-02-15 07:38:54

お礼

有り難うございます。参考になりました。

投稿日時 - 2005-02-15 17:01:14

ANo.8

罪の意識の宗教観は

罪を犯した者が,その後に興した宗教の故と考えられなくもない.

何か社会的な深い罪の改心後に

啓かれた宗教.

回心ではなく改心の宗教と言った所かな.

投稿日時 - 2005-02-15 07:26:38

お礼

そうだと思います。深い、深い、罪を犯したものが啓いたのだと直感します。

投稿日時 - 2005-02-15 16:56:23

ANo.7

>人間は生まれながらにして罪を負っている、と言われています。

これはキリスト教では原罪といわれています。この原罪というのは罪を犯す性質といってもいいかもしれません。確かに生まれたての赤ちゃんは罪は犯さないかもしれませんが、罪を犯す性質を持ち合わせていると言うことです。ですから、子どもにウソのつき方を教えなくても自然にウソをつくようになります。もし罪を犯すことが後天的なものであるなら教育や道徳によって罪を全く犯すことのない人間に育て上げることが可能だと思いますが、それは不可能です。なぜなら人間が生まれたときから罪を犯す性質を持ち合わせているからなのです。

ここでいう罪というのは、人を殺すとかお金を盗むなどの警察に捕まってしまうような罪だけをいうのではなく、心の中で「あいつなんていなければいい」とか、「あいつなんて死んでしまえばいい」などど思うこともその罪に含まれます。うそをつくことも罪です。つまり、人間として生まれたならばすべての人間が罪人であると宣告されているのです。

では、どうして人間は生まれながらに原罪をもって生まれてくるようになってしまったのでしょうか。

神様は最初にアダムという男性を創造し、次にエバという女性を造りました。その時は人間に罪は全くありませんでした。

神様は、最初アダムとエバをエデンの園という庭に住まわせていました。どんなことをしてもよかったのですが、たった一つだけ「この園の中央にある善悪を知る木の実だけは食べてはならない」という命令をだしました。それは、人間をロボットに造らなかったという証拠でもありました。つまり、人間に自由意志を与え、人間との間に愛を存在させたかったのです。

しかし、悪魔に化けたへびに誘惑されたアダムとエバはその命令を破り、その木の実を取って食べてしまいました。そのために人間は罪人となりエデンの園を追放され、人間は必ず死ななければならなくなってしまいました。

これがキリスト教でいう人間が原罪をもって生まれてくる理由です。

さてキリスト教でいう神について説明します。

日本には八百万(やおよろず)の神といってたくさんの神々があるといわれていますが、日本人が神ということばを使ったときには、あまりにも神という概念がばらばらです。

もし、神が本当に存在するならそれは人間が造った神ではなく、もともと存在し(だれかが造ったものならそれは神ではありません。)天地万物を創造し、無から有を作り出せるからこそ神なのです。神は唯一(ただひとり)であり何でも出来る方ですからたくさん存在する必要はなく、すべてのことを知っておられ、どこにでも存在され、正しいお方で、完全な聖さをもっておられ、義なるお方で永遠から永遠に存在される愛なるお方です。

しかし神様は、きよい正しいお方であり義なるお方ですから、その人間の罪を罪として罰しなければならないのです。

その結果、すべての人間は地獄に投げ入れられてしまうはずでした。

しかし、人間を愛している神はその地獄に投げ入れてしまう人間を救う道を開いたのです。

その方法は人間に「いい人間になりなさい」「修行をして罪のない人間になりなさい」
「いいことをたくさんしなさい」という命令を出すことではありませんでした。そんな命令を出したところで人間は修行やいい行いをたくさんすることによっては罪のない人間になることは不可能だということを知っていたからです。

そこで、神は自分のひとり子であるイエスキリストをこの地上に誕生させ、全人類のすべての人間の罪の刑罰を負わせて十字架にかけて死なせ3日後に復活させることにより人間のすべての罪を完全に赦し天国へ連れて行く道を開いたのです。

