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質問

質問者:otakesan07 漱石の死生観、修善寺大患後の漢詩
困り度:
  • 困っています
「則天去私」で知られる漱石の死生観に興味を持って、特に修善寺大患後の漢詩を読もうと思っています。どの詩句に注目したらよいか、また、彼の死生観を推測できる他の作品(小説、随筆など)についてご教示よろしくお願いします。49歳での死は無念であったろうし、果たして「則天去私」の心境で最期を迎えられたのだろうか? 「胃潰瘍」が悪化して死去とされていますが、経過より胃がんではなかったかと疑われますが真相はどうだったのか?などについてもご高見をお聞きできましたら幸いです。
質問投稿日時:09/10/25 22:23
質問番号:5396532
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回答

 

回答者:cryforty 参考までに、と漢詩集に採られている無題詩の日付をあげましたが、日付を確認した『漱石詩注』(新書)には漱石の全漢詩のうち除かれている作がいくつかあり、日付だけでは同定できない場合もあるため、三連作と大正5 年11月 20日の最後の詩以外の初句を記しておきます。
明治43年9月20日「秋風鳴萬木」
明治43年10 月5日「淋漓絳血腹中文」
大正5年8月16日「無心礼仏見霊台」
大正5年10月6日「非耶非仏又非儒」
あと、一つ(原詩が)分からないのがあると書きましたが、大患前のものです。

『夏目漱石事典』(「事典」とはいっても400ページほどの漱石ガイドなんですが)というのがあったなと思い、引っぱり出して拾い読みしてみると、「生と死のはざまにたゆとう幽暗の感覚(大患時の人事不省)を形象化した詩」として明治43年10月(日付なし)、無題の「縹渺玄黄外」ではじまる詩がとり上げられていました。「格調と気韻とをあわせそなえた傑作」でもあるそうです。

漱石の漢詩論というのはいくつかあるようで(私は渡辺昇一の『漱石と漢詩』しか読んだことがないのですが)、晩年の漢詩には老荘思想や儒教の影響も指摘されていますが、禅がその主座にあるのは論をまたず、また漱石は晩年、良寛に傾倒していたことなどを考え合わせると、『漱石漢詩と禅の思想』1997(陳明順 著)などは参考書としてまず数え上げられていいのではないかと。


また余計な話ですが、註釈している吉川幸次郎という碩学は、「漢籍読破数は有史以来日本随一と噂」されるほどの人だったらしいですよ。この方の学を讃える修飾的な言辞だとは思いますが。
種類:アドバイス
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回答日時:09/10/26 19:43
回答番号:No.2
この回答へのお礼ご造詣の深さが窺われるご教示ありがとうございました。これを頼りに漢詩の中に籠められた漱石の、ひいては日本人の死生観の一端を知るべく読んでいきたいと思います。

回答

良回答20pt

回答者:cryforty 『漱石詩注』ってありますよね、吉川幸次郎著の、前に岩波新書に入ってて、今は確か岩波文庫に入ってる、あれは漢詩が年代順に並んでますから(もちろん全集もそうでしょうが)修善寺の大患後、つまり明治43年夏以降の詩を読むといいんじゃないでしょうか、そんなに数も多くもありませんよ、小冊子にしては註も詳しいですし。

それから、ちょっと興味があったので手持ちの漢詩集を見てみました。死生観が窺えるかわかりませんが、参考までに。

『日本漢詩鑑賞辞典』(角川書店)には漱石の漢詩は二つ採られていているのですが、ともに大患以前の作でした。

『明治漢詩文集』(明治文学全集62)には五詩あります。大患(中)以後のは一詩、明治43年9月20日、無題の詩です。

Burton Watsonという和漢の古典を広く翻訳している方の‘Japanese Literature in Chinese’ という訳書が手元にあるのですが、ここに漱石の漢詩が七つ採られています。一つどれかわからないのがあるのですが、六詩は大患(中)後のものです。
明治43年10 月5日、無題/大正5年8月16日、無題/大正5年10月6日、無題/大正5 年10月 21日、無題(三詩連作)/大正5 年10月 22日、無題(三詩連作)/大正5 年11月 20日、無題


眼(がん)耳(じ)双つながら忘れて 身も亦失ひ
空中に独り唱(うた)ふ白雲の吟 

漱石最後の漢詩となった、その詩の末尾です。
則天去私だか分かりませんが、これなんか「私を去った境地」と言えるのではないでしょうか。この部分は『折々のうた』にも採られたことがあります。

ちなみに、これに似たのが『草枕』にあります。この箇所の英訳をグレン・グールドが朗読しているのをNHKで見たことがあります。

 たちまち足の下で雲雀(ひばり)の声がし出した。谷を見下したが、どこで鳴いてるか影も形も見えぬ。ただ声だけが明らかに聞える。・・・(中略)・・・のどかな春の日を鳴き尽くし、鳴きあかし、また鳴き暮らさなければ気が済まんと見える。その上どこまでも登って行く、いつまでも登って行く。雲雀はきっと雲の中で死ぬに相違ない。登り詰めた揚句は、流れて雲に入って、漂うているうちに形は消えてなくなって、ただ声だけが空の裡に残るのかも知れない。

>彼の死生観を推測できる他の作品(小説、随筆など)について

ご存知のように『思ひ出す事など』は大患時のことを書いたエッセイです。この時に詠んだ漢詩も同書に載っています。

『硝子戸の中』は死の話題が非常に多い回顧的なエッセイです。
死を生に対立するものというより、生に寄り添うな、ごく自然なものとして捉えている感じがします。
余談ですが、私はなぜかこの隠居の雑文めいたエッセイが好きで、二十歳くらいのときから繰り返し読んでいます。なぜいいのか、まだ上手く言葉にできませんけどね。
種類:アドバイス
どんな人:一般人
自信:参考意見
回答日時:09/10/26 01:11
回答番号:No.1
この回答へのお礼重ねてのご教示有難うございます。「草枕」の英語訳は「The Three-Cornered World」。”四角な世界から常識と名のつく、一角を磨滅して、三角のうちに住むのを芸術家と呼んでもよかろう。(38ページ)”からのタイトルと思います。そんな目を持って初めて深層を垣間見ることができるのかもしれません。グールドの死の床にあったのは聖書ではなく「草枕」であったとのこと。むべなるかなです。生物は(テロメアという)死を内包して誕生すると言われています。それに対面しながらの下山を辿っていますのでこれからのご教示をよろしくお願いいたします。
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