イエスキリストは何の罪も犯さず一回もウソを言ったこともありませんでした。

十字架にかかって殺されようとしたときにイエスキリストは自分が無実であることを叫びませんでした。

ほふり場に引かれていく子羊のように何も言わず、自分がかかる十字架をかついで処刑されるべき場所へと歩いていき、十字架の上で「父よ、彼らをお赦しください。彼らは何をしているのかわからないのです。」と祈りました。

私たち人間は無実で十字架にかけられているときに、自分を殺そうとしている人に対してこのように言うことはできません。

しかしイエスキリストはそのように言って十字架の上で息を引き取りました。しかし3日目に復活しました。

それは、イエスキリストが神のひとり子であったという証拠です。3日後に復活したのも彼が神のひとり子であったからできたことなのです。

イエスキリストは私たちを命をかけて愛し私たち人間の罪の刑罰を身に受けて十字架にかかって死に天国への道を開いてくださったのです。

そのことを自分のこととして信じる者はすべての罪を赦され天国へ行けます。しかし信じないものはその罪が裁かれ地獄へ行かなければなりません。クリスチャンはイエスキリストの道徳的な教えを信じているのではなく、十字架と復活を信じているのです。

イエスキリストの十字架と復活がなければキリスト教は存在しませんでした。

このことはすべて聖書に書かれています。

聖書は毎年毎年世界中の多くの国の人々に読まれ何年たっても世界のベストセラーです。しかしクリスチャンと同様、聖書ほど迫害を受けてきた書物はありません。ローマ時代の初期には王がクリスチャンを迫害して殺してしまうと同時に聖書も全部焼き払えという命令が出され聖書は全部焼かれてしまいました。

しかしどんなに人間がクリスチャンを迫害し殺しても聖書を焼き払ってもクリスチャンはこの世界からいなくなることはなかったし、聖書もこの世界からなくなることは決してなかったどころか世界中のほとんどの言語に翻訳され読まれ本当の救いと喜びと希望を与え続けているのです。

どうか、聖書を読んでみてください。

参考URL:http://bible-room.org/seisho%2Dnyumon/question-answer/07-1.what-is-s.htm

投稿日時 - 2005-02-14 22:07:05

お礼

お礼遅れて、申し訳ございません。
なるほど、エデンの園を追われた我々は、神に離反したのであり、そのことによっ原罪を負い、赤子にしてあまねく罪の性質を有している、というのですね。参考になりました。

投稿日時 - 2005-02-15 16:45:17

ANo.6

罪の意識の宗教観,世界観の影響の中にいるからではないですか?

投稿日時 - 2005-02-14 18:54:43

お礼

回答有り難うございます。そうですね。罪というものを強く意識する世界観から、そのような判断が生じたのでしょうね。参考になりました。

投稿日時 - 2005-02-14 20:32:44

ANo.5

現代文明を批判する人でも、飛行機で運んだものを食べているし、原子力発電所がつくり出したエネルギーを使っている。

どんなに配慮しようとしても、生きていること自体がある種の組織や集団に属していることになる。

南北問題などはその典型で、先進国の便利な生活に身をゆだねている限り、原罪というものと無縁ではないと思う。

赤ん坊にしてもそうで、生まれながらにして富裕層に属している。そういう感覚があるから、殺人犯がナイフを突き刺したのだと思います。



私は天皇家の愛子さまをすばらしい魂として尊敬します。けれども、天皇制を反対する人にとっては違うでしょう。私は、愛子さまの魂には尊さがあるだけであって、罪があるとは思いませんが、天皇制を否定する人たちにとっては罪があると思うのでしょう。



法的に…。とか、マスコミ的に…。などとは関係なく、生きていることは他者の犠牲の上になりたっている。

それは、植物を食べても、動物をたべても同じこと。
それは肉を食べないからすまされるのではない。
肉を食べずに、生命の起源ともいえる卵料理を食べる菜食主義者たちを見ると、そのご都合主義に腹が立ちます。

投稿日時 - 2005-02-14 12:03:06

お礼

お礼遅れて、申し訳ございません。
なるほど、参考になりました。質問内容が舌足らずで申し訳ございません。
天皇家でない、あなたの、今目の前にしているあかちゃんのどこに罪があるというのだろうか、ということでした。有り難うございました。

投稿日時 - 2005-02-14 20:27:56

ANo.4

原始的な宗教(一般に民族宗教とされる)には結構ありがちな
話です。民族宗教から派生した世界的な宗教、キリスト教や仏教
にもそうした観念があったかと思います。

煩悩だけ、ということではなく、あらゆる欲望(エロス)に
関してそうした戒めが必要である背景には、一つ道徳的な示唆を
含みます。物語を基礎とする神話には道徳的な基準、善いこと、
悪いことを説く役割があります。
宗教によってその説き方は様々ですが、中にはそうした生まれな
がらにして罪を背負うと説くところもあります。

>でも赤ん坊に罪があるとは思えないのです
それは、まぁそうでしょう。法律的な罪はないですし。
先のナイフを頭に突き刺した事件をみても、「何の罪もない子供
に…」というのが普通の感じ方です。

これは別に宗教を否定しているのではなくて、普段の罪意識と、
宗教的な教えで言う罪を混同しない、という意味です。

哲学のカテゴリで答えるなら、罪もないですし、性善説も性悪説も
ございません。
子供はあくまで育てた方とのルールから善い・悪いを学んでいく
ものです。

投稿日時 - 2005-02-14 01:06:55

お礼

お礼遅れて、申し訳ございません。
なるほど、道徳的な示唆が関与しているのですね。
 
そうですね、性白紙説というのもありましたね。参考になりました。有り難うございました。

投稿日時 - 2005-02-14 20:18:21

ANo.3

その考えはキリスト教独自だったような。
ユダヤ教とかイスラム教ではあるのかな?

えっと聖書を読むと謎の部分があります。
一番最初の方の創世記の部分です。

自分に似せてアダムを作りました。
ふむふむ 人間の原型モデルはアダムか。
とおもいつつ あれ? あれれ?

アダム以外にも人間がいたかのような記述があります。
他の人間は既にいて、その後アダムを作ったかのようにも取れます。

自分に似せた? 
つまりカンシャク起したり、微塵しかない可能性を捨て切れなかったり、弱いものにこそ愛情を示したり。
神って人間くさい。
アダムが知恵の木食べるってわかってたりして。
自分とそっくり! 
って自分の弱点を否定したままでは駄目よね。
だから人間を絶滅させきれない?
絶滅させちゃうと自分も消える?
なんて妄想を膨らましてみました。


さあ あなたはアダムの子孫でしょうか それとも・・・。

あ、猿というのは無しにして考えてください。^^;

投稿日時 - 2005-02-13 20:56:09

お礼

お礼遅れて、申し訳ございません。
有り難うございました。参考になりました。

投稿日時 - 2005-02-14 20:11:32

ANo.2

 こんにちは。

 キリスト教で言う原罪(げんざい)のことをおっしゃってるのでしょうか?

 キリスト教において,人間が生まれながらにして持っているとされる罪で,人祖のアダムとエヴァが最初に犯した罪が,後の子孫の全人類に遺伝によって伝搬したと考えられているものです。

-------------------------

 それとも,性悪説ですか?

 荀子が孟子の性善説に反して唱えた論で,人間の天性は悪だが,後天的努力(すなわち学問を修める)ことにより矯正できるすることができるとする思想です。
 道徳みたいな話ですね。

投稿日時 - 2005-02-13 16:42:31

お礼

お礼遅れて、申し訳ございません。
この質問は キリスト教の原罪か
または性悪説かという二点の立場があるということだったんですね。参考になりました。
目の前にいる赤ん坊、善悪の世界に足を踏み入れておらず、ただ生まれさせられてしまった赤ちゃん、生きようとする、与えられた欲求のままに泣く赤ちゃんの姿のどういう所に罪があるというのだろうか、という疑問でした。予めこのように表現したら良かったですね。有り難うございました。

投稿日時 - 2005-02-14 20:08:09

ANo.1

参考

参考URL:http://www.alpha-net.ne.jp/users2/aoyagis/h/j/8.html

投稿日時 - 2005-02-13 16:25:41

お礼

お礼遅れて、申し訳ございません。
なるほど、参考になりました。アダムとイブの神への離反と言うことですね。有り難うございました。

投稿日時 - 2005-02-14 18:52:54

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